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2006年7月31日 (月)

ヴェルトローニ、タクシー問題で合意

Tassisti

ローマ市長ヴェルトローニは、タクシーの自由化問題で、運転手たちと初の合意にいたった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月25日)。

合意内容は、9月から2500台、率にして約40%の台数の増加。また、ローマの都心部から空港への料金の統一化で、フィウミチーノ空港へは40ユーロ、チャンピーノ空港へは30ユーロとなっている。

また労働時間に関しては、12時間まで連続で運行できることになる。

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危うしロッシ!

Rossi_stati_uniti

7月23日開催モトGPのアメリカGPで、ニッキー・ヘイデンが優勝し、ヴァレンティーノ・ロッシはリタイアに終わった(この項、日本テレビおよび Corriere it.).

これにより、ポイント・ランキングは、

1位 ヘイデン 194
2位 ペドロサ 160
3位 メランドリ 150
4位 ロッシ   143
5位 カピロッシ 126

となり、ヘイデンとロッシの差は51点と開き、ロッシの年間優勝への見通しは厳しいものとなった。

ヘイデンはスタート直後から2位につけ、ヴァーミューレンを抜いて、一位をキープし、優勝した。

ロッシは、スタート直後の10位から徐々に順位をあげ、4位まで追い上げたが、あと4周のところで、マシン・トラブルに見舞われ、リタイア。

今年のモトGPも、残すところ6レースとなった。

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フェラーリ、ドイツGPで優勝

Ferrari_germania F1ドイツGPで、フェラーリは、1位シューマッハ、2位マッサで勝利を飾った(この項、Corriere.it およびフジ721)。

予選一位はマクラーレンのライコネンであったが、燃料を少ししか積んでおらず、10周目でピットイン。

その後はフェラーリ二台が独走態勢にはいった。

1位のシューマッハは、ドライヴァーの得点ランキングでトップのフェルナンド・アロンソが今回5位であったため、その差を17点から11点へと縮めた。ライコネンは3位。4位はバトン。

コンストラクターズ・ポイントではルノーの149点対フェラーリの139点とし、10点差に詰め寄った。

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2006年7月30日 (日)

フィアット、海外との提携

Marchionne_montezemolo マルキオンネ代表取締役とモンテツェーモロ会長

フィアットは、売り上げが好調で、累積赤字が減り、ロシアや中国での提携先を見いだした(コリエレ・デッラ・セーラ、7月25日)。

今年前半のフィアットの売り上げは好調で、12,9%増の136億ユーロ。純益が3億3千万ユーロで52%増となり、借入金も、6億ユーロ減って23億ユーロとなった。

また、ロシアではセヴェルスタル自動車と、商用車ドゥカートの生産・販売で合意に達した。タタルスタン工場で、年7万5千台の生産能力を見込む。2007年最終四半期から生産開始の予定である。

中国では、Iveco(トラック部門)とフィアットが、ディーゼル・エンジンに関し、上海汽車工業総公司(Saic Motor Corporation) と合意に達した。三種類のエンジン、F5, Nef とCursor 9 を生産する予定。総投資額は、1億5000万ユーロを超える見込みである。

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モンタネッリの逮捕

Photo_53

インドロ・モンタネッリの未刊の手紙が発表された。1944年2月に逮捕された時に書かれたもの(コリエレ・デッラ・セーラ、7月22日)。

モンタネッリはこの時、フィリッポ・ベルトラーミ率いるパルチザンに参加したところだった。ベルトラーミはこのあと、闘いで死亡している。

妻マギーとともに刑務所にいれられ、5月9日には、サン・ヴィットーレ刑務所に移送され、そこに8月14日までいたが、脱出し、スイスに逃亡した。

手紙は、当時ミラノの県知事だったピエロ・パリーニに宛てて、秘かに書かれたもの。ファシズムに対する「裏切り」という責めは自分にはあたらないと自己弁護する内容である。

というのも、モンタネッリは、1938年にまず、自発的にファシストの党員証を放棄したからだ。そして、1940年までは非ファシスト (non fascista) だったと述べている。

1940年からは、明確に、反ファシスト (antifascista) になったのである。1940年の末には、クローチェの「自由再建党」にまねかれ、戦闘的反ファシストになった。

1943年7月25日(大評議会でムッソリーニが解任された)は幸せであったと書いている。

結局、この手紙は、投函を託された友人グレコ・ナッカラートの判断で投函されぬままだった。あまりに、反ファシストになった経緯が率直に語られていたからであろう。

追記:7月22日は、20世紀イタリアを代表するジャーナリスト、インドロ・モンタネッリの命日で、没後5年になる。

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2006年7月29日 (土)

