アリタリア、4億ユーロの赤字
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フランスのアクサ会長のアンリ・ドゥ・カストリ(上)とモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行会長のジュゼッペ・ムッサーリ(下)
モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)は、子会社の MPS Vita の株式の51パーセントをフランスの保険会社Axaに売却することを決定した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月23日)。
同時に、AxaはMPSの株式の2パーセントを取得し、逆にMPSの会長ムッサーリがアクサの経営委員会のに加わる見込み。
この二者の連携は、これまで孤高を保ってきたMPSのパートナー探しに一つの出口が見つかったことを意味する。
アクサはBnp Paribasの筆頭株主で、5,7パーセントを所有し、パリバはBnlを100パーセント支配している。
MPSのアクサへの MPS Vita の譲渡額は、11億ユーロに上る。
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イタリアの泌尿器科医の研究によると、イタリアの18歳から30歳の若者には、早漏の者が400万人いる(コリエレ・デッラ・セーラ、3月23日)。
その大部分が3分以下の持続時間であるという。イタリアの泌尿器学会の会長ヴィンチェンツォ・ミローネによると、その主要な要因は、不安とストレスである。
若者を混乱させている一因は、「偽の神話」ーーマッチョであったり、尋常ならざる能力を持っているという男のイメージーーに日常的にさらされていることだ。巨根のイメージにもおどらされ、医学的な必要がないのに、ペニスを長くする手術を求める若者も増え続けている。
ただし、身体的に問題がある場合は医学の出番であるのだが、イタリアの男性はインポテンツァが関わる場合、多くの患者が医者にかかるのをためらったり、医者にかかるよりはと禁欲を選んでしまうという。
しかし、バリ病院のカルロ・ベットッキによれば、インポテンツァの治癒率は82パーセントに達している。またそれがカップルの安定を保つことに重要であることが判明している。
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「アンギアーリの戦い」のコピー(レオナルドの生存中に製作されたもの)
東京のレオナルド展の開催のため来日したルテッリ副首相兼文化財大臣およびフィレンツェの文化担当評議員ゴッツィーニは、ヴェッキオ宮殿の調査を開始するを決定した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月22日)。
1503年4月にレオナルド・ダヴィンチは「アンギアーリの戦い」のフレスコ画をヴェッキオ宮の500人大広間に製作することを請け負ったが、現在残っているのは、下書きの素描のみである。
現在あるヴァザーリの絵の下に、レオナルドの絵が残っているのではないかという説が有力視されている。
科学の力で、壁を壊さないで、レオナルドの絵を発見しようという試みが始まろうとしている。「アンギアーリの戦い」は、フィレンツェ共和国の勝利を祝うもので、メディチ家の利益とは相反するものであった。そこでコジモ・デイ・メディチはヴァザーリに新たな作品を委嘱したと考えられている。
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フィアット500(チンクエチェント)の新型が写真発表された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月22日)。
旧型はちょうど50年前の1957年に発売され、1957年から1975年の間に、389万3294台を売り上げた。
新型は、長さが旧型の2,97メートルから3,55メートルへと拡大。旧型が文字通り排気量が497ccであったのに対し、新型は1200と1400のガソリンエンジンでそれぞれ69馬力と100馬力、1300のディーゼルが馬力である。
新型FIAT500は、ポーランドで製造されるが、価格は1万ユーロからで、現代のサラリーマンの給料の約7ヶ月分。1957年には、46万5千リラで、当時の給料は5万リラであった。
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仕事で出張中、ノート・パソコンを持ち歩き、更新作業をしていましたが、文章作成中に突然ノート・パソコンが壊れてしまい、液晶画面にまったく何も表示されくなってしまいました。何通りかの方法で、回復を試みたもののすべて失敗に終わりました。
以上、事後報告をかねて、更新作業が滞ってしまったことをお詫びいたします。
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父親で出産休暇を取る人が減っている(コリエレ・デッラ・セーラ、3月20日)。
