プローディ首相:、福祉政策に大きな改定はなし、
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
マストロヤンニとカルディナーレ主演の映画《汚れなき抱擁》は、上演までに検閲をめぐる駆け引きがあった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月20日)。
検閲側は、ニコラ・デ・ピッロ、新たに創設されたスペクタクル省の立ち場で、台本を検討していた。
台本はピエロ・パオロ・パゾリーニとアントニオ・セーニ。監督はボロニーニである。
デ・ピッロは6枚にわたる報告書を当時のキリスト教民主党の担当者に手渡していた。
1960年という時代を考えるとこれは微妙な主題を扱っていた。即ち、夫の不能によって、婚姻が無効になるということだ。
体制側も、プロデュース会社も、慎重にカットをもとめ、64,5メートルにおよぶカットがなされたにもかかわらず、公開時には、16歳未満が観ることを禁じられてしまった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
年金改正に関する三つの案が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月16日)。
問題の発端は、ベルルスコーニ政権のもとでの2004年の年金改革で、マローニ大臣(当時)が、老齢年金の支給開始年齢を、2008年に57歳から60歳に、一気に3歳上げるという案が現在有効であることだ。女性は、57歳で35年納付でよい。働き続けることを選択した人には32、7%のボーナスが付く。
この支給開始年齢が、3歳一気に上がるのを《scalone》(大きな階段)と呼んでいるが、これをどう解消するか、立場によって異なる解決策が提出されている。
まず、共産主義再建党の案。書記のフランコ・ジョルダーノ(写真)が首相に要求しているものだ。2007年までは、57歳で35年間納付。2008年からは、58歳で35年納付。2009年以降も58歳で、働き続ける人には奨励金を与える。
次に、経済省の案。2007年は57歳で35年間納付だが、ここから18ヶ月ごとに支給開始年齢が1歳ずつ上がっていく。2008年からは58歳。2009年下半期からは59歳。20011年からは60歳。2012年下半期からは61歳。2014年からは62歳となる。
最後に政府で検討されている案。これは年齢と納付期間の組み合わせでそれが上昇していく。
2007年は57歳で35年納付。
2008年と2009年は58歳で35年納付。
2010年と2011年は分担95
58歳で37年納付(58+37=95)
または59歳で36年納付(59+36=95)
または60歳で35年納付(60+35=95)
2012年と2013年は分担96
58歳で38年納付(58+38=96)
または59歳で37年納
または 60歳で36年納付
または61歳で35年納付
2014年と2015年は分担97
58歳で39年納付(58+39=96)
または59歳で38年納付
または 60歳で37年納付
または61歳で36年納付
または62歳で35年納付
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
調査機関Assirm の調査によると、イタリアの歴史にもっとも貢献した人物は、という質問に対して最も回答が集中したのは、ガリバルディであった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月16日)。
調査対象は15歳以上の1002人。46、4%の人がジュゼッペ・ガリバルディと答えている。選択肢としてのリストは無い状態である。
2位は、ベニト・ムッソリーニで15、5%。3位は、ジュゼッペ・マッツィーニ。4位は、カミッロ・ベンソ・カヴール。10位以内にはいった現役の政治家は、ベルルスコーニのみで、5、4%。ついで、アンドレオッティが2、3%で15位。
ノーベル賞受賞のリータ・レーヴィ・モンタルチーニは、1、9%で20位。
20世紀の人物では、教皇ジョヴァンニ・パオロ2世が9、3%、アルチーデ・デ・ガスペリが8、6%、サンドロ・ペルティーニが5、5%。
この調査は、7月4日にガリバルディ生誕200年を迎えたことを記念して、Assirm とジュゼッペ・ガリバルディ研究所が共同で実施した。
また別の調査によると、ガリバルディのことを36%の人が共和主義者、21%が社会主義者、11%が共産主義者に近い(特に被調査者のうち右派の人)と考えている。さらに、7%の人は無政府主義者、6%がフリーメイソン、1%がファシストであるとガリバルディを捉えている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
美術評論家でミラノの文化評議員のヴィットリオ・スガルビが企画した展覧会が、ミラノで開催できなくなり、会場をもとめて放浪している(コリエレ・デッラ・セーラ、7月15、16日)。
