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2007年6月30日 (土)

ブレアー、カトリックに改宗

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トニー・ブレアーはカトリックに改宗することを決めた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月23日)。

6月23日、ベネデット16世に拝謁する予定。

シェリー夫人と子供たちはもともとカトリックである。ブレアーは、これまでイギリスにはカトリックだった首相はいないので、首相引退まで改宗を凍結していたものと考えられている。

イギリス人でカトリックに改宗した有名人が紹介されている。

イーヴリン・ウォー(作家):1903年生まれ、イギリス国教会の強い学校で学んだが、1930年代に不幸な結婚の後、改宗した。

グレアム・グリーン(作家):1904年生まれ、1926年に改宗。

G.K.チェスタトン(作家):1874年生まれ、1922年に改宗。

オスカー・ワイルド(作家):1854年生まれ、常にカトリックに惹かれていたが、死の間際に改宗した。

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《シチリア島の夕べの祈り》

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ヴェルディのオペラ《シチリア島の夕べの祈り》を観た(パレルモ・マッシモ劇場、日本公演、渋谷・オーチャードホール)。

《シチリア島の夕べの祈り》は、ヴェルディの作品の中では、上演機会が少ないものである。折角の機会ということで出かけたが予想以上の収穫であった。

このオペラは荒筋がつかみにくい。アッリーゴというのがテノールで男の主人公。この男はシチリア島をフランス人が支配していることを憎んでいる。

女主人公はエレナ。彼女も、フランス人のシチリア支配を憎んでいるが身分が公女で高い。エレナとアッリーゴは恋仲になり、エレナは兄の復讐をとげてくれるなら、あなたのものになるとアッリーゴに愛を誓う。

ところが、シチリアの総督モンフォルテは、アッリーゴが自分とシチリア女性の間の子であることをアッリーゴに明かす。アッリーゴは大きな衝撃を受ける。モンフォルテ暗殺計画を知ったアッリーゴは父モンフォルテを助け、シチリアの仲間から裏切り者とののしられる。

エレナと反フランス派のプローチダは牢屋に入れられており死刑を待つ身だが、アッリーゴの嘆願がかない、モンフォルテ総督は和解のしるしとして、エレナとアッリーゴを結婚させると宣言する。

エレナは結婚式を待つときに、プローチダから結婚式の鐘を合図に大虐殺が始めると知らされ、アッリーゴとの結婚をためらう。モンフォルテが結婚を進めると、晩鐘が鳴り、シチリア人がフランス人におそいかかる(今日の上演では、モンフォルテもアッリーゴも殺されてしまう、という演出であった)。

アッリーゴは、最初は、復讐心に燃えているが、途中で自分の出生の秘密を知り、フランス人総督の父とシチリア人の母(すでに死んでいる)の対立的な立場のどちらを受け継げばいいのかアイデンティティーに悩む。即ち、モンフォルテを父として認めるかどうかで悩むのである。

モンフォルテはモンフォルテで、自分を父と知らずに反乱をたくらむ息子との和解で苦い思いをする。

最終幕では、エレナがアッリーゴとの結婚に踏み切れば、反乱が起こると知り、結婚をためらう。

態度がぶれないで一貫して復讐心に燃えているのはプローチダで、彼にはこのオペラで最も有名なアリア《おお祖国よ》があてられている。オペラそのものも、このアリアも、歌詞とあわせて聴けば、リソルジメントのエトスを強く反映したものであることが判る。

重唱が何度かあるが、それぞれの立場の違いをうまく描きわけて、味わいに富んだものである。

音楽的には、男性ソロが多く、女性ソロは一人であり、《シモン・ボッカネグラ》や《運命の力》に通じるところがある。性格的には、《イル・トロヴァトーレ》のルーナ伯爵の性格が、モンフォルテとプローチダに分裂している感じである。場面としては、《仮面舞踏会》を思い起こさせるシーンもある。

指揮者はステーファノ・ランザーニ。もたつくところなく、聴かせどころはうまく聴かせていたと思う。

歌手は、アッリーゴのカルロ・ヴェントレが出だしこそ、やや不調であったものの、中盤からどんどん調子をあげ、声の伸びといい、表情といい充実した歌唱を聴かせた。

モンフォルテ役のアレクサンドル・アガケも声量豊かで、権力を握りつつも悩める父親を好演していた。

プローチダ(バス)はオルリン・アナスターソフ。彼は声量こそアガケほどないが、歌詞にふさわしい声の表情という点では実に的確な歌唱を聴かせており、演技も過剰なところがなく様式美があって、高く評価したい。

エレナ(ソプラノ)のアマリッリ・ニッツァは、容貌にも恵まれ、声もよいのだが、フレージングや声の表情づけがちょっと時代がかっている。歌詞がききとりづらいのである。ヴェルディは徹底的に歌詞にこだわって作曲しているので、自分の声を聴かそうという感じで歌うよりは、曲想を歌詞を踏まえて生かそうとした方が、逆に歌の存在は生きたのにと惜しまれる。

舞台は大きな門が左右に一つずつあって、それが場面に応じて回転し、宮殿であったり、教会であったり、牢獄であったりと表情を変えるのだが、安っぽくなくて良かった。海と船が出てくるところ(写真)もなかなか素敵だった。

めったに上演されない演目だが、ストーリ−も最後まで見所、サスペンスに満ちているし、アリアも重唱もそれぞれに良い。今回の上演は、ソロ歌手のレベルがいずれも高く、実に充実した演奏であった。

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フリーメイソンだったパスコリ

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詩人のジョヴァンニ・パスコリがフリーメイソンであったという証拠が競売にふされた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月22日)。

その文書によると、パスコリはボローニャの《リッツォリ》というロッジャに1882年9月22日に加入している。この文書は2002年にジャン・ルイージ・ルッジョによって、詩人のカステルヴェッキオの家で発見された。

1882年というのは、パスコリがもう一人のフリーメイソンで詩人ジョズエ・カルドゥッチの指導のもと大学を卒業した年である。

この文書は、ローマで競売にかけられたが値段は2500ユーロであった。

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2007年6月29日 (金)

マトゥリタでダンテ出題、問題文にミス

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高校卒業試験、マトゥリタのイタリア語の試験でダンテが出題されたが、問題文につけられたコメントに誤りがあった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月21日)。

出題されたのはダンテの神曲の天国篇11歌。サン・トンマーゾ(トマス・アクィナス)がアッシージのサン・フランチェスコの生涯を語るところ。

ダンテの出題は、ある意味では評判が悪い。リチェオの生徒に有利で、工業高校の生徒には不利であるからだ。そのため、選択式でいくつかある問題文からダンテを選んだ生徒は5、7%にすぎなかった。

しかも問題文に付された註釈に誤りがあったのである。インターネット上に次々と指摘が寄せられ、ダンテ協会の会長グリエルモ・ゴルニも重大な誤りだとしている。

しかし公教育省は、註釈は、全体の枠組みのなかでコンテクストを示すものだとして誤りを認めていない。

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国鉄、余剰人員9千人

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国鉄をめぐる改革案が政府から発表された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月20日)。

現在の従業員は9万7千人であるが、2011年には8万8千人となる予定。人件費がヨーロッパの他国に比較して重くのしかかっているため。

政府案によれば、2009年には1億9600万ユーロの利益をあげる目算であるが、2006年には21億ユーロの赤字だった。

また、運賃の自由化を提案している。即ち、運賃をもっと値上げしたいのである。イタリアの運賃は他国の同業者に比べ30%から50%割安であるという。

パドア=スキオッパ経財相とマッシモ・タノーニ次官(写真)は上院の公共事業委員会での聞き取りに応じた。

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マトゥリタ、受験不許可、記録的な人数に

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6月20日から高校卒業試験、通称マトゥリタが始まる(コリエレ・デッラ・セーラ、6月20日)。