ディスコの人気下がる

Discoteca

イタリアでディスコの人気が落ちている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月25日)。

この10年で店舗の数が、約半分になった。90年代には5000店以上あったのに、今年は3000店以下になっているのである。

海辺では、クラブではなく、chiringuitos と呼ばれる、浜辺のキオスクの発展形のところで、砂の上で踊るのだそうだ。これは昔の形にかえったのだという説もある。

ダンスの世界の50年を振り返った囲み記事がある。

1960年代:リミニやリッチョーネでは、生のオーケストラの伴奏で踊っていた。

1970年代:ディスコミュージックの誕生。ニューヨークの Studio 54 が有名。77年の映画「サタデイ・ナイト・フィーヴァー」。イタリアでは「スパゲッティ・ダンス」が流行ったそうです。

1980年代:60年代のリヴァイヴァル。ディスコ・ブームは1995年まで続く。

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アダモ・ボーヴェとアブ・オマル事件

Bove_2 ボーヴェが投身自殺した跨線橋

テレコムのセキュリティ担当で自殺したアダモ・ボーヴェは、アブ・オマル事件で検察の仕事を助け Sismi の幹部の盗聴を担当していた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月23日)。

アブ・オマル事件では、Sismi のナンバー2、マルコ・マンチーニが逮捕されているが、ボーヴェはこの事件で、Sismi 幹部の携帯電話の盗聴にあたっていたのだ。元同僚は、ボーヴェがいなければ、この盗聴捜査は、これほどうまくいかなかったと語っている。

また、ボーヴェは自分が尾行されているようだと知人にもらしていた。

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2006年7月28日 (金)

テレコムのセキュリティ担当、自殺

Bove アダモ・ボーヴェ

アダモ・ボーヴェというテレコムのセキュリティ担当が自殺した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月22日)。

ボーヴェは43歳で、2000年にテレコムに移る以前は、ナポリの Digos (Divisione Investigazione Generali e Operazioni Speciali 国家警察統合捜査特別作戦部)で働いていた。

ナポリで働いていた当時、カモッラの二つのグループが対立していたが、彼は二人の強力なボス、フランチェスコ・《サンドカン》・スキアヴォーネとマリオ・ファッブロチーノの逮捕に力を注いだとされている。

ボーヴェは盗聴に関わっていたので、それに関連して告発されることを怖れていたと友人たちは語っている。

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2006年7月27日 (木)

サッカーとテレビ放映権

Diritti_tv

サッカーのテレビ放映権が、チーム毎から集団的契約に変わる見通しとなった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月22日)。

2005/06年のテレビ放映権の総額は、5億ユーロ(700億円)である。内訳は、衛星放送3億8千万ユーロ、地上波(ノンスクランブル)6千万ユーロ、地上波デジタル4千万ユーロ、UMTS(移動通信)2千万ユーロとなっている。

この5億ユーロが、各チームに配分されたわけだが、有力3チームで約半分をとってしまう。

ユヴェントゥス:9千万ユーロ
ミラン     :8千万ユーロ
インテル   :7千万ユーロ
3チーム 合計 2億4千万ユーロ

残りのセリエAのチームにわたるのは、1億5200万ユーロとなっている(セリエB以下にも少しは渡るということになる)。

ローマ   :4500万ユーロ
ラツィオ  :3800万ユーロ
フィオレンティーナ:1800万ユーロ
リヴォルノ: 700万ユーロ

となっている。これは、明らかに上位チームに有利な配分だが、これを集団契約にして、相対的に下位のチームに有利な配分にする見通しである。

契約金の半分は平等に分け、残りを視聴率や成績を考慮して傾斜配分にする予定。

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高校卒業試験、女子が優位

Maturita 高校卒業試験 Maturita' は、合格者が96、5%であったが、女子の方が男子より合格率が高かった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月21日)。

高校別による合格率は次の通り:

文系高校 (Liceo classico)  99%
理系高校 (Liceo scientifico) 98,6%
社会・心理教育系高校(Liceo socio psicopedagogico)
                                        98,2%
工業高校(Istituto tecnico) 95,2%
職業高校(Istituto professionale) 94,5%

合格した男女の比率は、
男子:95,3%
女子:97,7%

となっている。

また、1950/51年から今年までの高校卒業試験の合格率の推移は次の通り:

1950/51   71,3%
1960/61   79,3%
1970/71   89,1%
1980/81   91,5%
1990/91   94,1%
2000/01   97,8%
2005/06   96,5%

1950年代から2000年にかけては、合格率が上昇しつづけている。さすがに、95%を越えると、そこから先は、一本調子にあがる余地がもうないのだろう。

これで見ると、高校(イタリアでは5年)卒業試験は楽なように見えるが、その手前の4年間で、毎年、卒業判定会議 (scrutini)があり、そこで落第・留年するものは、12、4%にのぼる。

フィオローニ教育相は、改革を考えており、改革案は8月8日に発表される予定。

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ヴィットリオ・エマヌエーレ、自由の身に

Giulia_bongiorno ジュリア・ボンジョルノ弁護士

ヴィットリオ・エマヌエーレは、自宅逮捕から自由の身になったが、イタリアから去ることは出来ないという条件つきだった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月21日)。

イタリアに帰国するのに何十年も苦労した人が、今度は国家からイタリア出国を禁じられる皮肉な事態となった。

本人の健康状態、気力は充実し、法廷闘争を続けていくようだ。

弁護士のジュリア・ボンジョルノは、彼を支える妻マリア・ドーリアを讃えた。「いろいろ言われていますが、結びつきの強い家族なのです」。

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2006年7月26日 (水)

受精卵をめぐる意見の対立

Binetti パオラ・ビネッティ

受精卵を利用して、幹細胞の研究をすることについて、限定的条件をつけて上院で認められたが、カトリック教会は激しく反対している(コリエレ・デッラ・セーラ、7月21,22日)。

上院では、152対150で、受精卵の限定的な利用は認められた。

つまり、凍結受精卵のうち、もう母親の子宮内に戻しても、生命体として発達する見込みのないものに限って、幹細胞の研究用に用いてよいとする法案であった。

この法案は、ドイツのものと同じ路線である。イギリスの場合には、受精卵は15日目から命あるものとして認めるとしている。

しかしこの法案を与党と野党の間にはいってとりまとめたパオロ・ビネッティ上院議員(神経精神科医)は、カトリック系新聞 Avvenire や Osservatore Romano からは激しく非難されることになった。

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2006年7月25日 (火)

銀行家ロヴェラーロ、死体で発見

Roveraro

2週間行方不明だったミラノの銀行家ジャンマリオ・ロヴェラーロがばらばら死体で発見された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月22日)。

70歳の銀行家ロヴェラーロは、7月5日の夜から行方不明となっていたが、パルマ郊外でばらばらにされた死体が発見された。

死体は黒いゴミ袋の中に捨てられ、腐乱が進んでいた。

拉致および殺人の主犯は、フィリッポ・ボッテリ、43歳。パルマの金融コンサルタントで、ロヴェラーロの元共同経営者ボッテリが容疑者として逮捕された。他に、共犯者が二人逮捕された。

ボッテリは、「拉致のあと、金を取り戻すことは出来ないと判り、殺してしまった」。ボッテリは、「大きな商売」に投資したのだった。2003年にオーストリアで投資したが、250万ユーロをすってしまった。ロヴェラーロは何かおかしいと感じて、手を引いたのであった。

ロヴェラーロは、1936年生まれ、若いころは走り高跳びの選手で、イタリア人ではじめて2メートルを越え、2m2cmを飛んだ男として知られている。

オプス・デイに所属し、7月5日もオプス・デイの会合に行くところを拉致された。

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2006年7月24日 (月)

EU, イタリアのテレビ改革を催促

Photo_52 ネリー・クルース競争政策担当委員

EUは、イタリアのガスパッリ法を修正するよう催促した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月20日)。

ネリー・クルース競争政策担当委員を長とする委員会が修正を求めているのは、現状では Rai と Mediaset が特別の扱いをうけているという点。

それは三点に分けられる。第一に、ガスパッリ法では、将来のテレビ、地上波デジタルに新たな業者が参入することを妨げている。なぜなら、地上波デジタルの周波数は、既に地上波アナログを持っている業者のみが入手できるからだ。

第二に、現在、放送業者はアナログとデジタル両方で電波を送信できるが、これは実際上、市場をブロックすることになる。

第三に、放送業者、特に大手は、デジタルに移行する最後までアナログ波を占有することができる点。

こうした点を2ヶ月以内に修正せよということである。

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Sismi の長官、上院委員会で答弁

Nicolo_pollari

アブ・オマル拉致事件に関し、Sismi の長官ニコロ・ポッラーリが上院の防衛委員会に呼び出され答弁した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月20日)。

