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2007年10月16日 (火)

《モーゼとアロン》

Story_s06
シェーンベルクの歌劇《モーゼとアロン》を見た(東京文化会館)。イタリア・オペラではないので、当ブログのタイトルからは逸脱するが、オペラ関連ということでご容赦ねがいたい。

舞台つきの本格的上演は37年ぶりとのこと。37年前は1970年で大阪万博の年。

上演の質は極めて高かった。この曲は、最初オラトリオとして構想されていただけあって、個人同士の人間模様が、普通のオペラとは異なる。対立はあるのだが、モーゼとアロンの宗教観の相違をめぐるものなのだ。

民衆は、偶像を崇拝したがっているが、モーゼはそれを禁じる。モーゼは山にこもって神の啓示を待っているが、40日もたつと、民衆には不満がつのる。その不満を鎮めるため、アロンは偶像を作ってしまうのである。

第二幕では、偶像をつくったところで、民衆が興奮し、血まみれの生け贄を捧げたり、乱痴気騒ぎをしたりするのだが、ムスバッハの演出はそういったことが具体的にはまったく判らない象徴的かつあまりにも色彩感に乏しい演出で、失望した。

オーケストラや合唱の完成度が高かっただけに残念である。演出に関しては偉大な失敗作と言っておこう。登場人物は、男女を問わず、みな背広をきて、サングラスをかけているので、一人一人の区別がきわめてつけにくい。また、暗い舞台で、光る棒をもってうごめいているのは、寓意的かもしれないが、思いつきとしては面白いかもしれないが、それ以上の説得力を感じることは出来なかった。

牡牛をかたどった偶像ではなくて、独裁者の金色の銅像が出てくるのだが、イラクや北朝鮮などを意識したのかもしれない。

そもそも、上記のような衣装では、歌い手、合唱団、バレエダンサーの身体性が、ほぼ完全に封じ込められてしまうわけだが、そのことによって失うものがあまりに大きいと実感できたのが収穫といえば収穫である。

また、身体性を封じこめることにより、そこに響く、女性の声、男性の声、その声の身体性は際立つ。

このオペラは、ストーリー自体が、旧約聖書のモーゼが、一神教で、偶像はいかんと強く主張し、その主張と民衆の要求がずれていて、間にはいったアロンが板挟みになって民衆よりの行動をとってしまうというものであるから、もともと娯楽性は高くはない。しかしながら、第二幕では、生け贄や乱舞の指定があるのだから、舞台で派手につくれる場面は派手につくってほしかった、あるいはそういう演出の舞台を見たかったというのが個人的な感想である。

オーケストラおよび合唱、独唱者(モーゼとアロン)の練り上げはとても完成度が高かった。指揮はバレンボイム。

こうしたまれな上演の機会にめぐりあえたことは幸運であった。

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コメント

はじめまして。facciamo la musicaのpocknです。ブログ名からもおわかりのように大のイタリア好きです。corriere della seraの配信をされているなんて素晴らしいですね。

ところでモーゼとアロンの感想を読んで、演出への不満に共通のものを感じたのでコメントさせていただき、またTBもさせて頂きました。

ああした演出に接すると、あの意味や意義について教えてもらいたい、とも思ったりするのですが、私と同じような不満を持った方の感想も興味深いもので… またお邪魔いたします。

投稿: pockn | 2007年10月20日 (土) 17時25分

pockn さん
はじめまして。
過分におほめいただき恐縮です。
このブログ、正式な配信ではなく、コリエレ・デッラ・セーラの記事の中で、管理人のアンテナにひっかかったものを要約してご紹介しています。なるべく幅広く、政治、経済、文化、宗教、生活および三面記事的なものまで好奇心のおもむくまま取り上げているつもりです。
ただし、オペラや映画は、管理人が個人的に見たものを取り上げており、コリエレ・デッラ・セーラとは関係ありません。(コリエレ・デッラ・セーラで扱われたオペラ関係の記事を紹介するときには、コリエレ紙の日付を入れて区別しています)。

今回の《モーゼとアロン》は、pockn さんも詳しくお書きになっているように、満足な部分と不満な部分が入り交じっていました。

僕もオペラに関しては素人ですが、オペラも芸術であり娯楽であるわけで、素人の感想や意見も、主催者や演出家にとっては貴重なものであると考えます。

舞台芸術は、役者や歌手、演じる人、演出する人、観客がいてはじめて成り立つわけで、われわれも建設的な意見(pockn さんはもちろん、僕も、一方的にけなしているのではなく、評価するところは評価しているわけですから)を述べることで、日本のオペラ上演のレベル向上に少しでも貢献できればと思います。

僕は、個人的には、日本の観客は、マナーも良いし、拍手を注意深く聴いていると、見事に歌った歌手には拍手が多く、あまりたいしたことがないとブーイングこそないものの拍手の量が少なくて、ずいぶん成熟してきていると思っています(偉そうな言い方になってしまっていたらごめんなさい)。

一昔前でしたら、演奏評は、新聞や音楽雑誌でしか読めなかったものが、一般愛好家の意見の表明や意見交換ができるようになったのは、素晴らしいことですね。

投稿: panterino | 2007年10月21日 (日) 00時10分

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