展覧会は 《Vade RetroーArte e omosessualita'》(退けーー芸術と同性愛)(イエスが自分を誘惑するサタンに向かって言った vade retro, Satana! サタンよ、退け!を踏まえたものと思われる)と題され、同性愛をテーマとした作品を集めた展覧会である。
しかし、ミラノ市長レティツィア・モラッティは、ミラノはこういった芸術でないものを芸術と称する不毛な挑発にはふさわしくないとして、いくつかの作品の撤去を求めた。それに対し、ズガルビは、全作品を展示できないなら、別の場所を捜すとして、モラッティ市長を 《修道女レティツィア》と呼んで揶揄している。
ズガルビは、ナポリで展覧会を催すことを考え、それを進めているが、ナポリでもマステッラ法相およびセーペ大司教が難色を示し、開催はあやぶまれている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
パドヴァの 《ゲットー》が閉鎖される(コリエレ・デッラ・セーラ、7月15日)。
パドヴァのアネッリ通り一体は、麻薬取り引きで有名になり、麻薬の売人たちの地区と付近の住民をへだてるため、市当局によってアネッリ通り壁が築かれた。昨年の夏のことである。
市当局は、この地区から19日、20日に立ち退きを実施する。約60名ほどが対象で、ほとんどは移民である。滞在許可証を持つ者は、他のさまざまな地区に住居をあてがわれる。
市長は、麻薬の売人の巣窟を解体するのだと宣言している。
この地区からの立ち退き自体は、以前から進められてきた。この地区の不動産所有者のほとんどは、個人ではなくて、不動産業者や会社で、不在地主が多い。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ヒトラーはヴァグナーを愛好していたが、ドイツ人はイタリアオペラを愛好していた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。
1938/39年のシーズンにドイツの劇場で最も上演されたオペラ作曲家は誰だろう? 読者はヴァーグナーだと思うであろう。《ラインの黄金》、《神々の黄昏》、《パルシファル》だろうか?
答えはそのどれでもない。レオンカヴァッロの《道化師》である。次がマスカーニの《カヴァレリア・ルスティカーナ》、プッチーニの《マダム・バタフライ》である。
ヴァーグナーのオペラの中で最も上演回数の多かった《ローエングリン》は12位であった。
9月に出版される Jonathan Carr の Wagner Clan によれば、ヒトラーが権力についたからといって、ドイツ人がヴァグナーに熱狂したわけではないのだ。
ヒトラーが政権につく直前の1932/33年は、ドイツの劇場での上演頻度1位は、ビゼーの《カルメン》で、2位はヴェーバーの《魔弾の射手》。
第二次大戦中、ドイツでもっとも上演された作曲家はジュゼッペ・ヴェルディであった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ローマの陸上大会で、パラリンピックの選手が健常ランナーと一緒に走り2位に入賞した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。
オスカー・ピストリウスは、ローマの Golden Gala で400m走を、健常ランナーとともに走り、2位に入賞した。
スタートは遅く7位だったが、加速すると他の選手より早く、5人を抜き去った。
しかし、ピストリウスの喜びは、健常ランナーとともに走れたことだ。彼の夢は、北京オリンピックあるいはその次のロンドンオリンピックに参加することである。これまでのようにパラリンピックではなく、通常のオリンピックに参加したいのである。
ピストリウスは、1986年11月22日生まれ。生後11ヶ月のときに、両足とも膝からしたを切断した。2004年のアテネのパラリンピックでは、100mで銅メダルを獲得した。
彼の夢、オリンピック出場に関しては、義足が彼を有利にしている(歩幅を大きくしているなど)のではないかという議論もあり、結着を見ていない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Dico (事実婚法案)は Cus という名前で改めて国会に提出される(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。
文案は上院司法委員会委員長のチェーザレ・サルヴィ(写真)によって整えられた。新たな《婚姻》(同性間のものも含めて)、Dico ではなくて、Cus と呼ばれる。Cus は Contratto di unione solidale (連帯婚契約)の略である。