ポッラーリは、国民同盟のグスターヴォ・セルヴァ上院議員の「20人近くのアメリカの諜報員がイタリアで動き回っていて、あなたがたが何も気づかないということがありうるのか?」という質問に対し、「もちろん、知ることはありえたが、それは我々の組織の任務ではない」と平然として答えた。

ポッラーリは、「私は、われわれのエージェントの身の安全を心配している。この事件のため身元がわれて、生命の危険にさらされている者もいるからだ」とも述べた。

たとえば、イラクでイタリア人人質が救出されたり、新聞記者ジュリアーナ・ズグレーナが救出された際には、アル・アラビアやアル・ジャジーラの記者が協力してくれたのである。

ポッラーリは、情報を開示することが、われわれに対する信頼性を損ねてしまうリスクがある、とも主張した。

イタリアの複数ある情報機関に関しては、この事件のあとで、改革が実施される見込みである。

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2006年7月23日 (日)

薬局、自由化反対でストライキ

Farmacie_chiuse

イタリア中の薬局が、自由化に反対して、ストライキを実施した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月20日)。

タクシー運転手、弁護士に続いて、今回は、薬局がストライキをした。彼らの場合ストというのは、店を閉めてしまうことである。参加率は93%。

薬剤師たちが反対しているのは、免許の自由化と処方箋なしで買える薬の販売自由化(スーパーマーケットでも買えるようになる)に対してである。

21日には、Federfarmaの全国大会が開かれ、この状況について討議がなされる予定。

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Ppeに入りたい国民同盟

Fini_e_berlusconi フィーニとベルルスコーニ

国民同盟のフィーニ党首は、2009年のヨーロッパ議会選挙までに、Ppe に入りたいと表明した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月19日)。

Ppeは、1953年6月23日に創設されたキリスト教民主党系の政党。Ppe-De はヨーロッパ議会で、732人中263人をしめる第一党。

イタリアで、Ppe に加わっている政党は、フォルツァ・イタリア、Udc (キリスト教民主連合)、Udeur (欧州民主連合)、Pensionati (年金受給者党)、Svp(南チロル人民党)である。イタリアのヨーロッパ議員は24名。

国民同盟のフィーニ党首は、自らの党を「責任ある現代的」政党とであるとし、Ppe への加盟をめざす。

ベルルスコーニは同意しているが、Udc のカジーニ前下院議長は批判的だ。

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100のコムーネが州の変更を希望

イタリアで約100のコムーネ(市町村に相当)が、帰属する州の変更を望んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、7月18日)。

その理由は大きく分ければ二つある。

マレッキアの谷の7つのコムーネは、「ここは法律上は、マルケ州だが、名物料理は、ピアーダなのです。われわれがエミリア・ロマーニャ州に属している証拠ですよ」と、フランコ・ヴィチーニ。辞書には、ピアーダは、ロマーニャ地方特産のピッツァの台のように丸く焼いた大型パン、とある。

しかし、実際は、料理とは無関係の理由もある。「ここの県庁所在地はペーザロだが、85キロも離れている。しかもリミニ経由で行かねばならない」

このように、イタリアには約100のコムーネが、州を移りたいと考えている。カンパーニャ州からモリーゼ州、モリーゼ州からアブルッツォ州、トスカーナ州からエミリア・ロマーニャ州などなど。

州を移りたいもう一つの理由は、経済的なものである。特別州は、普通州よりも、気前がよいのである。税金は安く(最高40%安い)、州からくるお金も多い(約2倍)。それを理由にヴェネト州からフリウリ州、ピエモンテ州からヴァッレ・ダオスタ州に移りたいと願うコムーネも出ている。

コムーネが属する州を変更する手続きは、次の通り。まず、破毀院の許可を得て、住民投票をする。そして、大統領と内務大臣の認可をえる。投票で、有権者の50%以上の同意が必要。

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2006年7月22日 (土)

ユヴェントゥス小史

ユヴェントゥスは、サッカー疑惑でセリエBに降格し、-30点からスタートすることになりそうだが、その歴史を振り返る囲み記事が出た(コリエレ・デッラ・セーラ、7月15日)。

Photo_51 エウジェーニオ・カンファリ

1897年創立:エウジェーニオ・カンファリが最初のユヴェントゥスの会長。11月1日に、トリノのマッシモ・ダゼーリオという名門高等学校(liceo classico)の生徒によって設立された。