2000年にリヴィア・トゥルコによって法律は導入されたのだが、社会的に定着したとは言いがたい。
ロンバルディア州で2006年に出産休暇を取った父親は2019人で、2005年の2077人から減っている。
ミラノ県では、2006年の同上の取得者は813人で、2005年から15パーセント減少している。
イタリア全体では、出産休暇を取った女性は11万7000人。男性は5000人。
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アフガニスタンでタリバンに拉致されていたレプッブリカ紙の記者ダニエーレ・マストロジャーコモは、15日ぶりに解放された(この項、レプッブリカ、3月20日による)。
解放されたマストロジャーコモ記者は、休む間もなくレプッブリカ紙に自らの経験を記している。
15日間の拘束の間、心理的、身体的、精神的、宗教的拷問を受けた。15日が15年に思えた。
足は鎖につながれ、手錠もはめられた。羊小屋に眠り、のみに喰われた。私を拘束していた者は、顔を出していて、名前も教えた。
彼らはわれわれがスパイなら殺すし、ジャーナリストであれば、タリバンの捕虜と交換材料になると言った。
彼らは私に身を横たえさせ、ゴムのチューブ状のもので鞭打った。
夢には、母や、去年無くなった父、妻、子供たちが出てきた。
運転手は、スパイだと宣告され、殺された。のどをかき切り、そのまま切り続けて、首を切り落とした。
解放のとき、彼らの隊長は、私を抱きしめ、完璧な英語で、「神が望むなら、天国で会おう」と言った。
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イタリアの主要銀行は、株式保有に関して武装している(コッリエーレ・エコノミーア――コリエレ・デッラ・セーラの経済特集――3月19日)。
イタリアの主要7銀行、Unicredit Banca, IntesaSanpaolo, Capitalia, Monte dei Paschi di Siena, Banco Popolare di Verona-Novara e Lodi, Banca Lombarda e Piemontese, 合併が取りざたされているBanca Popolare di Milano とBanca Popolare dell’Emilia Romagna は、それぞれに株式保有に関して外部に対し開かれているとは言いがたい面を持っている。
一番極端なのは、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行で、Fondazione Monte dei Paschi di Siena が58、575パーセントを保有しており、市場に出回っている資本は、32、735パーセントに過ぎない。
モンテ・デイ・パスキの場合は、特殊で、シエナ市自体の銀行であり、他者による争奪を想定外のものにしている。
イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギはイタリアの銀行同士の吸収合併を奨励し、総裁になって15ヶ月が経過したが、抵抗する銀行の側にもそれぞれの歴史がある。
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ローマ・マラソンが開催され1万5千人を越える走者が参加した(この項、Il Messagero 3月19日による)。
4万5千人は、4キロのアマチュア向けコースに参加した。
42,195キロをゴールまで到達したのは、1万2027人。化学処理のトイレは200箇所に設置。意志の出動は480回。51人が病院に運ばれた。ほとんどが気分が悪くなったり、筋肉痛。見学者の一人、アメリカ人旅行者が梗塞を起こしたが、救急隊に助けられが、危険な状態は脱した。
参加者の最高齢は1921年生まれのリーノ・タデイ。
交通警官は500人が出動。
また障害者のための車椅子レースも並行して行われ、11カ国から115人が参加した。
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マルコ・ベロッキオの準備中の新作は、ムッソリーニをめぐるものである(コリエレ・デッラ・セーラ、3月18日)。
ベロッキオは《夜よ、今日は》でアルド・モーロ誘拐殺人事件を扱っていたが、今度はムッソリーニの愛人イーダ・ダルゼルを扱う。イーダは、もしかするとムッソリーニの最初の妻で、ムッソリーニに本当に反逆した唯一の女性とされている。
イーダは少なくとも繰り返しそのことと、総統の最初の子供の母であることを主張し、1927年には逮捕され、精神病院に入れられてしまう。
彼らは精神病院から逃げ出すが、イーダは1937年に、子供のベニート・アルビーノは1942年に亡くなった。
今年末に撮影をはじめ、2008年には映画館で上映される予定とのこと。
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イタリアのMacchiaioli がフランスの印象派よりも、革新的であったという挑発的な主張をもつ美術史の本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月18日)。
