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2006年9月30日 (土)

《トリノ、24時からの恋人たち》

Mole2(左の塔)モーレ・アントネッリアーナDopo_mezzanotte3                                     

《トリノ、24時からの恋人たち》を観た(渋谷・文化村・ル・シネマ、10月20日まで)。

昨年5月のイタリア映画祭でも観たので二回目である。

原題は 《Dopo mezzanotte》 (真夜中を過ぎて)であるが、なかなか洒落た、叙情的な映画だと思う。

2人の男と1人の女をめぐる物語であるのだが、人物ではない登場者が人物と同じくらい大きな存在をしめている。一つは、映画の舞台となるモーレ・アントネッリアーナというトリノの町のどこにいても目に付く巨大な塔である。

この建物、1863年に、信教の自由を得てまもないユダヤ人コミュニティーが、天才的建築家アレッサンドロ・アントネッリに依頼してシナゴーグ(sinagoga, ユダヤ教の教会)として計画したのだが、途中で何度も建築家が設計変更を加え、完成までの年月が延び、資金不足となり、頓挫した。

ユダヤ人コミュニティーは、トリノ市へこれを譲渡した(別の土地と交換した)。建物は、イタリア建国の父ヴィットリオ・エマヌエーレ2世を記念するものとなったが、またまた設計変更が行われ、高さも、146,153,そして最終的に167メートルとなり、当時ヨーロッパ随一を誇る高さの石造建築となったのである。

しかし完成後も、この建物、順風満帆ではなく、1887年には地震に襲われ、1904年の豪雨、1953年の豪雨に襲われ、この時は47メートルの尖塔が墜落してしまい、1961年に再建された時には、石造りでなく、金属製になってしまった。

ここには現在、国立映画博物館がある。企画自体は、1941年からあったのだが、様々の試行錯誤をへて実際にオープンしたのは、1958年9月27日であった。火事にあって、1983年からしばらく閉鎖されていたが、2000年に新装オープンした。その時に、四方がガラスのエレベーターが取り付けられた(以前からエレベータ自体はあった)。このエレベーターで、吹き抜けの堂の中を、途中に階もなく、止まることもなく、まったく宙ぶらりんのまま、高さ85メートルの地点まで昇るのであり、そこからトリノ市内を一望することが出来る。

映画博物館は、幻灯機から始まって、手回し撮影機(自分で回して《いにしえ》の画像を観ることが出来る)、スチール写真、映画の小道具、セットが並んでいる。

ここからネタバレです。

女主人公アマンダ(フランチェスカ・イナウディ)は、とある事件を起こして、真夜中の町を走り、この建物へ逃げ込む。そこに出くわすのは、映画オタクで、この映画博物館の夜警をしているマルティーノ(ジョルジョ・バゾッティ)。アマンダには、もともと車泥棒のちんぴらだが、心優しいところもあるアンジェロ(ファビオ・トロイアーノ)という恋人がいる。

三角関係となる。

人物でない登場者とは、モーレ・アントネッリアーナと映画、あるいは映画の歴史である。20世紀初頭のトリノや無声映画がたびたび挿入される。ストーリとしては、マルティーノが観ているわけだが、映画のなかに映画が挿入されれば、メタ映画的性格が強くなる。

シルヴィオ・オルランドをナレーションにのみ使うという贅沢をこの映画は享受しているのだが、ナレーションの存在が冒頭だけで消えず、要所要所にはいってきて、三人の恋愛物語を距離を持って、見させる。

ストーリにベタに没入したい人にとっては、困惑する映画かもしれない。逆に、今さら、ベタな恋愛ものはという人にとっては、そのズレ(マルティーノは実際、バスター・キートンのパロディ的に、ずっこける)、ズラシが快感を生むかもしれない。

トリノの中心街は、まるでパリのように美しいのだが、映画の物語進行の中では、周到に避けられている。登場人物たちの社会階層を考えれば、働く場所、住む場所がそういった地区と無縁なのも無理はない。しかしそれが意図的なものだと考えられるのは、モーレ・アントネリアーナからは、角度によって、トリノ中心部の壮麗な街並みも見渡せるはずなのだが、映るのは郊外よりの平凡な建物に限られているのだ。

トリノの中心街や、中央駅から王宮まで直線上にならぶ3つの広場は、手回しの白黒フィルムの中にのみ登場するのである。

古典的な美、古典的恋愛が、直写の対象としては、方法論的に排除されている。それらは、あくまでも引用の対象なのである。そうした対比(直写されるものと、引用されるものとの対比)によって、われわれは、われわれの生きる時代の性格を読み取る、あるいは再解釈することを余儀なくされるのだろう。アンジェロが死ぬ間際に見るイメージは、《もっと安全な町を》という巨大な文字と巨大なベルルスコーニの顔が描かれた政治宣伝のキャンペーンカーなのだ。この痛烈な皮肉、諷刺を笑い、アンジェロの運命に涙する人が、監督の想定する観客なのだろう。

