ナポリターノ大統領、フォイベの悲劇を直視
ジョルジョ・ナポリターノ大統領が、第二次大戦末期に起こったフォイベの悲劇とダルマチアからのイタリア人の脱出について言及した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。
フォイベ(単数形はフォイバ、鍾乳窩と呼ばれるすりばち状の穴)はトリエステからクロアチアの山岳地帯に出来た深い穴で、その深さは数百メートルに及ぶものもある。
ただし、トリエステ郊外のバソヴィッツァのフォイバのように人工的につくられた鉱山の井戸の場合もある。
1943年の9月以降、悲劇は起こった。数千のイタリア人が「人民の敵」として、ティトー派のパルチザンに迫害され、銃殺され、消されたのである。
1943年9月、イストリアとダルマチアで、ファシズム協力者とみられたイタリア人の殺害が始まった。
1945年5-6月、トリエステの解放後、町はティトー軍の管理下にあった。元ファシスト、反ファシストが、ユーゴスラヴィア拡張の妨害になるものとして拘束され、銃殺され、消された。
犠牲者は、1万から1万5千人と言われるが、確かな数ではない。フォイベからは、遺体が発見されている。
これまで、この悲劇は、あまり語られることが無かった。ナポリターノ大統領は「沈黙の陰謀」であったとしている。
大統領は、「われわれは沈黙すべきではない。これまで、イデオロギー的偏見や政治的無思慮のために、真実を否定したり、無視しがちであったり、外交的計算や国際的便宜のために除去してきた責任を負うべきだ」と述べた。
2005年から、2月10日(パリ講和条約調印の日)は、フォイベの犠牲者記念の日となっている。
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