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2007年2月28日 (水)

大統領と政治危機

Napolitano_prodi_1 2月21日プローディ首相は、ナポリターノ大統領に辞表を提出したが、その時、大統領の取りうる措置には6つあったことが紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月22日)。

上院での外交方針否決を受けて、プローディ首相は、2月21日午後7時20分大統領府を訪れ辞意を告げた。ナポリターノ大統領と会談後、プローディは、午後7時55分首相府で、自らの辞任を発表した。

翌22日、大統領は、両院議長、元大統領、議会各会派と協議をする。

協議後、大統領の採りうる措置は、理論的には6つあった。

1.プローディ政権の延長を、両院に諮る。

2.組閣のため、新たにプローディを首相に任命する。

3.与党連合の別の代表者を任命し、組閣させる。

4.ある人物を《大統領の内閣》のため任命し、ある特定の仕事(たとえば、新たな選挙法を準備する)を選挙を前提にまかせる。

5.上院を解散し(憲法第88条は上下院どちらか一方のみを解散することが出来るとしている)、上院のみ選挙を実施する。

6.首相と合意して、両院を解散し、総選挙を実施する。内閣はそのままとどまり業務を行う。

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2007年2月27日 (火)

フローレス、スカラ座のタブーを破り、アリアのアンコール

Florez スカラ座のタブーを破り、テノールのフアン・ディエゴ・フローレスがアリアのアンコールを歌った(コリエレ・デッラ・セーラ、2月21日)。

アリアを聴衆の拍手に応えてもう一度歌う(bis) ことは、スカラ座では、1933年以来、禁じられてきた。

この「悪習」を禁じたのは、指揮者のトスカニーニで、最後のビスは、シャリアピンの『セビリアの理髪師』であった。

合唱のみが例外で、1984年『第一次十字軍のロンバルディア人』、1986年と1996年の『ナブッコ』では合唱曲のアンコールがあった。

しかしながら、アリアでは、カラスやテバルディ、パヴァロッティ、ドミンゴの時代にも無かったのである。

今回、ペルー人のテノール歌手は、長い拍手のあとついにビスに応じたとのことである。演目はドニゼッティの『連隊の娘』で、その中の《ああ友よ》というアリアである。

指揮は、カナダ人のイヴ・アベルだが、眠気を催し、表面的であった。フローレスはずば抜けており、ハイC(高いドの音)を連発を見事にこなし、フレージングも完璧だった。しかし、デジレ・ランカトーレ、フランチェスカ・フランチ、アレッサンドロ・コルベッリといった共演者の出来もよかった。

終わりに、ちょっとしたハプニングがあり、天井桟敷からビラがまかれた。『カンディード』(ベルルスコーニやブレアがパンツ一枚で登場する演出)が見たかったという内容であった。

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HIVポジティヴ患者の臓器をあやまって移植

Trapianto Hivポジティヴの患者の臓器があやまって3人の患者に移植されてしまった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月21日)。

ドナーは41歳の女性(donatrice). 脳出血で死亡した。

臓器移植の前に、チェックがなされたのだが、転記ミスが生じたらしい。

そのため臓器移植手術が実施されてしまった。腎臓は、二人の透析患者に移植され、肝臓は肝臓がん患者に移植された。

3人の患者は、エイズ・ウィルスが移った可能性が高い。この場合は、細胞を通じてだけではなくて、リンパ球(linfocito)を通じる可能性がある。患者たちは感染のリスクを減らす薬物療法を受けている。

感染したかどうかを知るには、一年かかるという。

イタリアでの臓器移植の数字は次の通り。

2006年におけるドナー(donatori)は1243人。

移植の総数は3167例。

イタリアでの腎臓移植は1657例。

イタリアでの肝臓移植は1079例。

移植を待つ患者の数は、9115人。

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Dicoにカトリック系団体の対応割れる

Pacs1 カトリックの諸団体が3月25日に予定されていたサン・ジョヴァンニ教会前広場でのDico反対のデモ行進を取りやめた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月21日)。

カトリック系の代表的協会や運動には次のものがある。

Azione Cattolica 会員40万人。カトリック世俗の主要な協会。

Acli (Associazioni ciristiane lavoratori cristiani)会員95万人。

Mcl (Movimento cristiano lavoratori) 会員28万人以上。

Focolarini:Chiara Lubich が創設した運動で、58万人の支持者。

Cl(Comunione e Liberazione). Don Giussani が設立。10万人の支持者。

サンテエジディオ(聖エジディオ)アンドレア・リッカルディ創設、4万人の支持者。

Neocatecumenali: Kiko Aruguelloが創設者

Rinnovamento:15万人の熱い支持者。

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Dico に関し、政府とヴァティカンのトップ会談

Bertone_prodi Dicoをめぐり、イタリア政府のプローディ首相とヴァティカンの国務長官のベルトーネ枢機卿をはじめとするトップ会談が行われた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月20日)。

Dico(事実婚法案)に関する距離は残ったままだが、緊張状態は沈静化した。

ベルトーネ枢機卿は、プローディ首相に、政治的最終決定権を持つのはヴァティカンではないことを保証したし、プローディ首相は、Dicoが決して従来の家族をないがしろにするものでないことを説明した。

会談の結果には政府・ヴァティカンともに満足しており、Cei(イタリア司教会議)議長のルイーニ枢機卿は、すべてうまくいったと語った。

プローディ首相は、「関係が強化された」と満足気。ベルトーネ長官は、互いに tu (敬称の lei ではなく親しい間柄の二人称)で呼び合い、30分ほどプローディと会談した。

プローディは、Dicoが結婚の「代理」的な制度をめざしているのではなく、個人の権利を認めるものであり、とくに「より弱い」立場にある人の権利を認めるものだと説明した。

ベルトーネ長官は、ヴァティカンは家族の行く末に「のみ」強い関心を持っているのであり、プローディ政権打倒や、イタリア政治の枠組みを変えようとしているのではないと保証した。

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共産党から左翼民主党へ

Fassino_mussi 左翼民主(党)のファビオ・ムッシが、書記長のピエロ・ファッシーノに、左派が結集して民主党を結成しても、合流しないこともありうると告げた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月19日)。

左翼民主(Ds)は、旧共産党の主流派から解党的脱皮をした党である。

党と書記長の歴史と支持率の変化が紹介されている。

書記長
1927-1964年 
 パルミーロ・トリアッティ
1964-1972年
 ルイジ・ロンゴ
1972-1984年
 エンリーコ・ベルリングェル
1984-1988年
 アレッサンドロ・ナッタ
1988-1994年
 アキッレ・オケット
 (1991年にベルリンの壁崩壊を受けて、イタリア共産党を解党し、左翼民主党Pdsが誕生する)
1994-1998年
 マッシモ・ダレーマ
1998-2001年
 ワルテル・ヴェルトローニ
2001-
 ピエロ・ファッシーノ

支持率
 1946年 18,9%
 1948年 31
 (人民民主戦線でイタリア共産党+イタリア社会党)
 1953年 22,6
 1958年 22,7
 1963年 25,3
  1968年 26,9
(1968年3月1日、ローマで学生と警察の衝突。1969年9月11日大規模な金属労組のスト。「熱い秋」の開始)
 1972年 27,1
(1973年ベルリングェルが共産党とキリスト教民主党の歴史的妥協を提案)
 1976年 34,4
(1978年3月16日アルド・モーロが誘拐され、55日間の拘留後殺害される)
 1979年 30,4
 1983年 29,9
 1987年 26,6
 1992年 16,1
 1994年 20,4
 1996年 21,1
(1996年ウリーヴォが総選挙で勝利し、左翼民主党は第一党となる。1998年左翼民主党Pdsは左翼民主Dsとなる)
 2001年 16,6
 2006年 17,5
(上院の数字。下院ではマルゲリータとウリーヴォの旗印のもと統一会派を組んでいる)

ムッシの不満は、左翼民主(党)は、影響力の低い党になってしまったということ、オケットの時に低下した得票率とほぼ同じままだということだ。
 
 

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2007年2月25日 (日)

Dico に関する世論調査

Bindipollastrini01 DICOの法案を作成したビンディ大臣とポッラストリーニ大臣

DICO法案(事実婚に関する法案)に関しての世論調査が実施された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月19日)。

調査は2007年2月15-17日にコッリエーレ紙の以来でISPOが実施。18歳以上の1917人が対象。回答率は85-100%。誤差1,5%。

以下が質問と回答である。

○最近、政府は、事実婚に関する法案を発表しました。
知っている。法案内容もかなり知る  69%
知っているが、内容はあまり知らない 24%
知らなかった                7%

○どの程度、事実婚の法案と同意見ですか?
       中道左派 中道右派 浮動層 全体
非常に/かなり 69  27    40  45
すこし/全然   26   66    50   47
わからない    5    7    10  8

○アメリカに関して、
概していつも好意的20  53   35  36
ブッシュ政権以外は46  22   26  32
概して好意的
概して、非好意的 27  13   16   19
分からない     7   12   23   13