Dico では戸籍役場で登録するのであったが、Cus の場合は、調停裁判官の前で宣誓する形をとる。左翼民主党の報告者であるサルヴィは、国会で幅広い同意が得られることを希望すると述べている。サルヴィは、これは出発点で、法案の修正が可能であるとしている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ヴァティカンの教理聖省の出した文書が、プロテスタントを否定し論争を巻き起こしている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月11日)。
教理聖省(Congregazione per la Dottrina della Fede) の出した文書には、キリストは、「地上に唯一の教会」を立て、それはカトリック教会のうちにのみ「十全なアイデンティティー」を見いだすものだ、とある。
この文書は、ギリシア正教会、プロテスタントの激しい反応をかっている。
文書は、教皇ベネデット16世に承認されたものであり、わずか6ページのものである。タイトルは、「教会の教理に関するいくつかの質問への回答」。
回答は、5つで、その全体が、ある保証、伝統主義者やルフェーヴル派へ向けた動きとなっていて、次のことを述べている。即ち、第二ヴァティカン公会議は、「教会の教理」を「革命した」ものではなく、単に、「発展させ、深め、より広げたもの」に過ぎない、と。
5つの質問は、1964年に出た Lumen Gentium (教会憲章)をめぐるもので、「キリストの唯一の教会は、カトリック教会に存する」というテーゼをめぐるものである。
今回の文書は、2000年に枢機卿時代のラッツィンガーによって署名された Dominus Jesus という宣言の内容をより鮮明にしたものと言える。
これに対し、東方教会やエジプトのコプト教会、プロテスタントからは同意できないという声があがっている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
イタリアの家庭は、スペインやフランスの家庭に比べ、二倍近い電気代を払っている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月8日)。
イタリアでは、家庭向けの電力料金は、1kWhあたり 0,2329ユーロであるが、スペインは 0,1225、フランスは0,1211である。
イタリア企業向けの電力料金は、1kWhあたり、0,1526ユーロであるが、ドイツは、0,1272、スペインは 0,0987で、フランスにいたっては、0,0701である。
Authority の会長アレッサンドロ・オルティスは、イタリアの料金は、明らかにヨーロッパの主要国より高いと指摘している。
今年前半の電気代は、0、4%下がったが、より実質的な値下げはいつになるだろうか?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
プローディ首相は、イスラエルのオルメルト首相とイェルサレムで会談した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月10日)。
プローディ首相は、イスラエルにとってすぐにも平和をと呼びかけた。しかし、イタリア政府とイスラエル政府には、見解を異にする問題もある。
例えば、イランに関しては、どちらもイランの核開発には反対しているが、プローディは、経済制裁はイタリア企業に損害を与え、貿易を崩壊させるとして反対している。
ハマスに関しては、オルメルト首相は、ハマスとの和解は不可能であるとしている。
プローディにとっては、パレスチナ紛争解決のための唯一の可能なシナリオは、イスラエル、パレスチナ双方が二つの独立した主権国家になることである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Sismi (イタリア軍の諜報機関)の元長官ニコロ・ポッラリは、この20年間の Sismi の秘密を明かすつもりだと語った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月9日)。
ポッラリは、上院防衛委員会の委員長デ・グレゴーリに託して、80年代からの秘密を明かす用意があると語った。秘密を明かすのは、自分と Sismi を弁護するためであり、そのため守秘義務から解放してほしいと願い出た。
彼が語るべき秘密は多岐にわたり、アブ・オマルの誘拐、レベノンへの国連の Unifil の派遣、レバノン紛争での市民の犠牲、最近のイタリア人人質とその解放などなど。
ポッラリは、Sismi が200人の司法官のスパイをしていたことへの責任を問われている。
与党のなかにはこの件に関し、調査委員会の設置するかどうかで意見が割れている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ナポリターノ大統領も、クイリナーレ宮でフィアット500に試乗した。ナヴィゲーターをつとめたのはミヒャエル・シューマッハだった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。