約50万人、49万7235人がこの試験にのぞむ。2006年と比較すると、1万2500人増加している。今年は、受験を認められなかったものは4、4%。

受験して合格しなかった人数は、2001年が2、2%、2002年が3、4%、2005年が3、3%、2006年が3、5%となっている。

受験生50万人のうち、リチェオ(普通高校だが、理系、文系、言語系などがある)出身者は、20万8196人。工業高校出身は19万3365人。

試験官は10万5742人で、そのうち4万553人は外部から、6万5189人は学校内部からである。

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日伊喜劇の祭典:狂言とコンメディア・デッラルテ

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国立能楽堂で、狂言とコンメディア・デッラルテを観た。

演目は三つだが、純粋な狂言ではなく、狂言とコンメディア・デッラルテのコラボレーションである。最初の演目は《濯ぎ川》。コンメディア・デッラルテは、フランスに入って、コメディー・フランセーズとなったが、そこのマイナーなレパートリーが飯沢匤、元茂山千五郎、武智鉄二の三人が狂言の形にして、大蔵流狂言のレパートリーに組み入れられた作品だという。

嫁と姑にこき使われる婿殿が、一計を案じて逆襲にでるが、また嫁は逆上してという話。

嫁と姑は嫁が声が高くヒステリックな感じ、姑はよりどっしりとずうずうしいという感じに演じわけられ、おっとりして弱気な婿殿との対照が実に楽しめた。

二作品目は《いたち》という翻案狂言で、これを日本の狂言役者のなかに、イタリア人二人が入って日本語で熱演していた。作品は16世紀のルザンテ(アンジェロ・ベオルコ)の作品を狂言風に翻案したもの。三作品目はこれをイタリア語の原作のまま上演した《ビロラ》(いたちの意)。

《いたち》では、狂言に翻案されているから、女性役も男が演じている。これが、コミカルにいい味を出していた。自分の妻を金持ちの老人に奪われた夫が、取り返しにいくという趣向なのだが、結論は狂言版と原作版では異なっている。

《いたち》はハッピーエンドで、妻は元の鞘にもどり、好色な老人は、財産を近隣の貧しい子だくさんの百姓たちにくれてやるという終わり方である。《ビロラ》の方では、帰らぬ妻であり、夫は好色老人を短剣で刺し殺してしまう。

コンメディア・デラルテそのものというよりは、その源流の一つといってよい作品なのであろう。こちらはイタリア語および方言で上演された。夫や妻の役は方言、老人はイタリア語で発音がややなまった感じであったが、案の定、方言は非常に判りにくい。身振り手振りは豊かで、たまに日本語もまじえ、ところどころで笑いがわき上がっていたが、字幕があればもっと良かったかもしれない。もっとも、狂言版と違ってすごい早口なので、字幕は数分の一に圧縮した要旨となるであろうが。しかし、そういったものでもあった方がよかったと思えた。

とはいえ、同じ原作で、少なくとも前半はまったく同じ状況なので、狂言とコンメディア・デッラルテ的なものを比較することが出来るわけだが、いくつか気づいたことがある。

1。女優の有無。狂言とコメディア・デッラルテという違いもあるが、男が演じる女というものと女優は存在感のあり方が全く違うことを改めて確認させられた。

2。身体表現の激しさの相違。イタリア版の方が、動き、ジェスチャーがはるかに大きい。

3。セリフのスピードの違い。イタリア語は機関銃のように早い。

狂言の言い回しは、当然古語もまじっているが、予想以上にわかるし、観客も実に自然な感じで笑いが出ていた。

《いたち》の演出家は関根勝早稲田大学教授。《ビロラ》はミラノ在住の井田邦明氏。両氏および関係者各位の勇気ある試みに敬意を表したい。

(お詫びと訂正)《ビロラ》の上演で、夫と妻役はナポリ方言とあったのを方言と訂正します。最初、ナポリ方言と思い込んでそう書きましたが、調べてみるとルザンテはパドヴァ出身でヴェネツィアで活躍しており、ヴェネト方言の可能性もありました。プログラムで夫役と妻役のベニアミーノ・カルディエーロとリリアーナ・ディ・カロゲーラ(カロジェーラではないのだろうか?)がナポリ出身とあるので、うかつにも勝手に決めつけてしまいました。筆者には、どこの方言であったかを判断する能力が欠けており、標準イタリア語ではなかったという意味で方言と訂正しました。

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2007年6月27日 (水)

にんにく論争

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テレビのニュース番組TG5のディレクター、カルロ・ロッセッラ(写真)は、にんにくを使わないレストランをできるだけ多くつくるべきだと主張している(コリエレ・デッラ・セーラ、6月19日)。

彼は Il Foglio紙に寄せた文章の中で、にんにくは「くさくて、私は消化できないし、吸血鬼のように避けている」と述べた。また、にんにくを追放したレストランを特集した本を出版すると約束した。

これに適合するレストランを捜すのは困難だが、まずは北部からというところだ。というのも、南部では事実上、そんなレストランはありえない。

実際にあるにんにく抜きのレストランには、ローマのフィリッポ・ラ・マッティーナがある。シェフはシチリア人だがカポナータでさえにんにく抜きで作るという。

「残念ながら」、ヴィッサーニやコロンナ、ドン・アルフォンソといった偉大な料理人は、ロッセッラには与していない。にんにく抜きを望む人は増えていて、ピレッリのマルコ・トロンケッティ・プローヴェラやフェッラーリのルーカ・コルデロ・ディ・モンテツェーモロ、フィアットの若い二人のエルカン。俳優/女優では、モニカ・ベッルッチ、ラウル・ボーヴァなど。

にんにく支持派にも有名人はいる。左翼民主党書記長ピエロ・ファッシーノの夫人アンナ・セラフィーニ、ジャンカルロ・エリア・ヴァローリ、前大臣のステファーニア・プレスティジャーコモ。

改宗者はエミリオ・フェーデ。以前はにんにく好きだったが、ベルルスコーニと知り合ってやめた。ベルルスコーニは息をきれいにしておくことにこだわっているからだ。

偉大なシェフのアントネッロ・コロンナは、ベルルスコーニにさえにんにくを食べさせることに成功したが、にんにく嫌いは一種の新たな流行で、にんにくを食べさせる秘訣は調理の仕方にあるとのこと。「にんにくを軽くいためることをせず、生のままつぶしたり、ゆでたりすれば、料理は最高で、消化もよいのです。にんにくは料理の王様。とりのぞくなんて、オーケストラからヴァイオリンを取りのぞくようなものですよ」。

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年金、支給開始年齢の急変を避けるには50億ユーロが必要

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労働大臣のチェーザレ・ダミアーノは、年金の最低年限を一気に60歳にあげることをやめると50億ユーロかかると述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月19日)。

2008年から、年金受給の最低年齢を57歳から60歳にあげることにベルルスコーニ政権の時に決められているが、それを手直しするには予算が足りないと主張している。

政府側の主張によると、最低年齢を一気にあげるのでなくて、二年ごとに一歳ずつ上昇させていくと、余分に必要となる予算は、2008年には2000万ユーロだが、2009年には、4億5000万ユーロとなり、2010年には20億ユーロとなる。

ある時点で、三歳も年金支給開始の最低年齢が上がるのはおかしい、不公平であるという意見は前からあった。ダミアーノ労働大臣にもそれには同意しているが、実現するのは簡単ではない、としている。

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2007年6月25日 (月)

ジャンフランコ・フェレ死去

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デザイナーのジャンフランコ・フェレが亡くなった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月18日)。

ジャンフランコ・フェレは1944年8月15日レニャーノ生まれ。建築科を卒業したため stilista-architetto と呼ばれることを求めた。デザインの道にはいったのは偶然で、1974年に宝石やベルトを女友達のために作り、その後に、アクセサリーや服も作るようになった。4年後の1978年に《ジャンフランコ・フェレ》を立ち上げた。

1989年からはディオールのデザイナーとなった。

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ビアジ法と不安定雇用

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労働市場に関しても、政府と労働組合の話し合いがもたれる(コリエレ・デッラ・セーラ、6月18日)。

政府は、期限付き雇用契約や不安定雇用の乱用について介入する予定だ。プロジェクト単位の被雇用者(collaboratori a progetto) についても、社会保障負担金を増やす提案をする。先の予算案では18%から23、5%に引き上げられたが、それをさらに25−26%に引き上げる提案をする。