1905年:最初の優勝盾。1903年には、白黒のユニフォームを採用(設立当時はピンクのユニフォームであった)、その2年後、最初の優勝。

Edoardo_agnelli エドアルド・アニェッリ

1923年:アニェッリ家の登場。チームの所有者がアニェッリ家に移る。フィアットの2代目エドアルドが1923-35年会長をつとめる。ついで、ジョヴァンニ(1947-54)、その弟ウンベルト(1955-62)。

1931年偉大な5年間。1930年代に、シニョーラ(ユーヴェの別称、貴婦人の意)は、5年連続の優勝を飾る。1931年から1935年のことであった。

Boniperti ボニペルティ

1946年ボニペルティのデビュー。46/47年にジャンピエロ・ボニペルティがユーヴェでデビュー。1961年までプレーした。444試合に出場し、最多記録である。

1958年最初の星。10回目の優勝。10回優勝するとユニフォームに1つ星がつく。(2つ目がついたのは1982年)。

Sivori

オマール・シヴォリ

1961年シヴォリがパッローネ・ドーロ賞獲得。オマール・シヴォリが、ユーヴェンティーノとしては初めてパッローネ・ドーロ(ゴールデン・ボール)賞を取る。

1976年ジョヴァンニ・トラパットーニが監督就任。

Heysel ヘイゼル・スタジアムの悲劇

1985年悲劇のカップ。UEFAチャンピオンズ・カップ(現チャンピオンズ・リーグ)で初優勝を飾ったが、ベルギー・ブリュッセルのヘイゼル・スタジアムでリヴァプールのフーリガンとの衝突で39人の観客が死亡。

Panchina 100周年を記念して復元された、チーム設立当初、レ・ウンベルト通りにあったベンチ。ジョヴァンニとウンベルト・アニェッリが座り、ボニペルティとヴィットリオ・キュザーノが後列。

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2006年7月21日 (金)

エミリオ・プッチとエッダ・ムッソリーニ

Emilio_pucci_1

著名なデザイナー、エミリオ・プッチの未刊の覚書きが出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。

この覚書きは、アメリカの連邦公文書館に保存されていたものだが、このほどイタリアの出版社 Le Lettere が La contessa (伯爵夫人)というタイトルで世に出した。

伯爵夫人とは、ムッソリーニの娘エッダのことで、夫ガレアッツォ・チャーノが伯爵であったのだ。プッチは、1930年代末から、エッダの愛人であった。

チャーノは、ムッソリーニの解任を決した大評議会で、解任賛成に一票を投じたので裏切りものとされ、捕えられて、処刑されてしまう。

エッダは、夫チャーノ(外相)の日記を持ってスイスへ逃げる。プッチもそれに関わったようだ。そのため、SSに拷問を受ける。

しかしその後、何故彼が中立地帯に釈放されたのかは判然としない。考えられるのは、ドイツ軍がチャーノの日記を取り返す目的で、プッチを釈放し、エッダに合流させようとしたということだ。

その後、プッチは、スイスで連合軍のもとで拘留され、OSS(のちのCIA)の長アレン・ダレスの取り調べをうけ、安全にイタリアに引き返すことが出来るようにしてもらう見返りに、情報を提供したのがこの覚書きである。

戦後、プッチは、1947年オリンピックのスキーのチームにいて、女友だちのスキーウェアをデザインしてやっていたのが、「ハーパーズ・バザー」誌のカメラマンの目にとまる。翌年には、同誌で、プッチのスポーツ・コレクションが発表されることになった。

すぐさま成功をおさめ、1950年代には、最初のアトリエが開かれ、「シチリアーナ」やシエナのパリオに想を得たコレクションで成功を収める。

フィレンツェの侯爵でもあったデザイナーは、1914年11月20日ナポリに生まれ、1992年11月29日フィレンツェで亡くなった。事業は、娘のラウドミアが継いでいる。

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パドア=スキオッパ:2%成長は可能

Padoaschioppa2

経済大臣パドア=スキオッパは、イタリアは毎年2%成長することが可能であると語った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。

経済相は、企業家を叱咤激励した。イタリアが安定的かつ持続的に、2%の経済成長を望むことは正当なことだが、企業家たちが「新たな責任を背負うことが必要だ」と語った。

「ここ数年、生産性の伸びがほとんど止まっているのが、経済成長問題の原因だ」とした。その解決のためには、企業家の新たな奮起が必要であるし、組合も賃金の抑制に協力的でなければならないと、国会の予算委員会で述べた。