プローディ首相に関して
不支持 54% 支持 43% 分からない 3%

政府に関して
不支持 56% 支持 40% 分からない 4%

事実婚の法案は、中道右派に不支持が多いのは予想できることだが、浮動層・未決定層でも半分いる。
 

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2007年2月24日 (土)

ナポリターノ大統領、再びプローディを首相に指名

Napolitano_prodi ナポリターノ大統領は、再びプローディを首相に任命した(この項、corriere.it による)。

ナポリターノ大統領は、「(プローディ首相の任期)延長が唯一の解決策だ。具体的な代替案が無い。前倒しの選挙の条件は整っていない」と述べた。

おそらくは、火曜日に信任投票が上院で実施される。首相は、「新たな飛躍とともに、議会に戻る」とし、ベルティノッティ下院議長との会談の後、「いっそう元気になった」と述べた。

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ふくよかな女性、モデルに

Miro_062 ミラノ・ファッションの週間が幕開けとなったが、ジョヴァンナ・メランドリ大臣らの呼びかけにこたえ、エレナ・ミロはふくよかなモデルを起用した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月18日)。

メランドリ大臣は、「やせていて美しい女性と、拒食症の女性は区別しなければいけない。ファッションの世界で、ボディ・マス・インデックス(indice di massa corporeo) だけで必ずしも病気を意味するわけではないが、その場合、医師の証明がなければならない」と語った。

エレナ・ミロはふくよか《rotondette》 で健康的な女性をモデルに起用したが、他のデザイナーは細いモデル 《sottilette》を放棄しなかった。

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拒食症へのイタリア式治療

Anoressia 拒食症の治療で、イタリア式の治療が成功を収めていることが判った(コリエレ・デッラ・セーラ、2月18日)。

拒食症は身体と精神の不具合が結びついた病気であるが、患者は思春期および若者の0,1-0,8%が患っている。

過食症も、同様に摂食障害であるが、1-3%の思春期および若者が患っている。

拒食症は、発症してから数年間に亡くなる患者は4%にのぼっている。しかし、イタリアではその死亡率が半分以下なのである。

ナポリのフェデリコ2世大学の肥満および摂食障害センターのフランコ・コンタルドは、イタリアでは、拒食症の身体的側面と心理的側面を総合的に治療するという考えが功を奏しているという。

つまり、内科医と精神科医が協力して治療にあたるのである。ナポリ大のセンターの場合は、しばらくの期間、自宅を離れて入院するが、栄養士、精神科医、ソーシャル・ワーカーなどさまざまな専門家がチームとして治療にあたる。

要するに、拒食症という一点にだけ焦点を絞るのではなくて、総合的な治癒を目指すのである。

過食症の治療の場合も同様である。

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エラスムス、高校にも

Happystudents EU諸国間の相互留学制度である Erasmus が、これまでの大学生レベルから、高校生レベルに拡がる(コリエレ・デッラ・セーラ、2月17日)。

エラスムスという留学制度は、1987年に開始され、今年で20年を向かえ、これまで150万人の大学生を海外に送り出してきた。

今回、この秋から高校生(liceo のみでなく、istituto tecnico の生徒も含む)にもこの制度を拡げる計画だ。

当座はパイロット的試みで、650人の高校生が対象で、200万ユーロの予算がブリュッセル(EU)から付く。しかし、将来的には、大学生の交換留学制度にならぶ制度にしていく予定。

ヨーロッパ統合には、政治よりもこうした生徒・学生の往来の方が有益という考え方がある。

この新プログラムには、14-18歳の若者が参加可能。パイロット的試みに参加するのは、これまでコメニウスという三週間の短期留学プログラムに参加していた学校の生徒が対象。

新プログラムでは、留学期間は3-6ヶ月となる。留学国の言語が必ずしもしゃべれる必要はないが、自国語以外の言語を一つは知っていなければならない。

大学生の留学制度と異なる点は、大学生の場合、下宿をしたり寮に入ったりするが、高校生は、ホームステイをする。

奨学金は、往復旅費プラス学費となるが、正確な額はまだ決まっていない。食費や住居費は、ホストホームの負担となる。自分の子供を送り出す家庭は、受け入れ家庭になることがある。同じコインの両面というわけだ。

2008年6月に試験的プロジェクトが終わったときに、EUは結論を出す。試験的プロジェクトを継続するか、中止するか、それとも資金を増やして本格的運用を開始するか。

大学生と異なり未成年が対象となるため、配慮すべき事項は多くなる。しかしながら、若いときに、自分の地平線を広げるのはより容易で有意義でもある。

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2007年2月23日 (金)

プローディの12か条

Prodi01g プローディ首相は、与党連合Unioneを形成する各党の党首と、首相府でトップ会談を持ち、長い交渉の結果、12項目が「優先的で、交渉の余地のない」ものとして承認された(この項、corriere.it による)。

プローディにより提示された12項目は次の通り。

1.EUやNATOの一員としての外交政策。現在のアフガニスタンへの派兵を含む。

2.文化、学校、大学、研究、革新への責務

3.インフラ計画、とりわけヨーロッパ回廊(トリノーリヨン間を含む高速鉄道)の早期実現

4.エネルギー源の効率と多様性。リサイクル可能なエネルギー、分散化。

5.自由化推進およびサービスや専門職における消費者保護

6.南部への恒常的注目と責務ーー治安問題を手始めに。

7.公的支出の実質的削減のための具体的で即時の行動

8.社会保障(年金)システムの再編成ーー財政との両立および低年金の人、若年層に最大限の配慮をしつつ。

9.家族政策ー家族手当の拡充と保育園の実質的増加

10.政府と議会の任務の矛盾の早期解決

11.首相のスポークスマンは、行政府のスポークスマンの役割を果たす。

12.こうした原則と合致するため、政府の行動の効率性を保障するため、意見が対立するときは、政府自身の立場を統一的に表明する権威が、首相に認められる。

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2007年2月22日 (木)

プローディ首相、辞任

Dalema1 ダレーマ副首相兼外相

プローディ首相は、上院で外交政策が否決されたのを受けて、大統領府へ赴き辞表を提出し、受理された(この項、corriere.it による)。

外交政策とは、イタリア軍のアフガニスタン駐留継続をめぐるもので、与党の一部が棄権して(棄権すると事実上反対と同じなので)、賛成多数とならず、否決された。

プローディの辞任後、第二次プローディ内閣も取り沙汰されているが、より強力で、拘束力のある内閣でなければ引き受けないとしている。

野党の一部には、早期の選挙を期待する向きもあるが、一方、野党UDC(キリスト教民主連合)の党首フェルディナンド・カジーニは、交渉のテーブルにつこう、と呼びかけており、予断を許さない。

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2007年2月21日 (水)

トアフ「血のパスクワ」回収へ

Ariel_toaff 「血のパスクワ」の著者は、自著を回収することを宣言した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月15日)。

「血のパスクワ」は、以前に本ブログでも紹介した(2月14日)ように、1100年から1500年にかけて、ドイツ系ユダヤ人の一部には、ユダヤ教の過ぎ越しの祭りの儀式に用いるため、キリスト教徒の子供を殺して、その血を儀式に用いた可能性がある、という主張がユダヤ人社会の激しい反発を招いたのである。

この本が、2月6日のコリエレ・デッラ・セーラにセルジョルッツァートの書評で紹介されると日刊紙コリエレ・デッラ・セーラおよびレプッブリカ紙上で激しい論争が展開された。

ユダヤ教のラビたちやユダヤ人コミュニティーの長が「異常な」主張だと糾弾。

2月8日のコッリエーレ紙で、著者が反論。同日、アンナ・フォアがレプッブリカ紙で非難。9日、ジャーコモ・テデスキーニがレプッブリカ紙で、10日、アドリアーノ・プロスペリがレプッブリカ紙で、アンナ・エスポジトとディエゴ・クァリオーニがコッリエーレ紙で非難した。一方、フランコ・カルディーニは、アッヴェニーレ紙(7日)で、トアフを擁護した。

アリエル・トアフは、出版者イル・ムリーノに自著の配給を凍結するよう依頼した。

これまで出版された資料の歪曲や虚偽についてできるだけ早く再考し、明確にしたいとしている。中世のユダヤ人の証言(ユダヤ人によるキリスト教徒の子供殺しに関する)は、拷問の末になされたものが多いので、文字通りに信用することはできないのである。

また、トアフは自著が、反ユダヤのプロパガンダに悪用されることを望まないとしている。

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2007年2月20日 (火)

Cgil の衝撃

Cgil100 イタリアの労働組合Cgil(イタリア労働総同盟)は、赤い旅団の逮捕の際に、Cgilの組合員が8名いたことに衝撃を受け、対策を考えはじめている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月14日)。

