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2007年5月 2日 (水)

《私たちの家で》

A_casa_nostra《私たちの家で》(フランチェスカ・コメンチーニ監督)を観る(イタリア映画祭2007)。

パンフレットにあるように「現在のミラノを舞台に、銀行家、娼婦、財務捜査官、モデル、年金生活者などさまざまな職業、階級の人々が織り成す人間模様」を、ルカ・ビガッツィのカメラワークで丹念に描いた作品。

フランチェスカ・コメンチーニは2005年の映画祭では《ママは負けない》という労働現場でのいじめ、リストラ問題をCGILの協力のもと、殺伐としたテーマを叙情的な味わいを失わずに描いていた。

今回は、最初にヴェルディのオペラ《リゴレット》のスパラフチーレ(殺し屋)のテーマが鳴るところで、ははん、とピンと来る人は来たと思うが、まるで《リゴレット》の終幕の4重唱のように、さまざまな階級、立場の人生がミラノという都市を舞台に偶然の一致を結構多用して重ね合わせている。

偶然の一致を多用すると話はうそっぽくなりがちだが、一方で、室内楽的な旋律の絡み合いという別の味わいもうまれてくる。

一つの線は、不正な株式の買占めで、銀行合併の際に、インサイダーで先回りしてその株を買占めておけば、大儲けが出来るが、その金の出所を消す必要がある。そこで、ある若者のアイデンティティーが利用されるのだが、この若者は、銀行株買占めの黒幕の銀行家(どこかベルルスコーニを思わせる風貌のルーカ・ジンガレッティ)の愛人(ラウラ・キアッティ)と関係を持ったことからこの件に巻き込まれる。

もう一つの線は、この経済犯罪を追う財務警察官のリータ(ヴァレリア・ゴリーノ)とそのつれない彼氏とその両親。父親は贅沢が好きな元教師で、妻に内緒で蔵書を古書店で処分している。妻は身体が弱く、後に倒れる。

さらにもう一つの線があって、スパラフチーレに相当するのが、その名もオテッロというガソリンスタンドの店員。この男前科があるものの、東欧から来た娼婦ビアンカを純粋に愛している。

ビアンカを悲劇が襲い病院にかつぎこまれるが、その病院にリータの彼氏の母もかつぎこまれて、さらにビアンカが妊娠している子供の引き取りてとして銀行家が現れ、病院で三つの線が一つに重なる。

それぞれの金と愛が描かれるオペラティックな味わいの映画であるが、腐臭を垂れ流しにし、社会全体を金第一の価値観へと傾斜させている階層への批判も痛烈である。

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