試乗のあと、シューマッハは、「大統領は、運転が上手だ」とコメントした。新500の値段は、1万500ユーロから1万4500ユーロ。
500のための投資は3億ユーロにのぼったが、発表後の反応は大変良く、すでに注文が3万台に達した。ブレーク・イーヴンになるためには、6万5千から7万台を売れば良い。ポーランドの工場はフル回転である。マルキオンネ会長によれば、ポーランド工場の年間生産力は15万台。もし、それでも追いつかない場合には、他の工場でも生産することを考えており、その場合、イタリアでの生産もありうるとの見解を示した。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Istatの統計によると、2006年イタリアの人口は、5913万1287人だった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。
2006年に、外国人で戸籍簿に登録した人は、29万7640人。外国人の人口は全体の5%で、2005年は4、5%から上昇している。
外国人の親から生まれた子供は、5万8000人。新生児の10、3%。1995年には9000人で、全体の1、7%であった。
国内の人口移動は、南部から北部への移動が150万人。州として、人を引きつけいるのは、エミリア・ロマーニャ(1000人あたり10、4人)、トレンティーノ(1000人あたり8、4人)、トスカーナ(1000人あたり7、4人)、ロンバルディーア(1000人あたり7、3人)、ヴァッレ・ダオスタ(1000人あたり7、3人)である。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
公教育相ジュゼッペ・フィオラーニは、7月中に6万人の非正規雇用者を正規雇用で採用する省令に署名した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月5日)。
5万人は教員で、1万には Ata (ausiliari, tecnici e amministrativi) と呼ばれる職員。採用されるのは、これまで非正規雇用だった人が対象。
人数は以下のように分配される。幼稚園6148人。小学校1万2066人。中学校1万2692人。高校1万3422人。
労働組合 Cgil Scuola の書記エンリコ・パニーニは、良い知らせだが、非正規雇用との戦いは始まったばかりだと述べた。2006/07年の非正規雇用教員は20万人にのぼっている。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
カラブレージ警視殺害のかどで懲役22年の刑で服役中のアドリアーノ・ソフリが、病気のため自宅拘禁となった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月3日)。
ソフリ自身は、一貫してカラブレージ殺害に関しては、無実を主張している。ソフリは現在64歳、2005年に食道から出血し、緊急手術をピサで受けた。
そのためこれまで刑の執行を停止していたが、7月2日から再び刑が再会された。ただし、自宅拘禁で、パートナーのランディと一緒にフィレンツェ郊外に住める。ただし、時間には制限があって、4時間以上自宅を離れることは出来ないし、フィレンツェ市から出ることも許されない。
仕事や会議で出かける際には、フィレンツェの監視裁判所の許可が必要である。
カラブレージ殺害事件は、1972年に起きており、鉛の時代を象徴する事件の一つである。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
サルヴァトーレ・ロ・ピッコロ
過去1年のマフィア内部の抗争事件から、ロ・ピッコロ親子がマフィアの頂点にたった可能性が高い(コリエレ・デッラ・セーラ、6月30日)。
プロヴェンツァーノが逮捕された後、マフィアの頂点に誰が立つのかが注目されていたが、パレルモ出身のサルヴァトーレ・ロ・ピッコロと息子サンドロであるらしい。
2007年6月13日、刑期を終えて出所したばかりのニコラ・インガラオはボス、ニーノ・ロトロの右腕であったが、ロ・ピッコロ一家と敵対しており、サンドロに殺されたと見られている。
ロ・ピッコロ父子は、二人とも潜伏中であるが、新たなボスや、アメリカに逃走し帰国したボスたちと新たな同盟関係を結んでいるらしい。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
インドロ・モンタネッリの日本探訪記が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。
モンタネッリは、1951年11月から52年3月まで日本に滞在した。戦後の日本がどう変貌を遂げたか、どう復興したかをリポートするためにやってきたのである。