これは若者に将来の最低限の年金を保証するためである。これらの方策は、労働大臣チェーザレ・ダミアーノが労働組合と企業家連盟に向けて申し出た。国会では中道右派からは激しい反対にあい、ビアジ法の廃止を目指す与党左派からは不十分だと批判されるおそれがある。

期限付き雇用に関しては、ベルルスコーニ政権のもとで、2001年に解禁されているが、現在は、それを事実上何回でも繰り返すことが出来る。政府は同一の労働者に対しては、2、3回までという制限をもうける方針である。

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カブール、Emergencyの仲介者、無罪放免となる

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アフガニスタンで、レプッブリカ紙の記者マストロジャーコモがタリバンに拉致された事件(3月5日)の際に、タリバンとの仲介役を果たした Hanefi が3ヶ月ぶりに自由の身となった。

Hanefi は、アフガニスタンで医療活動を展開しているNPOの Emergency の一員で、マストロジャーコモ誘拐事件で仲介の労をとったが、その後、アフガニスタン政府からスパイ容疑をかけられ刑務所に入れられていた。

Emergency はその措置に激しく抗議し、Hanefi の解放までは医療活動を停止すると宣言し(4月26日)してアフガニスタンから撤退した。

Emergency の創設者ジーノ・ストラーダは、Hanefi の解放と、Emergency 職員の自由が保証されれば、医療活動を再開する用意があると述べた。

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フィーニ夫妻、別居へ

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国民同盟のフィーニ党首は、夫人と別居することで同意した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月17日)。

ジャンフランコ・フィーニと夫人ダニエーラ・ディ・ソットは、結婚生活を中断することを決意した。この発表は夫妻共通の弁護士ジュリア・ボンジョルノからなされた。

互いの尊敬と愛情には変わりないとしている。彼女は52歳で彼は55歳。1988年に世俗婚をしている。彼女は以前にMsi (国民同盟の母体となったファシスト系政党)の活動家と結婚歴があった。フィーニ夫妻には、一人娘ジュリアーナ、21歳がいる。フィーニは野党の党首として、シルヴィオ・ベルルスコーニ、ウンベルト・ボッシ、ピエル・フェルディナンド・カジーニに続き、結婚生活に終止符をうった四人目のリーダーとなる。

フィーニ夫妻の危機については、2005年からゴシップはあった。その年、妻は、雑誌 Chi に対して、フィーニとステファーニア・プレスティジャーコモ議員の関係をめぐるうわさを克服したと語っている。

ボンジョルノ弁護士は、今回の別居がこの手の事件に起因することを否定している。あくまでも結婚生活の中断ということで、破綻ではないとの認識を示している。

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年金問題、政府と組合の衝突

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政府と労働組合の間で年金問題をめぐる交渉が始まった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月16日)。

具体的には、政府の経済財政計画書(Dpef) をめぐる交渉ということになる。政府側は、前政権で策定されていた年金をもらえる最低年齢が2007年末から57歳から60歳へ一気に上昇する(scalone--大きな階段と呼ばれている)のを改めたいという意図はあるが、そのための資源・予算がないと言う。

政府側は、年金額が低い層のために13億ユーロ、若者のために6億ユーロ、社会的なショックアブソーバーのために6億ユーロを使いたいとしている。

この案に対し、与党のディーニ元首相は、諸改革なしには経済財政計画書に賛成票を投じることは出来ないと、ゆさぶりをかけている。

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2007年6月24日 (日)

ダレーマ、司法官に逆襲

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ダレーマ外相は、テレビ番組TG5に出演し、彼とジョヴァンニ・コンソルテの通話内容が公開されたことに対し、司法官への怒りをぶちまけた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月15日)。

外相によれば、盗聴された通話内容の公開は、下品なショーであるばかりでなく、誰かが訴追されるべき犯罪である。

元検察官であった上院議員フェリーチェ・カッソンによれば、現行法は捜査やプライヴァシーの保護するという点からは適切なものでない。

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2007年6月23日 (土)

プローディの政治家への「信頼」

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プローディ首相は、政治家の電話盗聴内容公開に関し、政治家を支持する7行のコメントを発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月14日)。

12日、左翼民主の書記長ピエロ・ファッシーノは、首相府におもむき、首相に左翼民主党を支持する声明を出してほしいと要望した。保険会社 Unipol が銀行 BNL の株を買い占めていた時期に、Unipol のコンソルテが左翼民主党の政治家と電話を交わしていたのだが、その電話は盗聴されており、内容が公開されたため政界は大騒ぎになっている。

それに対し、プローディ首相が出したコメントは、「電話盗聴の筆写は何も示さず何も証明していないが、これに関し新聞が何ページも費やし、テレビが何時間も費やしたことは、政治体制や政治に不適切で危険な状況をつくりだすおそれがある」というものだった。

やや官僚的ではあるが、首相としては、司法介入と受け取られない必要もある。

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2007年6月22日 (金)

アマート、盗聴は、イタリア式錯乱

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アマート内相は、今回の政治家とコンソルテの間の通話内容の公開をイタリア式錯乱であるとして、厳しく批判した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月13日)。

保険会社 Unipol が Bnl (Banca Nazionale del Lavoro) の株式を買い占めている過程で、左翼民主党の政治家とかわした電話(盗聴)内容が公開されたことに対し、政治家からは批判があがっている。

政治家たちは、司法捜査の段階で実施された盗聴内容の公開を阻止する法案を準備中である。この方向性は、与野党を問わず支持されているが、唯一の例外が、司法官出身のディ・ピエトロ議員である。

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コンソルテとDSの政治家、盗聴内容公表される

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保険会社Unipolが銀行BNLの株式を買い占めていた事件に関し、Unipol と左翼民主党の政治家との間でかわされた電話の盗聴記録が公表された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月12日)。

公表されたのは、73通話で、たとえば、2005年夏のジョヴァンニ・コンソルテとマッシモ・ダレーマ(現外相)の会話も明らかにされた。ダレーマは「われわれに夢をみさせてくれ」と言っている。

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2007年6月21日 (木)

救急車をタクシー代わりに!

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上院議員グスターヴォ・セルヴァは、仮病をつかい、救急車をタクシー代わりに使用した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月11日)。

セルヴァ議員は、国会前の広場から、ノガロ通りのテレビ局La 7 まで救急車で運ばれた。そして正直に小さな嘘をついたと直接告白した。

所属政党の国民同盟は当惑し、沈黙を保っている。

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イタリア人宣教師、フィリピンで拉致される

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イタリア人宣教師がフィリピンで拉致された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月11日)。

拉致されたのは、ボッシ神父、57歳で1980年からフィリピンで布教している。ミンダナオ島のパヤオ(そこで教区司祭をつとめている)でミサをあげたあと、その地域の別の礼拝堂に移った。ザンボアンガ地区で武装した男たちに拉致された。

犯行声明はまだ出ていないが、ミンダナオ島ではイスラム教徒の独立派が活動しており、彼らの犯行ではないかと考えられている。

ボッシ神父は、ミラノ県のアッビアテグラッソの村、カステレット・メンドージオの出身。

フィリピンのカトリック教徒は89、7%。ザンボアンガ地区では、73%。

ミンダナオ島にいる宣教師は33人。全世界には1万5千人のイタリア人宣教師が第三世界を中心に活動している。

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《夏の嵐》の撮影現場に来た?トリアッティ

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ルキノ・ヴィスコンティ監督の《夏の嵐》の撮影現場に、当時のイタリア共産党書記長のパルミーノ・トリアッティ書記長が来ていたらしい(コリエレ・デッラ・セーラ、6月9日)。

1953年、ヴィチェンツァのパッラーディオ建築のヴィッラ・アルデーノ(現ヴィッラ・ゴーディ)で、アメリカ人俳優のファーリー・グレンジャーは、ヴィスコンティ監督が外部からやって来たある紳士と熱心に話し込んでいるのを目撃した。その紳士はイタリア共産党書記長パルミーノ・トリアッティであった。グレンジャーは自伝《Include Me Out》の中で、ヴィスコンティの映画撮影を大きくとりあげて、全体365ページのうちの60ページをそれに割いている。