また、不動産の相続税に関しては修正案を出すことを約束した。

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2006年7月20日 (木)

破毀院、Pacsに道を開く

Pacs

親族を失った損害というものは、これまで伝統的家族にしか認められなかったが、破毀院(最高裁に相当)が事実婚のパートナーに対しても認める可能性を開いた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月14日)。

破毀院の判事がこのような方針変更を示したのは初めてのことではない。去る1月にもそのような事例はあったが大きな論争を巻き起こした。

今回の15670判決は、第三民法部におけるもので、親族を亡くした際の慰謝料が、事実婚の家族にも支払われるべきであるという内容のもの。この場合は、17年前の事件であるが、息子が水上スクータ事故で亡くなったが、親が事実婚であったようだ。ただし、この事実婚の親は現在では、「正式に」結婚している。

この判決に権利・機会均等大臣のバルバラ・ポッラストリーニは満足し、事実婚をしている者たちの権利に関する法律をつくるべきだとしている。

共産主義再建党のヴラディミル・ルクスリア議員(トランスジェンダーであることを自ら認めている)も歓迎している。「政治は、われわれの現実で頻繁になりつつある状況から目をそむけていることは出来ない」と語った。

しかし野党からは強い反発の声があがっている。

イタリアでは、Istat によると、事実婚は55万組(4%)で、1990年代のはじめには、約20万組(1,6%)であった。

フランスでは、1999年にPacs法を導入したが、その年6139組が署名した。2004年には、3万9576組が署名している。

デンマークはEU諸国のなかで最初に1989年に事実婚に対し、住居、年金、養子などに関する権利を認めた。

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地上波デジタル、普及遅れる

Digitale_terrestre 地上波デジタルのデコーダ

イタリアでは、地上波デジタルの普及がなかなか進んでいない(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。

イタリアではパイロット地区であるサルデーニャおよびヴァレ・ダオスタでは2008年まで、その他の地区は2012年以降まで地上波アナログから地上波デジタルへの移行は終わらない。

また地上波デジタルを視聴するために必要なデコーダは、イタリア2200万家庭のうち、390万台しか据え付けられていない。デコーダの値段は150ユーロだが、補助が出て70ユーロとなった。

家庭で、デコーダがテレビとつながっているのは270万台にすぎない。

イタリアでデジタル・テレビというと、もう一つあって、有料の衛星放送Skyである。こちらは、6月時点で、この一ヶ月に一分以上見た人は1350万人である。

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ドラーギ、銀行に併合をもとめる

Draghi_2

イタリア銀行総裁のマリオ・ドラーギは、イタリア銀行協会の総会で、銀行間の併合をもとめた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。

ドラーギは、銀行は「戦略的不活動」から脱し、併合や相乗作用の道を追求すべきだと述べた。

「併合し、強化する余地は、まだまだたっぷりある」と総裁。そして銀行の長たちに向かって、「あなたがたは、ヨーロッパを舞台に活躍できる役者を作る責任がありますよ。それとも、こんな機会を逃して、外国の機関にゆずるのか」と呼びかけた。

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パーパの葬儀とコンクラーヴェの費用

Conclave コンクラーヴェ

教皇庁の2005年の収支は、970万ユーロ(約14億円)の黒字であった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。

これは、ここ8年でもっとも良い数字。

ジョヴァンニ・パオロ2世の葬儀とコンクラーヴェに要した費用は、700万ユーロ(9億8千万円)という。

それに対し、収入でもっとも大きいのは、ヴァティカン博物館で、380万枚で、4560万ユーロの売り上げ。

世界中の教会からのサン・ピエトロ寺院への寄付金は、4724万ユーロにのぼり、前年度より15%増加した。額はアメリカからのものがもっとも多い。これは教皇への寄付金として処理され、それが慈善事業や、コンクラーヴェの赤字の穴埋めに使われるのだという。

大きな赤字事業は、ラディオ・ヴァティカーナ。ラジオ局であるが、イデオロギー的な理由で、広告が不向きであるし、聴取者も世界中に散らばっているので、スポンサーも関心を抱かないのだ。これは2350万ユーロの赤字である。

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ミリンゴ大司教:マリアは私の妻

Milingo 2001年の結婚式

ミリンゴ大司教が、ローマの郊外カステッリ・ロマーニ地方のザガローロの家を約一ヶ月前に抜け出していたが、突然、ワシントンに現れた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。

