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2007年4月 2日 (月)

ウリーヴォの父、アンドレアッタ死去

Andreatta01g ウリーヴォの父、ベニアミーノ・アンドレアッタが亡くなった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月27日)。

享年78歳。7年前の1999年12月15日、下院で倒れ、昏睡状態のままであった。

1928年8月トレント生まれ。パドヴァ大法学部卒業後、経済に転じる。政界入りは、ジュリアーノ・アマートらとともに、アルド・モーロのアドヴァイザーを務めてから。

1970年代をトレント大、ウルビーノ大で過ごした後、ボローニャ大に移る。そこで、助手のなかにロマーノ・プローディ現首相がいた。

1976年国会議員となり、コッシーガ内閣で予算相(1979-1980)、フォルラーニおよびパドリーニ内閣で国庫相(1980-82)、アマート第一内閣で再び予算相、チャンピ内閣で外相、プローディ内閣で防衛相を務めた。

政治家としては、ウリーヴォの発案が最も大きな業績だが、大学人としては、トレント大時代に、ボッビオ、アルベローニとともに、イタリア初の社会学部(facolta' di sociologia) を立ち上げた。

プローディ首相の家とアンドレアッタの家は、150メートルしか離れておらず、その間にボローニャ大の経済学科があり、ともに教区のサン・バルトロメオ教会でゲラルディ師の説教を聴いていた。

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