しかしその記述には間違いがあって、トリアッティがハゲだったと書いている。当時ヴィスコンティの助監督だったフランチェスコ・ロージは、トリアッティはヴィスコンティのセットにはやって来なかったと述べている。

たしかにトリアッティは、ヴィスコンティへの賞賛を隠してはいなかった。共産党書記長は、ヴィスコンティの演出した舞台を見に行ったし、彼の芝居や映画に関して肯定的な評価を一度ならず表明した。

《夏の嵐》は、共産党の文化にとって特別の意味がある。この映画は、ネオ・レアリズモからレアリズモへの移行、現代の記録から歴史的ロマンスへの移行を形成する役割を担っていた。

ファーリー・グレンジャーの記憶はなぜ不正確だったのかは不明だ。グレンジャー自身の恋愛遍歴は男女ともに華やかである。女性は、パトリシア・ニール、シェリー・ウィンターズ、アヴァ・ガードナー。男もたくさんいるのだが、最も有名なのは指揮者で作曲家のレナード・バーンスタイン。

《夏の嵐》の中のフランツ・マーラーというオーストリア将校の役は、最初マーロン・ブランドにオファーされたが彼が断った。そこでグレンジャーが引き受けた。撮影が始まると、助監督のゼッフィレッリとよく英語で話していた。ヴィスコンティとグレンジャーの間には何も生じなかった。

ヴィスコンティは、映画の外でもグレンジャーがフランツ・マーラーのように振る舞うことを期待したが、ヴェネツィアではグレンジャーは放埒な振る舞いをしなかった。そこで、ヴィスコンティはグレンジャーをパリに連れて行き、ジャン・コクトーの恋人ジャン・マレーに引き合わせる。短い滞在ではあったが、マレーはガイド兼愛人となったらしい。

1954年に《夏の嵐》はヴェネツィア映画祭に参加するが、金獅子賞はとれず、アメリカで公開されるのは、1968年になってからでしかも短縮版であった。

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パドア=スキオッパ:税率を下げる時だ

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パドア=スキオッパ経財相が、税率を下げるときだと明言した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月9日)。

ただし税逃れはより厳しくとりしまり、新税はつくらない予定である。


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パウンドの調書(2)

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パウンドの調書の続きである(コリエレ・デッラ・セーラ、6月8日)。

放送のいくつかは、私の名前でなされた。放送の開始に ”Europe calling--Ezra Pound speaking" と言った。1942年に《帝国主義社のアメリカ人》という人物を作り上げた...バドリオが追い出したので、Eiar で働くのをやめた。ではあるが、1943年の7月から9月は、大衆文化省の、サン・ファウスティーノのラニエリ公に、4つか5つの原稿を《Piera Mazda》の名前で送った。彼はそれを放送した...
 1943年の秋に、ファシストはイタリア北部に新たな政党を形成した。アレッサンドロ・パヴォリーニは、新党の書記となった。その新党がイタリア社会共和国の政府を担うことになる。後にパヴォリーニに手紙を書いたが、彼は北部に来るように招請し、承諾した。サロではパヴォリーニに会うことは出来ず、大衆文化大臣になったフェルナンド・メッツァソーマに会った...メッツァソーマは私をミラノに行かせた。私は彼に、イタリアが倒れようとも、私はアメリアの憲法の通貨の条項に関して、個人的なわたしの宣伝活動を続けねばならないと言った。このプロパガンダは祖父が1878年に同じことを主張している。
 私はミラノへ行き...ファシストの社会共和国のラジオ局はうまく機能しておらず、まっとうな人物は少なく、他のものは横柄で、ドイツの支配を逃れているものはなかった...ローマでカール・ゲーデルという人物に会っていたが、彼は1942年から43年に Eiar の英語部門を担当していた。再びミラノでゲーデルに会った...私は、米兵に向けての放送は拒絶したが、何の圧力も受けなかった...
 (攻略)

パウンドは、英米の銀行家たちを非難していたのである。

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2007年6月19日 (火)

パウンドの調書(1)

Ezrapoundbooking

エズラ・パウンドが1945年にFBIの捜査官に語り、まとめられた調書が明らかになった。その中でパウンドはファシズムやムッソリーニとの関係を語っている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月8日)。

(英語版がネットを検索しても見つからなかったため、コリエレ・デッラ・セーラに掲載されたマリア・セーパのイタリア語訳をさらに訳したものとなります)。

私のフルネームは、Ezra Loomis Pound. アメリカ市民だ。アメリカの市民権を捨てたことはない。生まれたのは、1885年10月30日、アイダホ州のヘイリー。1908年まではアメリカで暮らしたが、その年、ロンドンに移り、1920年までライターとして過ごした。1920年から1924年までパリで暮らし、『ヴィヨン』や美術や音楽の批評を書いた。1924年ラパッロに移り、1944年5月まで過ごした。それからラパッロのサンタンブロージョ60に移り、そこが現在の住所だ。
 ヨーロッパでの滞在中、第一次大戦後、私はしばしばイタリアにおもむき、ファシズムによる国の革新に気づいた。妻と私は、ファシスト債券(Buoni del Littorio) を一人あたり2万5千リラ買った...私の目的は、ムッソリーニに対し、彼の良い仕事を支えるため「正当な貢献」をすることであった。1929年頃、ムッソリーニと謁見する機会を得た。彼は前年私が贈呈した私の著書『カヴァルカンティ』を知っていた。その本について語ることを求めた。1929年頃、《Lavoro Fascista》紙のため、フランチェスコ・モノッティのインタビューを受けた。このインタビューの中で、私は、イギリスは死に、その死体を道ばたに残したと述べた。フランスは死んだが、死者を埋葬する良識は持っていたと言った。イタリアは三国のなかで、唯一、なんらかの生命力をもっている国だと言った。
   1935年私の著書『ジェファーソンとムッソリーニ』が出版された。その中で私は、ファシズムはイタリアにとってムッソリーニによるニューディール政策であると主張し、彼の手法とジェファーソンの手法を対比した。1939年、ローマ旅行中に、私は大衆文化省と接触した。その際、パヴォリーニ大臣と会った。彼に5つの申し出をした...彼が最も興味を示したのは、第5の点で、ムッソリーニがイタリアでなしとげたことを知らせるために、私がラジオでアメリカ人に語りかけるというものだった。1940年春に、私はインテルランディ氏から、ついでパレーシェ氏から招かれ、ローマに赴き、私の申し出について話し合い、私はアメリカ人やイギリス人に話しかけることはできないか訊いた...私は週に二回アメリカ向けに、週に一回イギリス向けの機会をもらった...私は1940年夏からラジオ放送を開始した。自分の考えを伝える機会をつねにさがしもとめていたのだ...最初、ごく短期間は、ラジオ局で直接語っていたが、一度、予定してないことをしゃべってしまった...その事件以来、事前にレコードに録音するよう命じられ、そのレコードが放送されることになった...(続く)

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エズラ・パウンドとその真実

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50年以上たって、ワシントンの公文書館から詩人エズラ・パウンドの調書が出てきた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月8日)。

1945年5月17日、エズラ・パウンドは、ラパッロのパルティジャーニに逮捕されジェノヴァのアメリカ軍司令部にひきわたした。パウンドは国家反逆罪に問われていた。ラジオ・ローマで、反アメリカの放送をしたからである。

パウンド自身は、アメリカを批判したことは認めたが、自分は国家を裏切ったのではないと主張している。

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2007年6月17日 (日)

ラーポ・エルカン、語る

Lapoelkannadidas ラーポ・エルカンが母や女性について語った(コリエレ・デッラ・セーラ、6月8日)。

ラーポ・エルカンは、フィアットのオーナー、アニェッリ家の御曹司であるが、その母マルゲリータ・アニェッリは、最近、ジョヴァンニ・アニェッリの遺産相続に対し異議申し立ての訴訟を起こしている。

ラーポの母マルゲリータ・アニェッリはアラン・エルカンと結婚、ジョンとラーポ、ジネーヴラを得たがその後、離婚、再婚をしている。

以下、インタビューの抜粋。

あなたの父親との関係はどうですか?
最高です。いつも、きめつけずに、助けてくれる。心から愛している。

母親のマルゲリータ・アニェッリは?
彼女とまったく会わないし、電話もしない。僕の人生は、ラーポを構築しようとすることで、そのために、尊敬する人の助言を得てきたが、彼女はその一人ではなかった。僕の人生に彼女の居場所はない。たぶん、エレガントな言葉ではないが、事実だ。

