テロ犠牲者の日を制定
1978年5月9日ローマのカエターニ通りで発見されたアルド・モーロ元首相の遺体。Br (赤い旅団)により暗殺された。
1969年12月12日ミラノのフォンターナ広場の農業銀行に爆弾がしかけられ、爆破で16人が犠牲となった。
テロリスモ犠牲者の日が制定された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月3日)。
議会は、5月9日をテロ犠牲者に捧げる日とする法案を可決した。提案者はウリーヴォのサビーナ・ロッサ上院議員。
どの日にするかについては、意見が分かれた。共産主義再建党と Pdci (イタリア共産主義者党)は、棄権した。この二党は、12月12日の Piazza Fontana の惨劇の日をテロ犠牲者の日にしたかったのである。緑の党(Verdi) も当初はその案に賛成であったが、最終的には与党案(5月9日)にしたがった。
この両者では歴史の見方が違ってくる。共産主義再建党のマウリツィオ・アチェルボによれば、「左派のテロリズモは、国家の逸脱分子の攻撃に対する反応だった。だから象徴的な日を選ぶとすれば12月12日しかありえない」というわけだ。
1969年のピアッツァ・フォンターナ事件が国家および右派による緊張をたかめる戦略だったという考え方である。これに対し野党のカルロ・ジョヴァナルディは反論する。「また国家が二重であるという理論が浮上してきましたね。二つが戦っているかのような。一方で民主主義を守り、一方で無辜の市民を襲うということになる」
北部同盟は、また別の日を考えていた。3月26日で、1971年に公営住宅の職員アレッサンドロ・フローリスが殺された日である。
国民同盟(AN)からは、5月23日(ファルコーネ判事がマフィアに暗殺された日)、9月11日(アメリカの twin towers)なども提案された。
北部同盟のマッテオ・ブリガンディは最終投票の前にこう皮肉を言った。「それでは、カインがアベルを殺した日を選ぼうじゃないか」。イタリア国会議員の意見の多様さには、旧約聖書もびっくり、といったところか。
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