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2007年4月29日 (日)

《結婚演出家》

Photo_76 マルコ・ベロッキオ監督の《結婚演出家》を見た(イタリア映画祭)。

主人公は、映画監督エリカ(セルジョ・カステッリット)で、冒頭は娘の結婚式。

その後、浜辺を散歩していると、結婚の記念のヴィデオ・ムービーを撮っている凡庸な監督に、どう撮ったらよいかを尋ねられエリカ監督は、不条理でもあり、滑稽でもあるシナリオを即興で言い渡す。

この不条理なヴィデオ映画を撮らせる部分は、映画を撮る(凡庸な)監督に(優れた)監督がストーリーを授けるわけで、映画についての映画がメタ映画とすれば、メタ・メタ映画になっている。

フェリーニ監督の《81/2》が映画監督を主人公とした映画としては有名だが、それがさらに一層入り組んでいる。

エリカ監督は、シチリアの貴族から娘の結婚式を映画にとってくれと頼まれるが、その娘と恋に落ちてしまう。二人の行動は、時折、白黒映像によって映し出される。それは、貴族の父に隠し撮りされていることを意味しているようでもあり、エリカの意識を表しているようでもある。

映画の結末は、いくつかの映像が流れ、そのいくつかは、主人公の夢であるようにも解釈できるが、残りのいくつかは、どれが現実に起こったと考えればよいのか曖昧な部分を残している。たとえば、監督と花嫁は駆け落ちしたように見えるのだが、最後に列車に乗ったのは、監督一人だったのか、花嫁のみであったのか、二人そろって乗ったのか、ピランデッロ的に観客がそうだと思ったものが、そうであると監督は言いたげである。

ベロッキオ監督は、現代イタリアの抱えている問題について、常に先鋭な意識を持って取り組んでいる。今回強く感じられたのは、現代の崩壊しつつある家族関係のなかで、いまだに禁忌の感覚が強いのは、花嫁を奪うということであり、シチリアという舞台もあいまって、エリカ監督が花嫁の父親に殺されるのではないか、というはらはら感が、そうはならないストーリーに意外感をもたらしている。花嫁を奪うといえば《卒業》であるが、あの映画とはまったく別のタブー感覚が支配している。エリカが凡庸な監督に指示するストーリーの中でも、花嫁が衣装を脱ぎ裸になってしまうというのは、滑稽であると同時に、普通の状況で女性が服を脱ぐというのとは異なる衝撃がある。

ベロッキオ監督は、《宗教の時間》でも、イタリアにおける宗教の問題を取り上げているが、今回も、修道院や教会における結婚が表層的でなく取り上げられていて、極めて知的に刺激的な作品であった。

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