インタビューであなたのお母さんはフィアットが《息子を奪い》、母親となる可能性を取り上げたと言っていますが?
被害妄想はたくさんです。もしその気があれば、健全で、建設的なよい関係はつくれる。望みさえすればね。

好みのタイプの女性は?
イスラエル女性がとても好きです。イタリア人の中では南部の人。混じり具合が刺激的なんだ。

おじいさん(ジョヴァンニ・アニェッリ)がいなくて寂しいですか?
僕にとっては、彼は死んでない。愛情ゆえに、彼を身近に感じるために、彼の服を着ている。彼の葬式の日は、人生で一番つらい日の一つだった。あの頃、フィアットは具合がとても悪く、みなが背後から攻撃してきた。足をひきずる人をたたくのは簡単だからね。

アイデンティティーの問題を感じたことはありますか?
いいえ。僕はフランス人というよりは、イタリア人と感じるし、カトリックというよりはユダヤ教徒と感じる。ユダヤの世界と密接な関係を持っているし、その力、結びつき、チーム力ーーそれらはカトリックやイタリア人には欠けているがーーを愛している。僕は父方の祖父がフランス・ユダヤ人コミュニティーの会長だったことを誇りに思うし、たびたび僕をシナゴーグに連れて行ってくれたことを誇りに思う。

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2007年6月16日 (土)

アッバードの夢

Abbado3 クラウディオ・アッバードが映画監督イングマール・ベルイマンと組んでオペラを振りたいという夢を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、6月7日)。

アッバードは、ベルイマンにメッセージを送って返事を待っているところだという。

一方、スカラ座の総監督リスナーはアッバードのスカラ座出演を何度も依頼しているが、拒絶されている。アッバードはスカラ座が悪いのではなくて、ミラノのせいだという。ミラノがお金のことばかり考え、文化を考えないのでミラノには戻らないという。

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ロッセッリ兄弟暗殺事件、テレビ映画となる

Fratellirosselli2 ファシストに暗殺されたロッセッリ兄弟の事件がテレビ映画となった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月7日)。

ヴァニア・デル・ボルゴとステッラ・サヴィーノが脚本、サヴィーノは監督も担当。歴史的背景に関しては、ゼッフィロ・チュッフォレッティとミンモ・フランツィネッリの協力を得ているが、今回のテレビ映画では、暗殺事件の責任がガレアッツォ・チャーノおよびイタリアの秘密警察にあったことだけでなく、後にフランス大統領となるフランソワ・ミッテランが暗殺者の一人をかくまう手助けをしていたことを明るみに出した。

後に社会党から大統領になったミッテランは、若いときは極右と関係があり、暗殺者の一人ジャン・ブヴォワイエの友人を戦後もかくまい、南米への逃走を黙認した。

ロッセッリ兄弟、ネッロ(左)とカルロは、1937年6月9日にフランスで暗殺された。二人の兄弟は強い愛情でむすばれてはいたが、タイプは異なっていて、兄カルロが直接行動でファシズムに対抗する運動を画策していたのに対し、弟ネッロはより穏健なタイプであった。だから、ネッロはたまたま兄と一緒にいたので同時に殺されたのである。

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カルヴィ殺人事件、全員無罪

Calvi_1重罪裁判所は、カルヴィ殺人事件の5人の被告を証拠不十分で無罪の判決を下した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月7日)。

殺されたロベルト・カルヴィはヴァティカンとの深い関係から「神の銀行家」と呼ばれていたが、1982年6月18日、ロンドンのブラック・フライアーズ橋に、首吊り状態で死体が発見された。

当初は自殺か他殺かが議論されたが、今回の判決では、自殺説は姿を消した。

被告は、ブローカーのフラヴィオ・カルボーニ、マフィアの金庫番ピッポ・カロ、マリアーナ・ギャング団のボス、エルネスト・ディオタッレーヴィ、密輸業者シルヴァーノ・ヴィットール。カルボーニの元婚約者マヌエーラ・クラインズィッヒは完全な無罪を獲得した。

検察側は、上記4人に対して終身刑を求めていた。

検察はおそらく控訴するであろうが、3回にわたってバハマに求めたが応えられなかった司法共助依頼が問題となってくる。アンブロジャーノ銀行の金の流れを把握するにはそこが鍵だと見られている。

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《Omosessuali moderni》

Omosessuali_moderni 社会学者マルツィオ・バルバリ、アシャー・コロンボの著書《Omosessuali moderni》が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月6日)。

現代のホモセクシュアルのカップルは、より異性カップルに似てきているという。

たとえば、ゲイカップルの45%、レスビアンカップルの65%が絆のしるしとして指輪をはめている。

また互いを《ciccio》,《cucciola》, 《tato》, 《orsetto》と呼んでいる。

この本は第二版で増補されたもので、Il Mulino から出版される。

現代の同性愛者は、異性とは性的関係はもたず、他の同性愛者を求める。以前とは異なり、孤立してひっそりと生きることはなく、秘密の場所でのみ会うということもない。

左官、家具職人、絨毯を敷く職人、旅行代理店などさまざまな職種で、ホモセクシュアルの顧客向けをはっきりと打ち出している業者がいる。

バルバリとコロンボは、ゲイとレスビアンの違いも調査している。58から70%のレズビアンが固定した関係を持っているのに対し、ゲイは40から49%。

最初のゲイの関係は、主として肉体的なものであるのに対し、レスビアンの場合は、通常、ロマンティック、感情的なものである。

18歳から24歳では、51%のレスビアンがまったくミサに行かないのに対し、ゲイは43%。イタリア全体では、男の35%、女の24%なので、男女の傾向が逆転している。

また母親の反応に関しては、娘がレスビアンだとカミングアウトした場合、51%が否定的に反応するが、息子がゲイだと言った場合には40%に減少する。

父親の反応で否定的なのは息子・娘をとわず、35%。

過去13年で、同性カップルが結婚できるようにするべきだという人は28%から40%に上昇し、結婚したカップルと同様の権利を与えるべきという人は39%から56%に上昇し、相続を認める人は50%から58%に上昇した。しかしながら、養子の権利を認める人は少なく14%から19%への上昇にすぎない。

同性愛者が多くくらしている街は次の通り。その町で生まれた人と住人を区別し、10万人あたりの数で示している。

         出身者     居住者 

ボローニャ 485,4     617,8
ヴェネツィア 288,1     210,6
カターニャ 285,3     125,2
ミラーノ   274,3     313,7
ナポリ    205,9     101,4
フィレンツェ 204,2     178,7
ローマ    203,2     206,7
バーリ    187,1     99,1
ジェノヴァ  178,7     167,1
トリーノ   169,5     157,8
パレルモ  119,8     56,4

ボローニャはイタリアのサンフランシスコと呼ばれている。

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2007年6月15日 (金)

ヴィスコ事件、与党、上院をきりぬける

Caso_viscoヴィスコ事件をめぐる投票で、与党はようやく、野党をくだした(コリエレ・デッラ・セーラ、6月7日)。

パドア=スキオッパ経済大臣は、経済警察のスペチャーレ将軍をふさわしくないと、攻撃した。

上院での投票は160対155で、政府案が通った。

(追記)ヴィスコ事件とは、5月末、経済副大臣ヴィスコが、保険会社Unipol の銀行株買占め事件を調査していた士官4人の移動を求めたとして、経済警察の将軍ロベルト・スペチャーレが、ヴィスコを告発したことに端を発する。政府はヴィスコを擁護している。

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ベルトーネ長官:ピオ12世とナチスの関係は、悪意ある伝説

Pio_xii_1 ピオ12世、エウジェニオ・パチェッリ

ヴァティカンの国務長官タルチジオ・ベルトーネは、アンドレア・トルニエッリの著書『ピオ12世エウジェニオ・パチェッリ』(モンダドーリ、661ページ、24ユーロ)の出版記念パーティで、ピオ12世が「ナチズムに対して甘く」、ユダヤ人大量虐殺に対して「鈍感」であったとするのは、「悪意ある伝説」だと主張した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月6日)。

