極左集団、赤い旅団のメンバー15人が襲撃を計画していたとして逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月13日)。
ミラノ検察局は、《新赤い旅団》のネットワークを襲った。逮捕者の中には労働組合Cgil(イタリア総同盟)のメンバーが複数いた(すぐに停職処分を受けた)。
検察官のイルダ・ボッカッシーニによると、彼らは、国家に対する戦争を企てていたという。標的の中には、労働法学者のピエトロ・イキーノや、ミラノのベルルスコーニの家などが含まれていた。
赤い旅団の歴史が紹介されている。
1969年創立:アルベルト・フランチェスキーニがその著書「マーラ、レナートと私」の中で、大都市の政治集団の集会を呼びかけた。
1970年スローガン:1970年代には、「衝突の音を高めよ!」というスローガンが知られる一方、レナート・クルチョなどが学生運動からやってきた。
1970年最初の襲撃 1970年9月にミラノで、Sit-Siemens の重役ジュゼッペ・レオーニの自動車が焼かれた。
1971年 アジびらに初めて、円に星のシンボルマークが登場する。赤の地に白で星が描かれる。
1974年 脅迫に効果が見られなかったため、赤い旅団は、「国家への攻撃」を決定。最初の行動は、1974年4月18日、ジェノヴァで、検察官マリオ・ソッシの誘拐であった。
1974年から衝突は激しさを増す。国家はカルロ・アルベルト・ダッラ・キエーザ将軍が、組織にスパイを潜入させ、クルチョやフランチェスキーニを逮捕した。
1976年 赤い旅団の最初の犠牲者は、検察官フランチェスコ・ココで、ジェノヴァで、1976年7月に殺された。
1978年 3月16日、キリスト教民主党党首アルド・モーロが誘拐される。55日間拘留。5月9日、遺体が発見された。
1979年 ジェノヴァの労働組合員グイド・ロッサが殺される。
1981年 国家の反撃。特別法と逮捕。モーロ誘拐を指揮したとされるマリオ・モレッティを逮捕。
1985年 3月27日、経済学者エツィオ・タランテッリがローマで大学の前で殺される。
1988年 4月6日、上院議員ロベルト・ルッフィッリが、フォルリで郵便局員に扮装した赤い旅団のメンバーに殺害される。
1999年 労働大臣アントニオ・バッソリーノのブレーンのマッシモ・ダントーナが殺害される。
2002年 3月19日、労働法学者のマルコ・ビアージがボローニャで殺される。5人のテロリスト、ナディア・リオーチェ、ロベルト・モランディ、マルコ・メッツァサルマ、ディアーナ・ブレファーリ・メラッツィ、シモーネ・ボッカッチーニが終身刑を宣告された。
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