エマヌエル・ミリンゴ大司教は、1930年6月13日ザンビア生まれ、76歳。1958年に叙階され、1969年パオロ6世によりザンビアの首都ルサカの司教に任ぜられた。

2001年5月27日、ミリンゴ大司教は、マリア・ソンという韓国人鍼灸師と、ニューヨークのヒルトンでの合同結婚式で結婚する。マリア・スンは、文鮮明師の統一教会の信者。この時は新婚旅行の後、破門すると脅され、ミリンゴはマリアと別れたのであった。

ミリンゴ大司教のワシントンでの記者会見は、司祭の結婚を擁護するもの。現在48歳になっているマリア・ソンは、記者会見場にはいなかったが、大司教が彼女と共にいることは確かなようだ。

「マリアはつねに私の妻であり、死が我らを分かつまでそうです」と宣言した。

ヴァティカンは今の所、事態の推移を注意深く見守っている。

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2006年7月19日 (水)

マテラッツィの暴言

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マテラッツィが、ジダンに向かって吐いた暴言の内容について釈明した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月13日)。

マテラッツィの暴言については、初期段階では、人種差別的発言をしたのではないか、といった推測・憶測が飛び交った。

評論家アルド・グラッソが言うように、最も怖れられていたのは、人種差別的発言であった。

しかし、ジダンのテレビ会見でも、マテラッツィの釈明でも、それは否定された。マテラッツィは、宗教、政治、人種差別に関することは言っていないと断言した。

また、ジダンの母と姉を侮辱する言葉を吐いたのではないかという質問に対し、自分は15歳で母親を亡くしたので、誰の母親も侮辱しない、と言明した。

消去法でいくと、姉への侮辱が残る。本人もそれを否定はしなかった。

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教皇庁報道官ナバッロ退任

Navarro ホアキン・ナバッロ=バルス報道官

教皇庁広報部報道官ホアキン・ナバッロ=バルスが退任し、後任にフェデリーコ・ロンバルディ神父が就任する(コリエレ・デッラ・セーラ、7月12日)。

ナバッロ=バルスは、22年間、この職にあり、ヴァティカンの報道室を革新したと言われている。それまでひどく堅苦しいところであったものを、言葉の自由を獲得し、率直に話せるところにしたのだという。

ナバッロ=バルスは、1936年11月16日スペインのカルタヘナ生まれ。今年の11月で70歳になる。医学とジャーナリズムで学位をもち、最初はスペインの新聞の外国特派員であった。

1977年に、マドリッドの日刊紙Abcの特派員として赴任した。1984年、ヴァティカンの報道室長となる。

ナバッロ=バルスは、オプス・デイの世俗会員で、会員になったのは、1970-75年に遡る。この時期、オプス・デイの創設者ホセマリア・エスクリバーと暮らしていた。

ナバッロ=バルス氏の後任は、フェデリーコ・ロンバルディ神父で、8月に64歳になる。ロンバルディは、1960年にイエズス会に入会し、トリノ大学で数学を修め、フランクフルトで1969年から1973年まで神学を学んだのでドイツ語を話す。

ドイツ人の教皇ベネデット16世は、イタリア語を話すことに慣れているが、ドイツ語を話す報道官を持つことになる。

ロンバルディは、過去14年間は、ラディオ・ヴァティカーナやヴァティカン中央テレビの要職にあった。報道官に就任後も前職を兼任する。

教皇ラッツィンガーは、教皇庁の組織を再編し、簡素化したいのだと言われている。そのために、ロンバルディ神父のような人物が、情報セクターの軸をなすのかもしれない。

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2006年7月18日 (火)

カンナヴァーロ、優勝杯をペッソットに見せる

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カンナヴァーロ、ザンブロッタが、ワールドカップ優勝杯を持って病院のジャンルーカ・ペッソットを見舞った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月12日)。

ファビオ・カンナヴァーロがカップを持ち上げると、ペッソットは感動して微笑んだ。カンナヴァーロは、ジャンルーカ・ザンブロッタ、チーロ・フェッラーラとともに、短時間ペッソットを見舞った。

ペッソットは、6月27日の事故以来、トリノのモリネッテ病院の蘇生病棟で生死の境をさまよってきた。

病院長のドナーディオ医師によると、「ペッソットは見舞客が誰であるかすぐに判別し、幸せそうに微笑みました。目で見あたらない人を探していたが、それはジャンルーカの注意力が出てきたしるしです」。病院の外には3000人のファンがつめかけた。