ベルトーネ長官によれば、ピオ12世は「偉大で」、「実り多く」、「英雄的」人物であったという。

ベルトーネは、ピオ12世が、ユダヤ人迫害を前にして沈黙を守ったと非難されるのは、時代錯誤的で、的外れであると述べた。それどころか、迫害されるものの保護のために大きな慈愛の行為を推進し、ナチスから救うため、ヴァティカンの治安部隊にローマのユダヤ人を雇い入れさえした。

反パチェッリの言説は、ベルトーネによれば、1946年から49年にかけて、ユダヤ人社会およびソ連からやってきたという。そして、その原因は、パチェッリ法王がパレスチナ人に好意的な態度をとったからだとしている。

前述の伝記の著者アンドレア・トルニエッリは《イル・ジョルナーレ》紙のヴァティカンづき記者。伝記を書くにあたっては、ヴァティカンの公文書だけでなく、これまで、公開されたことのない法王の家族が所有している私文書にアクセスする機会を得ている。

これに対し、『ピオ11世、ヒトラー、ムッソリーニ』の著者エンマ・ファットリーニは、望ましいのは、このドラマティックな時代に生きた教会内のさまざまな人々の考え、視点や性格の相違に注意しながら、本格的な研究を続けていくことだとしている。

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2007年6月14日 (木)

「ヴェルディの生涯」

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テレビ映画《ヴェルディの生涯》を観た(イタリア文化会館)。

テレビ映画で本来は7回にわけて放送されたものなので、長さが630分もある。それを一日で上映するのであるから、見る方も根気と体力が必要である。僕は、私用で1時間半見損なった部分があるが、9時間分を見た。間に休憩が3回はいった。朝の9時半から始まり、終わったのは夜の9時半過ぎであったと思う。

監督は、レナート・カステッラーニで、同じくテレビ映画で「レオナルド・ダヴィンチの生涯」を撮った人である。ダヴィンチの方は、何度かNHKが放映したことがあるが、ヴェルディは日本初公開である。

オーソドックスな伝記映画で、時代順に展開していく。気づいたことをいくつかあげよう。

1.ヴェルディの最初の妻は、郷里での恩人バレッツィの娘マルゲリータであるが、この映画では、バレッツィのみならず、マルゲリータもヴェルディの才能を確信し、ミラノへ出ることを勧めたことになっている。

2.ヴェルディが音楽に目覚めたのが、旅回りのヴァイオリン弾きの音楽であったこと、10歳のときには教会のオルガニストをつとめていたこと。

3.学校に行き始めると、将来、聖職者になるか、音楽家になるか、進路に迷ったこと。

4. 二番目の妻ストレッポーニは、バレリーナの C.フラッチが演じていた。女優としてまったく見事であった。ストレッポーニの生涯は、椿姫と重なるところが多いと暗示はされるのだが、制作されたのが1982年であるためか、それがどういうことなのかは、歌手仲間での不倫以外は、具体的には示されていない。ヴェルディと一緒に暮らすようになってからも、ストレッポーニとその子供との関係がどうであったのかは描かれない。

5.リコルディ(楽譜出版社)や台本作家とヴェルディとの関係が、厚みをもってしっかりと描かれている。

6.1848年パリ・コミューンの際に、フランスに滞在していたことなど、当時の政治状況、あるいは、イタリア統一がなってから国会議員として登院していたなど、政治状況とのからみが具体的にわかる。ヴェルディが生まれたときにはパルマ地域は、パルマ公国で、ナポレオンの妻マリア・ルイーザの統治下にあったことも、小学校での一場面に巧みに埋め込まれている。

7. ヴェルディは自分の出自にこだわり、農民、農家としての生活に後半生、深くこだわりつづけている。
 
8. ボヘミア出身のソプラノ歌手テレーザ・ストルツとヴェルディ夫妻は親しく交際しているが、ヴェルディとストルツがどこまで親密であったのかは薮の中である。

こまかな技術的なトラブルはあったが、こういう大河ドラマ的に長時間で生涯の背景、エピソードを見ると、ヴェルディのオペラを聞く喜びもいっそう増すと思う。貴重な機会を提供してくれた日本ヴェルディ協会、イタリア文化会館、読売新聞、RAI に感謝。

今回の上映は、英語版であった。将来的希望としては、RAI が中心になって作ったのであるから、イタリア語版もあったはずだと思うし、それがDVDで市販されることを期待したい。

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シエナ銀行、ビヴェル銀行を吸収

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モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)は、ビヴェル銀行の55%の株式を取得することで合意した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月5日)。

MPSの総局長(direttore generale) のアントニオ・ヴィーニ(写真)とインテーザ・サンパオロ銀行代表取締役のコッラード・パッセラは合意に達した。MPSはビヴェル(ビエッラ&ヴェルチェッリ)の取得のため、3億9800万ユーロを支払うが、そのうち半分を現金で決済する。残り半分は、MPSの部門を譲渡することによって支払いにかえる。

譲渡する部門は、いわゆるバック・オフィスで資産管理およびセキュリティ・サーヴィスを担当する部署である。

この買収によってMPSはイタリア国内で第三の商業銀行となる。

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2007年6月13日 (水)

Guardia di Finanza

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Guardia di Finanza (経済警察または財務警備隊ー財務省に属する軍の組織)について、歴史や組織が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月5日)。

起源:サルデーニャ王ヴィットリオ・アメデオ3世が1774年10月1日に軽装備の部隊を創設した。それはイタリアで最初の国境の経済活動を監視するものであった。イタリア統一の後、1862年に、Guardia doganali (税関警備隊)が創設された。

名称:
1881年に Guardia di Finanza という現在の名前になり、国防軍の一部であることが宣言された。

組織:
Guardia di Finanza は経済省に直接に属している。

人数:
6万8134人いるが内訳は、
3225人の士官
2万3602人の検査官(ispettori)
1万3500人の監督官(sovrintendenti)
2万7807人の兵長(appunto, 巡査部長に相当)
となっている。

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2007年6月12日 (火)

ヴィスコ事件

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ヴィスコ事件をめぐり政局が揺れている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月5日)。

ヴィスコ事件とは、経財副大臣のヴィンチェンツォ・ヴィスコが、配下の経済警察(Guardia di Finanza) のミラノの4士官(ufficiale) を移動させるように、総司令官ロベルト・スペチャーレに圧力をかけたのではないか、という疑惑をもたれている事件である。

移動の圧力をかけられていた4人の士官は、保険会社Unipol による BNL銀行株の買い占めについて捜査していた。

政府は、総司令官ロベルト・スペチャーレを会計院に移動させようとしたが、スペチャーレはこれを拒絶した。このふるまいに、野党は喝采を送っており、政府与党は困惑している。ベルルスコーニは再び、総選挙を要求している。

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野党、大統領の介入をもとめる

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野党は、現状打破のため、ナポリターノ大統領の介入をもとめた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月4日)。

北部同盟のボッシはすぐにも選挙の実施をもとめているが、国民同盟のフィーニは、憲法の観点からみて総選挙の条件はととのっていないので、まずはプローディ政権に仕事をさせて、それから対話をしようと提案した。

一方、プローディ首相は、ヴィチェンツァの米軍基地のことで裏切ったとして左派から非難をあびた。

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2007年6月11日 (月)

ローマ、50万本植樹計画

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ローマに今後5年間で50万本の木を植える計画が報じられた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月3日)。

大気中の二酸化炭素を減らすねらいがあり、一年に2万9千トン削減する見通し。ローマ市長ヴェルトローニと環境評議員のダリオ・エスポジトから発表があった。

対象となるのは、ローマおよびその近郊の650ヘクタールで、900万ユーロの費用を見込んでいる。植える樹木は、樫(Quercia), ポプラ、カエデなどが中心となる。

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2007年6月10日 (日)

ダニエル・オレン、トリエステのヴェルディ劇場を訴える

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指揮者ダニエル・オレンがトリエステのヴェルディ劇場を去り、劇場でいじめにあったとして300万ユーロの賠償を求める訴えを起こした(コリエレ・デッラ・セーラ、6月1日)。

