
CD 《Ettore Bastianini Recital》を聴く(ANDRCD9022).
Andromeda というレーベルからでた新譜である。1954年から1957年のライヴ録音を中心に、ヴェルディ・バリトン、エットレ・バスティアニーニの最盛期の声が収録されている。
バスティアニーニの声は、青銅のように強く、ビロードのように柔らかい声(una voce di bronzo e di velluto)と称せられた。つまり、声の表情の幅が大きく、強い声、柔らかい声が、曲想に応じて自由自在に使い分けられるのである。これは同時代人でたびたび共演しているソプラノのマリア・カラスやメゾソプラノのシミオナートにも共通する特徴である。ただし、強調しておきたいのは、こうした声の表情の使いわけが、技巧を誇示するためではなくて、あくまでも、オペラという劇のドラマ性を高めるために使われているのである。
それはトラック12のヴェルディの《仮面舞踏会》の 〈Eri tu (お前こそ心を汚すもの)〉や、トラック15の《ドン・カルロ》の〈Per me giunto(わが最後の日)〉を聴くと、如実にあらわれている。《仮面舞踏会》では、レナートは、国王に忠誠を尽くしているが、国王が自分の妻を奪ったと誤認する。自分の忠誠を裏切ったことへの怒りを歌う表現と、妻アメリアとのかつての甘い思い出を歌う表現方法は、両極端のはずである。バスティアニーニは、あまりに自然な形で緊張とリラックス、声の強弱をつけていくので、聴き手は、彼の怒り、悲しみに、すっと感情移入してしまうのである。これが、表情をつけすぎれば、かえって逆効果になったり、場合によっては技巧のひけらかしが鼻につくということになるのは言うまでもない。
トラック15の《ドン・カルロ》では、ロドリーゴは、王子ドン・カルロに王国の将来、フランドルの解放を託す。ロドリーゴは忠臣でありながら、フランドルに関しては危険思想の持ち主であるため、暗殺されるが、死の間際の歌が〈わが最後の日〉である。 ここでも、死の間際によぎる哀惜の念、カルロとの友愛、フランドルへの思いなどが、甘美な音色から強い音まで、技巧が完璧であることによって、逆に技巧を感じさせず、ごく自然に表現しているように聞こえるのである。技巧は、100%音楽に奉仕している。
こうした表現法は、技巧の完璧さだけでなく、歌手バスティアニーニが、ヴェルディを心から尊敬していたゆえでもあると思う。バスティアニーニの伝記《君の微笑み》(フリースペース)にも記されているし、来日した際にインタビューした音楽評論家、黒田恭一氏も記していることであるが、バスティアニーニはヴェルディのオリジナル写真を持ち歩き、大事にしていたのであり、晩年には肖像画も苦労の末入手していた。その敬愛の念の深さにはなみなみならぬものがあったと想像される。
このレコードでは、《エルナーニ》、《イル・トロヴァトーレ》、《椿姫》、《仮面舞踏会》、《運命の力》、《ドン・カルロ》、《オテッロ》(ここでは、ティト・ゴッビの名唱とは全く異なった〈クレード〉を聴くことができる)といったヴェルディのオペラのアリアをライヴ中心に聴くことができるが、他に、ロッシーニの《セビリアの理髪師》、チャイコフスキーの《マゼッパ》(バスティアニーニはバリトンとして再デビューした初期のころ、フィレンツェ5月祭でいくつかのロシア・オペラを歌っている)、ポンキエッリの《ジョコンダ》、プッチーニの《外套》からのアリアなどがおさめられている。
バスティアニーニはアリアはもちろんであるが、アリアからレチタティーヴォへ、レチタティーヴォから歌う部分への移行が実に巧みで、レチタティーヴォの部分も実に音楽的、即ちリズムと詞に調和がとれている。棒読みのところはまったく存在しない。そのため、劇が全体として連続性が保たれていくのである。それは、ここに収められているオペラの全曲盤を聴いてみれば一層明らかである。
さらに、バスティアニーニの歌詞の発音の明瞭さ、フレージングの美しさは比類がなく、両者があいまって、表現として自然な感情表出が感じられながら、歌詞が非常に聞き取りやすいのである。この点に関しては、テノールのマリオ・デル・モナコもバスティアニーニを模範としていたとインタビューで語っている。
このCDはニュー・リマスタリングと書かれているが、1950年代のライヴ録音なので、かつてCD化されていたものには、結構ノイズがのっていた(それも曲の世界に入りこんでしまえば、大して気にならないのであるが)が、今回はノイズ処理を行った模様で、ノイズが大幅に削減、ほとんど聞こえなくなっている。
はじめてバスティアニーニを聴く人には是非お勧めしたいCDである。
輸入盤であるが、輸入盤を扱う大型レコード店のほか、タワー・レコードやHMVの通信販売でも買うことができます。
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