1938年、スカラ座、ユダヤ人に門を閉ざす

1938年12月、スカラ座は、ユダヤ人の観客お断りの措置をとり、それに抗議して、指揮者のエーリッヒ・クライバーは指揮を降板していた(レプッブリカ、1月10日)。
1938年、人種法はすでに施行されていた。そこへ追い打ちをかけるように、アーリア人種でない観客お断りの措置が、スカラ座でとられたのだ。
指揮者エーリッヒ・クライバーは激怒した。「音楽は、太陽や空気のように、全ての人のために書かれたものだ。現代のように厳しい時代に、必要な慰めの源である。それをいかなる人間に対してでも、とりわけ、人種や宗教を理由に、否定することは容認できない」として彼は降板した。演目は《フィデリオ》であったのは皮肉だ。圧政に抗し、自由を求めるという内容のオペラなのだから。
エーリッヒ・クライバーは、1934年にもアルバン・ベルクのオペラ《ルル》がナチスによって退廃芸術と決めつけられ、検閲、上演禁止となったときにも辞任している(オペラ《ルル》は未完成だったので、この時、演奏しようとしていたのは《ルル》の中の交響的断片を集めたルル組曲ーー管理人註)。
その後、クライバーはアルゼンチンに移住する。4年後に、スカラ座に招聘されたが、この事件が起こった。ユダヤ人の芸術家だけでなく、聴衆/観客もユダヤ人の場合、年間予約を返還するよう求められた。払い戻しは保証されてはいたが。
この事件は国際的な反響をよび、12月30日、31日には、ワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズでも取り上げられた。
イタリアの新聞で公然とこれを非難したのは、ヴァティカンのオッセルヴァトーレ・ロマーノ紙のみであった。
追記:ベルク作曲《ルル組曲》に関して、当初、ナチスによる検閲があったと書きましたが、ナチス政権のもとでは演奏を禁じられたので、上演禁止と訂正しました。
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