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2007年3月13日 (火)

《連隊の娘》

La_fille_du_regimentb 《連隊の娘》(ドニゼッティ作曲)を観た(ミラノ、スカラ座)。

スカラ座の切符は、日本では入手できなかった。スカラ座の前を歩いていると、やや怪しげな雰囲気の紳士がおもむろに近づいてきて、切符が要らないかと言われ、買う。いわゆるダフ屋である。

当然ながら、プレミアムがのっていて、15ユーロ前後が50ユーロに化けている。

この日の公演のチケットが余っていたのは、いくつかの理由があったと思われる。

1.この日は、通しで席を予約している人以外に開放されている上演であった。

2.主役級の配役、歌手が二番手であった。

トニオ役で、現在おそらく世界一であるフローレスの出番が終わっている。比較するのも気の毒であるが、Shalva Mukeria という歌手だった。高いドが何度も出る難曲をしっかりこなしていて、決して悪くなかったと思う。

タイトルロールのマリーも、ランカトーレではなくて、Nino Machaidze という人。

指揮は イーヴ・アベルだが、僕個人のドニゼッティ観とまったく相違していて、そこが一番楽しめなかった。

ドニゼッティは、快活にイタリア人のにぎやかなおしゃべり風のところと、ふとしんみりしたセンティメンタルなメロディーが交錯するところに、独特の快感があるのだが、アベルの指揮は、快活に弾むところがない。

常に丁寧に音をひろっている感じなのである。そのため、歌手の感情表現やフレージングに関しても、どこまでが、歌手の責任で、どこからが指揮者のせいなのかが判然としない。

席はガレリアで、上から二番目の階層であったが、オーケストラや声は素晴らしくよく聞こえる。オペラ好きのイタリア人と話したところ、平土間より良く聞こえるのだそうだ。

ガレリアには、立ち見の客がけっこういた。年配の人も多いが、若い人もいる。文化の継承という点ではまことに頼もしい。

舞台および衣装は、ゼッフィレッリ。プロダクションとしては、1990年代からのものである。

フランス語上演だが、前の座席の背中に小さな液晶画面があり、フランス語、イタリア語、英語などから一つを選択して表示することができる。

僕はイタリア語を選択し、隣の座席のフランス語そのままの字幕と見比べていた。

フランス語上演のせいか、指揮のせいか、演出のせいかは、はかりがたいが、日本で見た上演のときよりも、観客の笑いが少なかったように思う。

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