《道化師》、《カヴァレリア・ルスティカーナ》
《道化師》と《カヴァレリア・ルスティカーナ》を観た(ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ劇場)。
カルロ・フェリーチェは、インターネットで切符が買え、支払い(クレジット・カード)の証拠となる画面を印刷しておき、それを劇場の切符売り場に持っていくと、上演当日に切符を受け取れる仕組み。
《道化師》は、タイトルのカニオがサルヴァトーレ・リチートラ。ネッダがスヴェトラ・ヴァッシレーヴァ。トニオがアルベルト・ガザーレ。
リチートラが活躍。《道化師》は、ヴェリスモとは言うものの、台本はメタドラマ(芝居を演じる芝居)の性格を強く持ち、そこで、主人公が登場人物としての役割と、実人生の区別を失ってしまうという点で、ピランデッロを予見する不条理性を持っている。
歌を楽しむと同時に、芝居としての入り組んだ構造の味わいが実演を観るとはっきりする。指揮はバルトレッティ、大ベテランで、たたみかける(はず)のところはテンポがあがらないが、味わい深い演奏であった。
《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、舞台装置が面白かった。砂漠のような大地があるだけで、教会も、マンマ・ルチーアのお店もない。
復活祭の行列にかついでくるキリスト像やマリア像がそのまま舞台に残され、象徴的に教会を表している感じであった。お店の場面は、椅子が複数運びこまれる。
舞台背後にはスクリーンがあって、アルフィオの怒りの場面では、波しぶきが高くあがる。
簡素だが十分説得力のある装置であった。
トゥリッドゥがリチートラ。サントゥッツァがスーザン・ネーヴズ。ルチアはモニカ・タリアサッキ。アルフィオがヴィタリティ・ビリー。ローラがパオラ・ガルディーナ。指揮はバルトレッティ。
リチートラはこちらも熱演であった。《カヴァレリア》では、男性合唱と女性合唱のかけあいになっている部分があるが、バルトレッティは見事にその掛け合いの面白さ、異なったメロディーが重なりあい、重層的に展開する音楽的醍醐味を聞かせてくれた。
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コメント
いつかイタリアでオペラを見たいものです。
偶然ですが、今年の前期は《道化師》の鐘の合唱や、《カヴァレリア》の冒頭部分と復活祭の合唱を歌うことになっております。
最近は舞台装置にお金をかけない方式が増えている気がします。
私個人としては、ヴェリズモはともかく、アイーダやトゥーランドットのような作品は豪華にやってほしいと思うのですが、やはり金銭的な問題が大きいのでしょうか。
投稿: Raimondi | 2007年3月13日 (火) 01時16分
そうですね。オペラは根本的に贅沢な芸術なのですね。
オペラだけでなく、音楽会は、劇場や観客も大事な要素なので、日本以外の劇場で観る機会も貴重だと考えています。
ヨーロッパではどこの劇場でも、観客の支払う切符代金ではまかなえず、国などの補助金でやりくりしているはずです。
イタリアの場合、政府が赤字削減をEUからも要請されていることもあって、ベルルスコーニ政権のときに大幅にオペラ劇場への補助金が減らされました。
とはいえ、演目によっては豪華にやってほしいというご意見にまったく同感です。そのための予算をどうやって捻出するのかが問題ですが・・・
個人的には、ロッシーニの喜劇的なものは、思い切って現代化しても面白いのですが、概してヴェルディは、音楽自体も強い感情移入を要求していることもあって、へたに現代化すると説得力を失いかねないと思います。
投稿: panterino | 2007年3月13日 (火) 04時01分
おひさしぶりです。
ピアノの稽古は今も続けていて、先日、カヴァレリア・ルスティカーナの間奏曲を弾きました。きれいなメロディですね、オペラもぜひ見てみたいものです。
投稿: azusa | 2007年4月 5日 (木) 20時16分
間奏曲、綺麗な曲ですね。
《カヴァレリア・ルスティカーナ(田舎騎士道)》には、心に染み入るメロディーが次から次へとあふれ出てきます。これ以降の彼のオペラでは残念ながらこのようにはいかないのですが・・・
アリアも合唱もオーケストラも堪能できる曲ですし、ヴェルガの原作(岩波文庫)も悪くないので、ぜひ一度舞台をご覧になることをお勧めします。
たいてい、《道化師》とペアで上演され、一度に二つのオペラが見られます。日本でも上演回数が多いほうです(テレビで放映されることもあります)。
投稿: panterino | 2007年4月 5日 (木) 21時58分