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2006年7月21日 (金)

エミリオ・プッチとエッダ・ムッソリーニ

Emilio_pucci_1

著名なデザイナー、エミリオ・プッチの未刊の覚書きが出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。

この覚書きは、アメリカの連邦公文書館に保存されていたものだが、このほどイタリアの出版社 Le Lettere が La contessa (伯爵夫人)というタイトルで世に出した。

伯爵夫人とは、ムッソリーニの娘エッダのことで、夫ガレアッツォ・チャーノが伯爵であったのだ。プッチは、1930年代末から、エッダの愛人であった。

チャーノは、ムッソリーニの解任を決した大評議会で、解任賛成に一票を投じたので裏切りものとされ、捕えられて、処刑されてしまう。

エッダは、夫チャーノ(外相)の日記を持ってスイスへ逃げる。プッチもそれに関わったようだ。そのため、SSに拷問を受ける。

しかしその後、何故彼が中立地帯に釈放されたのかは判然としない。考えられるのは、ドイツ軍がチャーノの日記を取り返す目的で、プッチを釈放し、エッダに合流させようとしたということだ。

その後、プッチは、スイスで連合軍のもとで拘留され、OSS(のちのCIA)の長アレン・ダレスの取り調べをうけ、安全にイタリアに引き返すことが出来るようにしてもらう見返りに、情報を提供したのがこの覚書きである。

戦後、プッチは、1947年オリンピックのスキーのチームにいて、女友だちのスキーウェアをデザインしてやっていたのが、「ハーパーズ・バザー」誌のカメラマンの目にとまる。翌年には、同誌で、プッチのスポーツ・コレクションが発表されることになった。

すぐさま成功をおさめ、1950年代には、最初のアトリエが開かれ、「シチリアーナ」やシエナのパリオに想を得たコレクションで成功を収める。

フィレンツェの侯爵でもあったデザイナーは、1914年11月20日ナポリに生まれ、1992年11月29日フィレンツェで亡くなった。事業は、娘のラウドミアが継いでいる。

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