Cgil(イタリア労働総同盟)は、1906年10月1日に創設された100年以上の歴史を持つ労働組合である。

組合員は、約600万人。

Cgilの書記カルラ・カントーネは、これからは予防的な介入を行わなければいけないとの見通しを語った。

過去10年に、組合を追放されたのは1人で、2003年に赤い旅団への連帯を表明したトリノのヴァルテル・フェッララートのみである。

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うたた寝は身をたすく

Pennichella アテネ大学の研究で、午後のお昼ね、うたた寝は心臓に良いことが判った(コリエレ・デッラ・セーラ、2月13日)。

その研究は、20歳から86歳の2万3600人を対象としたもの。

お昼寝は、病気になる確率を36%減らす。特に、ストレスの多い職種に有効とのこと。このグループでは、心臓病の可能性を64%も減らすのである。

ボローニャ大学のファビオ・チリニョッタによると理想の昼寝は、午後2時から4時の間の15-30分間で、ベッドには行かず、ソファーか椅子で、パジャマには着替えず、ということらしい。

われわれの睡眠は40年前と比較すると2時間減っているという。イタリア人の20%は睡眠障害に苦しんでいる。

ジャーナリストのサンドロ・クルツィにとって、昼寝は神聖である。

元サッカー審判のピエルルイージ・コッリーナは午後の昼寝のファンである。

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クロアチア大統領、イタリア大統領に抗議

Mesic クロアチアのメシッチ大統領

イタリアのナポレターノ大統領のフォイベの虐殺事件への言及に対し、クロアチアのメシッチ大統領が抗議した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月13日)。

ナポリターノの声明には、人種差別主義、歴史的修正主義、政治的失地回復論(revanscismo)が含まれているとして非難している。

メシッチ大統領は、ナポリターノ大統領の「スラブの領土併合の意図」という部分に強く反応しており、イタリアが調印した1947年のパリ和平条約を問題にすることは危険だとしている。

また、クロアチアでなされたファシストの犯罪行為に言及がなかったのも不満の種だ。

イタリア側ではナポリターノ大統領への連帯を表明した政治家が多かった。上院・下院議長のフランコ・マリーニおよびファウスト・ベルティノッティがそうである。

左翼民主(党)の書記長ファッシーノ、国民同盟のフィーニは、メシッチ大統領が歴史の真実を見据えていないと、それぞれ非難した。

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赤い旅団を急襲、15人逮捕

Br_ 極左集団、赤い旅団のメンバー15人が襲撃を計画していたとして逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月13日)。

ミラノ検察局は、《新赤い旅団》のネットワークを襲った。逮捕者の中には労働組合Cgil(イタリア総同盟)のメンバーが複数いた(すぐに停職処分を受けた)。

検察官のイルダ・ボッカッシーニによると、彼らは、国家に対する戦争を企てていたという。標的の中には、労働法学者のピエトロ・イキーノや、ミラノのベルルスコーニの家などが含まれていた。

赤い旅団の歴史が紹介されている。

1969年創立:アルベルト・フランチェスキーニがその著書「マーラ、レナートと私」の中で、大都市の政治集団の集会を呼びかけた。

1970年スローガン:1970年代には、「衝突の音を高めよ!」というスローガンが知られる一方、レナート・クルチョなどが学生運動からやってきた。

1970年最初の襲撃 1970年9月にミラノで、Sit-Siemens の重役ジュゼッペ・レオーニの自動車が焼かれた。

1971年 アジびらに初めて、円に星のシンボルマークが登場する。赤の地に白で星が描かれる。

1974年 脅迫に効果が見られなかったため、赤い旅団は、「国家への攻撃」を決定。最初の行動は、1974年4月18日、ジェノヴァで、検察官マリオ・ソッシの誘拐であった。

1974年から衝突は激しさを増す。国家はカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ将軍が、組織にスパイを潜入させ、クルチョやフランチェスキーニを逮捕した。

1976年 赤い旅団の最初の犠牲者は、検察官フランチェスコ・ココで、ジェノヴァで、1976年7月に殺された。

1978年 3月16日、キリスト教民主党党首アルド・モーロが誘拐される。55日間拘留。5月9日、遺体が発見された。

1979年 ジェノヴァの労働組合員グイド・ロッサが殺される。

1981年 国家の反撃。特別法と逮捕。モーロ誘拐を指揮したとされるマリオ・モレッティを逮捕。

1985年 3月27日、経済学者エツィオ・タランテッリがローマで大学の前で殺される。

1988年 4月6日、上院議員ロベルト・ルッフィッリが、フォルリで郵便局員に扮装した赤い旅団のメンバーに殺害される。

1999年 労働大臣アントニオ・バッソリーノのブレーンのマッシモ・ダントーナが殺害される。

2002年 3月19日、労働法学者のマルコ・ビアージがボローニャで殺される。5人のテロリスト、ナディア・リオーチェ、ロベルト・モランディ、マルコ・メッツァサルマ、ディアーナ・ブレファーリ・メラッツィ、シモーネ・ボッカッチーニが終身刑を宣告された。

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2007年2月19日 (月)

ムッソリーニ文書の真贋

De_felice_2 レンツォ・デ・フェリーチェ(右)

ムッソリーニの手帳と称するものが5冊出てきたが、その真贋をめぐり、議論がかまびすしい(コリエレ・デッラ・セーラ、2月12日)。

「本物の」ムッソリーニの手帳と称するものが出現したことはまれではない。1959年には、アマリア&ローザ・パンヴィーニによって巧妙に作り上げられた日記が出てきて、出版社のモンダドーリに売りつけられた。

1967年には、今回と同様に、赤十字の手帳につけた日記が、ロンドンのスパイによって、アンジェロ・リッツォリ(出版者)に提供された。

1980年代半ばにはヒトラーの偽日記が出てきた。

ファシズムの歴史家として名高いレンツォ・デ・フェリーチェは、1960年代にムッソリーニの日記と称するものが偽物であることを見破ったという。おそらくはアンジェロ・リッツォリから現物を見せられて、デ・フェリーチェは「日記」に取り組んだ。

そこに書かれているエピソードなどは真実味があった。最初の疑いは、i の字のカーヴが、通常のムッソリーニの筆跡と異なることだった。

それだけでは不十分で、デ・フェリーチェは日記に今日はいい天気だったという記述が多いのに気づき、空軍の記録と突合せた。そこで、日記との不一致を明らかにして、気象の記述のでたらめさから、偽物であることを突き止めた。

こうした事件が以前に何度もあるため、懐疑的な専門家も多いのだが、マルチェッロ・デッルートリ議員や、統帥の孫アレッサンドラ・ムッソリーニは、今回の5冊の手帳が本物であると信じている。

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フィレンツェに路面電車?

Firenze_sirio0320bis フィレンツェの中心部にトラム(路面電車)を通すかで論議が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月12日)。

三つの路線が計画されており、空港や、アルノ川の向こう岸などと歴史的中心部を結ぶ予定。

このうちLinea 2が、ドゥオーモ広場、洗礼堂のすぐそばを通ることになりそうなので、もめている。

新たな路面電車は全部で46キロメートルになる。このプロジェクトに関わる市町村はフィレンツェだけでなく、スカンディッチ、バーニョ・ア・リーポリ、セスト・フィオレンティーノも関わる。

総工費は5億300万ユーロ(800億円)の見込みで、運輸省と関係市町村が支出する。

Linea1は2005年からすでに工事中である。

この路面電車は、幅2,4メートル、高さ3,3メートル、長さ32メートル、価格190万ユーロ(3億円)で、202人の乗客を乗せ、時速20キロで走る。最高時速は50キロ。予定されている駅は40。

車両を製造するのは、ピストイアのアンサルド・ブレーダ社で、デザインはピニンファリーナ社。

予備計画は、2000年にフィレンツェのコムーネ(市)によって承認されたものである。

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ヨーロッパにおけるカトリック

ヨーロッパにおけるカトリックの比率が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月12日)。

元の記事は、ポルトガルでの中絶法をめぐる国民投票。結果は、投票率が40パーセントで、投票自体が有効となる最低投票率の50パーセントを下回ってしまった。

中絶を処罰の対象からはずすことに賛成が59パーセント、反対が41パーセントであった。

それにちなんで、D’arcoのデータとしてヨーロッパにおけるカトリックの比率が紹介されている。

50パーセント以上の国
イタリア   96%
マルタ    93,5%
ポルトガル 92,2%
スペイン  66,7%
フランス   76,2%
オーストリア73,6%
スロヴェニア57,8%
ハンガリー 63,1%
スロヴァキア68,9%
ポーランド  90,7%
リトアニア  57,8%
ベルギー  87,9%
ルクサンブルグ95,2%
アイルランド 88,4%

カトリックが25~49%の国
オランダ   31,9%
ドイツ    32,6%
チェコ    26,8%

カトリックが10~24%の国
ラトビア   14,9%

カトリックが10%以下の国
イギリス   9,8%
デンマーク 0,7%
スウェーデン1,8%
フィンランド 0,2%
エストニア 0,5%
ルーマニア 5,6%
ブルガリア 0,6%
ギリシア  0,5%
キプロス  1,5%

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2007年2月17日 (土)

ムッソリーニ文書

Mussolini1 ムッソリーニの日記がスイスに保管されていることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

ムッソリーニの最期はスイスに逃亡しようとするところを、パルティジャーニ(パルチザン)に発見されて、処刑されたのだが、そのパルティジャーニの1人がムッソリーニの手帳を保管していたらしい。

