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2007年6月29日 (金)

日伊喜劇の祭典:狂言とコンメディア・デッラルテ

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国立能楽堂で、狂言とコンメディア・デッラルテを観た。

演目は三つだが、純粋な狂言ではなく、狂言とコンメディア・デッラルテのコラボレーションである。最初の演目は《濯ぎ川》。コンメディア・デッラルテは、フランスに入って、コメディー・フランセーズとなったが、そこのマイナーなレパートリーが飯沢匤、元茂山千五郎、武智鉄二の三人が狂言の形にして、大蔵流狂言のレパートリーに組み入れられた作品だという。

嫁と姑にこき使われる婿殿が、一計を案じて逆襲にでるが、また嫁は逆上してという話。

嫁と姑は嫁が声が高くヒステリックな感じ、姑はよりどっしりとずうずうしいという感じに演じわけられ、おっとりして弱気な婿殿との対照が実に楽しめた。

二作品目は《いたち》という翻案狂言で、これを日本の狂言役者のなかに、イタリア人二人が入って日本語で熱演していた。作品は16世紀のルザンテ(アンジェロ・ベオルコ)の作品を狂言風に翻案したもの。三作品目はこれをイタリア語の原作のまま上演した《ビロラ》(いたちの意)。

《いたち》では、狂言に翻案されているから、女性役も男が演じている。これが、コミカルにいい味を出していた。自分の妻を金持ちの老人に奪われた夫が、取り返しにいくという趣向なのだが、結論は狂言版と原作版では異なっている。

《いたち》はハッピーエンドで、妻は元の鞘にもどり、好色な老人は、財産を近隣の貧しい子だくさんの百姓たちにくれてやるという終わり方である。《ビロラ》の方では、帰らぬ妻であり、夫は好色老人を短剣で刺し殺してしまう。

コンメディア・デラルテそのものというよりは、その源流の一つといってよい作品なのであろう。こちらはイタリア語および方言で上演された。夫や妻の役は方言、老人はイタリア語で発音がややなまった感じであったが、案の定、方言は非常に判りにくい。身振り手振りは豊かで、たまに日本語もまじえ、ところどころで笑いがわき上がっていたが、字幕があればもっと良かったかもしれない。もっとも、狂言版と違ってすごい早口なので、字幕は数分の一に圧縮した要旨となるであろうが。しかし、そういったものでもあった方がよかったと思えた。

とはいえ、同じ原作で、少なくとも前半はまったく同じ状況なので、狂言とコンメディア・デッラルテ的なものを比較することが出来るわけだが、いくつか気づいたことがある。

1。女優の有無。狂言とコメディア・デッラルテという違いもあるが、男が演じる女というものと女優は存在感のあり方が全く違うことを改めて確認させられた。

2。身体表現の激しさの相違。イタリア版の方が、動き、ジェスチャーがはるかに大きい。

3。セリフのスピードの違い。イタリア語は機関銃のように早い。

狂言の言い回しは、当然古語もまじっているが、予想以上にわかるし、観客も実に自然な感じで笑いが出ていた。

《いたち》の演出家は関根勝早稲田大学教授。《ビロラ》はミラノ在住の井田邦明氏。両氏および関係者各位の勇気ある試みに敬意を表したい。

(お詫びと訂正)《ビロラ》の上演で、夫と妻役はナポリ方言とあったのを方言と訂正します。最初、ナポリ方言と思い込んでそう書きましたが、調べてみるとルザンテはパドヴァ出身でヴェネツィアで活躍しており、ヴェネト方言の可能性もありました。プログラムで夫役と妻役のベニアミーノ・カルディエーロとリリアーナ・ディ・カロゲーラ(カロジェーラではないのだろうか?)がナポリ出身とあるので、うかつにも勝手に決めつけてしまいました。筆者には、どこの方言であったかを判断する能力が欠けており、標準イタリア語ではなかったという意味で方言と訂正しました。

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