マッツィーニとガリバルディ
マッツィーニの最晩年を助けた女性から、ガリバルディに宛てた非難の手紙が再発見された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。
書き手は、サリーナ・レーヴィ・ナタンで、有名なローマ市長のエルネスト・ナタンの母である。
それによると、死の床にあるマッツィーニはガリバルディの名を口にしていたが、それは感謝の言葉ではなかった。ガリバルディから受け取った手紙が、マッツィーニ打撃を与えて、命を縮めたという非難の手紙である。
サリーナ・レーヴィ・ナタンは、ペスカーラに1819年に生まれたが、イギリス人の Nathan (イギリスならネイサン)と結婚して、ロンドンに渡り、そこで亡命中のマッツィーニと出会う。
おそらく、この手紙はガリバルディに届けられることはなかったろうが、下書きがナタンの子孫によって現在まで伝えられた。
サリーナの息子のエルネスト・ナタンは、第一次世界大戦前の1907年から1913年まで、ローマ市長を務めた。法王庁のお膝元のローマではあるが、ナタンはユダヤ人で、1845年ロンドン生まれ、父はイギリス人で、フリーメーソンでもあり、1896年には、gran maestro になっている。
| 固定リンク



コメント