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2007年1月 4日 (木)

暗殺だったメディチ家の当主

Francesco_de_medici Bianca_cappello             

フランチェスコ・デ・メディチ(1541-1587)と妻のビアンカ・カッペッロ(1548-1587)

メディチ家の当主であったフランチェスコ・デ・メディチと妻のビアンカ・カッペッロは、弟のフェルディナンドに毒殺されていたことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

フェルディナンド (1549-1609) は、トスカナ大公国の創設者。当時は枢機卿であったが、フェルディナンド枢機卿は、コジモ1世の長子夫妻を砒素で毒殺したのである。

彼らは、マラリアで死んだとされていたが、420年後に、フィレンツェ大学の毒物学者フランチェスコ・マーリとアルド・ポレッティーニ、エリザベッタ・ベルトル、医学史家のドナテッラ・リッピにより、遺体の肝臓を調べ、毒殺であることが明らかになった。

1587年10月8日、フランチェスコとフェルディナンドは、ポッジョ・ア・カイアーノの別荘の森で狩をした。フランチェスコ1世はその日、具合が悪くなり、激しい腹痛を訴えた。同日、しばらく後に、ビアンカも痛み、発熱、嘔吐のため床につく。

二人は互いの症状を知らぬまま、11日間苦しんだ末、フランチェスコ、ビアンカの順に死ぬ。

フィレンツェでは、弟フェルディナンドが疑われた。が、この枢機卿は、疑いを晴らすために、公的検死を命じる。医師の判定は、「悪性マラリア」(Malaria perniciosa). 疑いはあるにせよ、一件落着となった。

フィレンツェ大の教授たちは、調査の結果を British Medical Journal に発表した。              

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