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2006年12月21日 (木)

クリスマスの歌、イスラム教徒を尊重して歌われず

Canti_di_natale ボルツァーノ県のある幼稚園で、園児にイスラム教徒がいることを理由に、クリスマス・ソングを歌わない決定をし、波紋を投じている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月14日)。

例年は、クリスマス・イヴに "Tu scendi dalle stelle" という歌を歌っていたのだが、今年は、この幼子イエスの到来を祝う歌を歌わないことになった。

それはイスラム教徒の子供の心を配慮してのことだったが、反響は、むしろ政治家たちから来た。市長は馬鹿げた決定だとし、中道右派の政治家たちも反対している。

地元のイマーム(イスラム教指導者)も、「イエスの像は、コーランを信じるものにとっても神聖なものだ」と語っている。

この幼稚園は、ボルツァーノ県のオルトリサルコ地区という多民族が居住する地区にある。園長によると、園児は全部で80人。そのうち30人ちかくが外国人で、14の民族からなるという。

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コメント

以前、イスラム教徒の児童が通う小学校の教室に掲げられている十字架が問題になったことがありましたね。

「それ(十字架やクリスマス・ソング)を快く思わない人が居るのであれば控えればいい」と単純に思いますが、
「イタリア人とカソリックの関係は、(宗教に関して拘りをもたずにきた私には)想像以上に根強いものなのかも」と思うと、難しい問題ですよね。

ただ、宗教って「信心」とか「信仰」とか、個人や団体の精神的なイシューなのに、政治問題になってしまうことで論点が摩り替わってしまうような気がします。

「宗教=精神世界」と感じる点が間違っているのかな???
今や、「宗教=政治」?

投稿: marinara | 2006年12月22日 (金) 00時24分

「宗教=政治」は昔のほうがより強いでしょう。

投稿: | 2006年12月22日 (金) 08時15分

marinara さんへ

たしかに宗教が個人的レベルで機能しているのであれば、個人の自由の尊重ということで、議論は解決できますね。

イタリアの場合(イタリアに限ったことではありませんが)、宗教的儀式と風俗習慣が、截然と分けられない、分けにくいということが問題に対する反応を複雑にしている要因の一つだと思います。

クリスマス・ソング、プレゼピオ、十字架は、みな宗教的メッセージが込められた事物ですが、クリスマス・ソングとプレゼピオは、季節との連関が強いため、この時期の風物詩ともなっている面があり、それを子供たちに受け継いでほしいと思う大人がいるのでしょう。

一方で、園長や先生たちが、多民族の共存する未来を願って、このような措置をとったことも心情は理解できます。

(お名前なし)さんへ
そうですね。昔の方が、宗教の政治への一体化、影響力は強かったと思います。

ただし、冷戦終結後、政治や経済を考える上で、宗教が重要なファクターになってきている気がします。

たとえば、アメリカ大統領選におけるキリスト教保守派、トルコのEU加盟可否をめぐる議論におけるイスラム教の存在、などです。

投稿: panterino | 2006年12月22日 (金) 12時06分

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