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2006年12月31日 (日)

非正規雇用の効果、1992年以来、失業者最低に

Disoccupati_precari 失業率が、8年間で半減した。1998年の頂点12%から、今年の第三・四半期には6,1%まで減少したのである(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

この数字は、Istat(政府中央統計局)の調査によるもの。かなりの減少であり、イタリアの労働市場が、1997年のトレウ法からの過去9年間に経験した根本的な変化の効果である。

中期的に見ると、1992年以来、失業率は最小になった。季節要因を排除しても、失業率は6,8%に留まっている。この数字は、EU諸国の平均の約8,5%を大きく下回るものである。

しかしイタリア経済の風景を変えたのは失業率の減少のみではない。就業者の数が増えているのだ。2300万人で、昨年より2%増加している。

去年より、働く人が45万9千人増えているのである。このうち、21万5千人は、期限付き契約の雇用である。

だから、雇用の増加は、この「不安定な立場」の職の増加によっている。これは、ヨーロッパの有期雇用に関する新基準の2001年からの受け入れと、部分的にはビアジ法によって労働市場により柔軟性がもたらされた結果と言える。

柔軟化は、別の数字からも推定できる。今日、職を持つ人の9,8%が有期雇用であるが、一年前には、9%であった。

この拡大に寄与しているのは、外国人(17万2千人)もいる。ボッシ・フィーニ法による正常化の効果が現れている。

この労働市場の小さな革命には、さらなる見逃せない側面がある。就業者が増えたのは、大量生産を卒業した北西部(+2,3%)や中部に代表される第三のイタリア(+1,9%)のみではない。

南部も1,8%増加しているのだ。南部の場合、女性の労働がブームになっている。彼女たちの場合、5,8%も増加しているのである。

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ナポリの教会、美術品はコピーに

Cardinale_sepe_crescenziott セーペ枢機卿

ナポリでは、膨大な美術品が、教会から美術館に引っ越しを始めた。盗難対策のためである(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

ナポリではしばらく前から、こうした方策が考えられてきたが、今後加速する。

絵画、彫刻、銀製品に代わり、教会内には、そのコピーを置くのである。

ナポリ県では泥棒の活動が活発で、数日前にも、中心地区で、貴重なプレゼピオが盗まれてしまった。

そこで、貴重品の美術館への移管を、クレシェンツィオ・セーペ枢機卿が決定した。美術品を大司教館の前に宗教美術館を作って、そこへ移すのである。

ナポリは、500のクーポラのある町と言われているが、現在の教会の数は約450で、中心部にあるものは138.

その教会の美術作品には、カラヴァッジョ、デ・リベラを始め傑作も少なくない。

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2006年12月30日 (土)

下院のプレゼピオに、同性カップルの人形

Presepe_gay1200x150 イタリア下院のプレゼピオに Pacs (事実婚、連帯市民協約)や同性婚を支持するために、同性の人形のカップルが二組、置かれた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月21日)。

この人形を置いたのは、バラの中の拳(急進派)のブルーノ・メッラーノとドナテッラ・ポレッティ。

バービー人形のカップルには、「ザパテーロのスペインと同様、イタリアにも同性婚を」とかかれた紙がぶらさげられ、男の人形 (Ken人形--本当は Big Jim 人形の予定だったが、売り切れていた) には、「Pacs now」と書かれた紙がぶらさげられている。

即座に、論争の種となり、フォルツァ・イタリア、そして国民同盟、北部同盟の下院議員が取り上げた。「またしても、カトリック的価値と我が国の文化的伝統に対する攻撃だ」と反発を強めている。

反発は中道右派から、国民同盟スポークスマンのロンキの「信者への冒涜だ」といった類のものが来たが、中道左派からも、「無意味な挑発だ」(ロジー・ビンディ)といった批判が発せられた。

事実婚に最も敏感な議員であるヴラディミル・ルクスリアも、距離を置いている(「各自は自分の振る舞い方を選ぶが、私ならそうしない」)。

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2006年12月29日 (金)

フィオローニ公教育相、学校にクリスマスに関する勧告

Presepe フィオローニ公教育相が、ボルツァーノ、サン・ジミニャーノでの件を受けて、学校に勧告を出し、プレゼピオやクリスマス・ソングを禁止しないよう求めた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

ボルツァーノの事件は、クリスマス・ソングを歌わないという事件だったが、今度は、サン・ジミニャーノの小学校で、プレゼピオを設置したが、シエナの大司教の訪問を拒絶するという事件が生じた。

フィオローニ大臣によれば、「宗教間の対話は、バリアを無くすこと、善と真を子供たちが共有する能力に基づくべきで」、禁止に基づくべきではない。

ボルツァーノの件では、イスラム教徒の子供たちへの配慮からクリスマス・ソングを歌わぬことにしたのだが、この点に関しても、フィオローニは、少数者に対する尊重の過剰から、我が国の伝統(そしてイタリアの学校の歴史)を放棄すべきでないとの考えを表明した。

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ムッシ:名誉博士が多すぎる

Fo 名誉博士号を授与されたダリオ・フォ

大学・科学研究大臣のファビオ・ムッシが、大学の学長たちに向けて、名誉博士号(lauree honoris causa) の授与をより厳格にするように求めた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

イタリアの大学は、6ヶ月で100人に名誉博士を授与した。これに対し、ムッシ大臣は、大学の独立性を尊重しつつも、注意を促した。

イタリアでの名誉博士の制度は、1933年に導入されたが、1980年代からはルーティンのようになってしまった。さらに2000年には50人程度だったものが、今年は年間200人のペースになっている。

大学・科学研究相の次官ルチャーノ・モディカは、「世論は、大学が、メディアで有名な人を名誉博士に選びすぎるという疑いを持っている」と語る。

ローマのサピエンツァは、名誉博士の数を、一年に3,4名に制限しているという。

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未来派をめぐるさや当て

Parole_in_liberta_1 未来派の文学技術宣言のなかの「自由な言葉」

未来派の百年祭の準備をめぐり、国民同盟のガスパッリとルテッリ文化財・文化活動相がさやあてを演じた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月20日)。

未来派ほど、繰り返し政治的論争の種になる文化現象も少ないが、それは明らかに彼らとファシズムの関係性のためである。

前コミュニケーション大臣のマウリツィオ・ガスパッリは、2009年2月20日がマリネッティの未来派宣言100周年であることを踏まえて、大展覧会を準備するための「学術委員会」を結成することを促した。

そこには、「祝うべきは、1904年から1944年の未来派全体であって、1918年までではない」と付け加えている。

国民同盟にとってこの一文の意味は明らかで、ファシズム以前の未来派のみではなく、ファシズムと関わりを持ったのちの未来派を含めての展覧会にすべきだという趣旨である。

メッセージを受け取ったルテッリ大臣は、「未来派はイタリアの20世紀前半における最も重要な運動で、未来派に関する適切な分析を支援したい」と述べた。さらには、あなたがた(国民同盟)も、反ファシストになったのでしょう? という皮肉も付け加えた。

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2006年12月28日 (木)

マッツィーニとガリバルディ

Mazzini2 ジュゼッペ・マッツィーニ

マッツィーニの最晩年を助けた女性から、ガリバルディに宛てた非難の手紙が再発見された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

書き手は、サリーナ・レーヴィ・ナタンで、有名なローマ市長のエルネスト・ナタンの母である。

それによると、死の床にあるマッツィーニはガリバルディの名を口にしていたが、それは感謝の言葉ではなかった。ガリバルディから受け取った手紙が、マッツィーニ打撃を与えて、命を縮めたという非難の手紙である。