フォルツァ・イタリア党の上院議員マルチェッロ・デッルトリは、語る。「去年の夏、ある公証人から(スイスの)ベッリンゾーナに呼び出された。そこで5冊のムッソリーニの手帳を見た。備忘録で、毎日つけてあり、1935年から1939年までを扱っている。当時の赤十字の手帳だ。数時間、ページをめくって読んだが、大きな感動を覚えた」。

デッルトリ議員はこの手帳の由来を語る。「最近亡くなった人物の所有物だった。彼はムッソリーニを逮捕したパルティジャーニの1人で、統帥が持ち歩いていたものの一部を自分の物にしていたわけだ。歴史家には知られていた人物だが、私は名前は挙げない」。

「手帳はカバンの中にあった。たぶん他の手帳もあったのだろうが、消えてしまった。手帳がスイスにあったのは、所有者の二人の息子がスイスに住んでいるからだし、彼自身も1945年以降にスイスの市民権を得たのだと思う」。

デッルトリは、本格的蔵書家だが、その信憑性には疑いを抱いていない。「保存状態は最高だ。それが本物であるという証拠もある。それにムッソリーニの字体は、日記で、少し雑だが、はっきりそれと認めることが出来る。備忘録は1939年12月まで、ドイツのポーランド侵攻の前夜までだ。相続人との間にいくつか問題はあるが、この日記はまもなく出版されるだろう」。

内容について驚いたことは、と聞かれて、デッルトリは「戦争を避けたいという意思があったことだ。ムッソリーニの戦争に対する態度は、1939年まで否定的だった。彼ははっきりと、戦争を望まないと書いている。戦争を避けるために、あらゆることをしている」。

「多くの名前、姓が出てくる。ファシスト幹部についても、おどろくほど否定的な評価を下された人もいる」。

これらの手帳の信憑性については抵抗運動史の専門家クラウディオ・パヴォーネやデニス・マックスミスのように本物である可能性はあるとする人(possibilista) と、歴史家ジョヴァンニ・サッバトゥッチやヴァレリオ・カストロノーヴォのように懐疑的な人がいる。過去20年にムッソリーニの「文書」と称するものはたくさん「発見」されたが、ほとんどが偽物だったからだ。

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欧州議員の2人に1人が肥満傾向

Europarlamento_1 欧州議員の2人に1人が過体重か肥満であることが判った(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

欧州議会28年の歴史で初めて、議員のウェスト、体重、身長などの身体測定が実施された。

これは、ミラノ大学心臓脈管系研究所の呼びかけで、欧州議会副議長のマリオ・マウロが同意して行ったもの。計測は、1月31日と2月1日に実施されたが、ブリュッセルの欧州議会ではおりしも肥満対策が議論されていたのである。

計測を受けたのは議員が100人、アシスタントが439人。

議員の33%は高血圧で、5人に1人は喫煙者。運動不足の人が多く、スポーツをする人は45%。

過体重および肥満の比率が高いのは、ベルギー、イギリスとドイツ、ポーランド、イタリアは5位。逆に低い方は、バルト諸国、スペインとポルトガル、フランス。

喫煙者が多いのは、スペイン、ギリシア・キプロス。少ないのは、北欧、イタリア。

運動をしないのは、イギリス、ポーランド、ドイツとベルギー、イタリアは5位。運動をする方は、バルト諸国、スペインとポルトガル、オランダとフランス。

ちなみに、イタリア人欧州議員で検査に応じた人の身長・体重は以下の通り:

ジョヴァンニ・ベルリングェル(83歳)1,72m、70kg(標準体重)
ヴィットリオ・プローディ(70歳)1,75m、76kg(標準体重)
マリオ・マウロ(46歳)1,82m、87kg(過体重)
アントニオ・タヤーニ(54歳)1,76m、88kg(過体重)

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ナポリターノ大統領、フォイベの悲劇を直視

Foiba 300pxfoibe_seats

ジョルジョ・ナポリターノ大統領が、第二次大戦末期に起こったフォイベの悲劇とダルマチアからのイタリア人の脱出について言及した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月11日)。

フォイベ(単数形はフォイバ、鍾乳窩と呼ばれるすりばち状の穴)はトリエステからクロアチアの山岳地帯に出来た深い穴で、その深さは数百メートルに及ぶものもある。

ただし、トリエステ郊外のバソヴィッツァのフォイバのように人工的につくられた鉱山の井戸の場合もある。

1943年の9月以降、悲劇は起こった。数千のイタリア人が「人民の敵」として、ティトー派のパルチザンに迫害され、銃殺され、消されたのである。

1943年9月、イストリアとダルマチアで、ファシズム協力者とみられたイタリア人の殺害が始まった。

1945年5-6月、トリエステの解放後、町はティトー軍の管理下にあった。元ファシスト、反ファシストが、ユーゴスラヴィア拡張の妨害になるものとして拘束され、銃殺され、消された。

犠牲者は、1万から1万5千人と言われるが、確かな数ではない。フォイベからは、遺体が発見されている。

これまで、この悲劇は、あまり語られることが無かった。ナポリターノ大統領は「沈黙の陰謀」であったとしている。

大統領は、「われわれは沈黙すべきではない。これまで、イデオロギー的偏見や政治的無思慮のために、真実を否定したり、無視しがちであったり、外交的計算や国際的便宜のために除去してきた責任を負うべきだ」と述べた。

2005年から、2月10日(パリ講和条約調印の日)は、フォイベの犠牲者記念の日となっている。

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2007年2月16日 (金)

法王、Dico に懸念

Benedetto_16法王ベネデット16世は、Dico(イタリアの事実婚に関する法案)に懸念を表明した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月10日)。

ヴァティカンの日刊紙 Osservatore Romano は「痛手を負った家族:“Dico”がやってくる」という見出しをつけた。

法王も、コロンビア大使との会見で、非常にデリケートな問題に関する法律に対しての懸念を表明した。

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2007年2月15日 (木)

パリ講和条約60年

Sara_lorenzini Marina_cattaruzza             

                      

イタリアの第二次大戦を終結したパリ講和条約から60年を記念して、二冊の関連図書が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月9日)。

60年前の1947年2月10日、イタリア大使アントニオ・メーリ・ルーピ・ディ・ソラーナは、オルセー宮殿の一室で、パリ講和条約に署名した。

イタリアからは、イストリア、フィウメ、ポーラ、ザーラ、アドリア海のいくつかの島、アルプス地域でイタリアの北西部の小さなコムーネ(ブリーガとテンダ)を取り上げるものだった。

イタリアでは、国中が喪に服した。半旗がかかげられ、大扉も半ば閉めた状態にされた。すべての労働者のストライキが、10分間、署名の時間に合わせて宣言された。

11時にサイレンが鳴らされた。全員が立ち止まり、沈黙が訪れた。

キリスト教民主党の日刊紙《Il popolo》の一面には、大きな文字で、「ローマのすべての人民は、威厳ある抗議に一致して参加。パリではイタリアの手足がもぎとられた」と書かれた。

以上は、サラ・ロレンツィーニの「イタリアと1947年の平和条約」(Mulino, 218ページ、12ユーロ)からの引用である。

7ヶ月後の憲法制定議会では、条約の批准について議論された。ベネデット・クローチェは断固として反対だった。

フランチェスコ・サヴェリオ・ニッティは、すぐに批准するのは適当でないとし、国連やマーシャル・プランを批判した。

トリアッティは、政府とマーシャル・プランへの参加を批判した。

デ・ガスペリのみが、どんな犠牲を払っても、講和が必要だと考えていた。

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2007年2月14日 (水)

Pacs ではなくて Dico に

Bindy_pollastrini事実婚に関する法案で、事実婚を指す言葉が Pacs ではなくて、Dico になった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月9日)。

Pacsはもともとフランス語で(Patto civile di slidarieta' 市民連帯協約)であるが、これが昨年5月総選挙の選挙公約の中では、Unioni civili という名に変わっていた。

今回の Dico は Diritti e doveri delle persone stabilmente conviventi (安定的に同居する人々の権利と義務)ということである。

このDicoによって、同性カップルもふくめて、成人の同居カップルに種々の権利が付与される。相続、年金、公的住宅に入居する権利など。

ビンディ大臣によれば、これらはすべて新規に規定されるのであって、婚姻カップルと同一のものではない。

事実婚を宣言するためには、戸籍役場(anagrafe)に行かねばならないが、二人が同時に行く必要はない。

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血のパスクワ

Pasque_di_sangue アリエル・トアフ著『血のパスクワ』

アリエル・トアフ著『血のパスクワーーヨーロッパのユダヤ人と儀式としての殺人』が、ユダヤ人社会に激しい議論を巻き起こしている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日、7日、8日)。

この本の著者アリエル・トアフは、有名なローマのラビ、エリオ・トアフの子息であるが、この著作の中身が、ユダヤ人のタブーに触れたため、父親も息子に対する厳しい批判に加わった。

