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2007年8月 9日 (木)

バゾリ、アンブロジャーノ銀行について語る

Bazoli2 インテーザ・サンパオロ銀行会長のジョヴァンニ・バゾリが1982年のアンブロジャーノ銀行事件についてはじめてインタビューに応じた(レプッブリカ、8月7日)。

アンブロジャーノ銀行事件は、1982年6月に1兆2000億リラの穴が発見されたことから始まった。

同月12日会長のロベルト・カルヴィが行方不明となった。彼の死体が18日ロンドンのブラックフライアー橋で発見された。

イタリア銀行の調査のあと、理事会は解散させられた。同銀行は8月には清算の危機にあった。同時に、新アンブロジャーノ銀行がジョヴァンニ・バゾリにゆだねられたのである。

当時の国庫相アンドレアッタは、イタリア銀行総裁のチャンピとともに、旧アンブロジャーノ銀行の活動を新アンブロジャーノ銀行に移行することを支持した。それは与党のなかにも、アンドレオッティをはじめとして反対者の多い困難をともなった決断であった。

その結果、出版社リッツォリおよびコリエレ・デッラ・セーラは二年間、新銀行の手中に握られていた。即ち、株式の40パーセントを保有していた。リッツォリを破産処理すべきかどうかについても意見は分かれていた。

しかも銀行が出版社を所有することは当時禁じられていたので、新たな所有者、即ち、株式の買い手を見出さねばならなかった。

そこでバゾリは、任期の切れる数日前にジョヴァンニ・アニェッリに相談して買い手になってもらった。

新銀行が危機を抜け出したのは1985年になってのことだった。

それからは合併の歴史がはじまる。1989年、Banca Cattolica del Venetoと合併し、Banco Ambrogiano Venetoとなる。

1998年Cariploと合併し、Gruppo Intesaとなる。

2000年イタリア商業銀行と合併し、Gruppo Intesa Bci(2003年からはBanca Intesa)となる。

2006年San Paoloと合併し、Intesa SanPaoloが誕生した。

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