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2007年1月23日 (火)

ドゥーチェの人口統計学者

Corrado_gini コッラード・ジーニ(1884ー1965)

経済学や統計学の本を読むと、富の分配に関して、ジニ係数が出てくるが、その名は、コッラード・ジーニから取られたものである。ジーニに関する伝記的な論文が書かれた(コリエレ・デッラ・セーラ、1月14日)。

ジーニは、1884年に生まれた統計学者、人口統計学者で、Istat (政府中央統計局)の初代所長であり、Metron という国際的科学雑誌の創設者である。

その功績は海外で広く認められているが、国内ではある戸惑いを引き起こす。1936年にジーニによって創設されたローマ大学統計科学学部は、創設者にはあまり触れずに、昨年70周年を祝した。

理由は明解で、ジーニは、確信的ファシストで、いくつかの面で、人種差別主義者でもあったからだ。ファシスト政権の出産奨励策を積極的擁護しており、すくなくとも「ムッソリーニの人口統計学者」という一面を持っているのだ。

その意味で、ジョヴァンニ・ジェンティーレ(哲学者)、ジョアッキーノ・ヴォルペ(歴史学者)、アルフレード・ロッコ(法学者)と同じような立場にある。

若き歴史学者フランチェスコ・カッサータがこのたび、ジーニを再発見し、Il fascismo razionale (合理的ファシズム)という本に論文を寄せている。

カッサータによれば、ジーニとムッソリーニの関係は、ジーニがキャリアのために体制を利用し、ムッソリーニが政治目的でジーニの仕事を利用したという単純なものではなかった。

ジーニは出産奨励や植民地拡大においてファシズム政権と見解を共にしていたのだ。しかしながら、Istat の所長としては、反ファシストとして名高いアレッサンドロ・モリナーリ、マリオ・シルヴェストリを採用するのをためらわなかった。そのためジーニは政治警察からは眼をつけられている。

モリナーリは1944年11月に、ジーニがIstatへの政治介入に譲歩せず反対したことを証言している。政治的圧力に屈しなかったため、1932年には Istat の所長を辞任している。

それにもかかわらず、ジーニは頑固なファシズム体制支持者であった。1936年に、ハーヴァード大学から名誉博士号を授与された時にも、ジーニは全体主義の発展や、「人種の生物学的な一体性」の保護を擁護する発言をしている。

戦後は、自分の過去への批判を避け、職を退き、労働経済学の研究にいそしんだ。

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