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盗聴記録、破棄を命令

Di_pietro_1 ディ・ピエトロ大臣

テレコムが絡んだ盗聴事件は、関係書類を破棄するよう暫定措置令(decreto legge) が出された(コリエレ・デッラ・セーラ、9月25日)。

ディ・ピエトロ・インフラ大臣は判事の意見を聴くように求めていた。判事たちは、盗聴内容のなかに犯罪が含まれているかもしれないから破棄しないよう求めている。

しかしながら、盗聴自体が違法であることを重くみて、法案の修正はしないとプローディ首相はディ・ピエトロ大臣に告げた。盗聴内容が書き記された書類は、内容のいかんにかかわらず破棄されることになる。

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大統領、安楽死論争を呼びかける

Welby2  ナポリターノ大統領は、ピエルジョルジョ・ウェルビからの安楽死の合法化とその適応を自分自身に求める公開書簡に答え、安楽死についての議論を進めるよう国会にうながした(コリエレ・デッラ・セーラ、9月24日)。

ウェルビは、進行性の筋ジストロフィーで寝たきりの状態が長らく続いている。彼は、イタリアにおける安楽死の合法化を求めている。彼は、大統領からの書簡を受け取り感動し、「国会がすぐに仕事にとりかかってほしい」とコンピュータで合成された声で述べた。

ウェルビは60歳だが、人生の半分以上を歩くことができずに過ごし、3分の1を話したり、書いたりできずに過ごしてきた。最近の数ヶ月は何をすることも出来ない状態であるという。

政界では、すでに多くの反響が起こっている。積極的な推進派はマルコ・パンネッラで、実際にはイタリアのいくつかの病院で実施されているといい、離婚法をめぐる議論と同様に議論が深まっていけば、国民の間に賛成派が増えるだろうとの見通しを語った。

リヴィア・トゥルコ大臣は慎重派で、この問題に政府が介入すべきではなく、国民投票にかけることにも反対であると述べた。

カトリック系の政治家は、強く反対している。

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2006年9月28日 (木)

ジュリエットはフリウリ女だった?

Hayes1_1 Casa_di_giulietta_verona Francesco Hayes の「ロミオとジュリエットの別れの接吻」(1823)

ヴェローナの《ジュリエットの家》

ヴィチェンツァの医師が、『ロミオとジュリエット』のジュリエットは、フリウリの女性だったという説を出した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月24日)。

ロミオとジュリエットといえば、ヴェローナが舞台ということになっていて、ジュリエットのバルコニーがあるとされる家(カプレーティ家ではなくて、カペッロ家なのだが)には、年間20万人が訪れる。

このたびヴィチェンツァの医師アントニオ・ダ・ポルトは、『ロミオとジュリエット』のあら筋は、事実に基づいており、彼のご先祖のルイージ・ダ・ポルトの書いた自伝的な書物が種本だという主張を展開した。

彼のご先祖(ロメオに相当)は兵士かつノヴェッラ(短い物語)の書き手で、フリウリ地方に戦いのため出かけていく。そこでその地の女性(ジュリエット)に恋をしたというわけだ。従来の説では、ヴェローナであるからヴェネト地方の女性ということになるのだが、新説ではフリウリ地方の女性ということになる。そして、彼女の名前は、ジネーヴラという。そして二人の恋は、ルイージが戦争で大きな負傷を負うことで終わる。ジネーヴラという名前がジュリエット(イタリア語ではジュリエッタ)になったのは、フリウリ地方は正式にはヴェネツィア・フリウリ・ジュリア地方というのだが、そのジュリアから来ているものだというのである。

『ロミオとジュリエット』を映画化したゼッフィレッリは、こういうストーリーの細部を事実と照合するのは馬鹿げており、これは口承の物語、空想的な過去なのだ、という見解を述べた。

通常は、ダ・ポルトの書いたノヴェッラ(物語)、およびバンデッラの書いたノヴェッラ、そしてそれを英語に翻訳したアーサー・ブルックの書物がシェイクスピアの種本ということになっているようだ。とすると、ダ・ポルトの子孫アントニオは、通常の種本となったノヴェッラのさらに元になったのは、ルイージ・ダ・ポルト自身の経験した恋愛事件だったという主張をしていることになる。

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大規模盗聴事件、発覚

Tavaroli

ジュリアーノ・タヴァローリ

イタリアで大規模な盗聴事件が発覚し、20人が逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、9月21日)。

逮捕された中には、ピレッリのセキュリティー担当責任者で、2001年からはテレコム・グループ全体の責任者であったジュリアーノ・タヴァローリが含まれている。

また、彼の親友で、フィレンツェの私立探偵エマヌエーレ・チプリアーニも同じく逮捕された。

盗聴の対象者は数千人にのぼる大がかりなもので、ピレッリやテレコムの従業員、銀行家のチェーザレ・ジェロンツィ(カーピタリア会長)、カリスト・タンツィ、ヴィットリオ・リーパ・ディ・メアーナ、企業家では、デ・ベネデッティ、デッラ・ヴァッレ(企業家でフィオレンティーナのオーナー)、ニュッティ、ベネトンらが含まれている。

