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2007年1月31日 (水)

レオポルド・ピレッリ亡くなる

Pirelli01g レオポルド・ピレッリ(1925-2007)

レオポルド・ピレッリが1月23日午後、ポルトフィーノの別荘で亡くなった。享年81歳(コリエレ・デッラ・セーラ、1月23日)。

1992年に一族の会社の会長を退き、療養中で、近年はまれにしかミラノには戻らなかった。

レオポルド・ピレッリは、ジャンニ・アニェッリは1960年代末に、ともに経営者団体の Confindustria の改革にあたった。この時期、レオポルドは、記者団に対し、アニェッリのことをこう語った。「ジャンニは、ぼくより頭がよい、ものごとを僕よりずっと早く理解する、ぼくより直観力や霊感もある。でも興味を失うのも早いんだ。繰り返しや、滞りが彼にはいやなんだ。僕はより技術者だ。我慢と忍耐を持とうと努力するんで、人の話を聞くし、一度目でうまくいかなくても、もう一度やろうとするんだ」。

ドイツのタイヤ会社コンティネンタルの株式買占めに失敗したときには、「責任者は私だ、私一人だ」と宣言し、職を辞し、マルコ・トロンケッティ・プローヴェラに会社の経営を任せた。1992年のことである。その7年後には、完全に引退した。

戦争中は二年間、ヴァッレ・ダオスタでパルチザン(対独抵抗活動)をしていた。

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