« Eni-Enel, ロシアに上陸 | トップページ | モンティッキェーロとアソル・ローザ »

2007年4月14日 (土)

『出産の聖母』の落ち着き場所

Delparto_1 ピエロ・デッラ・フランチェスカの傑作《出産の聖母》の収蔵場所をめぐり論争が起きている(コリエレ・デッラ・セーラ、4月5日)。

現在、アレッツォ、サンセポルクロ、モンテルキを連結して開催されている(7月22日まで)

このフレスコ画は1459年から1460年の間に、13世紀の教会サンタ・マリア・モメンターナで制作されたとされる。しかしながら、この教会は1785年の地震で壊れる。が、奇跡的にこの絵は無事だった。

その後この絵は新たな墓地の礼拝堂に置かれる。1910年には状態が再び悪化し、はがした。そのため、1917年の地震で被害にあうのを免れた。この地震で二つ目の教会も破壊されたのである。

1956年に、再建された三つ目の教会に戻ったが、1992年修復がほどこされ、モンテルキの中心部の元学校に現在も置かれている。

元学校は、祈りの場にはふさわしくないので、どこに置くべきかということになるが、モンテルキ中心部の他の教会あるいはお屋敷、あるいは今の元学校をこの絵にふさわしくリフォームしてという案もある。

地元には500年以上にもわたる信仰の対象となっているのだが、元小学校に安置されて博物館のようになっていると有料であり、自由に拝めないという不満もある。

元の墓場のところは、中心街から遠すぎるという理由で、敬遠されている。

|

« Eni-Enel, ロシアに上陸 | トップページ | モンティッキェーロとアソル・ローザ »

コメント

このMadonna del partoの現物をモンテルキまで行って見たことがあります。もう10年以上昔の話ですが。

Perugiaで夏の講習を受けたとき、週末のエクスカーションのひとつでピエロ・デッラ・フランチェスカの作品をまとめて見るというツアーがあったのです。

ウルビーノ→プラート→サン・セポルクロ→モンテルキというようなコースだったと記憶してますが、なにしろバスに乗って1日で全部まわるのでものすごい強行軍でした。

でも、この絵はマドンナの不機嫌そうな表情がわりあい印象に残ってますね。

投稿: Shibano | 2007年4月15日 (日) 11時35分

Shibano さん
僕もこの絵を見たのは10年以上前になります。

車で、アレッツォからサン・セポルクロ、モンテルキとどんどん山奥へ入っていく感じでした。

僕にとっては、ピエロ・デッラ・フランチェスカの絵は、何が主題なのかが判っても、何か判らない、不思議だ、という感じがずっと残る絵です。

この絵もそもそも聖母を描いたもので、妊娠した聖母像は珍しいですし、顔もピエロの他の作品に出てくる顔なのですが、やはりいつもある意外感があるのです。そこが尽きない魅力でもあります。

ただし、安置されている場所については、光が十分当たるので、隅々まで良く見えるのですが、雰囲気というか、本来の宗教画というコンテクストが破壊的に剥ぎ取られていて、味わいを損ねていると感じました。

石鍋真澄氏の『ピエロ・デッラ・フランチェスカ』には、次のようなエピソードが記されています。1954年にフィレンツェで企画されたルネサンス四巨匠展にこの壁画を出品して欲しいと頼まれたとき、市長は断った。その期間にモンテルキの娘に子供が授からなかったり、出産がうまくいかなくなったりするのが心配だから、というのが理由であった。こういう素朴な信仰にふさわしい場所に置かれるべき作品ではないかと個人的には思います。

投稿: panterino | 2007年4月15日 (日) 16時12分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/144339/14671777

この記事へのトラックバック一覧です: 『出産の聖母』の落ち着き場所:

« Eni-Enel, ロシアに上陸 | トップページ | モンティッキェーロとアソル・ローザ »