ルイジ・オッフェッドゥという評者は、モンタネッリがプッチーニの《マダム・バタフライ》を見たときの思い出を紹介している。
「私は別の晩、プッチーニのバタフライを、東京のたくさんある歌劇場の一つで聴いた。私は一瞬、自分の故郷フチェッキオにいる気がした。演奏や演出のせいではない・・・観客の反応のせいだ。みな泣いていたのだ、フチェッキオでのように。実際、フチェッキオでは、ストーリーがいつも非常に重視され、薬局でも、床屋でも話の種になり、政党や派閥によって意見が割れるのだった(これはトスカーナが舞台か、そうでないか?)」
「バタフライは、フチェッキオでの初演は、本物の日本人によって演じられた。原信子で・・・彼女は優雅に繊細なアクセントで歌ったので、その自害の後で、テノールが再び舞台に現れると、観客とりわけ女性たちは、怒りくるって、スイカの皮をなげ、叫んだ:『人殺し!...お前が彼女を殺したんだ!』」
東京で再会した原信子は、目に涙をたたえて、モンタネッリの同郷人の熱い愛を思い起こした。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
アニェッリ一族は、マルゲリータ・アニェッリの起こした裁判に反対する手紙を出した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。
短い5行の手紙である。マルゲリータが起こした訴訟は、父ジョヴァンニ・アニェッリの相続をめぐってのものであったが、今回の手紙は、マルゲリータの叔母たち、クラーラ、スザンナ、マリア・ソーレ、クリスティアーナと従兄弟たちが書いた。
手紙は次の通り:
マルゲリータへ
あなたが、あなたのお母さんと私たちとともに働いた人たち(フランツォ・グランデ・スティーヴンスとジャンルイジ・ガベッティ)ーーあなたのお父さんの全幅の信頼を得ていたし、私たちの全幅の信頼を得ていますーーに対して起こした攻撃には、まったく賛成できません。わたしたちの誰一人として、あなたと立場を共有していないことをお知らせします。
これに署名したのは、《ジョヴァンニ・アニェッリ》という合資会社のメンバーであるが、その中で署名しなかったのは、フィアットの副会長でマルゲリータの長男ジョン・エルカンとウンベルト・アニェッリ(ジョヴァンニの弟)の息子アンドレアのみであった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ラテン語でのミサに熱意をそそいだルフェーヴル卿
45年の空白をへて、ラテン語のミサが戻ってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。
ラテン語のミサは、ピオ5世(在位1566−1572)が定式化し、4世紀にわたって用いられてきたものであったが、第二ヴァティカン公会議で廃止された。
ベネデット16世が教皇勅令(motu proprio)によって、ラテン語のミサを認めることによって、教皇庁と伝統主義者の分離派との間に和解の扉が開かれることになる。
これも小さな革命であり、公会議での決定の見直しである。伝統主義者は、公会議直後に宣言された戦争での一つの勝利と考えている。その戦いのリーダーの一人、故ルヴェーヴル卿は、ピオ5世のミサを守るため、破門や分裂に至るまでおしすすめた。
もっとも数年前から、信者のグループの要望に添う形でなら、ラテン語のミサは容認されてきたので、実態を大きく変えるものではない。
信者の分裂をもっとも懸念しているのは、フランスの司教たちである。
ラテン語のミサ復活を求める運動に賛成した作家には、エウジェニオ・モンターレ、ボルへス、グレアム・グリーンなどがいる。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
Dpef (Documento di programmazione economico-finanziaria), 経済財政計画書が、閣議で承認された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。
2007年から2011年の5年間にわたるもので、経済や財政のおおまかな傾向、目標を定めたもの。それによれば、2007年度の成長率は2%で、2008年は1、9%に落ち、2009年には1、7%まで下がる。その後、2010年と2011年には、1、8%と微増する。
これを受けて、財政負担率は、2011年には、42%にまで下がる。財政の累積赤字は、2010年には、国内総生産比100%以下(98、3%)に下がり、2011年には、95%まで下がる。
2008年からは、地方自治体の取る不動産税を安くする。
パドア=スキオッパ経済大臣は、EU から満点はもらえないが、不可でもないだろうと感想を述べた。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
プーピ・アヴァーティ監督《クリスマスの雪辱》を観た(イタリア文化会館)。