サリーナ・レーヴィ・ナタンは、ペスカーラに1819年に生まれたが、イギリス人の Nathan (イギリスならネイサン)と結婚して、ロンドンに渡り、そこで亡命中のマッツィーニと出会う。

おそらく、この手紙はガリバルディに届けられることはなかったろうが、下書きがナタンの子孫によって現在まで伝えられた。

サリーナの息子のエルネスト・ナタンは、第一次世界大戦前の1907年から1913年まで、ローマ市長を務めた。法王庁のお膝元のローマではあるが、ナタンはユダヤ人で、1845年ロンドン生まれ、父はイギリス人で、フリーメーソンでもあり、1896年には、gran maestro になっている。

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2006年度の「生活の質」の高い県にシエナが選ばれる

Siena_da_lontano Il Sole 24 ore 紙の実施した「生活の高い県」の分類で、2006年はシエナが一位に選ばれた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

シエナが一位に選ばれるのは、9年振り。昨年は11位だった。イタリアには現在、103の県、20の州がある。

このランキングは、36項目に渡る調査で、それをまとめると6つの領域(暮らし向き、ビジネスと仕事、サービスと環境と健康、治安、住民、自由時間)にくくれる。

トップ10は以下の通り

            2005年の順位
1位 シエナ     11位
2位 トリエステ     1位
3位 ボルツァーノ  8位
4位 トレント      8位
5位 ボローニャ   7位
6位 ミラノ       4位
7位 ラヴェンナ    4位
8位 フィレンツェ  23位
9位 ベッルーノ    3位
10位 グロッセート 18位

トスカーナ州からは、シエナ県だけでなく、フィレンツェ県、グロッセート県が入っている。

北部では、トレンティーノ・アルトアディジェ州からボルツァーノ県とトレント県が入っている。両者は去年は同点8位だった。

下位の10県は以下の通り

            2005年の順位
94位 レッジョ・カラブリア 90位
95位 アグリジェント   102位
96位 トラーパニ     98位
96位 シラクーサ     81位
96位 ナポリ        89位
99位 パレルモ      101位
100位 フォッジャ     100位
101位 バーリ       96位
102位 ターラント     97位
103位 カターニャ      99位

こちらは、南部に集中している。最下位のカターニャはシチリア州で、それに続くターラント、バーリ、フォッジャはイタリア半島のかかと部分にあるプーリア州である。

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2006年12月27日 (水)

3割のイタリア人が同性婚に賛成

Nozze_gay1 同性婚に関して、ヨーロッパで賛成の人は44%であるのに対し、イタリアでは31%であることが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

EU委員会の世論調査機関である Eurobarometro によると、Eu諸国の中ですでに同性婚を認めている国では、賛成の率が高い。

オランダは同意が82%。次いで、スウェーデン(71%)、デンマーク(69%)、ベルギー(62%)となる。

ザパテーロ首相のスペインは、56%。

また、イタリアで、同性カップルが養子を取ることに同意する人は24%に過ぎない。

社会における宗教の役割が大きすぎると感じている人は、キプロス人の81%、マルタ人の70%、イタリア人の63%、ポーランド人の55%、ポルトガル人の50%となっている。

スペインでは48%、フランスでは43%と続く。さらに低いのは、オランダ、ラトビア、フィンランド、エストニアである。

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ベルルスコーニ、米で心臓手術

Clevelandclinic クリーヴランド・クリニック

ベルルスコーニ前首相は、アメリカ・オハイオ州のクリーヴランド・クリニックで心臓手術を受けた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月19日)。

18日、手術は実施された。不整脈のためで、2004年にイギリスのブレア首相がうけた手術と同様のものと考えられている。

アベレーション手術(ablazione, カテーテルをいれて、患部を焼いて切除する、開胸手術より患者の負担が小さい)によって、不整脈を治療した。

執刀したのは、アンドレア・ナターレというシラクーサ生まれ、フィレンツェ大学およびローマ・カトリック大学卒の医師。

ナターレ医師は、卒業後は、カナダのウェスタン・オンタリオ大学、ミルウォーキーのウィスコンシン大学で働き、1999年からクリーヴランド・クリニックに移り、アメリカの心臓学の最高権威の一人として活躍している。

病院には、ベルルスコーニの個人医であるアルベルト・ザングリッロも付き添った。前首相は、術後は、病院キャンパス内にあるインターコンチネンタル・ホテルの一泊3500ドルのスイート・ルームに移る。ここは、病院と同じ設備を整えることが出来るようになっている。

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2006年12月26日 (火)

2006年に売れた自動車トップ10

Fiatgrandepunto3big 2006年、イタリアで最も売れた自動車は、フィアットのグランデ・プントだった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月18日)。

Anfia-Unrae (イタリアの自動車産業連盟と外国車代理店組合)の資料によると、2006年1月ー11月の新車登録の上位10車は次の通り。

1.フィアット グランデ・プント
        21万6573台
2.フィアット パンダ
        13万9578台
3.フォード  フィエスタ
         7万2774台
4.フォード  フォーカス
         6万7733台
5.ランチャ  イプシロン
         6万1218台
6.トヨタ    ヤリス(ヴィッツ)
         5万9270台
7.フォルクスワーゲン ゴルフ 
         5万1347台
8.オペル   アストラ
         4万7697台
9.ルノー    クリオ
         4万6800台
10.シトロエン C3
         4万2930台

消費者の要望を満たした結果、グランデ・プントは大ヒットとなった。イタリアでは、コンパクト・カー、エコノミー・カーが上位を占めている。

イタリアの経済にしめる自動車産業の割合は、国内総生産の8,5%。

最近の変化として、2000年には2,7%に過ぎなかったオートマチック車が、9%に上昇している。

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ファッシーノ、同性婚カップルの養子認めぬ方針

Gianni_vattimo ジャンニ・ヴァッティモ(哲学者、ホモセクシュアルを自ら認めている)

左翼民主党書記長が、同性婚カップルの養子を認めないと発言したことに、ジャンニ・ヴァッティモが激しく失望し、反発を強めている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月17日)。

左翼民主党の内部で、ホモセクシュアルのカップルが養子を取ることを認めるかどうかで、意見が割れている。

書記長のピエロ・ファッシーノが、「個人的には、二人のゲイが子供を養子にすることが出来るという仮定には賛成できない」と言ったことに、Arcigay の全国書記長アウレリオ・マンクーゾは、強い苦痛を感じ、25年間所属していた党員証を引き裂いた。

哲学者で、同性愛者と自ら認めるジャンニ・ヴァッティモは、「この次の選挙は、投票に行かない」とコリエーレ紙に語った。

ヴァッティモによれば、ファッシーノの発言は、教会や穏健派を安心させる戦略的なものだという。

左翼民主党の下院議員で、イタリアのホモセクシュアルの歴史的リーダーであるグリッリーニが党を離脱するかが注目である。

ただし、グリッリーニは、ヴァッティモとの会話で、ゲイは右派と組むよりは左翼民主党と共にいた方がよいし、ベルルスコーニと組むよりは、ファッシーノの方がましだと発言したという。

