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2006年7月15日 (土)

ベルトルッチ:『1900年』は詩である

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ベルナルド・ベルトルッチが、7月3日のコリエレ・デッラ・セーラの記事に答えて自らの『1900年』観を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

以下、ベルトルッチの寄稿した文章の要約である。

30年前にそうする人がいたが、あなた(7月3日の記事を書いたピエルルイージ・バッティスタ)も、『1900年』を歴史ものとして扱っている。1976年の一部の共産党幹部と同じだ。

もし、今日、『1900年』を見る(再び見る)ことがあれば、これが、ブルジョワ的、異教的、濃密な身体性をおびた詩、パゾリーニが「消費主義」のせいで消滅しつつあると嘆いた農民文化が生き延びる証し、といったものが一緒になったオペラ的作品だとお判りいただけるでしょう。

映画の最後の場面、「農場主の裁判」は、農民を一種「聖なる表現」で描いたもので、リアリズムからは遠いのであり、オルモ(ジェラール・ドバルデュ)は、「農場主は死んだが、アルフレード・ベルリンギエーリ(ロバート・デ・ニーロ)は生きている。農場主が死んだことの生きた証とするため、彼を殺すべきではない」と言う。(実際には、裁判なしで、私的な「死刑」が実行された例がある)。

これはほとんどファンタジーの世界であるが、私には、起こった歴史ではなく、多くの人が起こることを夢みた歴史を語る権利がある。

私の監督としての義務は、美を獲得することであり、歴史考証ではない。

赤い三角地帯で、どんな犯罪が犯されたか、何故生じたかは、考えてみる価値がある。20年以上にわたるファシズムの後で、復讐の悪魔に出会うことは、それほど驚く話ではないだろう。

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