これは、監督の前口上のみがあった。《クリスマスの雪辱》は、《クリスマス・プレゼント》の続編である。しかし両者の間には17年の歳月が流れている。何故か? アヴァーティ監督は、続編は作らないつもりだった。ところが、出演者たちが続編を作りたいと申し出た。ならば、台本と監督を準備しなさい、それで私がオーケーすれば作れば良い。ところが、彼らは、最悪の台本を持ち込み、何とも言えない人物を監督として紹介した。これでは、と駄目だしをすると、ではあなたがやってくれ、と結局アヴァーティが引き受けざるをえない状況になった。
ここからネタバレあります。
前回賭けに負けたフランコは、現在は、映画のチェーン店を持つほど羽振りが良い。そこで、雪辱を晴らそうと一計を案じる。しかし敵もさるもの、すぐにフランコの意図は見破られてしまう。
映画批評を書いていたレレは落ちぶれているばかりか、肺癌の手術をしたところ。そこに医者のうら若い妖艶な妻とフランコの仲が進展してと、こちらの方が、前編よりも明示的に人間関係の複雑さ、うさんくささが示される。
ポーカーは意外な展開で、これは誰にも判らないだろうとアヴァーティ監督は、観るものへの挑戦だと言っていたので、ここには記さない。また、その説得力についても観る人の判断にまかせるほかはない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
プーピ・アヴァーティ監督《クリスマス・プレゼント》を観た(イタリア文化会館)。上の写真は白黒だが、本編はカラーである。
本作品の上映は、7月12日のみである。その後は、京都と名古屋で上映されるとのこと。
これも、アヴァーティ監督の舞台挨拶があった。アヴァーティ監督は、本作の前2本が興行的に大失敗に終わり、その結果、新作の金策に苦労することになった。それで、これまでで一番低予算で出来る映画を考え、5人の男がポーカーをやるという台本が出来上がったのだという。
5人のうち4人は若い頃からの友人・知り合いである。
ここからネタバレありです。
彼らの友情は、女性関係のもつれで、ひびが入った過去があり、その修復もかねて、ポーカーをしている(らしい)。女性が登場する回想場面は、男の姿は顔がなく、手や声のみなので、最初のうち、4人の男の顔と名前が一致しない時点では混乱する。もう一度、顔と名前が頭に入ったところで見直してみたい。
ポーカーは、結局、掛け金を相手があげてきた時に、それに応えるか、降りるかという選択肢があり、そこにはったりの余地があるわけで、それが見所を形成している。
友情と過去のわだかまり、ポーカーで誰と誰が密かに組んでいるか、見かけと実態が錯綜する面白さがある。
俳優は、ディエゴ・アバタントゥオーノ、ジャンニ・カヴィーナ、カルロ・デッレ・ピアーネ、ジョージ・イーストマン(身長が2メートルもあり、名前もアングロ・サクソン風だが、本名はイタリア系で、ジェノヴァ近郊に生まれている)。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
プーピ・アヴァーティ監督《心は彼方に》を観た(イタリア文化会館)。
プーピ・アヴァーティ監督特集で、7月8日から12日まで彼の作品4本を特集。監督自身が来日し、上演の前後に挨拶および質疑応答があった。
本作品と《二度目の結婚》は、それぞれ別の年だが、ゴールデンウィークのイタリア映画祭で上演されたもの。《クリスマス・プレゼント》およびその続編《クリスマスの雪辱》が日本初公開である。
ここからネタバレです。
舞台挨拶で、アヴァーティ監督は、母親から聴いた話として、監督が子供のころ、修道院および修道女が運営する盲人施設で、健常者の男と会ってダンスをしたりする催しがあって、それにいくのはどんな男なのだろうと興味をそそられたとのことだった。この母親が与えた種は、この作品の重要な鍵をなすエピソードの一つである。
ローマで法王庁御用達の仕立て屋の息子に生まれたネッロは、高校のラテン語教師としてボローニャに赴任する。ローマの両親および叔父は、ネッロが女性とつきあうことを心待ちにしている。ネッロは堅物なのである。
ボローニャの下宿屋で同室となった男の紹介で、ネッロは、上述の盲人施設を訪れる。同室の男の恋人の姉が盲人で紹介されたのだが、ここで、事故のため目が見えなくなったアンジェラと出会う。アンジェラはブルジョワ(医者)の娘で、これまでにも数々の男を翻弄してきたが、事故のためグイドという婚約者に破談にされてしまった。
ネッロは、アンジェラに惹かれ、夢中になる。アンジェラの父親の忠告も功を奏さない。アンジェラの中には別の男への思いが消えないことを知っても彼の態度は変わらない。
ネッロとアンジェロはささやかな成就と、全体としては破局へ進むことは予想できる結末だ。
この物語を純愛ものとして捉えることは、決して間違いではないが、それで括りきれない要素をこの映画はたっぷりともっている。
1920年代の高校生活。彼は、標準的な《アエネーイス》ではなくて、ルクレティウスを教えている。この高校は共学になっているが、戦前にも共学の高校があったのだろうか?