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モデルに関する協定調印

C_reston 拒食症で亡くなったカロリーナ・レストン

自主規制の宣言文が、イタリアの青年・スポーツ活動大臣メランドリとイタリア全国ファッション会議所により署名された。

これには、ミラノおよびローマのデザイナーが含まれる。合意されたのは6点。

1.モデルは健康的で、地中海的であること。

2.モデルは、BMI (IMC、体重を身長の二乗で割った指数、18以下は病的とされる)を含む医師の証明書を提出すること。

3.モデルは16歳以上であること。

4.デザイナーはコレクションに46,48(サイズ)のものを含めること。

5.ファッション業界は、モデルの美的基準の修正キャンペーンに協力すること。

6.内部基準は、「宣言文」の尊重を保証すること。

この協定は、何ヶ月にもわたる会議の後に合意された。次のシーズンからは、アルマーニ、プラーダ、ヴェルサーチェには、がりがりのモデルは出ないはずである。

この問題は、9月にスペインで提起され、その後、ロンドン、ミラノでも取り上げられたものである。

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2006年12月25日 (月)

元F1パイロット、レガッツォーニ、事故死

Regazzoni 元F1パイロットのクレイ・レガッツォーニ、67歳、70年代のフェラーリのシンボルが、パルマ近くの高速道路での交通事故で死亡した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月16日)。

レガッツォーニは、スイスのルガーノで、1939年9月5日に生まれた。1960年代にレーシングカーの世界に入る。

1970年オランダ・グランプリで、フェラーリから F1 デビュー。 その年、モンツァでは優勝し、年間で3位だった。

1973年にフェラーリを去り、Brm に移籍。しかし翌年、フェラーリに返り咲き、ニキ・ラウダとコンビを組む。

1980年が悪夢の年で、ロング・ビーチ・サーキットで大事故を起こし、キャリアを終える。両足と脊椎を損傷し、車椅子での生活を余儀なくされた。

しかし、自動車レースをあきらめることはなく、障害者専用のレースに打ち込んだ。

F1 での戦績は、132戦で、5回のポール・ポジションと212得点。レーサーとしての戦績は、18年間で、250戦で優勝25回である。

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年金改革、ファッシーノ、国民投票を呼びかける

Piero_fassino 予算案が上院を通過したところで、次の問題として年金が浮上してきた。左翼民主(党)のピエロ・ファッシーノ書記長は、年金改革についての国民投票を提唱した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月16日)。

近年、年金をもらう年齢が下がってきている。

      男    女
1950年 66,9   64 歳
1960年 64,5   62 
1970年 62,6   60
1980年 61,6   59,5
1990年 60,9   57,5
1995年 58,1   57,8
2000年 59,6   59,1
2005年 58,5   57,7

となっている。ところが、イタリア人の平均寿命は年々延びている。

1950ー55  66歳
1955ー60  68,5
1960ー65  69,9
1965ー70  71
1970ー75  72,1
1975ー80  73,6
1980ー85  74,5
1985ー90  76,2
1990ー95  77,3
1995ー2000 78,8
2000ー05  80

というわけで、もらうのが早まり、平均寿命が延びると、年金を受け取る期間が長くなる。

社会党のリーダー、エンリーコ・ボゼッリも Istat の資料を見て、出来るだけ早く改革が必要なことを認めた。

予算でも社会福祉予算は、前年比3,3%増で、インフレ率を大幅に上回っている。国民総生産 (Pil) の15%を越えようとしている。

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2006年12月24日 (日)

左派のパンテオンの変遷

Pantheon ローマのパンテオン(ラファエッロ、ヴィットリオ・エマヌエーレ二世、ウンベルト1世の墓がある)にならって、左派のパンテオンには誰が入るのか、という思考実験が歴史をなぞって紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月15日)

小見出しにイタリア共産党から民主党へとあり、そういう流れを反映した人選となっている。

1950年代:マルクス、エンゲルス、レーニン、スターリン、トリアッティ、グラムシ

1960年代、70年代:マルクス、エンゲルス、レーニン、ホーチミン、グラムシ、バートランド・ラッセル

1980年代:グラムシ、マルクス、ブラント、ドプチェク、チコ・メンデス(アマゾンの森林伐採に反対し、暗殺された)、ゴルバチョフ

1990年代:J.F.ケネディ、クリントン、ブレア、グラムシ、マンデラ、ボッビオ

今日:J.F.ケネディ、ブラント、ジョヴァンニ23世、グラムシ、チャップリン、フェッリーニ

となっている。無論、個々の人によって、このリストは異なるものになる。

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2006年12月23日 (土)

トリノのパラッツォ・マダマの再開

Torinopalazzo_madama7 10年間に渡る修復作業を終えたトリノのパラッツォ・マダマが再び公開される(コリエレ・デッラ・セーラ、12月14日)。

パラッツォ・マダマは、古代ローマ時代のデクマーノ(東西の主要道路)の門の上に建てられた。

長年、次々と改築・増築され、中世には要塞であり、その後モンフェッラート侯爵、フランスのマリア・クリスティーナなどが住み、1848~1864年には、ピエモンテおよびイタリア王国の上院として用いられた。

こうした経緯から、様式的には、異質なものが入り交じっている。ファッチャータ(正面)と大階段を設計したのは、フィリッポ・ユヴァッラである。

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2006年12月22日 (金)

バリッコ翻案の『魔笛』にブー

Flauto_magico01g 作家アレッサンドロ・バリッコが翻案した『魔笛』に、非難の口笛やブーが続出した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月14日)。

トリノのテアトロ・レージョで、幕が降りると、最初にフットライトを浴びたのは歌手で、拍手を浴びた。次は、指揮者のファビオ・ビオンディで、拍手の中に不満の声も混じっていた。

しかしその後で、演出や舞台装置、衣装の番になると、非難の口笛やブー、野次が飛んだ。

通常は、穏やかなレージョの観客が今回は、抑制がなかった。明らかにブーや口笛の標的は、バリッコだった。

バリッコは『魔笛』の台本を書き変えて、散文にした。その日の舞台にはバリッコは不在であったが、演出、舞台監督、衣装が非難を浴びた。

『魔笛』は歌芝居(Singsupiel) である。歌手が歌う部分と、散文で台詞を語る部分が交互に出てくる。その台詞の部分はさほど文学性に富んだものではなかったが、それをさらにバリッコは変えて、劇中劇にしてしまった。

主人公を『魔笛』を上演している町の劇場支配人と市長にしてしまったのだ。だから台詞のほとんどは、この新たに創られたキャラクターによって語られるのである。

また、台詞もテレビの言葉遣いで、わざと「低俗」で、若者向けのジョークもあったが、ゲネプロでは受けていたが、本番では誰も笑わなかった。

イタリア文学者のジュリオ・フェッローニも手厳しい。「モーツァルトの作品を書き直すのは、イリアーデを、神々の部分を取り去って書き直すのとあまり違わないだろう」。

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2006年12月21日 (木)

クリスマスの歌、イスラム教徒を尊重して歌われず

Canti_di_natale ボルツァーノ県のある幼稚園で、園児にイスラム教徒がいることを理由に、クリスマス・ソングを歌わない決定をし、波紋を投じている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月14日)。

例年は、クリスマス・イヴに "Tu scendi dalle stelle" という歌を歌っていたのだが、今年は、この幼子イエスの到来を祝う歌を歌わないことになった。

それはイスラム教徒の子供の心を配慮してのことだったが、反響は、むしろ政治家たちから来た。市長は馬鹿げた決定だとし、中道右派の政治家たちも反対している。

地元のイマーム(イスラム教指導者)も、「イエスの像は、コーランを信じるものにとっても神聖なものだ」と語っている。

この幼稚園は、ボルツァーノ県のオルトリサルコ地区という多民族が居住する地区にある。園長によると、園児は全部で80人。そのうち30人ちかくが外国人で、14の民族からなるという。

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2006年12月20日 (水)

イタリア語を公用語に

Lingua_ufficiale イタリア語を公用語にしようという法案が提出されたが、北部同盟と再建共産党が反対している(コリエレ・デッラ・セーラ、12月13日)。

法案は、国民同盟(An) が以前から抱いていた構想であるが、今回は他の政党も賛成している。

問題となっているのはアルト・アディジェ地域で、ここでは、少数派のドイツ語話者のポストが、あらゆる役所で確保されている。学校から法廷、病院にいたるまでである。

他の州でもこうした措置をとったらどうなるか、というのが国民同盟の懸念である。たとえば、ヴァッレ・ダオスタ、ロンバルディア、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア、あるいは、モリーゼやカラーブリア(両州には、アルバニア語の飛び地がある)。

こうした州では、イタリア語「しか」話さない者は、就職がより困難となるかもしれない。そういう理由で、「イタリア語は、共和国の公用語である」というフレーズを憲法12条に付け加えるという法案が出来た。

それに対し、この法案は意味がない、と北部同盟のロベルト・コータは語る、「まず連邦主義と地域の言語の尊重が実現しなければ、単なる中央集権主義だ」。

再建共産党 (Rifondazione) の反対は、現実と関わっている。プローディ政権は、移民の市民権獲得に要する期間を半減させるという意志表明をした。この法案が通ると、イタリア語の知識が必須要件になり、イタリアの市民権獲得をより困難なものにするのではないか、というのが再建共産党の反対理由である。

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2006年12月19日 (火)

マリネッティの孫、イスラムと未来派を合体させる

Isutituto_skiriptura マリネッティの孫レオナルド・クレリチは、未来派の理論とイスラムを合体させようとしている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月12日)。

クレリチは、レオナルド・《Alaeddin》・クレリチといい、インターネットのサイト Istituto di Skriptura を開いている。

テヘランで開催されるホロコーストについての会議の唯一のイタリア人発表者である。未来派の創設者Filippo Tommaso Marinetti の孫クレリチはパリとブリュッセル(そこに研究所がある)を行き来して生活しているが、テヘランもなじみの場所。

彼は、シーア派のイスラム教に改宗し(そこから名前に《alaeddin》を付け加えた)、イスラム共和国を支持し、最高指導者アリ・ハメネイ師とも一度会見したことがあるのだ。

未来派とどんな関係があるのかというと、未来派宣言の冒頭には、「われわれーわたしと私の友人たちーは、モスクの形をしたランプの下で夜通し起きていた・・・」とあるのだ。1909年2月20日、パリのフィガロ紙に載った文章である。

一世紀の後、その「モスク」から、クレリチは再出発したのだ。彼によると、未来派は、「その基本に、イスラム的偶像破壊哲学を持っていた」。

彼はさらにホロコーストについて語る。「イスラエルは国家として存在しているのではない。ヨーロッパの植民地主義的実体であり、シオニズムは、植民地主義的人種差別主義なのだ」。

ユダヤ人の虐殺は、ヨーロッパの軋轢のなかで生じたもので、その意味で、「ユダヤーキリスト教的植民地主義」に責任があるというのがクレリチの考えであるらしい。

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2006年12月18日 (月)

不規則雇用者をめぐる与党内の緊張

Precari 与党内で不規則雇用者の正規採用をめぐる議論で緊張が生じている(コリエレ・デッラ・セーラ、12月11日)。

イタリア共産主義者党(Pdci)は、3年間で30万人の正規雇用獲得したと張り切っているが、財務大臣パドア=スキオッパ周辺は、予算がないと冷ややかな対応を示している。

イタリアの学校には、約30万人の不規則雇用者がいる。期間付きのものが12万1千人。プロジェクト協力者が8万9千人である。

不規則雇用者全体では、約400万人となる。

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2006年12月17日 (日)

ジレーラから三輪スクータ

Fuoco_500_1 Fuoco_500_2

ピアッジョに続き、ジレーラからも三輪スクータが発売される(コリエレ・デッラ・セーラの付録 Corriere Motori, 12月8日)。

ジレーラは、20世紀初頭からある二輪の名門だが、1969年以来、ピアッジョ・グループの一員となっている。

車種名は、Gilera Fuoco 500。単気筒で500ccで、4サイクル・エンジン。4ヴァルヴ、水冷式、40馬力。点火プラグをダブルにして、シリンダー内の燃焼効率を最大にし、騒音の減少、排気ガスの減少につなげている。

最高速度は時速150キロ以上。トラクションは後輪、つまり後輪駆動である。

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マストロヤンニと二人の娘

Chiara_v11 マルチェッロ&キアラ・マストロヤンニ父娘

マストロヤンニ没後10年を記念し、娘二人が思い出を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月10日)。

マストロヤンニが亡くなったのは、1996年12月19日であった。

マルチェッロの最初の娘は、彼がまだ27歳の時に、妻フローラ・カラベッラとの間に生まれた。

1951年生まれのバルバラは、「父というより、大きなお兄さんという感じでした。学校に私を迎えに来てくれたのは一度きりだったけど、不満はなかったの。有名な父親というのをもてあましていたの。パパは映画には連れていってくれなかった。見るよりも、撮る方が好きだったのよ。私にとっては、スクリーンで見たのは、パパではなくて、ディーヴォ(スター)だったわ」。

バルバラにとっては、父ー兄であったわけだが、キアラにとっては、父ー祖父であった。キアラは、マルチェッロとカトリーヌ・ドヌーヴの絆から1972年に生まれる。

今や、本人も女優となったキアラは語る。「学校に迎えにくると、父親たちの中で一番年長なものだから、いつも誰かがおじいちゃんかい、て尋ねるの。だから、父に言ったわ。『50メートル離れた所で会いましょう。困るから・・・』」。

「父は、空想的で愉快な人でしたが、悲しみに沈む時もありました」。

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法王、宗教的象徴を公共の場に残すよう呼びかける

Aula3mn 法王ベネデット16世は、宗教的象徴を公共の場に残すよう呼びかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、12月10日)。

法王は、「現代の民主主義」が、社会から「宗教およびその象徴」を排除しがちであることを看取し、世俗主義の堕落につながるとしている。

宗教的象徴として、具体的には、十字架が問題になる(その他、プレゼピオもある)。学校の教室に十字架をかけるという国王令(regi decreti) は、1924年と1928年に出されている。

教育雑誌 Tuttoscuola の調査によると、幼稚園から高校まで、十字架を設置すべき箇所は、37万3190になる。つまり、1教室に1つ十字架をかければ、それだけの数が必要になる。

しかし、実際に懸けられているのは、18~23万で、教室数の半分強である。

十字架は、教壇や黒板とともに教室の設備として、教室の設備として1924年の王令に規定され、この政令は、現在も有効であることが、今年の2月に国務院で確認された。

法王ラッツィンガーは、学校だけでなく、あらゆる公的な場所、会社、法廷、刑務所、病院にも十字架があるべきだと主張している。が、こうした所では、十字架は消えつつある。正確なデータはない。

今年の4月の総選挙では、ウンブリア州のアメリア、ヴェネト州のコルヌーダでは、選挙管理委員会の委員長が、投票所の壁から十字架を撤去した。マルケ州のセニガッリアでは、ある投票者が撤去を求めたが、選挙管理委員会委員長の拒絶にあった。

下院では、下院議長のベルティノッティが、今年も例年にならって、プレゼピオ(イエス生誕を表わした人形)を置くことを保証した。

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2006年12月16日 (土)

事実婚、法王庁の怒り

Coppia_di_fatto 法王庁の新聞 Osservatore Romano が政府の提出した事実婚に関する法案を激しく批判した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月10日)。

見出しは、「2006年のクリスマス:家族の根を引き抜くことが、イタリア政治の優先課題なのだ」という強い調子のもの。

また、「意味の無い戦い」、「家族に代わる形に信任を与えようとする偽善的な企画」とも。

野党の中道右派(CDL) はごく少数の例外を除いて、全面的に法案の方針に反対している。5人の中道右派の上院議員は、「たとえ公然とではなくても、共同生活と家族を等しいものとして扱うことに反対する」ための動議を提出した。

同性婚や事実婚は、スペイン、フランス、イギリスで認められている。

スペインでは、2005年に同性婚への道が開かれた。フランスでは、1999年から Pacs (市民連帯協約)が開始されている。これは同性間でも異性間でも結べる。

イギリスでは昨年から Civil partnership act というものが出来た。同性カップルに正式の登録が可能となった。登録しない異性間および同性間の共同生活も認められている。

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2006年12月15日 (金)

アラーニャ、スカラ座前でワンマンショー

Alagna_davanti スカラ座前のアラーニャ

テノール歌手アラーニャは、14日の『アイーダ』のラダメス役を降ろされたが、スカラ座前の広場で歌った(この項、Corriere.it による)。

10日の公演で、野次に怒って途中退場してしまったアラーニャであるが、14日は出る意向を示していた。

しかし劇場支配人のリスナーからは、木曜のラダメスは、ワルテル・フラッカーロにより演じられる、という素っ気ない通告。

しかし、反抗心に燃えるテノールは、スカラ座の中で『アイーダ』が上演されている時に、劇場前に姿を現わし、『マダム・バタフライ』の一節‘Addio fiorito asil, di letizia e d'amore' を歌い、スカラ座にしばしの別れを告げた。そして、携帯電話でスカラ座を写真におさめた。

「僕は、この場所とその聴衆を本当に愛している」とも語った。

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2006年12月14日 (木)

事実婚に関する法案

Coppie_di_fatto 機会均等大臣のバルバラ・ポッラストリーニが事実婚に関する法案を提出した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月9日)。

大臣によれば、「事実婚に関する法律は、2007年1月までに提出するのが政府の責務」とのこと。

この法案では、異性間のカップルと同性間のカップルに区別を設けていない。権利と義務も同一である。

事実婚のカップルは、コムーネ(市役所)で、二人の関係を登録する。

ある一定期間の同居の後は(最低5年を想定している)、遺族年金が受けられる。しかし、どこからが全額で、どこからが一部であるかは、政令で決める。

法定相続人になれるかどうかについても、最低5年以上同居ののち、権利が発生するとしている。ただし、同居者の相続権は、配偶者の相続権よりは弱いものとなる見込み。

事実婚をコムーネに登録するさいに世俗的な儀式をすることも検討されたが、不採用となった。

事実婚を解消するには、一方の当事者が、申請すればよい。もう一方が反対することは出来ない。扶養手当の権利は3年間しか持続しない。

同居者が死んだ場合、借家の契約は、残ったものが引き継ぐことが出来る。この件に関しては、コムーネに事実婚の登録がない場合でも可能。

養子の可能性に関しては、異性カップルも同性カップルも、言及していない。このテーマは、未成年者の権利に関わるので、最終的には、別の法案に盛り込まれることになるだろう。

以上は、あくまでも法案なので、議論が交わされ、修正される可能性がある。

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アラーニャ、スカラ座の舞台を途中で退場

Alagna ラダメス役のロベルト・アラーニャ

Jeans 急遽、アラーニャの代役をつとめたアントネッロ・パロンビ(左)

12月7日、スカラ座の新たなシーズンが開幕したが、12月10日の上演で、ラダメス役のロベルト・アラーニャがブーを受け、途中降板した(この項、Corriere.it による)。

アラーニャは、第一幕の冒頭近いアリア‘Celeste Aida' (清きアイーダ)を歌い終えると、天井桟敷 (loggione) の観客たちにブーをうけ、舞台を降りてしまった。

急遽、代役として登場したのはアントネッロ・パロンビだが、舞台衣装をつけておらず、ジーンズと黒いシャツで登場した。天井桟敷からは、「ここはスカラ座だぞ」「恥を知れ」という声が飛んだ。

この模様は、今のところ、Corriere. it および Repubblica.it (こちらの方がより詳しい)でヴィデオ映像で確認することが出来る。

また、Corriere.it にはアラーニャへのインタビューがヴィデオ映像で掲載されており、14日の舞台には戻るつもりだと述べている。

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2006年12月13日 (水)

『人生は、奇跡の詩』

La_tigra ロベルト・ベニーニ監督・主演の『人生は、奇跡の詩』を観た(日比谷・シャンテシネ)。

この映画では、ベニーニが、詩人兼大学教授アッティリオを演じる。アッティリオは毎晩、ある女性の夢を見る。

その女性は実在しているのだが、それがヴィットリア(ニコレッタ・ブラスキ)で、アッティリオはストーカーすれすれにヴィットリアの後を付けていくが、ヴィットリアはつれない。一緒に暮らそうというアッティリオに、「ローマで雪が降って、その中で虎を見たらね」、とまるで、かぐや姫のような難題を持ち出す。

ヴィットリアも文学にかかわっていて、イラク最大の詩人フアド(ジャン・レノ)の伝記を書こうとしている。フアドはイラク開戦間近になって、イラクに帰国する。ヴィットリアもイラクへ取材に行くが、戦争で大怪我を負う。

それを知ったアッティリオは、いてもたってもいられず、赤十字の医者に扮装してイラクへと駆けつける。

ここから先は、どう書いてもネタバレになりそうなので省略するが、ベニーニの言葉のマジックを楽しめるかどうかが、この映画を評価する鍵かもしれない。

映画で詩人が主人公というのは珍しい(伝記映画は別として)。映画冒頭では、はめ込み画面だがうまく処理してあって、人々が集まるなかにモンターレやウンガレッティという実在した詩人がいるのだ。

詩や愛は、世界を変えることが出来るのだろうか?答えはNoだろう。しかし、世界を見るまなざしは変えることが出来るのかもしれない、というようなことを考えさせる映画である。

イラクの医者に、アッティリオが、ヴィットリアは重体で、あとはもうアラーの神に祈るしかない、と言われ、アッティリオがPadre Nostro (キリスト教の主の祈り) を祈るシーンには、心をつかれた。

映画館はすいていた。映画館で見たい人は、早めに行くことをおすすめする。ベニーニの大傑作『ジョニーの事情』は、封切られてあっという間に上映が打ち切られてしまったという前例もあるので。

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総選挙の白票、数え直し

Schede_bianche 今年4月に実施された総選挙のうち、上院議員選挙の白票・無効票を数え直すことで、与党・野党が合意した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月7日)。

現在のところ、7つの州で数え直す。カンパーニャ州、ラツィオ州、トスカーナ州、ロンバルディーア州、プーリア州、シチリア州そしてカラーブリア州。

再確認する票数は、合計で75万票となる。

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2006年12月12日 (火)

イタリア社会共和国の元軍人がフィレンツェ賞授賞

Ciabattini ピエトロ・チャバッティーニの著書『統帥、国王、彼らの7月25日』(Editriice Lo Scarabeo) がフィレンツェ賞を獲得したことが、フィレンツェを二分している(コリエレ・デッラ・セーラ、12月3日)。

チャバッティーニは、イタリア社会共和国(ナチによる傀儡政権)に、進んで参加し、イタリアのSSとして活動し、そのことを悔いていないのである。

「私は間違った側に立って戦ったと言われるが、負けた側にいたということに過ぎないと思う。もし勝っていれば、正しい側ということになっていたでしょう。ともかく、恥じることは何もない」

その著書で、彼は、ムッソリーニとヴィットリオ・エマヌエーレ3世の間には、1943年のムッソリーニの政治からの退場に関し、秘密の合意があったのではないかと主張している。

フィレンツェはレジスタンスの中心地の一つであっただけに、彼の受賞をめぐる賛否は、激しいものとなった。

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2006年12月11日 (月)

野党のデモ、200万人集まる

Corteo_roma 野党が呼びかけたデモに、200万人以上の人が参加した(コリエレ・デッラ・セーラ、12月3日)。

ただし、その数字は主催者側発表のもので、警察発表では、70万人とのこと。

野党党首として、ボッシ、フィーニ、ベルルスコーニが集合し、プローディは辞任すべきだと主張した。

プローディ首相は、政府を倒すのは、デモ行進ではないと反論した。

Udc(キリスト教民主連合)は、パレルモで集会を開いた。カジーニはローマのベルルスコーニにエールを送りつつも、中道右派の中で、独自路線を歩みつつあるようだ。

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シューマッハ、マラネッロの名誉市民に

Schumacher_maranello F1の元パイロット、ミヒャエル・シューマッハが、フェラーリの地元マラネッロの名誉市民となった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

シューマッハは名誉市民となる式典で、鍵と馬のマークの入った鐘をもらった。

シューマッハは12月5日から、マラネッロの16216番目の市民となった。名誉市民である。

マラネッロの市長ルーチャ・ブルシ(左翼民主党)が、モンテツェーモロやジャン・トッド(フェラーリの代表取締役)、ミヒャエルと並んで壇上に立った。

マラネッロの歴史では、シューマッハの前に、名誉市民となったのは、フェラーリの会長、ルーカ・コルデロ・ディ・モンテツェーモロのみ(2001年)である。

エンツォ・フェラーリ(創業者)は、マラネッロ市民だったので、その必要も意味もなかったのである。

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2006年12月10日 (日)

パドヴァで、ゲイ・カップルを戸籍に

Elton_john_david_furnish エルトン・ジョン(右)とデイヴィッド・ファーニシュ

パドヴァ市議会で、事実婚のカップル(同性婚を含む)を戸籍に登録する動議が承認された(コリエレ・デッラ・セーラ、12月6日)。

この案の投票が行われる時、国民同盟の議員は議場を去ったが、議案は承認された。

その結果、パドヴァは、事実婚(同性婚を含む)を戸籍で承認するイタリア初の都市となった。

ヨーロッパでは25ヶ国のうち、17ヶ国でこのような権利は認められている。

一年前に同性婚を認めるようになったイギリスでは、9ヶ月間で15672組のゲイ・カップルが登録をした。年齢は若くない人が多く、35歳以下は24%であるのに対し、25%は50歳以上であった。

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接続法の黄昏

接続法の黄昏というマッテオ・プレシヴァーレの書いたコラムが掲載されているので紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、12月2日)。

今や、絶滅に瀕した動物のように、接続法(il congiuntivo, modo congiuntivo) は絶滅へと向かっている。テレビでは、深夜放送や視聴者の少ない番組を除いて、事実上、接続法を使用しなくなっている。

また、外国人向けのイタリア語のコースでも、接続法は、一種のオプションになっているというのは、悪いニュースだ。

この表現方法は、外国人向けの学習書では、上級のところに追いやられている。イタリア語の中級まで習って卒業しようと思うものには、習う必要がないのだ。

よく用いられる Barron の Italian Verb Workbook では接続法が登場するのは第4部であり、Alma の Espresso 1 & 2 では第二巻の終わりに出てくる。

インターネットにも次のような情報が寄せられている。Word Reference というフォーラムに書き込まれたものだが、あるテクサスの21歳の人が、フィレンツェで3ヶ月間、イタリア語を習った。接続法の所に達すると、先生は、イタリア人はあまり使わないと言った。そのクラスの生徒に与えた影響は? 「ほとんど、習う気が失せた」。

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ミラノ、痩せすぎモデルへの規制開始

Bianca_balti ビアンカ・バルティ(22歳)

ミラノがファッション・モデルに関し、新たな基準を作った(コリエレ・デッラ・セーラ、12月2日)。

ただし、これは命令ではなく、市当局が、デザイナー、カメラマン、ファッション雑誌出版社、エージェントに、モデルに関する規則を守るよう依頼するという形をとる。

それによれば、16歳未満であったり、IMC(BMI 体重を身長の二乗で割ったもの)が18以下の人は、ファッション・ショーに出られない。

さらに、ショーに出るものは、精神物理学的適性があるという医師の証明書(心身ともに健康という証明)と、食事・栄養に関するコースへの参加が必要となる。

ミラノ市長のモラッティは、「われわれは法律ではなくて、自主規制が必要だと思っている」と述べている。

この規制は、来年2月17日幕開けとなる新シーズンから適応となる予定だ。

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アリタリア、民営化へ

Az747f アリタリアが民営化に向かって一歩進むことになった(コリエレ・デッラ・セーラ、12月2日)。

現在、政府はアリタリアの株式49,9%を所有しているが、これを売却して、30%以下の所有とする。売却代金は、2億5千万~3億ユーロとなる見込み。

アリタリアの今年の9ヶ月間の純損益は、1億7300万ユーロで、昨年同期は1億3400万ユーロの純損益であった。赤字幅は広がっているのだ。

会社は、昨年、国および民間から10億ユーロの増資をうけている。さらにその数年前にも国からの援助を受けた。

EU委員会は、もはや、アリタリアに対する公的援助を認めない方針である。

この政府所有の株売却方針を、株式市場は好感し、アリタリアの株は、一時は一気に16%上昇し、11,56%上昇で引けた。

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2006年12月 9日 (土)

プローディ、告訴も辞さず

Prodi_150806プローディ首相が怒っている。ミトロヒン委員会で、自分がKGBのエージェントではないかという容疑で調査されていたことに対し、「市民としての尊厳を傷つけられた」として訴訟も辞さない構えである(コリエレ・デッラ・セーラ、12月1日)。

それに対し、ミトロヒン委員会の委員長だった上院議員のパオロ・グッツァンティは、下院および上院議長に保護を求めている。

プローディは、ミトロヒン事件に関し、誰を告発するのかは明らかにしていない。

一方、左翼民主(党)のファッシーノは、彼らはこの国の民主主義を転覆しようとしていた、と非難した。

グッツァンティは「陰謀」を図ったことを否定している。

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2006年12月 7日 (木)

売れなくなったプレゼピオ

Presepiojen2002278 イタリアのパドヴァのデパート・リナシェンテでは、プレゼピオを置かないことになった(コリエレ・デッラ・セーラ、11月30日)。

パドヴァのリナシェンテは、プレゼピオ(キリストの生誕の場面を模した人形)を置かないことにしたが、その理由をミラノ本店のマーケティング部門は次のように説明している。

「数年前から、製品が売れない。ビジネスとして成り立たない。売れない物は、売り場から取り除くしかない」。

パドヴァの Ikea もプレゼピオを売らないが、理由は異なる。プレゼピオは、スカンディナヴィア(北欧)の文化的伝統に属していないので、イタリアでもその他の国でも売ったことはないのだそうだ。

プレゼピオの起源は、アッシジのサン・フランチェスコが1223年に、ある洞窟に、牛やロバの間に赤ん坊のイエスの像を置いたのが始まりとされている。

法王ヨハネ・パオロ2世は、2004年にクリスマスの最も重要な象徴はプレゼピオ(presepio または presepe)だと認定したのであった。

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リトヴィネンコ事件に関わったイタリア人

Scaramella03g マリオ・スカラメッラ

元ロシアのスパイ、リトヴィネンコがポロニウム210という放射性物質で毒殺された事件で、リトヴィネンコと一緒にロンドンの寿司バーで食事をしていたイタリア人マリオ・スカラメッラについての情報が明らかになってきた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月30日)。

スカラメッラは、環境安全の専門家で、ミトロヒン委員会の顧問。

このミトロヒン委員会では、ロマーノ・プローディ首相、緑の党のペコラーロ・スカーニョ、カンパーニャ州知事のバッソリーノについて調査していた。

フォルツァ・イタリアの政治家パオロ・グッツァンティの依頼で、スカラメッラは、プローディとスカーニョがKGBのエージェントであることを「証明」しようとしていた。

バッソリーノに関しては、カモッラ(犯罪組織)とつながった共産党系の生協に、入札で仕事を請け負わせていたことを「証明」しようとしていた。

このいきさつは、グッツァンティ上院議員とスカラメッラの電話の盗聴から明らかになった。スカラメッラは、警察や刑務所の情報網を利用することが出来たし、2人のCIAのメンバーからも情報を得ることが出来た。

そのうちの一人は、Bob Lady で、元ミラノ支局のセンター長であった。

実は、去年の初め、スカラメッラが関わった事件があり、武器や放射性物質の取引で、ナポリ検事局が捜査を開始したが、この件はローマに送られ、そこで捜査が止まってしまった。

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イタリア銀行の改革

Palazzo_koch イタリア銀行のあるパラッツォ・コッホ

イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、銀行の改革案を臨時総会で打ち出した(コリエレ・デッラ・セーラ、11月29日)。

新たな規約は、ドラーギの説明の後、全会一致で承認された。

これにより、次の6点が決められた。

1.理事会は、5名から構成される。総裁、総局長(direttore generale),  3名の副総局長である。

2.決定は、多数決による。同数のときは、総裁の票で決定する。

3.総裁の任期は、不定期ではなくて、6年とし、一度だけ再任が可能。

4.規約の第一条に、イタリア銀行の独立性と自立性を規定した条項が挿入された。

5.複式投票を止める。持ち株とは関係なく、投票の上限を定める。

6.現在、銀行が保持している株を、国庫省に移管する。

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2006年12月 4日 (月)

ミシュランの三つ星レストラン

Marchesi グァルティエーロ・マルケージ

2007年度版のミシュランの赤(レストラン・ガイド)が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、11月28日)。

グァルティエーロ・マルケージの《Hostaria dell'Orso》は星を一つ減らした。

ジャンフランコ・ヴィッサーニは二つ星のままだった。

三つ星レストランの5つは、北部、中部のみで、南部には一つもないところが、ミシュランの性格を反映しているとも言える。

三つ星は、パドヴァのマッシミリアーノ・アライモの《Le Calandre》、ノヴァーラのルイーザ・ヴァラッツァの《Al Sorriso》、マントヴァのナディア・サンティーニの《Dal pescatore》、フィレンツェのジョルジョ・ピンキオッリとアニー・フェオルデの《Enoteca Pinchiorri》、ローマのハインツ・ペックの《La pergola》(ヒルトンホテル)であった。

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シェル・エスプマルク、ノーベル文学賞の選考について語る

Kjell_espmark 去年までノーベル文学賞選考委員会の委員長だったシェル・エスプマルクが、選考について語った(コリエレ・デッラ・セーラ、11月27日)。

それによると、ウンガレッティはクヮジーモドよりもノーベル賞にふさわしかったが、まだエスプマルクは選考委員でなかった。

「イタロ・カルヴィーノは、早死にしなければ、きっと受賞していたろう。本当に残念だ」。

「私は、エルサ・モランテに受賞させて、世界中を驚かせたかった」。

エズラ・パウンドは、現代詩の偉大な革新者であったが、戦争中にラジオ放送で、ヒトラーやムッソリーニを支持したのが妨げとなった。

ボルヘスの場合も、アルゼンチンの独裁者ヴィデラへの支持が障害になった。

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ベルルスコーニの体調不良

Berlusconi ベルルスコーニ元首相が、モンテかティーニで、演説中に突然気分が悪くなり、病院に運ばれた(コリエレ・デッラ・セーラ、11月27日)。

首相は急遽、ミラノのサン・ラッファエーレ病院に入院したが、元気とのこと。

この模様を、マードックの所有する Sky テレビの Sky Tg24 は詳しく伝えたが、ベルルスコーニ自身が所有する Mediaset はプライヴァシーを理由に、ベルルスコーニがボディガードに抱きかかえられ運ばれる様子を、午後二時以降は放映しなくなった。ベルルスコーニが倒れたのは午後一時過ぎである。

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異端とされた司教

Rogo_eretici 火刑に処せられる異端者

マッシモ・フィルポ著『司教で異端者ヴィットーレ・ソランツォーー教会改革と16世紀におけるイタリアでの異端審問』(Laterza, 538ページ、48ユーロ)が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、11月26日)。

ソランツォとは誰か? 司教で異端という所にすべてはかかっている。16世紀半ば、高位聖職者がトレント公会議に集まって、プロテスタント改革による教会分裂の影響を最小限に食い止めようとしていた時に、ヴェネツィアの貴族ヴィットーレ・ソランツォは、ベルガモ司教区をゆだねられた。

著者フィルポは、今日広まっている見解、対抗宗教改革は、教会の改革だったという考えを自問する。

ドイツ語圏と接しているヴェネツィア共和国は、イタリアにおける改革の入り口でもあった。1530年代には、ルターの考えは、ヴェネツィア共和国のすみずみまで流布していた。

しかし、長い間、ソランツォもその師ピエトロ・ベンボも、宗教に関することよりは、ペトラルカの詩や言語論争に興味を抱いていた。

転機は、1538年、ベンボが枢機卿に任命された時に訪れた。そして、ソランツォは、第三の道を追求する人たちに出会う。ソランツォはキリスト教を救うには、妥協しかないと考えた。ルターの改革を受け入れるが、ただし、ローマ教会の枠組みの中でのことにする、と。

こうした第三の道は異端とみなされ、ソランツォは1550年、サンタンジェロ城の牢屋に入れられ、後に、釈放されるが、名誉を回復することなく1558年に世を去る。

ベルガモにおいては、ソランツォは1540年代に類いまれな実験を試みていた。彼は、ルター派の宣伝を通じてイタリアに到達した宗教改革の考えを実践した唯一の司教であったのだ。

当時のベルガモ(他の地域も似たり寄ったりであったが)には、ワインや狩猟、仮面舞踏会、賭け事に夢中の司祭がいて、内縁の妻がいたり、女たらしだったり、男色家、小児愛症者だったりした。

そのような状況のもと、ソランツォは、理論ではなく、実践的な面でルター派的だった。聖人の崇拝、免罪に反対し、聖遺物に祈ったり、偽の奇跡を宣伝することに反対した。また、煉獄の存在を否定した。

異端とされた直接の容疑は、ルターの書物を隠し持っていたことだった。

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2006年12月 3日 (日)

開票作業をめぐる捜査開始

Deaglio 4月の総選挙の白票の扱いに不正があったと告発する映画をつくったエンリーコ・デアリオ

エンリーコ・デアリオのドキュメンタリー映画をきっかけに、4月の総選挙の開票作業に関し、判事による事情聴取が開始される(コリエレ・デッラ・セーラ、11月26日)。

11月26日には、内務省選挙管理本部の責任者が、28日にはDVD『あなたたちが民主主義を殺した!』の作者エンリーコ・デアリオとベッペ・クレマニャーニが聴取を受ける。

その間に、ローマの検事ジョヴァンニ・フェッラーラと検察官サルヴァトーレ・ヴィテッロとフランチェスカ・ロイは、映画の中で内務省にあるとされる白票をフォルツァ・イタリアの票に変えてしまうソフトウェアに関し、調査を開始した。

中道左派は、事態を明らかにすることを求めてはいるが、調子は激しくない。今、立ち向かうべきは、社会問題であって、過去の選挙の問題よりはそちらが重要であり、政治が麻痺してしまう必要はない、という認識である。

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2006年12月 2日 (土)

総選挙をめぐる映画

Uccidete_la_democrazia 4月の総選挙をめぐる映画、エンリーコ・デアリオの『あなた方が民主主義を殺した!』が、開票作業に不正があったか否かの論争を巻き起こしている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月25日)。

映画自体は、当時のベルルスコーニ政権が白票を自分の票とカウントしたという疑惑を告発するもので、「4月の選挙についての覚書き」という副題がついている。

現在の下院議長のベルティノッティは、選挙は合法的だったと述べ、議論の沈静化をはかっている。

左翼民主(党)のピエロ・ファッシーノ書記長は、あらゆる疑いを払拭した方が良いと主張している。

近年の白票の割合の推移を見ると、たしかに今年4月の総選挙は不自然に低いように見える。

1983年6月14日 1,9%
1992年4月5日  2,1%
1994年3月27日 3,4%
1996年4月21日 3,1%
2001年5月13日 4,2%
2006年4月9日  1,13%

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ハイドン『月の世界』

Photo_68 ハイドンのオペラ『月の世界』を観た(北とぴあ・さくらホール)。

ゴルドーニ原作、ハイドン作曲のオペラである。

ボナフェーデという老人には、クラリーチェとフラミニアという二人の娘がいるが、ボナフェーデは娘たちを男と交際させない。彼女たちに思いを寄せるエックリティコとエルネストは一計を案じる。

エックリティコがボナフェーデに、自分は月の皇帝から招待されて月へ行くが一緒に行かないかという。ボナフェーデがどうやって行くのかと尋ねると、特別な薬を飲むと身体が軽くなって飛べるようになるのだ、というがこれが実はただの睡眠薬。

ボナフェーデが薬を飲んで目覚めると、エックリティコの家の庭に運び込まれていて、そこを飾り立てて月だと思いこませる。月の世界へ、地上から、娘二人とお手伝いのリゼッタが呼び寄せられる。

月の皇帝(実はリゼッタの恋人チェッコ)は、リゼッタを玉座につけ、さらに、エックリティコやエルネストに娘たちの持てなしを命ずる。ボナフェーデは、止めさせようとするが、皇帝は、これが月の習慣だと丸め込む。

二組のカップルは結婚することになるが、ぎりぎりのところで、正体および事情が明かされる。ボナフェーデは怒るがあとの祭り。

とても楽しいオペラであるが、今回の演出は、その楽しさを伝える工夫に富んでいた。まず、序曲の時に、登場人物が幕に漫画のイラスト(加藤礼次朗)で大映しにされる。

月の世界(と想定されている場所)に行く話であるし、月の皇帝(実は従者のチェッコ)も出てくるので、服装が漫画的なのは実にぴったりなのだ。

第一幕の天体望遠鏡を備えたエックリティコ家の内部も、当然現実離れしている。

こうした装置・舞台にどれだけ演出家・実相寺昭雄(11月29日に亡くなった)の意図が反映されているのか、どこからが、もう一人の演出家三浦安浩のアイデアなのか、はたまた美術・唐見博の工夫なのかは判らない。

この演目は、DVDもなく、舞台を見るのも初めてなのだが、優れた装置であったと思う。

指揮は寺神戸亮・管弦楽レ・ボレアードで古楽器を用いての演奏。

ハイドンのオペラを聴くと、時代はほとんど重なっているのに、いかにモーツァルトの感情表現と異なっているか、に驚く。モーツァルトの方が、はるかにロマン派的になっているのだ。それに対し、ハイドンは機智に富み、ドライである。啓蒙主義時代の作曲家、即ち、理性重視の作家なのだということを改めて感じる。

第1幕の終わりで、睡眠薬を飲んだボナフェーデが死んだと思い、娘クラリーチェと女中リゼッタは嘆くが、遺産がもらえると判ると、俄然元気になるおかしさ。

あるいは、第二幕で、月の皇帝が、ボナフェーデに向かって、「お前の世界では、ほとんどの者が実は気が触れておる」(Quasi tutti al vostro mondo siete pazzi in verita')と、観客の一人一人を指さしながら歌うのも、愉快だった。

歌手はボナフェーデのフルヴィオ・ベッティーニ(バリトン)が群を抜いて秀逸。演技も、声質、声の表情、レチタティーヴォも含め、高水準であった。

娘役のソプラノ・森麻季(フラミニア)、ソプラノ・野々下由香里(クラリーチェ)も、セイラームーンを思わせる衣装をまとい、ヴィヴラートをかけすぎない声で、安定した演奏を聞かせてくれた。

女中リゼッタ(穴澤ゆう子・メゾソプラノ)は、第一幕は女中で、第二幕では月の皇帝に求婚されるという見せ所、聞かせ所たっぷりの役だが、達者な演技力で、声も声量こそ圧倒的ではないものの、表情豊かに、お后に変身する時にはどきっとするお色気も発揮して、舞台を盛り上げていた。

エックリティコのセルジュ・グビウ(テノール)、エルネストの彌勒忠史(カウンターテナー)も、着実な歌唱とアドリブ的(実はアドリブではないと思うが)なジェスチャー・演技で観客にうけていた。

チェッコの水船桂太郎は、従者と月の皇帝を演じ、リゼッタとペアになる存在だが、上にあげた ‘siete pazzi' のアリアが熱唱だった。レチタティーヴォの声質に磨きがかかるとさらに良いと思う。

インターネットで調べると意外なことに、ハイドンの『月の世界』は別の団体も上演しており、日本初演ではないが、いずれにせよ、極めてまれな上演であることは間違いない。

接する機会の稀なハイドンのオペラに音楽的にも、お芝居としても、十分堪能できる上演に出会えたのは、幸せなことであった。

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2006年12月 1日 (金)

1000万人の女性が暴力の犠牲者

Stupro10 1000万人のイタリア女性が、性的暴力の犠牲になっている(コリエレ・デッラ・セーラ、11月24日)。

14歳から59歳の女性で、一度以上、強姦されたか強姦未遂にあった人は50万人、即ち、全体の2,9%。

セクシュアル・ハラスメントは、58,2%が、犠牲者の知らない人によるもの。19%は道路で、31,6%は公共輸送機関の中でである。

性的暴力のうち犯人が見知らぬ人であるのは3,5%。セクシュアル・ハラスメントとは逆に、強姦の犯人はほとんどが犠牲者の知人・家族である。23,8%が(犯人は)友人。12,3%が知人。婚約者または元婚約者が17,4%。夫か元夫が20,2%。

15歳から59歳の女性のうち、90万人は、仕事場で、採用や昇進に関し、性的関係を求められたことがある。

見出しに述べた1000万人の犠牲者というのは、350万人がセクシュアル・ハラスメントの犠牲者。400万人が露出狂およびストーカーの犠牲者。約450万人が猥褻な電話の犠牲者。460万人が言葉によるセクハラの犠牲者。

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