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オリヴェーロ・トスカーニの反拒食症キャンペーンのショッキングな宣伝が反響を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、9月25日)。
トスカーニは、「いつものように、レポーターとしての仕事をした。自分の時代の証言をしているのだ」と述べている。モデルは、フランス人女優でコメディアンのイザベル・カーロ。
このキャンペーンは、イタリアの街に大きな看板で、彼女の2枚のヌード写真を掲示した。スポンサーは、パドヴァの Flash & Partners の服飾ブランド No.l.ita 。イザベルは1メートル65センチで31キロ。最悪時は25キロだったという。現在27歳で、14歳から拒食症となった。
この看板は3メートル×6メートルの巨大なもので、知らずに通りすぎることはできない。
保健大臣のリヴィア・トゥルコは、トスカーニがこのテーマを喚起したことは重要だと思うと語った。また、ジョルジョ・アルマーニは、彼女がなぜ拒食症になったのかを理解するために彼女を知りたいと語っている。ドルチェ&ガッバーナは、「やっと拒食症についての真実を言ってくれる人が出てきた。ファッションの問題というよりは、精神医学の問題だ」という。
反対もある。ローマのウンベルト1世摂食障害センターのカミッロ・ロリエードは、この写真は、拒食症でない人には多くの恐怖をかきたて、拒食症の人には、まねをしようとする人が出てくる恐れがあると批判している。
この広告は、レプッブリカ紙をはじめいくつかの新聞には掲載されたが、コリエレ・デッラ・セーラ紙は掲載を拒否した。拒食症患者の尊厳と読者の感受性を尊重するためである。
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10月14日に結成される新たな政党、民主党の党首選は、ヴァルター・ヴェルトローニが優位にたっている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月24日)。
ヴェルトローニは現在、ローマ市長。彼はすでに民主党が「イタリア政治に歴史的変化をしるすであろう」と語ったばかりでなく、将来の連立についても述べている。「もはや非常に広範で、異質なものを寄せ集める連立はありえない」。なぜなら、明快で理解しやすい提案をしなければならないからだ。
現在の時点で、民主党のリーダー有力候補は、ヴェルトローニ、ロジー・ビンディ、エンリコ ・レッタといったところだが、支持率は次の通り。
有権者全体では、 ヴェルトローニ (69%)、 ビンディ (12%)、 レッタ(5%)となっている。
DS(左翼民主党)の有権者ではヴェルトローニ(85%)、ビンディ(10%)、レッタ(1%)。
マルゲリータ党の有権者では、ヴェルトローニ(69%)、ビンディ(14%)、レッタ(8%)となっている。
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ミスイタリアで、お尻のアップを映すかどうかが問題になった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月23日)。
ことの発端は、審査員の一人グイッレルモ・マリオットが、候補者の後ろ側も見たいという発言だった。お尻は、胸と異なり、整形がしにくいのだという。
マリオットによれば、決勝に残った50人のうち、お尻の美しいのは10人だけということだ。
この議論はまじめなものとなり、RAI のディレクター、ファブリツィオ・ディ・ノーチェも行き過ぎなければ、候補者はそちら側も見せるのはもっともなことだ、とコメントしている。また審査委員長のシモーナ・イッツォも同意している。
国民同盟の女性議員サンタンケは、この意見に対し憤慨し、ストライキをするべきだと呼びかけている。
元ミスワールドのブラジル人カリーナ・ミケリンは、「ヨーロッパでは胸に重点が置かれすぎているけど、整形されていることが多いの。ブラジルでは違うわ。お尻は、根本的に重要よ」。
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9月20日のポルタ・ピア祭を復活させるかいなかの議論が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月20日)。
1870年9月20日、イタリア狙撃隊は、ポルタ・ピア(ピア門)の突破口からローマに入城し、教皇の世俗権力にとどめを刺し、イタリア統一を果たした。