本書の主題は、中世において、ユダヤ教の過ぎ越しの祭り(Pesach)(キリスト教の復活祭に相当)に、ユダヤ人がキリスト教徒の子供を誘拐して殺して、その血を儀式に用いたという「伝説」を扱っている。

1475年3月23日に、トレントで、過ぎ越しの祭りの前夜に、シナゴーガ(ユダヤ教寺院)のそばで、シモーネという子供の死体が発見された。シモーネは2歳で、皮なめし職人の息子だった。

ユダヤ人たちが疑われ、牢獄に入れられ、拷問の結果、恐るべき犯罪を「自白」した。

「犯人」の15人のユダヤ人は、広場で公開処刑された。

中世から19世紀まで、ユダヤ人は、儀式のためにキリスト教徒の子を殺すと言われていた。

トアフの本がユダヤ人社会に衝撃を与えたのは、次の点だ。トアフは、12~15世紀には、ドイツ系ユダヤ人の一部には、過ぎ越しの祭りの儀式で用いる血を得るため、キリスト教徒の子供を殺したこともあっただろうとの記述である。

トアフは、イスラエルのバリラン大学の中世およびルネサンス史の教授である。

それに対し、ユダヤ系の宗教人は一斉に反論した。その非難に、著者の父エリオ・トアフも加わったのである。

トレントの事件で亡くなったシモーネ(シモニーノ)は、福者として1965年まで崇められていた。第二ヴァティカン公会議をうけて、中止されたのである。

著者アリエル・トアフは、92歳の父をこの論難に巻き込むのはやめてくれと訴えている。また、自分が脅迫を受けていることも示唆した。

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プローディ、事実婚への決意

Pollastrini20foto バーバラ・ポッラストリーニ機会均等大臣

司教の新聞 Avvenire が社説で事実婚に関する法案を受け入れられないとしたのに対し、プローディ首相が反論した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月7日)。

イタリア司教会議のつきつけたノーに対し、法案をつくりあげたビンディ家庭相とバーバラ・ポッラストリーニ機会均等相は、一致して法案を擁護した。

プローディ首相もこれに加わり、「個人の権利に関する選択に関しては、教訓は受け入れない」とした。

司教会議側が見出しで、Non possumus (カトリック教会の権威に基づく不認可)と書き、記者たちからそれに対するコメントを求められたところ、カトリックであるビンディ大臣は「私はラテン語を知らない」と切り捨てた。

プローディは、「我々の民主主義は、教訓ではなくて、刺激を必要としている」と述べた。

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2007年2月12日 (月)

イタリアの銀行口座は、維持費が高すぎ

Catricala01p_1 アントニオ・カトリカラ競争・市場保護委員会委員長

イタリア銀行に続いて、競争・市場保護委員会(Autorita' Antitrust) も、イタリアの銀行の口座維持費が高すぎると指摘した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

口座開設者は、平均で、一年182ユーロを支払っており、他のヨーロッパ諸国よりずっと高額である。

当座預金口座維持費は、オランダは35ユーロ、ベルギーは65ユーロ、イギリスは99ユーロ、スペインは108ユーロと様々である。

競争・市場保護委員会は「イタリアのシステムは、競争力がない」と批判している。

イタリア銀行協会(Abi)は、口座に含まれるサービスが同一ではないので直接比較は出来ないとしながらも、検討を約束した。

より経済的なのは、オンラインの口座で、60%安い。

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2007年2月11日 (日)

事実婚をめぐるアンケート

Pacs_unioniPacsおよび事実婚のカップルに、婚姻関係にある夫婦に認められた権利を拡張するかいなかが、イタリア中で議論されているが、コリエーレ紙が世論調査を実施した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

ほとんどの人が自分の意見を表明し、「わからない」という回答は少なかった。

この調査は、2007年1月26日に実施されたもの。

過半数の人、特に若年層は、事実婚カップルにいくつかの権利を付与することに賛成している。カトリックで、教会に定期的に行っている人のグループでさえも、賛成は過半数となっている。

ただし、権利によって、より賛成が多いものと、少ないものがある。

大多数の賛意を得たのは、病気のときの看護の権利を付与すること。また、年金や相続、同居が終わった時の経済的援助に関しても、過半数の同意があった。

ただし、この原則は、ゲイ・カップルに関しては、はっきりと賛成の割合が減る。偏見はいまだに広範なものであり、51%の人が、同性カップルを法的に認めるのは、適切でないと考えている。

アンケートの個々の質問に対する回答は次の通り:

あなたは、夫婦の権利を、結婚しないで同居しているカップルにも認めることが適切だと思いますか?

すべての権利を認める 47%
権利によっては認める 30%
まったく認めない     21%
わからない         2%

同じ質問を、教会に定期的に行くグループ (i cattolici praticanti) に限定すると次の割合になる。

すべての権利を認める 33%
権利によっては認める 43%
まったく認めない     22%
わからない         2%

あなたは、夫婦の権利を、同性の同居しているカップルに認めることを適切だと思いますか?

すべての権利を認める 19%
権利によっては認める 28%
まったく認めない     51%
わからない         2%

同じ質問を、教会に定期的に行くグループに限定すると次の割合になる

すべての権利を認める 7%
権利によっては認める 23%
まったく認めない     68%
わからない         2%

結婚しないで同居しているカップルに次ぎの権利を与えることを適切と思いますか。

病気のときに、看病したり、病院につきそう 
             85%
パートナーが病気の時に、仕事の休暇を申請する
             81%
同居者が服役中に、面会の機会を夫婦と同じ回数認める
             79%   
同居者が死亡したとき、同居者所有のアパートに住み続ける            75%
同居者が死亡したとき、同居していた不動産の契約の後継者になる        71%
同居者が亡くなったとき、遺族年金をもらえる
             65%
パートナーが亡くなったとき、法律で定めた比率の遺産を受け取る        65%
同居を解消した際、必要な場合には、経済的援助をパートナーから得る     63%      

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イタリア北部、スモッグのため交通制限

Smog イタリア北部の5つの州が2月25日、大気汚染を減らすために、交通制限を実施する(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

ピエモンテ、ロンバルディア、ヴェネト、エミリア・ロマーニャの4州の知事と、トレント県およびボルツァーノ県知事が、25日の8時から20時まで、ガソリン車、ディーゼル車でEuro 4 を満たす自動車を除き、すべての自動車の通行を制限することで合意した。

法律では、PM10(10ミクロン以下の微粒子)が大気中1立方メートルあたり50ミクログラム(ミクログラムは100万分の1グラム)を越えてはならないことになっている。

各都市は、上記の基準を超える日が35日以上あってはならないのであるが、多くの都市は、2月はじめにして、すでに上限に近づいている。

上限を越えた日数は次の通り

ピエモンテ州:
トリノ        26日
アレッサンドリア 20日
ヴェルチェッリ  19日
ビエッラ      18日

ロンバルディア州:
ブレーシャ     22日
ソンドリオ     22日
ミラーノ       21日
コーモ       20日
ベルガモ      18日
マントヴァ     18日
レッコ        18日

エミリア・ロマーニャ州
ボローニャ     21日
フェッラーラ     20日
モデナ        18日
レッジョ・エミーリア 18日

トレンティーノ・アルト・アディジェ州
トレント        21日

ヴェネト州
ヴェローナ      27日
ヴェネツィア     26日
パドヴァ        25日
トレヴィーゾ     22日

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2007年2月10日 (土)

イタリア女性と性

_sessoitaliane ヨーロッパで性的にもっとも活動的なのは、イタリア人女性であることが調査で明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月6日)。

調査を実施したのは、ヨーロッパ避妊協会で、14ヶ国の1万1490人の15歳から49歳の女性が対象である。

それによると一週間に一回以上の性的関係を持つ人の割合は次の通り

イタリア人女性 59%
チェコ人女性  57%
ロシア人女性  56%
フランス人女性 55%
スペイン人女性 54%
オーストリア人女性 38%

イタリア人女性がトップなのであるが、ピルを使用しているイタリア人女性は29%。

「初めて」の際に、何も避妊措置をしていないイタリア人女性は30%にものぼる。

避妊法に接近する年齢はイタリア人女性が早いわけではない。ドイツや北欧では16歳であるのに対し、イタリアは20歳である。ヨーロッパの平均は18歳。

性的行動の活発さは、出産とは結びついておらず、ヨーロッパで初産の平均年齢は25歳であるが、イタリアでは3人に1人は30歳である。

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安全基準を満たしたスタディオ

Artemio_franchi_siena_a アルテミオ・フランキ(シエナ)

カターニャでの警官死亡事件を受けて、サッカー場(スタディオ)の安全性の検討が行われたが、基準を満たしているのはわずか9つに過ぎないことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月5日)。

基準を満たしていたのは、6つでローマ、トリーノ、ジェノヴァ、パレルモ、メッシーナとシエナである。

その他に、許可が出たのは、カリアリ、ミラーノとパルマの3つ。

それ以外のスタディオは、基準を満たしていない。

基準に必要なのは、回転ドア、監視ヴィデオ、階段席の仕切りなどである。

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2007年2月 9日 (金)

