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2007年1月24日 (水)

ドゥーチェにもの申した将軍

Messe_big ムッソリーニもはっきりともの申した将軍ジョヴァンニ・メッセの伝記が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、1月17日)。

ルイジ・エミリオ・ロンゴ著『ジョヴァンニ・メッセ、イタリア最後の元帥』(Archivio Storico dell'Esercito, pp.664, 16 ユーロ)。

メッセは、1883年12月10日ブリンディジ県メザーニェ生まれ。18歳で入隊、1911年には、イタリア・トルコ戦争で、トリポリで戦う。

彼を有名にしたのは、第一次世界大戦で、カポレットでの大敗の後、イタリアは特別攻撃隊(arditi) を結成した。メッセは第9特別攻撃隊の隊長となった。1918年6月半ばに、グラッパ戦線で、丘陵を征服していったその攻撃は名高い。

彼の姿はコリエレ・デッラ・セーラの日曜版、ドメニカ・デル・コッリエーレ(1899ー1989)の表紙を、アキッレ・ベルトラーメのイラストにより飾った。

1936年にはムッソリーニによりエチオピアに派遣された。帰還するとアルバニアに赴きティラーナを占領した。

第二次大戦中、苦戦するギリシア戦線にメッセは送られた。他の司令官と異なり、メッセは、部下たちと行動を共にし、攻撃にも加わった。

ムッソリーニはヒトラーと歩調を合わせ、1941年夏に Csir (Corpo di spedizione italiano in Russia イタリア軍ロシア派遣隊)を結成した。216の列車で、6万2千人のイタリアが旧式の装備で派遣された。

司令官メッセはこの作戦を誤りだと考えていた。数ヶ月は何とかなった。しかしドイツ軍司令官が、イタリア軍の増軍を要求した時、メッセは拒絶した。

ロシアの冬は途方もなく、零下47度にも達した。しかしムッソリーニは、1942年夏に、Armir (Armata italiana in Russia) を創設。7千人の将校と22万の兵からなる軍隊だった。

司令官は外務大臣のチャーノが「間抜け」と呼ぶイタロ・ガリボルディだった。1942年11月1日メッセは帰国。

ムッソリーニは今度はメッセをチュニジアに送る。ロンメル将軍の活躍と言われているものは、実際はメッセによるところが大きかったようだ。

1943年5月12日、ムッソリーニの命令をうけ降伏。

メッセは、1947年4月4日軍を去る。1953年キリスト教民主党から上院議員に選ばれ、1968年に85歳で亡くなった。

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