男としては、ネッロの父親(ジャンカルロ・ジャンニーニ)は遊び人、その弟は同性愛者で、ネッロは堅物。ネッロは本来なら司祭向きだったとされている。実際、教室では小声で、女性にも消極的なネッロは、教会で歌を歌うときには、人一倍大きな声が出るのだ。ラスト・シーンもそのことを物語っている。この男の三類型は、実にイタリア的と言わねばなるまい。とりわけ、司祭向きという類型が特徴的である。
また、これはヨーロッパ映画の特徴であるが、階級差もさりげなく書き込まれている。アンジェラの父は、はっきりと高校教師の給料では、あの贅沢/我が儘娘の面倒は見切れないと通告するのだ。
イタリア映画は、教会/カトリックがどう描きこまれているかが一つのポイントだと考えるが、アヴァーティは、フェッリーニの誇張された思い出という描き方をとらず、できるだけ等身大で1920年代の様子を復元するという形で表出し、繰り返し観ると、台詞のはしばしや、建物や、習慣の中に、社会的・宗教的テクスチャーが織り込まれていることが理解できるようになっている。
| 固定リンク
| コメント (4)
| トラックバック (1)
《バレエに恋してる!》(ベアトリーチェ・マジーニ著、長野徹訳、ポプラ社)を読んだ。
主人公はバレエ学校に通うゾエという10歳の女の子。姉妹の中でゾエだけがバレエ学校に行かせてもらっていることを気にしている。友人のレダは、最近背が伸びすぎて、バレエを続けられないのではと悩んでいる。意地悪なライラ、イギリスから来た素敵な男の子ジョナサン。女性校長のオレンスカ先生は、ソ連出身。絶対にほめない厳しい先生。
先生の厳しいところは、スポ根ものを思い起こさせる。実際、イタリアでは、日本のかつてのスポ根ものは、よくテレビで放映されている。だが、実際にこの小説の中に直接出てくる日本のアニメは、宮崎駿の《もののけ姫》や《千と千尋の神隠し》である。
ストーリーは、バレエの上達にはげむところと、学園もので、クラスメートの友情、いさかい、そこで波立つゾエの心情がくどくはなく描かれている。家族との関係も、学校生活とのバランスがとれた分量で書き込まれている。
これはシリーズもの《バレエ・アカデミア》の第一作であり、イタリアでは既に続編が出版されている。訳文は、漢字が少なめなこともあり軽やかで、スピード感をもって読み進めることが出来る。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
法王ベネデット16世は、コンクラーヴェの規則を一部変更する(コリエレ・デッラ・セーラ、6月27日)。
新規則では、コンクラーヴェの11日目から新規則で、絶対過半数ではなくて、3分の2以上の得票を獲得したものが新法王となる。そこまでに33回の投票が実施されることになるので、34回目の投票から、新ルールが導入されることになる。
もっとも、3分の2というのは古くからあった方式で、過半数というのは、先代のジョヴァンニ・パオロ2世が導入したものであった。
コンクラーヴェの投票は、理論的には、洗礼を受けていれば世俗の人間でも構わないが、事実上は、枢機卿の中から選ばれる。
最初のコンクラーヴェは、1271年のことで、33ヶ月にわたって次の法王が決まらず、法王の空位が生じたので、ヴィテルボのポデスタが選挙人の枢機卿を一つの建物に閉じ込めて、当選者が決まるまではパンと水しか与えないとしたことから始まった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
第一共和制は今、終わりつつある、との説をエルネスト・ガッリ・デッラ・ロッジャが唱えた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月24日)。
われわれは、これまで、第一共和制は、少なくともその政治体制は、1992−94年に終わったと考えてきた。しかしそれは間違いだった。実際、第一共和制は、今、ここ数ヶ月で、われわれの眼下で終焉を迎えつつある。
というのも、90年代に始まった、1945−48年体制を築いた中道と中道左派(主としてキリスト教民主党と社会党)の危機ー解体過程が、今初めて、カトリックと共産主義者の左派の一部が危機をむかえることで、完結しようとしているからだ。
それゆえ、この視点からすれば、民主党をつくろうとする試みは、92−94年当時にキリスト教民主党から人民党へ名前を変更しようとしたのと同様の、対処療法に見える。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
ロンドンとミラノの証券取引所が合併する見通しとなった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月23日)。
この友好的吸収合併により、イタリア側は、合併後の28%を取得する。しかし、理事会には、12人中5人が占める。即ち、統治の重みが、資本の比率より大きくなる。
この合併に対し、イタリア銀行は、イタリア証券取引所の孤立からの脱却として歓迎している。また経財相は、大変ポジティヴであると評価している。
そもそも、イタリアの証券取引所は、マリオ・ドラーギ(現イタリア銀行総裁)が、国庫省の総局長だった1997年に、民営化をスタートさせた。というわけで、円環が閉じたことになる。ドラーギは、イタリア銀行総裁として、証券取引所の孤立化を脱却を促していたからだ。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント