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2007年5月27日 (日)

第一回プッチーニ・マラソン

Puccini07第1回プッチーニ・マラソンの1日目に参加した。

プッチーニ・マラソンは、2日にわたっての催しで、1日目はテレビ映画『プッチーニ』(345分)とミニ・コンサートが交互にはさまれる。

2日目は、いくつかのオペラの抜粋と声楽曲の演奏会である。

1日目は、12時から20時30分まで、2日目は13時半から21時45分までと、両日とも8時間を越える催しなのでマラソンという名がついている。

1日目の開始はまず、ビュッフェ・ランチから。本格的なイタリア料理で、味もよいのだが、アニェッリ・ホールはロビー(フォアイェ)がやや狭く、テーブルを置いて、人がならぶと大混雑となってしまう。

まず腹ごしらえをして、ダリオ・ポニッスィ氏の司会で、主催者側複数の挨拶。その後、アントニア・チフローネの歌唱で「ある晴れた日に」をピアノ伴奏で聴く。アニェッリ・ホールは立派なホールであるが定員は370人でコンサートホールとしては大きいほうではないため、歌手の声はびんびん響く。歌い手も細かいニュアンスを届けやすいので、こういう演奏会もまた独特のよさがあることを確認した。

サンドロ・ボルキ監督によるRAIのテレビ映画『プッチーニ』は、三部にわけて上映された。6時間を越える大作、というかテレビのときは5回にわけて放送したようなので、今回は、1回2時間上映して、休憩をいれ、そのあとミニコンサート(プログラムには細かな変更がいくつかあった)をして、上映とつなげていた。この企画自体はとても良かったと思う。

映画はサンドロ・ボルキ監督によるものだが、調べてみるとボルキ監督は、テレビ映画の世界で有名だったようで、『ポー河の水車小屋』などがある。

この映画の感想は、プッチーニの生涯をどう描くか(そこには台本作者や監督の解釈も入ってくる)ということと切り離せないと思うが、気がついたことをいくつか書こう。

楽譜出版業者のリコルディは一貫してプッチーニの才能を認めていた。プッチーニは台本作家への注文が細かく、何度も書き直させるので、ルイジ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザは悩まされたり、憤慨したりするのだが、リコルディがまあまあとなだめたりする。結局、このコンビは、『ラ・ボエーム』、『トスカ』、『マダム・バタフライ』の三大傑作を生み出したのだから、決して和気藹々とではなく、台詞の書き直しや文学観の相違で言い争いもしているのだが、三人の緊張関係は結果的にはきわめて生産的であったのだ。

無論、言葉にこだわってオペラを作曲しているのはプッチーニだけではないが、こういう場面は、とくに歌手(の卵)には見てもらいたいものだと思う。最近の演出家や指揮者が優位にたった上演になってくると、歌は一要素となってしまいがちだが、多くのオペラ愛好者は、歌を聞きにきているのだ、細かな歌いまわし(レチタティーヴォも含め)や力のこもった言葉には、それなりの歌い方が、甘い台詞には、ドルチェな歌いまわしが求められるし、作曲家もそれを強く意識して書いているということがわかる。

プッチーニは素材探しにも随分苦労していたようで、ダンヌンツィオともリコルディの仲介で、接触したが結局結実はせず、後にザンドナイが『フランチェスカ・ダ・リミニ』などを、ダンヌンツィオ原作で作曲することになる。

『ラ・ボエーム』の初演はトリノのテアトロ・レージョ劇場だが、指揮は若き日のトスカニーニ。彼はアンコールをやらないという主義だったが、『ラ・ボエーム』の初演時には、終幕のミミの死の場面をアンコールさせた。

もう一つ興味深かったのは、1900年代初期にプッチーニが自動車事故にあったこと。事故後は、車椅子にのっている(のちに、歩けるまで回復する)。

また、エルヴィーラ夫人が神経質で嫉妬深い人であり、若いお手伝いさんとプッチーニの仲を疑い、その女性は自殺してしまい、検死で無実であったことが確認されるという悲劇が起こるのだが、『トゥーランドット』のリューは彼女の存在が全面的に投影されている(という解釈をこの映画はとっている)。

現代の伝記や研究などに照らして、どこまでが史実に基いて正確なのか、評者にはまったく判定する能力も資格もないが、当時の服装やオペラ劇場をとりまく人々の交流、人脈(海外も含め)などもうかがえてとても、プッチーニのオペラを聴いたことのある人にとっては、とても興味深い映画であった。(1970年代のテープということもあって、各回の終わり数分はなくなってしまったようでそれが惜しかったが、それはないものねだりで、見られたことは大収穫です)。

映画の中には、当然ながらオペラの場面があり、マリオ・デル・モナコやティト・ゴッビといった製作当時の大歌手、若き日のプラシド・ドミンゴの歌・演技が味わえるのもこの映画の決して小さくない楽しみの一つだが、合間のミニ・コンサートを聴くと、生の声はこんなに美しいのかという感慨も同時に持つ。大西由利子、山畑晴子、佐藤晶子氏のそれぞれ声のキャラクターは異なるが、牧口純子氏のピアノ伴奏での熱唱は、楽しめた。日本人が歌った「ある晴れた日に」では、最初にアントニア・チフローネが歌ったのと比較すると声はチフローネが力強いのであるが、ふと柔らかな音調になったり、身体のふとしたしぐさも蝶々さんにぴったりはまっていた。世代が変わっても蝶々さんは日本人歌手にとって大きな強みを有していることが判った。

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