オレンは5月末日まで、この劇場の音楽監督であった。彼は、劇場総監督のジョルジョ・ザンファニンをはじめとする劇場幹部がオレンに嫌がらせや中傷を加えた、すなわち一言で言えばいじめをしたとして、損害賠償を求めている。

オレンによれば、ザンファニンはオレンが病気のときも電話すらかけてこなかったというのだが、ザンファニンは虚偽や不正確な情報だという。1年半前、オレンがウディネで「トゥーランドット」を振ることになっていたのだが、マエストロは病気だということで振らなかった。ところが、その晩にレッジョ・カラーブリアでクリスマス・コンサートの指揮をしているところを見られているのだ。

オレンは公式には、病気のために退任したことになっている。

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2007年6月 9日 (土)

トランスにも補助金

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トスカナ州が失業者への助成金をトランス(性転換者)にも支払うことが問題になっている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月1日)。

制度自体は他のコムーネ(市町村)でも実施されているもので、失業者が自分でスキルを身につけるなど研修をする補助金を供与するもので、Ila (individual leaning account) と呼んでいるが、問題になっているのは、それが失業者に対してのみではなく、 transessuale や transgender も含まれていたことだ。

彼ら(彼女ら?)の場合、社会から排除されたり、売春をしたりすることを避けて、仕事をさがすのを援助するというのが補助金の目的となる。

トスカナ州は、以前からレスビアン、ホモセクシュアル、トランスセクシュアルに対する差別と戦っている。しかし今回の措置は、野党の国民同盟などからは歓迎されていない。

補助金は、2年間に2500ユーロ(40万円)が支給される。

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ローマの大気中にコカイン

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ローマの大気中には、微量のコカインが浮遊していることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月1日)。

この調査は、CNR(Consiglio Nazionale delle Ricerche イタリア学術会議)が実施したもの。CNR の大気汚染研究所所長のイーヴォ・アッレグリーニは、「ミラノやボローニャのような都市でも薬物が浮遊していると考えている」と述べている。

もっとも高い濃度を示したのは、大学の近辺であった。濃度の単位は1立方メートルあたり、1ナノグラム前後である。これまで、河川中のコカイン濃度を調べることはなされてきたが、大気中の調査は初めてで、意味付けをはじめとして明らかにすべきことは多い。

中道右派は受け入れがたいデータであるとし、対処を求めている。

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2007年6月 8日 (金)

イタリアで喫煙者数、増える

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イタリアで喫煙者数が、再び増加している(コリエレ・デッラ・セーラ、6月1日)。

イタリアの喫煙者は1200万人。何歳で喫煙をはじめ、何歳でやめているかは次の通り:

14−24歳 喫煙者19、7%   元喫煙者 5、5%
25−34歳 喫煙者27、8%   元喫煙者 14、8%
35−44歳 喫煙者28、1%   元喫煙者 19、6%
45−54歳 喫煙者28、3%   元喫煙者 26、3%
55−64歳 喫煙者20、6%   元喫煙者 29、2%
65−69歳 喫煙者13、3%   元喫煙者 13、3%
70−74歳 喫煙者10、2%   元喫煙者  32、1%
75−79歳 喫煙者 7%        元喫煙者 30、7%
80歳以上 喫煙者 4、4%    元喫煙者 27、4%

これに対し、リヴィア・トゥルコ厚生大臣は、未成年にはタバコを禁止すべきであると主張した。

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2007年6月 7日 (木)

マルゲリータ・アニェッリ、父の遺産に関して訴訟

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故ジョヴァンニ・アニェッリの娘マルゲリータ・アニェッリが、父の遺産相続に関し訴訟を起こした(コリエレ・デッラ・セーラ、6月1日)。

透明性の高い決算報告を求めての訴訟で、アニェッリ家の弁護士フランツォ・グランデ・スティーヴンス、Ifil (アニェッリ・グループの持ち株会社)の会長ジャンルイージ・ガベッティとジークフリート・マロンが、ジョヴァンニ・アニェッリの遺産の受託管理者として訴えられている。

マルゲリータの訴訟の目的は、明確な決算報告で、彼女は1億900万ユーロの遺産に関しての報告書しか受け取っていないが、それが全てかどうかがはっきりしないと主張している。マルゲリータの息子ジョン・エルカンはひどく心を痛めているとのコメントを発した。

公式的には3年前に、彼女も合意書にサインしており、これは決定的で撤回はできない性質のものである。すなわち、会社の活動はジョン、ラーポ、ジネーヴラ・エルカンが引き継ぎ、彼女は不動産やお金を相続するという内容であった。

この3年間に何が変わったのか? 最も大きく変わったのは、フィアットをめぐる経営環境である。3年前にはフィアットの株価は6ユーロ以下であったものが、今日では21ユーロ以上している。

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2007年6月 6日 (水)

ミラノの再開発、《ポルタ・ヌオーヴァ》計画

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ミラノのガリバルディ駅周辺の大規模再開発が始動した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月31日)。

この計画は progetto 《Porta Nuova》 と呼ばれている。ミラノの中心、ドゥオーモから5分のところで、30ヘクタールを再開発する予定。

そもそも再開発案は、40年前からあった。しかし反対運動もあって手つかずになっていた。今回も市長のレティツィア・モラッティとその義姉で環境保護派のミリー・モラッティが対立している。

再開発されるのはガリバルディ駅からレプッブリカ広場にかけての26万平方メートル。25人の国際的建築家が参加し、エコロジカルな高層建築が生まれ、10万平方メートルの公園ができる予定。25億ユーロの投資となり、そのうち20億は民間の資金を導入する。

2015年のエクスポをにらんで、2012年までに竣工させたい考えだ。

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イタリアはフランスやイギリスより安全

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「エコノミスト」誌によると、イタリアはフランスやイギリスよりも治安のよい国である(コリエレ・デッラ・セーラ、5月31日)。

エコノミストは24の変数(要素)にもとづいた「平和指数」というものを国ごとに算出した。トップ10は次の通り:

1.ノルウェー           
   1357点
2.ニュージーランド    
  1363点
3.デンマーク       
    1377点
4.アイルランド      
     1396点
5. 日本            
     1413点
6. フィンランド    
     1447点
7. スウェーデン  
      1478点
8. カナダ       
      1481点
9. ポルトガル     
     1481点
10. オーストリア  
     1483点

この分析には、650人の専門家や政治学者があたっている。イタリアは33位。フランスは34位で、イギリスは49位であった。

アメリカは96位で、最下位はイラクの121位。ただし、北朝鮮やアフガニスタンは資料が入手困難なため含まれていない。

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2007年6月 5日 (火)

強力な結核患者とイタリア人の接触

Super_tbc強力な結核の患者が、短期間ではあるがイタリアに滞在していたことが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月31日)。

この患者は、32歳のアメリカ人で、5月22日前後の2日間新婚旅行で、ローマに滞在した。

現在は、アメリカのアトランタで隔離されている。彼のかかっているのは、薬に対する抵抗力がおそろしく強い Xdr-Tb (tubercolosi extraresistente) というもの。

彼らの旅行は、アメリカのアトランタを5月12日に出発し、パリをへて、アテネに行き、結婚式をあげた。

5月21日にローマに到着し、そこでアトランタから検査の結果が陽性で、イタリアの保険当局に届け出て、隔離されるよう求められた。

ところが彼は5月24日、ローマを発ち、プラハに向かう。プラハからカナダのモントリオールへ。カナダで車を借り、ニューヨークへ。そこから飛行機でアトランタへ帰り、病院で隔離されている。

一年で新たに結核になる人は880万人。そのうち、複数の薬が効かないタイプは40万人。

イタリアでは、6000人。そのうち複数の薬が効かないのは180人で、どの薬も効かない強力なタイプは12人。

保健大臣は、早速、この患者と接触したイタリア人を把握し、検査している。ラツィオとロンバルディアの15人が該当し、プラハーモントリオール間の飛行機を共にした。

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2007年6月 4日 (月)