盗聴対象は多岐にわたっており、サッカー選手で元インテルのボボ・ヴィエーリ、審判のマッシモ・デ・サンティスも盗聴されていた。

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2006年9月26日 (火)

遺伝子組換え米がイタリアに

Agrobacterium 遺伝子組換え米が、アメリカからイタリアに輸入されていたことが発覚した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月22日)。

すし飯などに使用されていた模様。イタリア側は、保健省次官がアメリカのNAS(米国科学アカデミー)に詳しい情報を照会している。

 環境大臣のペコラーロ・スカーニョは、重大な関心を寄せて、「消費者の健康を守るためには、より多くの規定とコントロールが必要だ」と述べた。

 数日前には、イギリスで未認可の遺伝子組換え米が、見つかっている。

 またロッテルダムでは、非遺伝子組換え米と表示しながら、それが遺伝子組換え米だった事件が発覚している。

 パッタ次官は、現在まで遺伝子組換え米で健康被害が起こった事実はない、と事態の沈静化を図りつつも、検査の強化を求めていくとしている。

 遺伝子組換えの方法には大きく二つある。

 1.ある望ましい働きをする遺伝子(他の植物からのものである場合もあるし、ヴィールスやバクテリアからのものである場合もある)を切り離す。

 ここからAとBに別れる。

 A.アグロバクテリウム法
  2.遺伝子を土壌細菌のアグロバクテリウムに挿入する。
  3.土壌細菌が遺伝子を取り込み、それを稲の生殖細胞に送りこむ

 B.遺伝子打ち込み法
  2.遺伝子をミクロの泡にくっつける
  3.その遺伝子を、稲のDNAにつぎつぎに打ち込む

 ここからAB共通
 4.遺伝子を挿入された細胞を、実験室で増殖させる
 5.栽培の時点では、すでに遺伝子が組換えられた食物ができている。

 遺伝子組換え植物の利点:
 1.乾燥に強いーこのタイプはアメリカのFDA(Food and Drug Administration) が認可している。

 2.害虫に強いー1996年以来使用されている。

 グリーンピースとレーガアンビエンテは、アメリカの long grain 米の輸入差し止めを求めている。 

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2006年9月25日 (月)

ムッソリーニの二枚舌

De_gasperi 左ドン・ルイジ・ストゥルツォ
中アルチーデ・デ・ガスペリ
右ドン・ルイジ・ニコレッティ

ヴァティカンの秘密文書が新たに公開され、ムッソリーニがデ・ガスペリに選挙法に関して、比例選挙を守ると虚偽の約束をしていたことが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月19日)。

両者の唯一の会談は1922年12月21日に持たれたもので、ローマ進軍から二ヶ月足らずの時である。

この時、ムッソリーニは、比例選挙を支持しているし、一党で多数派を形成しなくても、二、三党で形成すればよい、と述べている。

しかし翌年、4月25日、ファシスト大評議会は、新選挙法を採択し、25%以上獲得した第一党が全議席の3分の2を取るというアチェルボ法案を採択し、同年、国会に提出している。

こうして、ファシスト党が絶対的な権力を奪取していくわけである。

二人のやりとりは、ヴァティカンがピオ11世アキッレ・ラッティの治世1922年から1939年の3万ユニット(カードの束、封書、関係書類)の秘密文書公開によって明らかになったものである。

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2006年9月24日 (日)

マルペンサ空港の危機

Malpensa ミラノ・マルペンサ空港が、乗客の増加の対処に苦慮している(コリエレ・デッラ・セーラ、9月19日)。

ミラノ・マルペンサ空港(Mxp)は、ヴァレーゼ県に位置し、ミラノ市からは53㎞西北方向に離れている。

ヨーロッパを代表するハブ空港となり、大陸間を結ぶ航路をはじめとして空路の要となるべき空港である。

 ところが、空港とミラノをつなぐ道路や鉄道の整備が思うように進んでいないのである。

 また、荷物問題も重くのしかかっている。マルペンサ空港は、たびたび、荷物に関する緊急事態が語られている。荷物の紛失、載るべき荷物が飛行機に載っていない、行き先間違いなどなど。専門用語では《disguidati》というそうだ。荷物1000個につき47個が valige 《disguidate》となっており、ヨーロッパで四番目に悪い記録だという。

 2005年の公式記録では、マルペンサの同年の利用客は1949万9158人。離着陸、22万7718回。荷物3億6897万6千キログラム。

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2006年9月23日 (土)

グイド・ロッシ、サッカー連盟特別代表辞任

Guido_rossi イタリアサッカー連盟特別代表(commissario straordinario della Federcalcio)グイド・ロッシがその職を辞任した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月19日)。