イストリアの悲劇

Norma_cossetto ティトーのパルチザンの犠牲者ノルマ・コッセット

第二次大戦末期にイストリア地方のイタリア人に起きた悲劇についての本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月4日)。

タイトルは Foibe rosse (赤い鍾乳窩)、著者はフレディアーノ・セッシ。

イタリアの北東部、トリエステから旧ユーゴのイストリア、ダルマチア地方にかけては、その領有権を双方が主張していたところで、そういった地域の一つでノルマ・コッセットの悲劇は起こった。

彼女は、1943年10月4日、ティトー派のパルチザンに拷問され、犯され、生きたまま鍾乳窩(フォイバ)に投げ込まれたのである。

似た事件は数多く起こったのだった。一種の民族浄化である。

これまで、こうした地域のイタリア人の悲劇は、戦後の反ファシストの共和国という立脚点から、あまり積極的に語られずにきた。

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イタリア文化会館の色論争再び

Italia2 東京で、イタリア文化会館の色をめぐる論争に再び火がついた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月3日)。

読売新聞グループ本社会長で80歳を越えた渡辺恒雄氏は、ジャパン・プレス・クラブでのマッシモ・ダレーマ外相の会見で、イタリア文化会館の赤い色が、靖国神社の近くの聖域にふさわしくないという趣旨の発言をした。

これに対するダレーマ大臣の回答は次の通り。

「個人的見解だが、あの建物はとても美しい。私はガエ・アウレンティ(イタリア文化会館の建築家)を尊敬しています。あのプロジェクトは、法にのっとって行われました。住民の訴えはじっくりと検討しましょう」

「しかしイタリアには、著作権法があります。偉大な建築家の設計した建物は、絵画のようなものなのです。政府が勝手に色を変えることはできません。建築家と合意した解決法が必要です・・・」

こうした論争に対し、79歳の女性建築家のガエ・アウレンティは、ミラノから返答した。

「私は、10月に一週間、東京に行きました。渡辺氏ともイタリア大使館で会いました。彼は(赤い)反射のことを指摘しましたし、都市景観法のことも考えるように求めましたが、この法律は、建物が出来てから実施されたのです」

「私は、いくつかの階に植物の緑を付け加えるよう提案したのですが、建設会社が受け入れなかったのです」

「赤い色は変えません。漆の赤は、わざわざ日本人のために選んだのです。それに変更するとしたら、誰が費用を負担するのですか?」

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サッカー暴動で、警官死亡

Catania_scontri2_inf200x200 シチリアのカターニャで、サッカーの試合中、暴動が起こり38歳の警部フィリッポ・ラチーティが爆竹の爆発で死亡した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月3日)。

この日の試合は、カターニャ対パレルモ。この衝突で、100人以上の負傷者が出て、もう1人の警官も重傷を負った。

9人が取り調べを受けた。そのうち4人は未成年。

サッカー連盟の代表委員ルーカ・パンカッリはセリエAの全試合を中止した。

内相アマートやスポーツ大臣メランドリは、ウルトラと呼ばれる過激なファンの取締りを厳しくする方針を語った。

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メノッティ、死去

Menotti 作曲家のジャンカルロ・メノッティが亡くなった。95歳だった(コリエレ・デッラ・セーラ、2月2日)。

メノッティは、1911年、ヴァレーゼ県のカデリアーノ生まれ。1937年に作曲として「舞踏会のアメリア」でデビュー。

1958年、スポレートの二つの世界音楽祭を創設した。

一幕もののオペラ「電話ー三角関係」が有名。

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イタリア人のコカイン使用増える

G_amato_0102_07 ジュリアーノ・アマート内相

アマート内相は、あまりに多くのイタリア人がコカインを使用していると警告した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月2日)。

2006年度の正式な統計は12月分の集計が終わっていないので、正確な数値は出せないが、おおまかな所では、2006年に押収されたコカインの量は、過去25年で最高である。

一ヶ月にほぼ300㎏が押収されているのである。押収されるのは、実際の使用の氷山の一角であると考えられる。

イタリアでのコカインの売買は、1グラムあたり50~100ユーロだという。

イタリア人100人あたり7人が使用経験がある。

イタリアはヨーロッパで、コカインの使用量が、イギリス、スペインについで第三位。

世代別にみると、15から34歳にもっとも広まっている。

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アメリカ基地拡張で与党割れる

Base_usa ヴィチェンツァの米軍基地拡張をめぐる投票で、与党の中から上院議員10人が投票に参加せず、4人は棄権した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月2日)。

その上、野党側の提出した動議が可決され、野党は大いに興奮し、首相に「辞任、辞任」とはやしたてた。

プローディ首相は、与党の首脳会議を招集した。

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2007年2月 8日 (木)

ベアトリーチェ・マジーニ『ドロドロ戦争』

Dorodoro ベアトリーチェ・マジーニ(作)・長野徹(訳)・アドリアーノ・ゴン(絵)『ドロドロ戦争』(汐文社)を読んだ。

「イタリアからのおくりものー5つのちいさなファンタジア」というシリーズの一冊。シリーズ名からも判るように、ファンタジーの要素がある。

男の子3人とステッラという女の子は、秘密の隠れ家を持っている。そこへ不思議な生き物ドロドロが現れ、子供たちも地上から地中の世界へ引き込まれて、脱出できなくなる。

少年・少女と異界の生物の交流が起こるのだが、そこにホームレスの男が加わる。得体が知れないが、悪い男ではなさそう。

しかしこのドロドロという生き物を、ゴミ処理場でこきつかって、金儲けをしているプジンという企業家がいる。この少年・少女たちと、ドロドロという生き物と、プジンという企業家の三つどもえで、話は展開する。

プジンには、子供時代にドロドロを恐れていたという過去がある。

ファンタジーなのだが、エコロジー、企業活動も入ってきて、子供は、不思議な生き物との冒険譚をたどりつつ、ゴミ問題や都市開発、それをめぐる利権みたいなものについても考えることになる仕組みである。

作者のベアトリーチェ・マジーニは、作家になる前には、日刊紙 Il Giornale などでジャーナリストとして働いた経歴を持つと知ると、そういった構成にも納得がいくかもしれない。

意外なところで、ヴェルディのオペラ『イル・トロヴァトーレ』に似ている、という感想を持った。 作者が意識しているかどうかは不明だが。

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ベルルスコーニ、ヴェロニカ夫人に謝罪

Veronicalariofotodpa ベルルスコーニとヴェロニカ夫人

ベルルスコーニの夫人ヴェロニカが、日刊紙レプッブリカに公開書簡を発表し、女性関係で謝罪を求めたのに対し、元首相は謝罪の手紙を書いた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月1日)。

レプッブリカに夫人の公開書簡が掲載されると、そのニュースはテレビ放送、インターネットで瞬く間に広まった。

ヴェロニカ夫人の怒りは、ベルルスコーニのがパーティなどでタレントや元タレント議員に甘い言葉をかけていたことに発しているらしい。

元首相の謝罪がみのり、夜には、子供たちもふくめ一家そろってマケリオの別荘で夕食をともにした。

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事実婚法案、下院を通過

Bindy_1 事実婚に関する法案が下院を通過した(コリエレ・デッラ・セーラ、2月1日)。

下院では8つの動議が提出されたが、与党の Unione の提出のものだけが、賛成301票、反対206票、棄権10票で可決された。

与党ではあるが、マステッラ率いるUdeur (欧州民主主義連合)は、この法案に反対し、独自案を二部にわけて提出したが第一部も第二部も否決された。

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フィアット、「ブラーヴォ」の挑戦

Bravo1 フィアットはフォロ・イタリコで新車ブラーヴォのお披露目を盛大に催した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

ブラーヴォは、欧州でセグメントCに分類される。セグメントCは、より小さなセグメントBと、より大きなセグメントDの中間である。4人乗車が可能なセダンで、全長・全幅が4500mmまでの車種。ハッチバックタイプで4200mmまでの車種であるという(Wikipedia を参照しました)。

このセグメントCには、他メーカーの強力な競合車種がひしめいておりきびしいマーケットである。

フィアットは、最低12万台の売り上げをめざす。

お披露目会は、フォロ・イタリコを会場に、800人のジャーナリストと800人の販売店関係者を招待して開かれた。

会場で、モンテツェーモロ会長は、モトGP(バイクのレース)でヤマハおよびヴァレンティーノ・ロッシのスポンサーになるだろうとの見通しを語った。公式発表は遠くないらしい。

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2007年2月 7日 (水)

イタリアワイン、アメリカで売り上げ上昇

Vino_negli_usa アメリカでのイタリア・ワインの売り上げが過去最高を記録した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

2006年アメリカでの売り上げが、2億リットルを越えた。100リットル(ettolitro) を単位にしているので、200万エットリトリを越えた。

1975年には、3600万リットルをアメリカに輸出していたに過ぎないのであるから、この間、6倍に増えている。

2006年における、アメリカでの輸入ワインのシェアは以下の通り。

イタリア 2億1229万リットル
      30,7%
オーストラリア 2億103万リットル
      29%
フランス 9780万リットル
      14,1%
チリ    5072万リットル
      7,3%
アルゼンチン 3444万リットル
      5%