1895年の401号法律では、この日を祝日と定めていた。しかし、ムッソリーニによってこの祝祭はとりやめられた。実際、1930年のポルタ・ピア祭が最後の祭りとなった。これにとってかわってラテラーノ条約記念日が祝日となったのである。
しかし、これまで知られているのとは異なり、ムッソリーニのヴァティカンに対する抵抗は小さなものではなかった。教皇パオロ6世が1970年に認めたように、ムッソリーニもポルタ・ピア(ローマのイタリア併合)は、すべての人にとって、教会にとっても良いことだったと考えていた。
しかし教皇庁のねばり強い交渉もあって、1.イタリア各都市の20 settembre 通りという名前は変えないこと、2.学校の歴史の教科書からポルタ・ピアの事件を削除しないこと、を条件にして、祭りはやめたのである。
この議論に関しては、アントニオ・ディ・ピエッロの《L’ultimo giorno del papa re》(王としての教皇、最後の日)(Mondadori, pp.326, 18,50ユーロ)が最近出版された。
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ジュゼッペ・トルナトーレ監督《題名のない子守唄》を見た(銀座シネスイッチ)。
原題は、《La sconosciuta》で見知らぬ女、正体不明の女という意味である。映画冒頭にトルナトーレからのメッセージとして結末は他の人に話さないでください、という意味の言葉が字幕ででたので、あらすじは詳しく書けないが、主人公の女性は、ウクライナ出身の女性で、それがイタリアのトリエステに住み込みのお手伝いさんとして働くという設定である。
この女性は、以前に犯罪組織のからんだ売春をさせられていた過去を持つ。トリエステでは、ある親子三人の家に、お手伝いとして雇われるが、彼女はそれが実現するために、さまざまな工作をする。なぜ、そんなことをするのか、というのが、ミステリー仕立てとなっている。また、それが彼女の過去とどうかかわっているのも、謎めいており、こちらの興味を引く。
予告篇で、主題歌のように扱われていた音楽は、彼女の出身のウクライナの子守唄のメロディーということになっているが、音楽担当のモリコーネのオリジナルであるらしい。全編にわたって、音楽と画面の関係は、でしゃばりすぎず、性格描写も適切で、実に素晴らしい。
R−15の指定となっており、やや刺激的な画面もあり、テーマも重いのであるが、観客を引っ張り込むしかけが随所にあり、子役は抜群にうまく、主人公の影のある女性の存在感も巧みに描かれ、一気に見終えてしまった。
ミケーレ・プラチド、マルゲリータ・ブイといったおなじみの男優、女優も出演している。プラチドの姿、役柄は、意外なもので、お楽しみの一つであろう。
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パヴァロッティの遺言が2つあり、解釈でもめる可能性が出てきた(コリエレ・デッラ・セーラ、9月18日)。
1つは6月13日にモデナで作成されたもの。法律の規定通り、遺産の半分は四人の娘(最初の妻との3人の娘、ロレンツァ44歳、クリスティーナ42歳、ジュリアーナ39歳と、二人目の妻との娘アリーチェ4歳)で分けることになっていた。
しかし7月29日にペーザロで作成された遺言には重要な規定があることがわかった。二番目の妻ニコレッタがトラストの執行人に任命されているのである。トラストはアングロサクソン的な制度で、相続対象から取り除かれる。トラストの対象となった遺産は、ニューヨークの三つのマンションと、家具、絵画など。マンションは、セントラルパークをみおろすビルにあり、もともとソフィア・ローレン所有のもの。三つあわせて、1000万ドル相当と推定されている。家具、絵画をあわせると、1500万ドル相当がトラストのものとなる。
そうなると、4人の娘が相続するのは、遺産の半分の半分となってしまう。
すなわち、トラストに引き取られる遺産は、パヴァロッティの全遺産の約半分と考えられている。
つまり、パヴァロッティの遺産は、3000万から4000万ドルであったと推計されているのである。
しかし、7月の遺言が作成された時点では、トラストは出来上がっていなかったと考えられており、その点がこれから係争のポイントになる可能性がある。最初の妻の三人の娘は、ファブリツィオ・コルシーニ弁護士とともに法廷闘争を宣告した。
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副首相のルテッリは、犯罪捜査にDNAバンクの活用を打ち出した(Corriere.it, 9月15日).