これは、同氏がテレコム会長に就任したため。一連のサッカースキャンダルを受け、サッカー連盟会長が辞任したのを受け、ロッシは今年の5月16日にサッカー連盟特別代表に就任したばかりであるが、9月15日にマルコ・トロンケッティがテレコム会長を辞任して、その後任となったため、サッカー連盟の方を辞任の運びとなった。

 それに伴って、ロッシの補佐役をつとめていた副コミッショナーの4人のうち3人も辞任する。ヴィート・ガンベラーレ、デメトリオ・アルベルティーニ、パオロ・ニコレッティの三人である。

 アルベルティーニは、イタリア・ナショナル・チームの現監督ドナドーニを指名した人であるため、ドナドーニの行く末にも不確かさが忍び寄っている。

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2006年9月22日 (金)

筋ジストロフィー治療に光

Lorenzo_puri

治療薬を発見したチームの一員ロレンツォ・プーリ

イタリアで、筋ジストロフィー治療薬が発見された。現在、マウスでの段階で、これから人間での臨床実験にとりかかる(コリエレ・デッラ・セーラ、9月18日)。

 筋ジストロフィー(distrofia muscolare) の治療薬がマウス段階ではあるが、発見されたと、イタリアのチームが科学雑誌《Nature Medicine》に発表する。

 その薬とは Trichostatina A (英語ではTrichostatin A)で、現在、乳ガン治療に使用されているものである。

 この薬の使用によって、筋ジストロフィー患者の筋肉の崩壊をくい止め、筋肉の再生を促進するという。

 Trichostatina Aが、筋肉の再生を阻害する酵素を消してくれるらしい。

 この研究は、ドゥルベッコ・テレトン研究所(DTI)のジュリア・ミネッティ、キアラ・モッツェッタ、シルヴィア・フォルトゥーニとロレンツォ・プーリの率いるパヴィア大学の専門家たち、その他、によって達成された。 

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2006年9月21日 (木)

ヴェントテネ刑務所の保存

Carcere_di_ventotene_2 政治犯を収監していたヴェントテネ刑務所を保存しようという動きがある(コリエレ・デッラ・セーラ、9月17日)。

この刑務所、1900年にウンベルト1世を暗殺した無政府主義者ガエターノ・ブレーシ、後の大統領で若き日のサンドロ・ペルティーニが1938年に、イタリア共産党の創設者ウンベルト・テッラチーニが1937年に収監されている。

1965年に閉鎖されてからは、ガイド付きの見学が認められている。

この刑務所は、フランチェスコ・カルピの設計により1791年から1797年に建設されたが、ナポリのサンカルロ劇場をモデルにして、馬蹄形になっている。馬蹄形の形と比率は全く同じであるという。ただ舞台の真ん中に相当する場所に、見張りがいるわけだ。

この見やすさのおかげで、1000人ほどの受刑者に対し、100人の看守ですんだという。

 

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2006年9月17日 (日)

オリアーナ・ファッラチの死

Fallaci オリアーナ・ファッラチが、フィレンツェの病院で死んだ。77歳で癌だった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月16日)。

オリアーナ・ファッラチはイタリアで最も有名な女性ジャーナリストで、ヴェトナム戦争に従軍したり、カダフィ大佐にインタビューしたり華々しい活躍をした。

近年は長らくニューヨークに住んでいたが、9・11を期に長年の沈黙を破って、イスラム批判を展開した。

歯に衣着せぬ物言いで、彼女の著作は世界中で2000万部以上の売り上げをしめした。

信仰に関しては、彼女は自分自身を atea cristiana (キリスト教徒の無心論者)と規定していた。

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2006年9月16日 (土)

テレコム、トロンケッティ辞任

Tronchetti_marco マルコ・トロンケッティ・プローヴェラ

テレコムの会長マルコ・トロンケッティ・プローヴェラが辞任した。後任はグイド・ロッシが就任する見込み(コリエレ・デッラ・セーラ、9月16日)。

グイド・ロッシは現在、サッカー連盟の特別代表である。また、10年前に、テレコムが民営化したときにも会長だったので返り咲きとなる。

野党はこの件を国会で討議すべきだとしているが、現在中国にいるプローディ首相は、一企業の人事と取り合わない意向を示している。

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テレコム、秘密の計画の背後にプローディのブレーン

Rovati アンジェロ・ロヴァーティ

テレコム会長のトロンケッティのTIM切り離し計画に対し、プローディが何も知らなかったのかどうか、ということが問題になっているが、プローディの側近のアンジェロ・ロヴァーティが自分の独断でやったと述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、9月15日)。

アンジェロ・ロヴァーティは、プローディ首相のブレーンの一人だが、1メートル94センチもある巨漢。テレコムに送った書類は自分がすべて独断で処理したものだと言い出した。

しかし、野党からは本当にプローディが何も知らなかったのか疑問視する声は消えず、レーガのロベルト・カルデローリなどは、ロヴァーティかプローディが辞任すべきだと主張している。