一方、フランスは、1983年に2億4000万リットルの最高記録をつけ、2億4300万ドルの売り上げを誇ったが、1991年には、7010万リットルに落とした。政治が商売に影響を与えたのである。

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移民法の再検討

Immigrati_in_coda ジュリアーノ・アマート内相は、移民に関する法律ボッシ・フィーニ法の改定を2007年度中に実施する見込みだ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月31日)。

1990年以降の移民法の経緯は次の通り:

1990年 マルテッリ法により、21万7626人の移民が合法化されたが、すぐに不十分と判明する。国外追放命令をうけたものの10%しか実施されなかった。

1995年 ディーニ内閣の暫定措置例(decreto legge) により、移民に関する新たな合法化の基準が設けられた。24万4492人の不法移民が合法化された。

1998年 トゥルコ-ナポリターノ法により21万7124人が合法化された。国境への連行や「危険人物」の国外退去を含んだ入国管理の強化がされた。

2002年 ボッシ-フィーニ法により約65万人が合法化された。滞在許可が、労働契約と結びついたので、国外退去が増加した。

現在、アマート内相が目指しているのは、ボッシ-フィーニ法の解体である。

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ダンテの伝記

Dante_orvieto バーバラ・レノルズの著わしたダンテの伝記が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

コリエレ紙の記事は、TLS (Times Literary Supplement という書評紙)で「麻薬を使用していたダンテ」という本タイトルで、この伝記が書評紙に紹介されたことを告げている。

タイトルは、Dante: The Poet, the Political Thinker, the Man (出版社は、イギリスでは I.B.Tauris, アメリカでは Shoemaker e Hoard).

約500頁の大部なもの。その中の数ページにダンテは大麻を吸っていただろうと示唆する部分がある。しかし、ダンテが夢想的なヴィジョンを視るために大麻を使用したかもしれないというのは、著者バーバラ・レノルズにとっては、最も大きな発見ではない。

この考えに同意見でない書評者もTLSの書評者 Peter Ainsworth をはじめ多数いる。

バーバラ・レノルズは、英米のイタリア文学者でもっとも著名な1人。彼女の『神曲』の翻訳(一部はドロシー・セイヤーズと共訳)は英語圏でもっとも良く読まれている。

また、ケンブリッジ大出版局から出ている二巻本の伊英辞典の編者でもある。また彼女の93歳という年齢も驚きを増加させている。

レノルズは53章にまたがって、様々なことを論じているが、遺骨からダンテの身長は1m64㎝か1m65cmだと推定し、頭蓋骨から彼の脳は1470グラム(平均よりは重い)としている。

しかしレノルズ自身は、大麻よりも、次のような解釈を自分の発見として重用視している。『神曲』の地獄篇の第一歌の猟犬(Veltro) のフェルトロとフェルトロの間にという記述は、紙の生産が二つのフェルトの間からなされるようになった(ファブリアーノでは1276年から、ボローニャでは1298年から)こととする。

ダンテがここで言及している力は、書かれたテクストや市民法のことであるとしている。

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2007年2月 6日 (火)

イタリア、喫煙者増える

Fumatore 2006年のイタリアのタバコの売り上げが、わずかながら上昇に転じた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

売り上げは、前年に較べ1,1%上昇した。2003年から2005年にかけては減少していたのが、反転した形だ。

イタリアでは、2年前の1月から前厚生大臣ジローラモ・シルキアの名を冠した法律が導入された。

現在、イタリアの喫煙者は1400万人で、人口の26,2%。その62,9%の人は、もしタバコが1箱5ユーロ(750円)になったら禁煙するか、本数を減らしたいと考えている。

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2007年2月 5日 (月)

滞在3ヶ月未満は滞在許可証が無くなる?

Cpt1 イタリアで、滞在3ヶ月未満なら滞在許可証を無くそうという議論が起こっている。発端は、CPTを廃止することを勧告した内務省委員会の報告書である(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

Cpt は Centro di permanenza temporanea の略号、一時滞在センターということになろうが、実態は収容所に近いようだ。

内務省のCpt委員会が、最終報告書を提出し、すべてのCptは閉鎖すべきだとしたのである。報告書の内容は以下の通り。

それによると、Cptは徐々に、受け入れセンターに移行すべきである。

また、そもそも元囚人、人身売買の犠牲者、子供や未成年者のいる女性などは、Cptに入れるべきでない。

以前は滞在許可証を持っていたが、期限切れとなってしまったヘルパーは、正規化すべきである。

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アリタリア民営化で、買い手に名乗りをあげた11グループ

Alitalia_privatizzazione アリタリアの民営化で、現在イタリア政府が所有する49,9%の株式を30%以下まで減らす計画だが、その買い手として11のグループが手をあげた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月30日)。

まず、M&C(Management & Capitali) とカルロ・デ・ベネデッティで、彼らは、ゴールドマンサックスと組んでいる。

Air One (イタリアの民間航空会社)を持つカルロ・トートと AP Holding で、彼らは、Banca Intesa と組んでいる。

三つ目は、アレッサンドロ・プロフーモ率いる投資銀行UBM。

四つ目は、ロンドンの《Wonders & Dreams》の所有者であるパオロ・アラズラキ。

アメリカのファンド、Texas Pacific Group.

l'Unione Piloti が Net Present Value と組んで。

フォルリの会社 Porcellana Castello (磁器の会社)。

ファビオ・スカッチャー航空工学の教師だが、一市民としての怒りから、お金はないが、「挑発」として応札しているという。

他に三つある。

エール・フランスは今のところ、応札していない。

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三輪スクータ、売り上げ快調

Piaggio_mp3_ac4mz Piaggio_mp3_ac2mz

2006年にデビューしたピアッジョの三輪スクータは快調な売り上げを示している(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

2006年はまず125cc  のものがデビュー。排気量が小さいものは16歳から乗ることができる。

革新的な前2輪、後1輪の3輪スクータは、5ヶ月で、すでに1万台の注文を受けたという。

信号では、ボタンを押して、足は地面につかなくても良いのだ。

Piaggio MP3 125 の値段は、4699ユーロ(約70万円)。時速103キロまで出る。単気筒で、Euro3 を満たしている。バイクの排気ガスもきれいになってきた。

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教室での携帯使用は、いけません

Cellulare公教育大臣フィオローニが、教師に対して、授業中の、教室での携帯電話の使用を禁じるように呼びかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月29日)。

電話やメールはもちろんのこと、撮影やゲームをするのもいけない。

インターネットを使用したいじめもこれで未然に防ぐことになる。授業中の携帯禁止は、すでに存在していたのだが、実効性を持たせるのがねらい。

12歳から19歳の若者は、98,7%が携帯電話を所有している。そのうち、10,5%は2台以上所有している。24,4%は、テレビ電話機能がついている。

7歳から11歳の子供では、54%が携帯電話を所有している。そのうち48%は、写真やヴィデオを撮ったりするのにも使用している。2,1%は、2台以上所有している。

授業中の教室での携帯電話の禁止措置は、1998年8月に遡る。当時、通達を出したのは、ルイージ・ベルリングェル公教育相。しかし、これは教師に対するもので、当時は、生徒の間には携帯が広まっていなかったのである。

2001年に、ベルリングェルは、二度目の通達を出した。今度は、校長に対して、生徒の間に広まる悪習を阻むよう呼びかけるものだった。

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2007年2月 3日 (土)

欧州選手権、コストナー優勝

Kostner フィギュアスケートの欧州選手権でカロリーナ・コストナーが優勝した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

コストナーは新たなルックスと衣装でワルシャワの審査員を魅了した。

新しいのは前髪で、切ったのは、フランコ・クルレットというトリノの美容師。うしろの髷には、二本のスパンコール付きの簪(かんざし)のようなものがさしてある。

コストナーはフリーの音楽に「サユリ」(Memorie di una geisha) のサウンド・トラックを選んでいるので、そのイメージがあるのだろう。

衣装は、胸の模様が東洋的で、スカート部分は、ダチョウの羽を一枚一枚、手で縫ったもので、Cavalli というメーカー。

結果は、1位がコストナーで174,79。2位がスイスのマイヤーで171,28。3位がフィンランドのコルピで、151,19であった。

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法王、教皇庁控訴院を批判

Sacra_rota 法王ベネデット16世は、教皇庁控訴院を批判した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月28日)。

法王によれば、婚姻は、解消しえないものであり、多くの信者をも汚染し、婚姻関係の危機に責任のある「文化的相対主義」に対立するものである。

教皇庁控訴院(Sacra Rota) は婚姻の無効(婚姻が何らかの理由で成立していなかったと認めること)の訴えるカップルが増加し、それを認める判例も増えていることに対し、法王は批判したのである。

有名なカップルの例としては、次の夫妻がいる。ヴィットリオ・ガスマンとノーラ・リッチ夫妻。婚姻無効は1967年に教皇庁控訴院で認められた。彼らは、1944年に結婚した。

