デ・アミーチス夫妻の不仲
デ・アミーチスがフランス人の友人と交わした書簡が発見された(コリエレ・デッラ・セーラ、8月18日)。
エドモンド・デ・アミーチス(1846-1908)は『クオレ』を書いた作家であり、クオレは世界中の言語に翻訳され、作者が亡くなった時点で、イタリアのみで42万部の売り上げがあった。
フランスで、デ・アミーチスとクレール・エドモン・コティネの文通が、ルチャーノ・タンブリーニにより発見され、Studi Piemontesi の9月号に掲載される。
コティネはパリの批評家で、詩人・劇作家でもあった。彼らの文通は1879年から1893年におよぶ。
1880年にはパリで実際に会ってもいるが、それはデ・アミーチス夫妻の危機の時でもあった。
デ・アミーチスは、5年前に秘密裡に結婚していた。妻テレーザとの間には子供が二人あったが、役所には、自分の子供で「母の名は不明」となっていたのである。友人も一人として知らなかった。デ・アミーチスの母ですら知らず、彼は母とともに、独身者として暮らしていたのである。
テレーザは、潜伏した妻・母という状況に耐え切れず、大きな一歩を踏み出した。まず、結婚を法的に明らかにし、家族とともに住んだ。しかしそれは、地獄のような生活だった。絶え間ない喧嘩と侮辱的な言葉。
エドモンドは、暴力的独裁者だった。やがて別居にいたる。しかし妻は、二冊の小さな冊子を書く。この小冊子が発見されたのだが、内容はおそるべきものだった。
彼女は、数々の侮辱をうけ、蹴られ、爪でひっかかれ、噛まれ、殴られ、つばをはかれたという。またある日には、大きなフォークを妻の首めがけて投げつけたが、妻はよけた。
また、若いお手伝いを誘惑したり、ミラノの熟女と関係を持ったり、変態的な母娘両方と関係を持ったりしたという。
また、コティネとの文通のなかで、子供の誕生について言及しているのだが、それが妻との間の子供とは月があわず、別の女性との間の子供について言及している可能性もあるのだが、その点は、ミステリーのままである。
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