クロアチア大統領、イタリア大統領に抗議
イタリアのナポレターノ大統領のフォイベの虐殺事件への言及に対し、クロアチアのメシッチ大統領が抗議した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月13日)。
ナポリターノの声明には、人種差別主義、歴史的修正主義、政治的失地回復論(revanscismo)が含まれているとして非難している。
メシッチ大統領は、ナポリターノ大統領の「スラブの領土併合の意図」という部分に強く反応しており、イタリアが調印した1947年のパリ和平条約を問題にすることは危険だとしている。
また、クロアチアでなされたファシストの犯罪行為に言及がなかったのも不満の種だ。
イタリア側ではナポリターノ大統領への連帯を表明した政治家が多かった。上院・下院議長のフランコ・マリーニおよびファウスト・ベルティノッティがそうである。
左翼民主(党)の書記長ファッシーノ、国民同盟のフィーニは、メシッチ大統領が歴史の真実を見据えていないと、それぞれ非難した。
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コメント
イタリアとクロアチアの外交関係は良くないのですか?
クロアチアにはイタリア語を使用する人達もいるそうです。
イタリアにも数多くのクロアチア人がいるようです。
マルケ州のアンコーナからクロアチアのスプリトは距離が短いし、フェリーが往来しているようです。
投稿: 台湾人 | 2008年11月 6日 (木) 00時01分
台湾人さん
以前の記事までご覧いただきありがとうございます。また、貴重な情報ありがとうございました。アンコーナ・スプリトのフェリーは知りませんでした。
この記事で取り上げているのは、フォイベの虐殺という第二次大戦末期から直後にかけて起こった事件をどう捉えるかで、イタリアとクロアチアの立場の違いが鮮明になっているということです。
現在クロアチアとなっている部分は、もともとはオーストリア帝国でしたから、イタリア側からは1870年代にirredentismo (未回復イタリア併合主義)が起こりました。もともとはトリエステやトレンティーノを、オーストリアからイタリアに取り戻すという運動だったのですが、第一次大戦時には、ダンヌンツィオらが、フィウーメを占領し、ダルマチア地方へ進出する足がかりにしようとしました。
1920−24年までは、フィウ―メは自由独立国であったのですが、その後、イタリアに併合されました。(下図を参照してください)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/Corpusseparatum-mapa.gif
という経緯があって、クロアチアには(第二次大戦後多くのイタリア人が追放されたものの)今でもイタリア系住民がいますし(特にイストリア)、ロヴィーニョという町には、そのためイタリア語学校があります。
クロアチアが EU に加わってからは、イタリアにもクロアチア人が入ってくることがまれではなくなったのだと思います。
投稿: panterino | 2008年11月 6日 (木) 12時49分
クロアチアは昔オーストリア・ハンガリー二重帝国の一部でしたね。
イタリアとの紛争や葛藤はよく分かりませんが仲良くして欲しいですね。
イタリア北部と同様にドイツ語の話者も少なくないようです。
ドイツ語の勢力は凄いと思います。
投稿: 台湾人 | 2008年11月10日 (月) 21時06分
台湾人さん
おっしゃる通り、クロアチアはかつてはオーストリア・ハンガリー帝国の一部で、だから、ドイツ語の話者も少なからずいたわけですね。
歴史の解釈でのぎくしゃくは、イタリア・クロアチアだけではないですが、だからこそ、歴史を知って、両国民が出来るだけ共通認識を持つことが重要だと思います。
投稿: panterino | 2008年11月11日 (火) 00時02分