Macchiaioli というのは、19世紀フィレンツェの色斑画法による革新的な芸術運動に属する画家たちのことであるが、フランス印象派が世界的に知られているのに対し、Macchiaioliがイタリア美術史に関心を持つものを越えて広く知られているとは言いがたいであろう。
美術批評家レナート・バリッリは『イタリアにおける現代美術史』(Bollati Boringhieri, pp572. 32ユーロ)で、Macchiaioli がいかに先端的であったかを最大限に主張する本を書いた。
たとえば、1870年代トスカーナのジョヴァンニ・ファットーリは、現実の観察をデコンストラクション(解体構築)している。
さらに時代が進んで、デ・キリコは、デュシャンのアルター・エゴであり、さらに美的であるとしている。
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家庭大臣ビンディは、婚外子も夫婦間の子供も平等にあつかう法案を作成した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月17日)。
婚外子(figli naturali)と嫡出子(figli legittimi)を平等に扱おうとするもの。婚外子は1975年までは、figli illegittimi と呼ばれていた。
これまでは、相続などに関し差別があった。たとえば、婚外子で認知された子供の場合、親との関係のみで、祖父母や叔父、叔母との関係は認められなかった。
Istatの最新のデータによると、1年間にイタリアで誕生する婚外子は8万人。10年前は全体の8パーセントであったが、現在は15パーセントに達している。
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アマート内相は、飲酒運転に対する罰則を年内に大幅に厳しくすることを発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月17日)。
飲酒および覚醒剤等の影響下の運転に対し、これまでの禁錮1ヶ月以下、罰金258~1032ユーロであったものを、禁錮3ヶ月以下、罰金1000~4000ユーロ(事故を引き起こした場合、禁錮2~6ヶ月、罰金3000~12000ユーロ)とする。
スピード違反に関しては、10~40キロ超過の場合、罰則2ポイントから5ポイントへ、40~60キロ超過の場合、免許停止1ヶ月から、免許停止3ヶ月へ(再犯の場合8~18ヶ月)。60キロ以上の超過の場合、免許停止1~2ヶ月だったのが、罰則10ポイントおよび免許停止6ヶ月(再犯の場合、免許取り消し)と大幅に厳しくなる。
新米運転手への制限
免許取得3年以下の運転手は、高速道路で100キロ以上出してはいけないし、郊外主要道路で90キロ以上だしてはいけない、という制限が、1トンあたり、60kw以上の馬力(出力)のある自動車は運転できない、となる。1馬力は0、735kw。
携帯電話の使用に関しては、70~285ユーロの罰金および5ポイントの罰則であったのが、148~594ユーロの罰金および1~6ヶ月の免許停止(再犯は2~6ヶ月の免許停止)となる。
反対方向に走ったり、強引な割り込みなど危険走行は、6~24ヶ月の免許停止であったものが、免許取り消しとなる。
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アフガニスタンで拉致されたジャーナリスト、ダニエーレ・マストロジャーコモからオーディオ・メッセージが届いた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月16日)。
マストロジャーコモは3月5日にタリバンから最初の告知があり、3月14日には、ヴィデオが送られてきた。
今度は、音声メッセージが送られてきたわけだ。
ナポリターノ大統領は、解放に向けての努力を呼びかけ、プローディ首相は、カルザイ大統領に電話した。
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ベネデット16世は、カトリック系議員に、「人としての自然」に反する法にはノーを投ずるよう呼びかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月14日)。
男女間の結婚に基づいた家庭のようなものを尊重し、擁護することには、交渉の余地はないとしている。
さらに法王は、離婚して再婚した者は、聖体拝受のような秘蹟を受けることはできないと主張した。
左派からは、内政干渉を指摘する声があるが、右派はその指摘は教会に対する不当な批判だと反論している。
アーチゲイのリーダーで、下院議員のフランコ・グリッリーニは、ゲイは結婚や養子を求
めているのではないとしている。
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内務省と社会連帯省は、移民に関する新法案を作成した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月13日)。
カリタスによれば、イタリアにいる移民は300万人で、そのうち不法滞在者は50万人。警察が把握しているのは、11万6580人。
2005年には、1万5千人が国外退去となっている。
今回の法案は、移民のうち、家事手伝いや老人の介護をしているものを優先的に合法化しようとする狙いをもっている。また、すでにイタリア語能力を持っているものは優先される。
しかし、上院での与野党の票差はわずかであるので、法案がそのまま通過するかはさだかでない。
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有名人が「遊んで」いるところを写真にとり、その写真と交換に多額の金をゆすりとっていたカメラマンが逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月13日)。
事件担当は、サヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレの事件の時と同じく、ヘンリ・ジョン・ウッドコック。逮捕されたのは、ファブリツィオ・コローナというカメラマン。有名なパパラッツォである。
他に逮捕者2人、自宅逮捕が9人。今日(13日)尋問が開始されるのが6人。自宅逮捕となったのは、ポルノ映画監督のリッカルド・スキッキ。彼の容疑は、売春に必要な女性のリクルートに協力したこと。
脅迫された有名人(かならずしも金を払ったとはかぎらない)には、トッティ、モトGPのマルコ・メランドリ、サッカーのトレゼゲ、さらにはベルルスコーニの娘バルバラなどがいる。
こうした有名人に対し、テレビ番組のアススタント(valletta)が絡んだ売春行為があって、それを写真にとって脅迫された場合もあるので、vallettopoli とも呼ばれている。
舞台となったのは、ローマの超高級ホテルやミラノの高級ディスコテーカ。
バルバラ・ベルルスコーニの場合、パパが2万ユーロ支払ったとのこと。一方、フィアット一族の御曹司ラーポ・エルカンも20万ユーロを要求されたが拒絶した。
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《連隊の娘》(ドニゼッティ作曲)を観た(ミラノ、スカラ座)。
スカラ座の切符は、日本では入手できなかった。スカラ座の前を歩いていると、やや怪しげな雰囲気の紳士がおもむろに近づいてきて、切符が要らないかと言われ、買う。いわゆるダフ屋である。
当然ながら、プレミアムがのっていて、15ユーロ前後が50ユーロに化けている。
この日の公演のチケットが余っていたのは、いくつかの理由があったと思われる。
1.この日は、通しで席を予約している人以外に開放されている上演であった。
2.主役級の配役、歌手が二番手であった。
トニオ役で、現在おそらく世界一であるフローレスの出番が終わっている。比較するのも気の毒であるが、Shalva Mukeria という歌手だった。高いドが何度も出る難曲をしっかりこなしていて、決して悪くなかったと思う。
タイトルロールのマリーも、ランカトーレではなくて、Nino Machaidze という人。
指揮は イーヴ・アベルだが、僕個人のドニゼッティ観とまったく相違していて、そこが一番楽しめなかった。
ドニゼッティは、快活にイタリア人のにぎやかなおしゃべり風のところと、ふとしんみりしたセンティメンタルなメロディーが交錯するところに、独特の快感があるのだが、アベルの指揮は、快活に弾むところがない。
常に丁寧に音をひろっている感じなのである。そのため、歌手の感情表現やフレージングに関しても、どこまでが、歌手の責任で、どこからが指揮者のせいなのかが判然としない。
席はガレリアで、上から二番目の階層であったが、オーケストラや声は素晴らしくよく聞こえる。オペラ好きのイタリア人と話したところ、平土間より良く聞こえるのだそうだ。
ガレリアには、立ち見の客がけっこういた。年配の人も多いが、若い人もいる。文化の継承という点ではまことに頼もしい。
舞台および衣装は、ゼッフィレッリ。プロダクションとしては、1990年代からのものである。
フランス語上演だが、前の座席の背中に小さな液晶画面があり、フランス語、イタリア語、英語などから一つを選択して表示することができる。
僕はイタリア語を選択し、隣の座席のフランス語そのままの字幕と見比べていた。
フランス語上演のせいか、指揮のせいか、演出のせいかは、はかりがたいが、日本で見た上演のときよりも、観客の笑いが少なかったように思う。
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《道化師》と《カヴァレリア・ルスティカーナ》を観た(ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ劇場)。
カルロ・フェリーチェは、インターネットで切符が買え、支払い(クレジット・カード)の証拠となる画面を印刷しておき、それを劇場の切符売り場に持っていくと、上演当日に切符を受け取れる仕組み。
《道化師》は、タイトルのカニオがサルヴァトーレ・リチートラ。ネッダがスヴェトラ・ヴァッシレーヴァ。トニオがアルベルト・ガザーレ。
リチートラが活躍。《道化師》は、ヴェリスモとは言うものの、台本はメタドラマ(芝居を演じる芝居)の性格を強く持ち、そこで、主人公が登場人物としての役割と、実人生の区別を失ってしまうという点で、ピランデッロを予見する不条理性を持っている。
歌を楽しむと同時に、芝居としての入り組んだ構造の味わいが実演を観るとはっきりする。指揮はバルトレッティ、大ベテランで、たたみかける(はず)のところはテンポがあがらないが、味わい深い演奏であった。
《カヴァレリア・ルスティカーナ》は、舞台装置が面白かった。砂漠のような大地があるだけで、教会も、マンマ・ルチーアのお店もない。
復活祭の行列にかついでくるキリスト像やマリア像がそのまま舞台に残され、象徴的に教会を表している感じであった。お店の場面は、椅子が複数運びこまれる。
舞台背後にはスクリーンがあって、アルフィオの怒りの場面では、波しぶきが高くあがる。
簡素だが十分説得力のある装置であった。
トゥリッドゥがリチートラ。サントゥッツァがスーザン・ネーヴズ。ルチアはモニカ・タリアサッキ。アルフィオがヴィタリティ・ビリー。ローラがパオラ・ガルディーナ。指揮はバルトレッティ。
リチートラはこちらも熱演であった。《カヴァレリア》では、男性合唱と女性合唱のかけあいになっている部分があるが、バルトレッティは見事にその掛け合いの面白さ、異なったメロディーが重なりあい、重層的に展開する音楽的醍醐味を聞かせてくれた。
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プッチーニの珍しいオペラ《妖精ヴィッリ》を観た(ジェノヴァ・カルロ・フェリーチェ劇場)。
変わった公演で、まず、ジュゼッペ・マルトゥッチという作曲家の交響曲第一番が演奏された。
この曲の初演は1895年にミラノでというから、プッチーニと同時代人の交響曲ということになる。
スメタナやドボルザーク、シベリウスを思わせる曲想のある交響曲であった。
休憩をはさんで、プッチーニの初期のオペラ《妖精ヴィッリ》。これは意外なことに、コンサート形式の上演だった。
舞台のうえに、オーケストラも歌手も合唱もいて、歌手は女性(チェドリンス)はドレス、ホセ・クーラとガブリエーレ・ヴィヴィアーニは、黒い礼服。
オケも良く鳴っていたし、三人の歌手も熱唱で、素晴らしかったのだが、それだけに舞台があればという思いが最初から最後まで頭を離れなかった。にもかかわらず、クーラは、人物になりきった情感を強く出した歌唱が曲想にはまり、最高の出来だった。
舞台の形が通常と異なったため、音の面でも、オケが強く響きすぎて、歌唱をさまたげるとまでは言わないが、バランスとして、やはり同一平面でなく、オーケストラボックスから鳴ってくれたほうが良いと思うことが何度かあった。
舞台装置はなく、後ろのスクリーンに抽象的な模様があり、時々変化するというもの。
ストーリーは単純で、クーラ演じるロベルトが、アンナ(チェドリンス)と愛を誓いあうのだが、都会に行ったらアンナのことをすっかり忘れてしまう。アンナは悲しみのうちに死ぬ。ロベルトは帰郷すると、妖精およびアンナの霊にたたられて死ぬ、という話である。
魅力的で耳に残るメロディーも多いので、もっと上演されても良い曲だと思った。
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テンポ・ピエーノのクラス削減に抗議運動が広がっている(コリエレ・デッラ・セーラ、3月10日)。
テンポ・ピエーノというのは、フル・タイムという意味で、小学校で毎日8時半から4時半までいるクラスのことをさす。
通常のクラス、テンポ・ノルマーレは12時半に終わる。しかし12時半に学校から子供が帰ってくると、両親ともに外で働いている家庭は大きな困難に直面する。
そこで、週5日で、子供が夕方まで学校にいるテンポ・ピエーノというクラスがある。週40時間で、2人の先生が4時間は共にいるという贅沢なシステムである。
それが予算削減のあおりで、7000人の教師がすぐに、4000人が9月から削減される予定となった。
ミラノだけでも、9月から100クラスのテンポ・ピエーノが消滅する。
ローマでは、1万2000人の子供がテンポ・ピエーノのクラスに入れなくなる。
カンパーニャ州では、1426のテンポ・ピエーノのクラスのポストが減らされる。
エミリア・ロマーニャ州では、労働組合によると、600人の教員が不足する見通しだという。
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イタリア司教会議(CEI)の代々の議長が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。
ジョヴァンニ・ウルバーニ(1966-1969)ヴェネツィア人、初代の新Cei(第2ヴァティカン公会議により、大都市だけでなく全イタリアの司教の組織となった)議長。
アントニオ・ポーマ(1969-1979)パヴィア県ヴィッランテリオ生まれ。学生運動とテロリズムの時代の議長。1985年、ボローニャに没す。
アナスタージオ・バッレストレーロ(1975-1985)1913年ジェノヴァ生まれ。彼のもとCeiは第二ヴァティカン公会議の路線を歩むが、後にこの路線は修正された。1998年死去。
ウーゴ・ポレッティ(1985-1991)1914年ヴェルバーニア県オメーニャ生まれ。彼の時から、ルイーニ卿にいたるまで、ローマの司教総代理とイタリア司教会議議長の役割が一致する。1997年死去。
カミッロ・ルイーニ(1991-2007)1931年モデナ県サッスオーロ生まれ。1991年から2007年3月7日までCeiを率いる。人工授精に関する国民投票に関し、信徒に棄権を呼びかけた。
議長の交代にともなって、Ceiの権力機構も変化するようだ。
Ceiはカミッロ・ルイーニのもとでは、ローマの司教総代理が100パーセント支配していたが、今日からは、集団指導体制を取る。
ルイーニの後継者アンジェロ・バニャスコは50パーセントをしめ、残りは、タルチーゾ・ベルトーネ(ヴァティカンの国務省長官)、Ceiの書記ジュセッペ・ベトーリその他で分担する。
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カトリックの側のみならず、共産党にも見るべきでない映画のリストがあった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。
1930年代からカトリックの側は、Centro Cattolico Cinematografico (CCC) という組織が見るべきものと、見るべきでないものを決めていた。
しかし、1952年、左派の側も似たものを作っていた。署名や出所は書かれていないが、明らかにイタリア共産党が出所である51ページの小冊子 Guida per le proiezioni cinematografiche popolari (人民のための映画上映のガイド)が発行されていた。
それによると良いフィルムとは、デ・シーカの「靴磨き」、「ウンベルトD」を含む全映画、「苦い米」を含むデ・サンティスの全映画、「揺れる大地」、「ベリッシマ」のヴィスコンティやヴェルガノ、リッツァーニの作品などがあるが、ロッセリーニは「無防備都市」と「戦火のかなた」のみである。
まあまあの映画としては、トトのコメディーなどがあり、非推薦のものとしては、「ニノチカ」、サム・フラーの朝鮮戦争ものなどがある。
この小冊子には、映画の「プロパガンダおよび文化」としての重要性が説かれている。
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ストロンボリが噴火した。轟音が鳴り響き、噴火活動が激しくなり、山腹から三筋の溶岩流が流れ出した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。
ストロンボリはシチリア島の北側に位置する火山島である。住人は400人ほどであるが、夏には1万人の観光客が訪れる。
ストロンボリは2つの頂上があり、海抜927mに達する。海上に出ているのは、火山の一部であり、海面下に1700mの山裾が広がっている。
山頂では、絶え間なく火山活動があり、1時間に2,3度の爆発が起こっているが、それほど激しいものではなく、危険ではない。
近年で、溶岩が流れだしたのは、1975年、1985年、2003年である。
今回、溶岩は山腹の600m地点から三筋流れだし、時速2kmで海に向かって下っていった。
観測体制が整っており、あらかじめ警報が出された。まず、10時5分にナポリのヴェスヴィオ測候所が前兆を観測。12時25分に市民の保護のため警報が出された。そして最初に溶岩が流れ出したのは、13時39分だった。
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小学校の教諭が生徒の舌を切る事件があったが、その先生は補助教員であった。補助教員をめぐる数字が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。
2月20日、午後4時に事件はミラノの北東部、生徒の2人に1人は移民の子供である学校で起きた。
正教員の教諭が教室を出て、補助教員の R.S. 22歳を呼び、生徒たちを静かにさせるよう求めた。その生徒の中に活発なアフメド(仮名)7歳がいた。
補助教員は、「舌を出しなさい。切っちゃいましょう。そしたらもうおしゃべり出来ないから」と言って、はさみを持ち、本当に口に刃をあて、流血の事態となったわけである。
補助教員は、イタリア全体では、8万3761人いる。期限を定めないものが4万4049人。期限つきのものが3万9712人。
地域別にみると
期限を定めない者
北西部 7816人
北東部 5068人
中部 7674人
南部 1万6040人
島嶼部 7451人
期限つきの者
北東部 9715人
北西部 6054人
中部 6769人
南部 1万164人
島嶼部 7010人
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ローマのミルヴィオ橋に若者がかける愛の南京錠の撤去をめぐり政治論争が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月27日)。
ミルヴィオ橋は、とりわけ、フェデリーコ・モッチャの小説「空の3メートル上」や「君が欲しい」で《恋人たちの橋》になった。
映画化された「君が欲しい」では、南京錠がリッカルド・スカマルチョとラウラ・キアッティの愛の小道具となった。
そもそも愛の南京錠の習慣は、数年前にフィレンツェのヴェッキオ橋で始まった。こちらの場合、永遠の愛の誓いをアルノ川に投げ、南京錠を橋につなぐのである。
今年1月、フィレンツェ市長ドメニチは、5000個におよぶ南京錠の撤去を命じ、違反者には50ユーロの罰金を制定した。
ローマでも、昔からあったのだが、特にモッチャの小説以降南京錠をミルヴィオ橋にかける若者が増えた。永遠の愛を誓い、南京錠に名前を書き、欄干部分にある街灯(できれば三番目)に南京錠をつなぎ、鍵はテヴェレ川に捨てるのである。
これに対し、ウリーヴォ(中道左派)は美観の点から撤去を求めており、中道右派はこの習慣を尊重すべきだとしている。ヴェルトローニ市長は仲介を試みている。街灯や橋の安全に問題がなければ、南京錠は撤去する必要がないというのが、市長の立場である。
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ミラノで、おしゃべりな生徒の舌を、先生が切ってしまった。生徒は5針縫う大怪我(コリエレ・デッラ・セーラ、2月27日)。
生徒は7歳半で、活発な子供であった。が、血が出て、泣き、先生とトイレに行った。それから、事務所に行き、母親に電話をし、救急車を呼んだ。
教員は、停職処分を受けている。この教諭は最初は遊びのつもりだったというが、遊びどころではなくなってしまった。
体罰について、法律で禁じている国は次の通り。
家庭で:
禁止 16カ国
禁止せず 180カ国
学校で:
禁止 98カ国
禁止せず 95カ国
不明 16カ国
刑罰として
禁止 152カ国
禁止せず 36カ国
不明 8カ国
懲戒のための手段として
禁止 102カ国
禁止せず 79カ国
不明 15カ国
代用監護センター
禁止 27カ国
禁止せず 153カ国
不明 16カ国
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ナポリのアンヌンツィアータ教会に、14世紀に設置された赤ちゃんポスト。
フィレンツェの捨て子院(Ospedale degli innocenti). 1419年設立で、1875年まで使用されていた。
ローマのカジリーノ病院に赤ちゃんポスト(ruota degli esposti) に生後3、4ヶ月の赤ん坊が捨てられた。
路上に生後間もない赤ん坊が捨てられるのを、回避するために設置されたものが、効果をあげたイタリアでは第一の例である。
この赤ん坊は、彼の世話をしている医師の名からステーファノと呼ばれている。厚生大臣のリヴィア・トゥルコは見習うべき例だとしている。
家庭大臣のロジー・ビンディは、あらゆる病院にこうした赤ちゃんポストを設置すべきだとしている。
このローマのカジリーノ病院は、移民が多く住む地域にあり、問題を抱えた母親たちの面倒を見てきた。
赤ちゃんポストの最初の例は、マルセーユで1188年に出現したものだという。
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昨年12月7日、スカラ座で《アイーダ》のラダメスを演じたアラーニャ
スカラ座で降板騒動のあったアラーニャだが、4月20日に開幕予定のローマ・オペラ座の《椿姫》出演もあやしい雲行きになってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月25日)。
オペラ座の《椿姫》は、やはりゼッフィレッリの演出で、ロベルト・アラーニャと夫人のアンジェラ・ゲオルギュが主演する予定であった。
しかし、アラーニャが二公演しか歌わないとあって、ゼッフィレッリは、「手に腕時計をしている」歌手とは仕事が出来ない、と不満を露わにしている。
アラーニャの代役としては、ジュゼッペ・フィリアノーティが予定されている。
オペラ座の芸術監督マウロ・トロンベッタは、大騒ぎするほどのことではなく、アラーニャは妻を喜ばせるために共演はするが、他にも仕事があるのだ、としている。
しかし、その時期にヴィーンでも仕事があるというのは、前から判っていたことではないのだろうか。トロンベッタは、「われわれは2008年からもさまざまなプロジェクトで仕事をしていく」という。
アラーニャは、ピッポ・バウドが司会をするサンレモ音楽祭にも出演する予定であったが、こちらは、3月3日にヴィーンでマスネの《マノン》を歌うこともあって、実現は不可能になったようだ。
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ナポリターノ大統領は、2月22日、23日、両院議長、各党党首との協議を実施する(コリエレ・デッラ・セーラ、2月23日)。
23日は、10時半から上院議長のフランコ・マリーニと会談。
11時から国民連盟のジャンフランコ・フィーニとそのグループと会談。
11時半からフォルツァ・イタリアのベルルスコーニおよびそのグループと会談。
18時から左翼民主(党)の書記長ピエロ・ファッシーノおよびウリーヴォのグループと会談。
18時からは同じくマルゲリータ党の党首フランチェスコ・ルテッリも加わる。