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2006年9月15日 (金)

テレコムをめぐり、プローディとトロンケッティの確執

Tim テレコムの再編をめぐり、首相とテレコム会長の関係に緊張が高まっている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月14日)。

プローディは、TIMの第三者への譲渡に関し、聞いていないと最初は記者たちに答えていた。

その後、プローディとトロンケッティはこの件に関し、二度の会談を持っていたことが明らかになった。現在、問題視されているのは、TIMがイタリア以外の会社に譲渡されるかどうかということだ。

首相側は、トロンケッティが TIMはイタリアの手に留まると確約したという。

副首相ダレーマは、早急に、事態の明確化をはかるべきだとしている。

EUからは、政府のもつ golden share (もともとはイギリスで、民営化した重要企業の外国資本による買収を防ぐために政府が設けた株式取得に関する制約)を行使しないようにと釘をさされている。プローディは、golden share のことは、口にしていないと述べている。

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2006年9月14日 (木)

女性詩人の恋

Spazianimontale 1950年代のマリア・ルイーザ・スパツィアーニとエウジェニオ・モンターレ

マリア・ルイーザ・スパツィアーニは最新の詩集『月はすでに高く』を出した後、さまざまな文学者、とりわけモンターレとの交流の追想記 Montale e la Volpe を書いている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月13日)。Volpe というのは、モンターレの作品に出てくるときの彼女の名前である。

マリア・ルイーザ・スパツィアーニは、1924年トリノ生まれ。後にノーベル賞を受賞するモンターレとはカリニャーノ劇場で、1949年1月14日に出会う。トリノでモンターレをめぐる会議があったのだ。

そこで、6,7人の若い詩人たちにモンターレが紹介された。そこから二人の交流がはじまり、300通あまりの手紙が交わされる。

モンターレは彼女の親よりも年上であったが、彼女に三度求婚したという。しかしながら、いつもひっそりと隠れた形をとるのだった。たとえば、アメリカに行く途上の船で結婚すれば船長が結婚させてくれる、といった形の提案だった。モンターレには同居しているモスカがいたし、彼女にも克服しがたい障害があったのだという。

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2006年9月13日 (水)

テレコム、大規模再編

Tronchetti テレコム会長マルコ・トロンケッティ

テレコムがグループのTIMも含め大々的な再編をする模様だ(コリエレ・デッラ・セーラ、9月11日、12日)。

テレコムは回線にかかわるTelecom rete という会社と、携帯電話にかかわる Telecom mobile に分かれるらしい。

現在、携帯を扱っているTIMは第三者に譲渡し、分離する意向。また、回線を通じて、映画などを配信するサービスに関しては、ルーパート・マードックと協議中。

再編の完了までには、6ヶ月かかる見通し。

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ロッシ、カピロッシ、フェアな激闘

Rossi_capi_hayden_sepang_05 左からロッシ、カピロッシ、ヘイデン

モトGPは、マレーシアのセパンで開催されたが、最終周までヴァレンティーノ・ロッシとロリス・カピロッシが一歩も譲らず、競り合ったが、最後のカーブでロッシが勝利を収めた(この項、コリエレ・デッラ・セーラ9月11日および Italia 1 による)。

すさまじい抜きつ、抜かれつのレースだったが、実にフェアで、興奮させられると同時に実に後味も良いものだった。

ポイント・ランキング首位のニッキー・ヘイデンは4位に終わった。これで、通産1位ヘイデン214点、2位ペドロサ192点、3位ロッシ188点、4位カピロッシ171点となった。今期はあと4レース、最後まで目が離せない。

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2006年9月12日 (火)

シューマッハ、引退

Schumi F1のパイロット、ミヒャエル・シューマッハは、モンツァGPで勝利した後、今期限りでの引退を発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月11日)。

以前からうわさはあったが決定的なものになった。フェラーリは来期のパイロットは、ライコネン(移籍)とマッサ(継続)となる。

シューマッハはフェラーリとの関係は続けるとしているが、どんな仕事をするのかは、今期が終了してから発表する。

現在、シューマッハは年間6000万ユーロ(90億円)を稼ぎ出している。そのうち3500万ユーロはフェラーリからで、2500万ユーロはスポンサーや商品化によるものとされている。

一方、モンツァ・グランプリに関しては、予選で罰則を与えられ、スタートを5位下げられたアロンソは、これはもうスポーツではない、と激しい怒りを示している。

これで、パイロットのランキングは一位アロンソが108点、シューマッハが106点で2点差に迫り、コンストラクターのランキングは、フェラーリが168点で一位、ルノーが165点となった。

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市民権獲得にイタリア語試験導入

イタリアの市民権を獲得するのに、イタリア語の試験に合格することが新たな要件となる見通しだ(この項、la Repubblica, 9月10日)。

アマート大臣の発した市民権(cittadinanza)に関する改革法案には、その外国人が言語的、社会的に統合されていなければならない、としている。

これがより具体的には、イタリア語の試験と、イタリアの憲法とくに最初の部分に関する知識を問うテストを課して、それに合格することが必要となるらしい。

イタリア語能力というのは、これまでは、面接で仕事のことや家族のことを質問するという形で処理されていた。

また、市民権を要求する際に、多くのヨーロッパ諸国ではすでに語学試験が課されている。イギリスでは、ESOL(English for speakers of other languages) のレベル3に合格することが要求されているのだ。

また、移民の中で、娘が自分で異教徒の交際相手(イタリア人)を選んだことが許せず殺してしまった父親の事件も問題視されており、基本的な価値観・人権の尊重といったことも条件として含まれてくる見通しである。

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痩せすぎモデルはいけません

Gisele_bundchen ジゼル・ブンチェン (IMC 18)

スペインで痩せすぎモデルを禁止する法律ができるのにならって、ミラノでも市長がデザイナーに働きかける(コリエレ・デッラ・セーラ、9月10日)。

痩せすぎの基準は、BMI指数(body mass index), イタリアではIMC指数(indice di massa corporea). 出し方は、体重をキログラムで表したものを、身長をメートルで表したものの二乗で割る。たとえば、身長が1メートル70センチで体重60キロの女性は、60÷(1,7×1,7)で20,7となる。

WHOが出している表によると、評価は次の通り。

18、5未満  痩せすぎ 
18,5-25 (18,5と24,9を含む)ノーマル
25-30   (25と29,9を含む) 過体重
30超     肥満

モデルの中にはIMC指数が16(ナオミ・キャンベル)、17(ケイト・モス)などの人もいるので、スペインではこうしたモデルはショーに出られなくなる。

ミラノ市長モラッティはミラノでもこういう動きを導入したいとして、デザイナーたちと会談する意向を示した。ただし、モラッティはなるべく禁止などにはせず、より成熟した解決法を目指すとしている。

ミラノのモデルのエージェントのアンドレア・カイロは懐疑的で、スペインの場合、モーダ(ファッション)が国家によって支えられている面があるから、国家の発言にしたがったが、ミラノ・ファッショは事情がまったく異なり、デザイナー(stilisti)に主導権がある、としている。

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戦後の伊中関係

Colomboヴィットリーノ・コロンボ上院議員

イタリアと中国の関係の戦後の歴史が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月10日)。

1969-70年 正常化

1969年 外務大臣ピエトロ・ネンニが、イタリアが中華人民共和国を承認すると宣言。上院議員ヴィットリーノ・コロンボが周恩来と会談。
1970年 両国政府が外交関係の回復の共同声明を発表。

1975年 イタリア企業人最初の訪問
       代表団には、ジョヴァンニ・アニェッリ、レオポルド・ピレッリ、ヴィットリオ・メルローニが含まれた。1980年代には、フィアットが南京に上陸し、ジョイント・ヴェンチャーで、トラックと自動車を製造。商業関係は、天安門事件(1989年)後も、批判をうけつつも継続。

1980年 最初の大統領訪問
      大統領サンドロ・ペルティーニの公式訪問。鄧小平と会談し、北京大学の学生と会った。日本の侵略に対する中国人民の抵抗を賞賛していたと述べた。

2004年 チャンピとConfindustria(イタリア産業総連盟)
      チャンピ大統領およびフィーニ、マッテオーリ、ウルバーニ、マルツァーノ大臣と、モンテツェーモロConfindustria会長率いる企業家団。2003年にはベルルスコーニが中国を訪問している。

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中国にとってのイタリア

中国人にとって、まず思い浮かぶイタリア製品はなんですか、というアンケートの結果が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、9月9日)。

食料品  21%
衣服   18%
革製品  15%
靴     7%
自動車  4%
家具   3%
テクノロジー 2%

ところが、実際にイタリアから中国に輸出されているものの割合は次の通りである。

電気器具  13,7%
金属製品  13%
機械設備  42,5% 
その他   30,6%

となっている。イメージと実際は食い違っているのである。

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プローディ、中国へ

Prodiromano プローディ首相が代表団を引き連れて中国へ行く(コリエレ・デッラ・セーラ、9月8日)。

9月13日から18日にわたり、南京、広東、天津、上海、北京を、千人以上の代表団とともに訪れる。

同行する大臣は4人、エンマ・ボニーノ国際通商相、アントニオ・ディ・ピエートロ・インフラ相、ファビオ・ムッシ大学・科学研究相、ロジー・ビンディ家庭相である。その他副大臣や次官も数人いるが、なんといっても企業家700人が多い。銀行家も20人いる。

中国訪問のテーマは、複数あり、人権問題、文化交流、企業間協定、イタリア製品の保護(中国製品のダンピングなどのデリケートの問題を含む)などである。

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2006年9月11日 (月)

ドラーギ:回復はあるが永続的ではない

Draghi_1 イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、景気回復はあるが、永続的なものではないと述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、9月7日)。

「ヨーロッパにおいて、景気回復はある、たとえ、それが永続的なものではないと予想されているにしても。これを肯定的な意味でも否定的な意味でも騒ぎ立てるべきではない」。

中央銀行の総裁として、ドラーギは地に足をつけて行こうと述べている。また、アメリカにおいて景気は減速しているが、急激なものではないとしている。

以上の発言は、Financial Stability Forum というG7の会議に参加したパリでのもの。

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ムッソリーニの死体はそのままに

Photo_61ミラノのロレート広場で逆さづりにされたムッソリーニの死体

ムッソリーニの孫グイド・ムッソリーニによって要求されていた、ベニト・ムッソリーニの死体の検証は、なされないことが決定した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月6日)。

グイド・ムッソリーニは、祖父の殺害状況や犯人、首謀者を明らかにするため墓をあけて死体を検証することを求めていたが、コモの検察官アレッサンドロ・マリア・ロンドリーニは、戦争中の犯罪については、すでに戦後1946年6月22日に、当時の法務大臣パルミーロ・トリアッティによって、恩赦がだされており、無効であるとして、要求をしりぞけた。

このときの恩赦では、1万1800人の政治犯が釈放された。

同じ一族ではあるが、アレッサンドラ・ムッソリーニは、グイド氏の要求を馬鹿げたものであるとし、墓が暴かれずほっとしたと述べている。

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ファッケッティの死

Facchetti サッカー界の紳士、ジャチント・ファッケッティが亡くなった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月5日)。

ファッケッティは、約1年にわたり癌と戦っていたが、4日、息を引き取った。64歳だった。

ファッケッティはインテルとともに歩んだ人で、伝説的なフルバック(terzino).1961年5月21日、インテルからセリエAにデビュー、78年5月7日まで活躍を続けた。その間、セリエAでの優勝(スクデット)4回(1963、65、66、71年)をはじめ、コッパ・イタリア(1978)などのタイトルを獲得している。

2001年からはインテルの副会長、2004年からは会長をつとめていた。

ファッケッティのインテルでの公式試合は675。セリエAでは、476試合、59ゴール。

選手としてだけでなく、人間として、紳士的だったと賞賛されている。

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平均寿命の伸び

年金問題の背景として、平均寿命の問題がある(コリエレ・デッラ・セーラ、9月4日)。

イタリア人の平均余命は、1961年以来、男女とも10歳以上延びている。

       女      男
1961  72,3   67,2
1971  74,9   69,0
1981  77,9   71,1
1991  80,3   73,8
2001  82,8   77,0
2005  83,1   77,3

また60歳以上、70歳以上、80歳以上、90歳以上、100歳以上の人口の推移は次のような予想となっている。

60歳以上 今日 1466万
      2016  1746万
      2026  1923万
70歳以上 今日  813万
      2016  955万
      2026  1094万
80歳以上 今日  290万
      2016  408万
      2026  470万
90歳以上 今日  49万
      2016  77万
      2026  104万
100歳以上 今日  9千
       2016  2万3千
       2026  4万5千

年金の制度を作ったときには、これほどの長寿化を予想していなかったのである。

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夏休みを短縮する?

Estate 副首相のルテッリが夏休みのありかたの見直しを提案した(コリエレ・デッラ・セーラ、9月3日)。

イタリアの学校は6月半ばから9月半ばまで3ヶ月の夏休みがあるが、ほかの季節は、まとまった休みが少ない。

それを夏休みを短縮して、他の季節にまわしたらどうかというのだ。

各国の学校の休みが比較されている。

       秋   冬   カーニヴァル  春  夏前  夏  祝日
ドイツ  2-14日 9-18日 0-12日  5-15日0-11日6週 10日まで
スペイン      2週   2-3日    1週      11週 8日
フランス  約10日2週   2週      2週       9週 5日
イタリア       1週   1-4日   5-10日   12・13週5日
ポーランド     1週   2週      4日      10週 7日
スウェーデン 1週 3週  1週      1週       10週 3日

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2006年9月 3日 (日)

年金をめぐる緊張高まる

Damiano 労働大臣チェーザレ・ダミアーノ

政府側から、いくつかの年金改革案が出てきたのに対し、労働組合などが対決姿勢を強めつつある(コリエレ・デッラ・セーラ、9月2日)。

改革案は2つあって、次の通り。

1.労働大臣チェーザレ・ダミアーノの案
 年金開始は57歳から
 60歳未満で年金をもらいはじめる人は、減額がある。
 社会保障分担金(現在18パーセント)の増額
 

2.国庫省の役人のより厳しい案
 年金開始は2007年からは58歳からとし、年々その年齢をあげていく
 62歳より前に年金をもらいはじめた人は減額し、それより後にした人には増額する
 社会保障分担金に関しては係数を見直す
 女性の老齢年金開始が60歳なのを男性と同様に65歳にする

労働組合は警戒を強めているが、ストライキに関しては慎重で、内部での検討を進めるようだ。
 

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イタリア軍レバノンへ

Garibaldi 航空母艦ガリバルディ

イタリア軍のレバノン上陸が始まった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月2日)。

9月2日は空母ガリバルディおよびサン・ジョルジョ、サン・ジュスト等で800人の兵を運ぶ。

明日はさらに200名の兵が上陸する。内、68人は工兵で、約100人が海兵隊。

第二陣は、10月から11月にかけて、1500名が追加される。

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2006年9月 2日 (土)

テューターは廃止

A_scuola_1 モラッティ元公教育大臣の改革で予定されていたテューターの導入が中止になった(コリエレ・デッラ・セーラ、9月1日)。

またPortfolioと呼ばれる生徒の記録簿にも記入しなくて良いことになった。

また幼稚園段階で、ほかの子供より何ヶ月か早く通い始めるという制度はなくなる。

これらは、いずれもベルルスコーニ政権のもとでモラッティ元大臣が企画したことだが、政権が交代し、大臣がジュゼッペ・フィオローニになって棚上げになった。

こうしたことは、ダレーマ政権からベルルスコーニ政権に交代したときにも同様のことが生じた。

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Cuneo fiscale

Cuneo_fiscale Cuneo fiscale がどう変更されるかのモデルケースが紹介された(この項、Il Giornale 8月31日)。

Cuneo fiscale は直訳すれば税の楔ということになるだろうが、労働の総コストにしめるすべての税を合わせたものである。つまり、労働者側の払う税金および社会保障分担金、雇用者側の払う社会保障分担金の合計である。

これが会社の払う労働費の何パーセントをしめるかというと、現在、45,4パーセントにものぼっている(モデルケースであって、収入の多寡により変わってくるがここでは、モデルケースのみを紹介する)。

プローディはこれを5ポイントさげる、つまりこのケースの場合、40,4パーセントにすることを総選挙の公約にしていたのである。

5ポイント下げた場合、どうなるのかが、Il Giornale 紙に紹介されている。

現在の場合。会社の払う費用が28129ユーロの場合、労働者の受け取る賃金は15366ユーロ。13,6パーセント即ち3825ユーロは所得税、6,9パーセント即ち1941ユーロは労働者側負担の社会保障分担金、24,9パーセント即ち7003ユーロは雇用者側の社会保障分担金である。

一方、5ポイント下げた場合。会社の払う費用は26636ユーロ。労働者の受け取る賃金は15875ユーロ(現在のケースとここがほとんど同じになっている)。所得税は、13,7パーセント即ち3640ユーロ。現在に比べ、プラス0,1ポイントとなるが、母数が下がっているので、絶対額では下がっている。

労働者の社会保障分担金は4,1パーセントで1092ユーロで、マイナス2,8ポイント。雇用者の社会保障分担金は22,6パーセントとなり6027ユーロで、マイナス2,3ポイント。

プラス0,1ポイントとマイナス2,8ポイント、マイナス2,3ポイントで、合計はマイナス5ポイントとなる。こうして、労働にかける税・費用をさげて、企業の競争力を高め、経済を活性化しようという狙いである。

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2006年9月 1日 (金)

ジャコーザ没後100年

Giacosa ジュゼッペ・ジャコーザ(1847-1906)

100年前の9月2日、ジュゼッペ・ジャコーザが生まれ故郷のコッレレットで亡くなった(コリエレ・デッラ・セーラ、8月31日)。

ジャコーザは、Tristi amori (1890)から Come le foglie (1900) にいたるまで、喜劇を書き、エレオノーラ・ドゥーゼ、サラ・ベルナールにより、パリ、ドイツ、アメリカで上演された。

さらに彼の名前を不滅にしたのは、プッチーニの台本作者としてで、「ボエーム」(1896)から「マダマ・バタフライ」(1904)にいたる協力関係である。

しかしながら、すでにクローチェが彼の死に際して書いているように、彼の散文はより注目されるべきであり、ジョルジョ・デ・レンツォは、文化のオーガナイザーとしての活動がより重要であるという。

雑誌をいくつか創刊しているし、コリエレ・デッラ・セーラ紙の文学欄を担当している。

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イタリア軍、レバノンへ

Libano イタリア軍2153人が、レバノンに向かい出発した(コリエレ・デッラ・セーラ、8月30日)。

今回の作戦はレオンテ作戦と名づけられているが、これはレバノンの川の古い名をとったもの。イタリア軍の担当範囲は、ティールという街を中心に南北15キロ、ティールを西端(海岸沿いの町)に東へ20キロの長方形の地域である。

それよりも、さらにイスラエルに近いところは、以前からの Unifil が担当する。

パリージ国防大臣が言うように、第二次大戦後、もっともデリケートで、責任が重く、コストのかかる(年末までで2億2千万ユーロ)任務である。

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