イレーネ・ピヴェッティとパオロ・タランタ。1988年に結婚したが、彼女が「子供を欲しがらない」という理由で無効を訴える。1997年に無効が成立、ピヴェッティは、教会で、アルベルト・ブランビッラと結婚した

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ベルルスコーニ、後継者にフィーニを指名

Berlusconi_fini ベルルスコーニ元首相は、自分の後継者にジャンフランコ・フィーニを指名した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月27日)。

ベルルスコーニは、もし中道右派がまとまって自由党を結成するとしたら、そのリーダーとしてはフィーニ(国民同盟の党首)がもっともふさわしいと述べた。

これに対し、北部同盟やキリスト教民主連合からは、苛立ちの声が聞こえる。

中道右派の辿ってきた軌跡は次の通り:

中道右派は、1994年に Polo per le liberta' (自由のための極)として、ベルルスコーニがボッシ、カジーニ、フィーニと手を組んで生まれた。しかし96年にボッシのレーガ(北部同盟)がそこから抜けた。

2001年、La Casa delle Liberta' (自由の家)が生まれた。Forza Italia, AN (国民同盟)、Ccd と Cdu (2002年に統合してUdc となる)、Lega, Nuovo Psi と Pri が結合して結成し、選挙に勝った。

2006年春、Casa delle Liberta' が選挙に負け、同年末、ベルルスコーニは、Federazione della liberta' (自由の連盟)の誕生を宣言した。

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2007年2月 2日 (金)

セリエAのシエナ売りに出る

Siena_calcio サッカー・セリエAのシエナの会長パオロ・デ・ルーカはチームを売りに出した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月26日)。

シエナは、5百万から1千万ユーロの赤字を抱えているらしいのだが、それでもチームを買いたいというグループがすでに6つ名乗りをあげている。

チームを買う魅力は何か? 少なくとも4つの理由がモンテ・デイ・パスキ銀行では考えられている。第一にサッカーの宣伝効果。第二に、イタリアで四大銀行に入るモンテ・デイ・パスキ銀行との関係を持つこと。

第三、イタリアでもっとも暮らしやすいとされる(日刊紙 Il Sole 24 ore による)シエナ・システムに入り込むこと。パリオの町、旅行者に満ち、優れた大学、バイオテクノロジーの研究センターもある。第四に、確かな収入。チームには、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行から毎年7百万ユーロのスポンサー料が入る。これを上回るのは、インテルとミランだけだという。

また、新しいスタジオと商業施設を建設中であるが、三年後には完成の見込みであるが、シエナ市は、チームに無料で使用させる。

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交換留学生に人気のスペイン

Erasmusteam ヨーロッパの交換留学のシステム、エラスムス・プログラムが20周年を迎えたが、行き先としてはスペインが大人気だ(コリエレ・デッラ・セーラ、1月26日)。

これまで、120万人の大学生がこの制度を利用した。2004/5年の実績によると、留学生の行き先で多い大学の上位20大学のうち、13大学はスペインの大学。

イタリアはボローニャ(4位、1284人)、フィレンツェ(10位、871人)、ローマ(11位、871人)の3大学が入っている。

同年に、イタリア人の留学生は、その40%がスペインを行き先に選んでいる。

イギリスの大学は、インドやアメリカからの留学生が多いのだという。

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8種類のリチェオにノー

Liceo 前政権の公教育大臣モラッティの改革にストップがかかり、高校(リチェオ)は8種類になることはなくなった(コリエレ・デッラ・セーラ、1月26日)。

モラッティ改革では、工業高校(istituto tecnico)が無くなって、普通高校(liceo) の種類が増えるはずだった。

8種類は、Artistico (2年後に3つのコースに分かれる)、Classico, Economico (2年後に2つのコースに分かれる)、Linguistico, Musicale e coreutica (音楽と舞踏)、Scientifico, Tecnologico (2年後に8つのコースに分かれる)、Delle scienze umane. 

現大臣のフィオローニは、むしろ工業高校および職業高校を強化する方向に動いた。

各県に1校ずつ Poli-tecnico professionali を作る。これは三層構造になっていて、
1.Istituti tecnici/Istituti professionali
2.Centri di formazione professionale
    3年後に、州の卒業証書を発行する
3.Istituti tecnici superiori
    一種の大学で、高校卒業後、入学する

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ピレッリの葬儀にモンターレの詩

Leopoldo_pirelli レオポルド・ピレッリの葬儀で、モンターレの詩がよまれた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月26日)。

レオポルド・ピレッリは、イタリアのタイヤ・メーカー、ピレッリの会長を1965年から1992年までつとめた。

1月25日の午後、ポルトフィーノで葬儀が執り行われたが、晩年の伴侶ロッセリーナ・アルキントはモンターレの詩の一節を朗読した。

Ho sceso, dandoti il braccio, almeno un milione di scale
e ora che non ci sei e' il vuoto ad ogni gradino.
Anche cosi' e' stato breve il nostro lungo viaggio.

(ぼくは、君に手を貸して、少なくとも百万段の階段を降りたが、もう君はいない、階段の一段一段は空っぽだ。
こんな風にしても、ぼくらの長い旅路は短かった。)

この詩は、ノーベル賞を受賞したエウジェニオ・モンターレが亡き妻をしのんで詠んだ Xenia II の5の冒頭の3行である。

ロッセリーナ・アルキントは同名の出版社の所有者でもある。詩の引用は、生涯の男への別れの言葉であると述べている。

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2007年2月 1日 (木)

EU, イタリアにデコーダ補助費の返還を命じる

Neelie_kroes ニーリー・クロエス欧州委員会競争政策担当委員

EU委員会は、イタリアの地上波デジタル用デコーダのメーカーに対し、政府からの補助金を、返還するよう命じた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月25日)。

金額としては2億ユーロ以上になるが、これはベルルスコーニ政権当時に、地上波デジタルを普及させるためデコーダ購入の促進策として導入されたもの。

ニーリー・クロエス競争政策担当委員によれば、これは競争を歪めるものであり、その考えが委員会で承認された。

対象となる会社は、Mediaset,TelecomとFastwebである。

もう少し厳密に言えば、デコーダの補助金自体が違法なのではなく、デコーダとペイパーヴュー(pay-per view)(サッカーの試合や映画などの有料番組)の抱き合わせでの割り引きが違法なのである。これらの番組は、Mediasetが支配的である。

消費者がデコーダを買うときの割引は、2004年は150ユーロで、2005年は70ユーロであった。

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売春の大がかりな摘発

Prostitution ここ3ヶ月に渡り、32の県で売春の摘発が実施されている(コリエレ・デッラ・セーラ、1月25日)。

その結果、784人が逮捕され、1311人が告訴された。売春における搾取と、不法移民の幇助がその理由である。

ジュリアーノ・アマート内相は、人身の売買、とりわけ女性、未成年のそれは、イタリアでなされる最もあさましい犯罪の一つだと糾弾している。

この捜査は、ユニセフ・イタリアなどからは歓迎されている。

売春の背後には、数十の犯罪組織があり、彼らは、東欧、アフリカ、南アメリカから来た女性、とりわけ未成年者を組織し、搾取している。

若い女性たちは、約200ユーロを家族に渡されて、イタリアに売られてくる。あるものは15,16歳。思春期の女性が、しばしば暴行され、たたかれ、拒否すれば殺すぞと脅迫されるのである。

多くのものは、沈黙し、否定する。またある者は、勇気を出して告発する。45人が、告発し、保護センターにいて、滞在許可証を受けている。

女性たちの境遇はさまざまで、受け取る金額は、「保護者(ひも)」による。しかし、月に5000ユーロ以上稼がなければ、殴られ、虐待される。

売春は進化する市場で、たとえば中国人は、以前は家で客引きをさせていたが、最近は道へ立たせている。進化せず、変わらないのは、ナイジェリア人の場合で、ブードゥー教(魔術的呪術)の儀式で脅したり、アフリカに残っている家族への脅迫を加えるのである。

こうした事態を受けて、法的罰則の強化も検討されている。

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再建共産党の映画法案ーーアメリカ映画に上限を

Migliornemico11141753137 2006年イタリア映画で最も興行収入をあげた Il mio miglior nemico

イタリア再建共産党の上院議員が、イタリア映画をもっと上映させ、アメリカ映画の上限を設ける法案を提出した(コリエレ・デッラ・セーラ、1月24日)。

再建共産党の上院議員27人が法案には署名している。この法案によれば、EU以外のフィルム1本に対し、2本のヨーロッパ映画を上映せねばならず、そのうち少なくとも1本はイタリア映画でなければならない、というものだ。

2006年度の実績では、イタリアで配給された映画は385本。そのうちイタリア映画は100本。アメリカおよびEU以外の映画は196本。イタリア以外のヨーロッパ映画が89本。

再建共産党の法案が実現した場合には、次のようになるはずである。イタリアおよびヨーロッパ映画が257本。アメリカおよびEU以外の映画が128本。

これに対し、イタリア映画の父の1人、ディーノ・リージ監督は、マーケットに任せよう、と反論している。

Rai Cinema のジャンカルロ・レオーネは、いくつかの保留つきながらも、興味ある挑発であるとしている。

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