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2007年1月 5日 (金)

トリノ映画祭、モレッティの就任でもめる

Gianni_rondolino ジャンニ・ロンドリーノ

トリノ映画祭に、ナンニ・モレッティが芸術監督として就任するかで、内部で激しい論争が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月28日)。

トリノ映画祭は、1981年に生まれた。生まれた時の名前は、Festival Cinema Giovani (青年映画祭)で、ジャンニ・ロンドリーノ(トリノ大の映画史の教授)とその周辺のインテリや批評家たちによって、若い映画作家の傾向やテーマを汲み上げる目的で設立された。

1997年には、国際的な認知が進み、名前を現在の Torino Film Festival に変更した。2003年からは、ロベルト・トゥリリアットとジュリア・ダニョロ・ヴァッランが総監督を務めている。

突然の内紛は、ナンニ・モレッティの芸術監督就任要請に端を発している。もともとジャンニ・ロンドリーノとその下で育った批評家たち、アルベルト・バルベラ、スティーヴ・デッラ・カーザ、ロベルト・トゥリリアットたちによって始められた映画祭であるが、25年が経過した。

現在、ロンドリーノは、映画祭を組織する青年映画協会の会長、その理事会には、バルベラやデッラ・カーザもいて、それぞれ、映画博物館の館長と映画委員会の委員長を務めている。

こうした古い友情にひびが入ってしまった。現在のトゥリリアットとジュリア・ダニョロ・ヴァッラン(任期は2006年12月31日まで)に代わってナンニ・モレッティを芸術監督にしようという考えに、ロンドリーノは激怒した。

ロンドリーノによれば、モレッティは政治的にも、映画的趣味もはっきりした傾向を持っている。つねに、まったく自由で、独立を旗印としてきたわれわれの映画祭には、ふさわしい人物か、疑問を持つというのだ。

それに対し、バルベラは、モレッティの考え方はよく知られているが、彼は芸術的価値と個人的な意見を区別出来る人だ。たしかに、ナンニのフィルムは、彼の個人的な趣味が出ている。しかし彼はつねに新しい才能に注意を払い、そのデビューに援助をしてきた、と反論している。

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