22日には、大統領は両院議長および議会の諸派と会見している。諸派とは、Autonomie liberte' democratie, Svp, Partito democratico meridionale, Italiani nel mondo di Sergio De Gregorio, Italia di mezzo(マルコ・フォッリーニ), Movimento per l'autonomia (ラッファエーレ・ロンバルド)である。
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暴行やストーカーに関する統計が発表された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。
一日に200件の暴行および暴行未遂が2006年にはあった。1年では7万4千件にのぼる。
2万5千人の16歳から70歳の女性が対象とし、Istat(政府中央統計局)が電話調査を実施した。機会均等相ポッラストリーニの発案である。
それにより判明したのは、1400万人以上の女性が一生のうちに、身体的、性的、精神的暴行を受けている。このうち、110万人がストーキングの被害にあっている。が、ほとんどが沈黙している。
調査結果はバルバラ・ポッラストリーニ機会均等相とIstatの所長ルイジ・ビッジェーリにより発表された。
一生のうち、身体的あるいは性的暴行をうける人は674万3千人(31,9パーセント)。
500万人が性的暴行(23,7%)で、約400万人が身体的暴行(18,8%)。
強姦および強姦未遂が約100万人(4,8%)。
精神的暴行を受けているのは、713万4千人。
身体的暴行としては、押す、ぐっと引っ張る、腕をひねりあげる、髪をひっぱる(224万5千件)。痛い目にあわせると脅す(206万件)。平手打ち、拳骨でなぐる、ける、噛み付く(143万1千件)。性的暴行、セクハラ、痴漢(398万件)。望まないが恐怖のため応じた性的関係(95万2千件)。強姦未遂(70万件)。強姦(48万2千件)。屈辱的な性的関係(30万3千件)。
精神的暴力としては、孤立化や孤立化の試み(46、7%)、支配(40,7%)、経済的虐待(30、7%)、けなす(23,8%)、脅迫(7,8%)。
もっとも深刻な性的暴行である強姦は、パートナー、共同生活者あるいは元彼によるものが67%。強姦未遂は37,9%。ついで、強姦と強姦未遂では、知り合いによるものがそれぞれ17、4%と27,4%。他人によるものが、それぞれ6,2%と16,4%。
しかしながら、被害にあった女性で、告発しているのは5%に過ぎない。
被害にあう確率が高い女性は、別居または離婚している女性で、63,9%(平均の約2倍)が少なくとも一度被害にあっている。
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上院で外交方針が否決されたが、終身上院議員の中で、アンドレオッティ、ピニンファリーナ、コッシーガが賛成にまわらなかった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。
上院の与野党の差は、極めて小さいので、与党からの造反もしくは、終身上院議員の支持・不支持が大きな意味を持ってくる。
終身上院議員は次の7人。
フランチェスコ・コッシーガ:1928年生まれ。1985年6月24日から1992年4月28日まで大統領を務めた。大統領職にあったものは、自動的に終身上院議員に任命される。
オスカル・ルイジ・スカルファロ:1918年生まれ。1992年5月25日から1999年5月15日まで大統領を務めた。
カルロ・アゼリオ・チャンピ:1920年生まれ。1999年5月13日から2006年5月15日まで大統領を務めた。
ジュリオ・アンドレオッティ:1919年生まれ。7度首相、19度大臣を務め、1991年6月1日、コッシーガ大統領により終身上院議員に任命される。
エミリオ・コロンボ:1920年生まれ。1970年から1972年首相を務めた。2003年、チャンピ大統領により終身上院議員に任命された。
リータ・レーヴィ・モンタルチーニ:1909年生まれ。ノーベル医学賞を1986年に受賞。2001年8月1日にチャンピ大統領により終身議員に任命される。
セルジョ・ピニンファリーナ:1926年生まれ。企業家、デザイナー。チャンピ大統領により2005年9月23日、終身上院議員に任命される。
終身上院議員で、スカルファロは高熱のため欠席であった。 リータ・レーヴィ・モンタルチーニは登院し、エミリオ・コロンボは政府案支持を表明していた。チャンピは、予想通り、Siを入れた。
コッシーガはしばらく前から反対票を入れると言っていた。ピニンファリーナは最後の最後になって姿を現した。アンドレオッティ、コッシーガと会話を交わし、棄権した。アンドレオッティも棄権した。
こうして政府案は賛成票が足りず、否決された。
国会のビュッフェでは、「誰が反対票を投じたか?コッシーガ、アンドレオッティとピニンファリーナだ。つまり、アメリカとヴァティカンと経団連さ」というジョークが交わされた。
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