ルテッリによれば、海外で実施されているDNAバンクの活用により、多くの犯罪が、未解決のままではなく、解決することが可能になるであろう、と語った。
次回の閣議で法案が検討される予定である。
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パヴァロッティ夫妻は危機に瀕していたと、パヴァロッティの女友達が語った(この項,Corriere.it 9月12日による)。
ルチャーノ・パヴァロッティが亡くなり、公証人が遺産の配分を明らかにした。それによると、4人の娘(三人は最初の夫人との間に生まれ、四人目は二人目の夫人にコレッタとの間に生まれた)で50パーセントをわけ、ニコレッタに25パーセント、残りの25パーセントが調整分とのこと。
また、ここ数年パヴァロッティ夫妻は危機に瀕していたと、ルチャーノの女友達は語っている。彼女によれば、ニコレッタは、パヴァロッティを一人にし、彼のお気に入りの友達を遠ざけ、お金の話ばかりし、前妻との間の娘の悪口を言って彼を苦しめたという。そして、この話は葬儀のあとでおおやけにしてくれという依頼をうけて、彼女は新聞社のインタビューに応じたのだという。
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テノール歌手ルチャーノ・パヴァロッティが膵臓癌のため亡くなった。71歳だった(この項、Corriere.it 9月6日、7日、8日による)。
パヴァロッティのデビューはレッジョ・エミーリアで、《ラ・ボエーム》のロドルフォ役だった。
しかし世界的に有名になるきっかけは、1972年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で《連隊の娘》を歌い、高いド(do di petto)が9回出てくるのをどれも完璧に歌いこなし、拍手喝采をあびてからだとされている。
また、パヴァロッティは晩年にかけて、歌劇場でオペラを歌う以外の活動が目立ち、そこが彼の評価を左右する一つのポイントとなっている。とりわけ、パヴァロッティ&フレンズではボーノをはじめとするロックスターとの共演がマスコミの注目を集めたが、これは彼のアシスタントで後に妻となったニコレッタがロック・ファンであったことが影響しているようだ。
60歳を越えてニコレッタと恋におちたが、結婚までの道はけわしく、前妻アドゥアとの慰謝料をめぐる裁判は長く、きびしいものだった。アドゥアはマネージャー業を営んでおり、パヴァロッティのほかに、彼と同郷のミレッラ・フレーニや指揮者ダニエル・オレンを抱えている。
パヴァロッティは、2003年に結婚、そのときにはニコレッタは双子を妊娠していたが、男の子は死産で、女子アリーチェが生まれた。
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アリタリア航空がミラノ・マルペンサ空港を往来する154便をカットする案を打ち出した(レプッブリカ、9月4日)。
3日に経営者側と労働組合のトップ会談があった。今から2008年4月にかけてより体質をスリム化し、会社の魅力を増そうという計画である。
アリタリアを買収しようと考えている航空会社には、エア・フランス、ルフトハンザがいるが、ブリティッシュ・エアウェイズも公式にコメントはしていないものの関心を持っている模様。
労使の話し合いでは、保有する飛行機(Md80を11機、Atr72を10機、Boeing767を2機)を減らし、154便をカットする。
なくなるのは、カターニャ、パレルモ、フィレンツェ、ボローニャ、ピサ、ヴェネツィアおよびチューリッヒ、ジュネーブ、ミュンヘンの何本化)で、これらはミラノ・リナーテ空港からの便でおおむね代替する。
ミラノにとってより痛手なのは、長距離の海外便が減ることで、確保されたのは、ニューヨーク、東京、ブエノスアイレスのみで、14の目的地がローマ・フィウミチーノ空港に移動になる見込み。
また、業務のいくつかは外部化される。したがって地上勤務員の制服は、バーリ、ブリンディシ、フィレンツェ、カターニャ、パレルモなどの小さな空港では見られなくなる。
労働組合はこの案に対し、懸念を示している。
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アリタリアの理事会があらたな生き残り策を提案した(コリエレ・デッラ・セーラ、8月31日).
8月30日に理事会で可決された《生き残り/移行》2008-2010は、すぐに労働組合に示された。
ロンバルディアの組合の反応は厳しいものだった。なぜなら、ミラノ・マルペンサ空港が国際的なハブ空港であることから格下げになる内容であったからだ。
具体的にどの路線とは示されていないものの、赤字路線をカットするというもの。また現在の赤字は維持しがたいものであり、二つのハブ空港(ローマとミラノ)を効率的かつ生産的に運営していくのは不可能である、というドラマティックな内容を含んでいた。
2007年の上半期で比較すると、ローマ・フィウミチーノが6万4203便、ミラノ・マルペンサが6万1154便で僅差である。しかし、ローマは3分の2が国内便である。
UE以外の国との便を考えると、ミラノは1万8347便(78パーセント)で、ローマは5680便(24パーセント)となる。
ミラノからは週に202便のインターコンチネンタル便が飛んでいるが、パイロットや乗務員の81パーセントはローマを根拠地とし、ミラノを根拠地としているのは19パーセントにすぎない。そのため、ミラノはコストの点で不利になっているとロンバルディアの組合は主張している。
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獄中にあるマフィアのボス、トト・リーナとベルナルド・プロヴェンツァーノ宛に「平和は終わった」と書かれた葉書が送られてきた(コリエレ・デッラ・セーラ、8月30日)。
葉書はトト・リーナ宛であったが、宛先の住所が via Borsellino となっており、7月20日に送られたものであった。
住所はわざと間違えられ、マフィアによって殺害されたボルセッリーノ判事の名前を用いているし、投函された日は、ボルセリーノ殺害の翌日である。
こうしたことから、この葉書のメッセージをどう読み解くのかは、いくつかの説がある。
1つは、マフィアの内部での動きを、暗号化して述べているというもの。
また、マフィアの国家権力への挑戦が終わっていないことを、示しているとする説もある。
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