ロッシ、鮮やかな勝利

Rossi1ヴァレンティーノ・ロッシが地元イタリアのムジェッロで、今期2度目の勝利を飾った(この項、日本テレビと Corriere.it による)。

ロッシは、レース後に自ら認めたようにスタートは悪く、6位からはじまり、一時は7位に落ちて、ドゥカーティ・チームの二台が直線での速さを見せつけ、1位、2位を独占するかに見えた。

しかし、ドゥカーティはカーヴ区間はそれほど速くはなく、徐々にロッシは順位をあげ、最後はペドロサとの勝負に勝って、1位に躍り出た。

ロッシは今期2度目の勝利。モトGPクラスでは60度目の勝利である。

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民主党のリーダーシップ論争

Pro140x180地方選での敗北をうけて、民主党のリーダー選びを早めよという声が与党内部から高まっている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月30日)。

マルゲリータ党のルテッリ党首は、新たに結成される民主党のリーダー選びをすぐにも始めようと呼びかけた。

それに対しプローディ首相は、われわれはやるべきことをやってから、その後に、リーダシップが来る、と答えた。

つまり、プローディの考えでは、予備選が10月14日に実施され、党首が決まるのは2008年になる。

プローディ首相は、地方選の北部での敗北について、予期できたことであり、まじめな首相は、5年後の収穫を期待するのであって、1年後に期待はしない、と述べた。

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学校にカラビニエーリに反対論続出

Ferreroパオロ・フェッレーロ連帯大臣

先にリヴィア・トゥルコ厚生大臣が、高校で麻薬取締りを強化するために、Nasというカラビニエーリを入れてはと提案したのに対し、大多数の親と生徒は反対している(コリエレ・デッラ・セーラ、5月29日)。

公教育大臣のフィオローニは、視学官の方がより有益であるとし、連帯大臣のフェッレーロは、この措置が予防をめざすのであれば、軽い麻薬を無罪化しようとするトゥルコ大臣の政策と矛盾すると指摘している。

こうしたトゥルコ大臣の強硬姿勢の背景には、ミラノの大学生の2人に1人がハシシュまたはマリファナを経験済みといった麻薬の蔓延がある。

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2007年6月 3日 (日)

たった4票で市長に

Sambucoピエモンテ州クネオ県のサンブーコ村の村長戦では4票で新村長が当選した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月29日)。

サンブーコでは、126人の有権者のうち、投票に行ったのは、5人のみであった。

結果は、4人がマッシモ・カッレーリ(Lista civica 《Alternativa dei cittadini》)に投票し、1人がサブリーナ・ジョヴィネ(年金党)にいれ、マッシモ・カッレーリは80%の高得票率で当選した。

投票率は、3,96%で、前回の65,9%に比較し、低かった。

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地方選、中道右派の勝利

Elezioni2地方選は、北部では中道右派が勝利し、中部、南部では Unione (中道左派)が持ちこたえた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月29日)。

中道左派は、ヴェローナ、モンツァ、アレッサンドリアの市長を失った。また、ヴェルチェッリ県、ゴリツィア県の知事を失った。

一方、ジェノヴァ、アンコーナでは勝利し、アクィラとアグリジェントでは中道右派から市長をもぎとった。

市町村(コムーネ)では市長選において:
県庁所在地で中道左派勝利は 5(前回12)
        中道右派勝利   12(前回15)    
  決選投票(または開票結果未定)10

県知事選では:
        中道左派勝利   2(前回3)
        中道右派勝利   4(前回4)
        決戦投票      1

投票率は、市長選が73,95%(2002年76、38%)
       県知事選が58、07%(2002年64,9%)

であった。
 

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2007年6月 2日 (土)

ピオ11世の反ファシズム演説は破棄されていた

Pioxiピオ11世(在位1922-1939)

ピオ11世は亡くなる直前に反ファシズムの演説を書いていた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月28日)。

その演説は、ラテラノ協定10周年の1939年2月11日に発表する予定であったが、その前日ピオ11世=法王ラッティの心臓は停まってしまった。

当時、ヴァティカンの国務長官であったエウジェニオ・パチェッリーー直後に法王に選出されピオ12世となったのだがーーは、この演説に関する材料をすべて資料庫行きとし、草稿および印刷準備の出来た活字を破棄させた。

この出来事は、エンマ・ファットリーニの『ピオ11世、ヒトラー、ムッソリーニ:法王の孤独』(エイナウディ)に再現されている。

このピオ12世の行為については、賛否が分かれている。ピオ12世の伝記作者アンドレア・トルニエッリは、法王空位時の法王代行の枢機卿(cardinale camerlengo)としては、やむを得ぬ行為だったとしている。

しかしエンマ・ファットリーニは、演説を出版しないことと、それがまったく流布しないように配慮することは別のことだとして、ピオ12世の行為を批判している。

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高校のマリファナ取締りにカラビニエーリを

Livia_turco1リヴィア・トゥルコ厚生大臣は、高校における麻薬対策として、カラビニエーリの麻薬特別対策隊を導入してはどうかと提案した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月28日)。

この特別対策班は、Nas (nuclei antisofisticazioni e sanita' dell'Arma) という。

厚生大臣は、これを健康教育のための一作戦と位置づけているが、学校が抑圧の場になってしまうと懸念する声もある。

公教育大臣のフィオローニは、ヴィデオカメラによる監視なども考えられるとしている。

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ゴミ問題で、大統領が市長に電話

Parapotiカンパーニャ州のゴミ問題で、パラポーティのゴミ処理場再開をめぐり、モンテコリヴィーノ駅をデモ隊が封鎖していたが、大統領が電話をかけ解除した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月28日)。

大統領の介入を要請したのはデモ隊の側で、デモ隊はそれに成功した。

カンパーニャ州の4つの処理場が再開することになっているが、現在時点では、一つも開いていない。

カンパーニャ州で排出されるゴミは、一日あたり7300トンで、そのうちナポリ県のゴミが4100トン。

ここ2日であつめえたカンパーニャ州のゴミは8300トンだが、まだ7600トンが残っている。

ゴミ処理は1トンあたり50ユーロの費用がかかる。

カンパーニャ州はゴミ処理場が足りず、2001年にはカゼルタからドイツのデュッセルドルフまで列車でゴミを運んだ。

ドイツまで列車で運んで処理した場合、1トンあたり160ユーロかかる。イタリア内の州でえあれば、60-80ユーロになる。

今回は、ルーマニアにゴミを船で運ぶ案があるが、この場合、1トンあたり110-150ユーロと見積もられている。

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2007年6月 1日 (金)

剰余金は家族へ

Prodi_romano1_imago_169x126プローディ首相は、国家予算の剰余金の3分の2は、お年寄りと人数の多い家族のために使うと確認した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月27日)。

‘tesoretto' (国家予算の剰余金の通称で、辞書には載っていない)の3分の2は、経済的に苦しい家庭やお年寄りのために使用すると、首相は、フィレンツェで開かれた全国家族会議の最終日で演説した。

また、"precarieta' "(不安定な雇用)が乱用されないように、歯止めをかけるべきであるとも述べた。

現在のイタリアの家族を語る指標が挙げられている。

子供のいるカップル 40,3%
 2人子供のいるカップル 19%
 3人子供のいるカップル 5,2%

初産の平均年齢 30,8歳
 2005年に生まれたのは55万4千人
 1964年には100万人を越えていた

結婚前の試験的同棲
 結婚前に試験的に同棲する人は64,9%
 そのうち61%は、宗教婚に至っている

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ミラノの中国人、移住に賛成

Chinatown_milanoミラノのチャイナタウンで住民投票が実施され、90%が郊外に移住に賛成した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月26日)。

現在は、ミラノの中心部Via Sarpi およびその周辺にチャイナタウンが広がっているが、コムーネ(市)の提案は、アレーゼという自動車工場跡地への移転であった。

中国人の商店主たちの約90%は移転受け入れに前向きだが、条件もある。移転先の面積が10万平方メートルはあること。この条件だとアレーゼのアルファの工場跡地は7万平方メートルなので合致しない。

住民代表の Angelo Hu は「われわれは、広い空間が必要だ。また市の中心部との連結が容易でなければならない」と主張している。

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