ジュリエットはフリウリ女だった?
Francesco Hayes の「ロミオとジュリエットの別れの接吻」(1823)
ヴェローナの《ジュリエットの家》
ヴィチェンツァの医師が、『ロミオとジュリエット』のジュリエットは、フリウリの女性だったという説を出した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月24日)。
ロミオとジュリエットといえば、ヴェローナが舞台ということになっていて、ジュリエットのバルコニーがあるとされる家(カプレーティ家ではなくて、カペッロ家なのだが)には、年間20万人が訪れる。
このたびヴィチェンツァの医師アントニオ・ダ・ポルトは、『ロミオとジュリエット』のあら筋は、事実に基づいており、彼のご先祖のルイージ・ダ・ポルトの書いた自伝的な書物が種本だという主張を展開した。
彼のご先祖(ロメオに相当)は兵士かつノヴェッラ(短い物語)の書き手で、フリウリ地方に戦いのため出かけていく。そこでその地の女性(ジュリエット)に恋をしたというわけだ。従来の説では、ヴェローナであるからヴェネト地方の女性ということになるのだが、新説ではフリウリ地方の女性ということになる。そして、彼女の名前は、ジネーヴラという。そして二人の恋は、ルイージが戦争で大きな負傷を負うことで終わる。ジネーヴラという名前がジュリエット(イタリア語ではジュリエッタ)になったのは、フリウリ地方は正式にはヴェネツィア・フリウリ・ジュリア地方というのだが、そのジュリアから来ているものだというのである。
『ロミオとジュリエット』を映画化したゼッフィレッリは、こういうストーリーの細部を事実と照合するのは馬鹿げており、これは口承の物語、空想的な過去なのだ、という見解を述べた。
通常は、ダ・ポルトの書いたノヴェッラ(物語)、およびバンデッラの書いたノヴェッラ、そしてそれを英語に翻訳したアーサー・ブルックの書物がシェイクスピアの種本ということになっているようだ。とすると、ダ・ポルトの子孫アントニオは、通常の種本となったノヴェッラのさらに元になったのは、ルイージ・ダ・ポルト自身の経験した恋愛事件だったという主張をしていることになる。
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