そこにいなかったのは、デル・ピエーロで、彼は11シーズンを共にプレーした仲間だが、午後一人で来ることにしたのだ。混乱をさけ、デル・ピエーロは、ソニア夫人と午後やってきた。

デル・ピエーロは、「僕らは挨拶をかわした。今は、彼がこの闘いを続ける番で、きっと勝つだろう」と語った。

ドナーディオ医師によると、デル・ピエーロ夫妻との面会は、より親密なもので、まるで兄弟のようだったという。

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シチリアの州議会議員、マフィアとの交際で逮捕される

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シチリア州議会議員ジョヴァンニ・メルカダンテが、マフィアとの交際のため逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月11日)。

メルカダンテ議員は、フォルツァ・イタリア党選出の州議会議員で58歳。彼は医師・放射線専門医でもあって、ノートの病院で、先に逮捕された大ボス・プロヴェンツァーノの検査などを担当した。

彼はマフィア御用達の医師として、様々なマフィアのボスを担当した。

彼のマフィアとの交際は、ペンティート(警察へ減刑とひきかえに情報提供するマフィアの「改悛者」)であるニーノ・ジュフレ、アンジェロ・シイノ、ジョヴァンニ・ブルスカが明らかにした。 

シイノによると、メルカダンテは、妻の浮気を知ったとき、怒りのあまり、妻の愛人フランチェスコ・ダミーコを殺すことを考えた。従兄弟のマフィアのマジーノ・カンネッラに許可を求めた。従兄弟は、プロヴェンツァーノに問い合わせた。

ところが、フランチェスコ・ダミーコは、マフィアのピーノ・リーパリの甥であった。ピーノは甥に、すぐにメルカダンテの妻との関係を絶つように命じ、ダミーコを許してくれるようプロヴェンツァーノに頼み、甥は一命をとりとめた。

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2006年7月17日 (月)

アブ・オマル事件とジャーナリスト

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アブ・オマル事件にジャーナリストのレナート・ファリーナが関わっていたことが問題視されている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月9日、10日)。

ファリーナは日刊紙リーベロの副編集長。編集長のフェルトリは、最初は距離を保っていたが、「彼はたんに馬鹿なことをしただけだ」と彼を「許す」ことにした。

ファリーナ自身は、「自分は、イタリアをテロリストたちから守るために、秘密情報機関の手助けをしただけだ」と開き直っている。

しかし金銭の授受はどうなのか? ジャーナリストは自社から以外は金をもらうべきではない、のではないだろうか?

ジャーナリストのルチーア・アンヌンツィアータは、ファリーナの問題点は2つあり、1つは金銭を受け取ったこと、もう1つは、テロリズムとの闘いを理由に、作戦との関わりを正当化したことだと述べている。こういう正当化をすると、彼はジャーナリストではなく、活動家になってしまうとしている。

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イタリア優勝の歴史

Photo_48 ライモンド・オルシ

イタリアはワールド・カップで1934年、1938年にも優勝しているが、監督はヴィットリオ・ポッツォで、彼はオリンピックでも優勝したのだった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月10日)。

1934年のときには、ユニフォームはうすい青で、胸の盾型ワッペン(スクデット)は、三色旗ではなくて、サヴォイアの紋章であった。

ナショナル・チームのユニフォームは最初は、白であったのが、1911年にサヴォイアに敬意を表してアッズッリになったのだという。

1934年はローマ大会。決勝はイタリア対チェコスロヴァキアで、延長戦にはいって2対1でイタリアが勝利を飾った。

この時、ゴールを決めたライモンド・オルシはイタリア系アルゼンチン人で、1901年ブエノス・アイレスに生まれたが、両親はイタリア人であった。アルゼンチンで活躍したあと、1928年にユヴェントゥスに入り、1934年の決勝戦で見事なゴールを決めた。

1938年はフランス大会、決勝は、対ハンガリーで、4対2でくだし、ビスを決めた。

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Foibe への沈黙

Foibe

1945年の5月から、ヴェネツィア・ジュリア地方およびダルマチア地方で生じた過激なイタリア人排斥運動について、沈黙を保ち介入しなかったのは、教皇ピオ12世か連合軍かという論争が起こっている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月7日、8日)。

問題を提起したのは、『パノラーマ』のイニャーツィオ・イングラオの記事。

この Foibe (鍾乳窩の意味だが、その穴にイタリア人を生きたまま、あるいは死体をほうりこんだ)は、第二次大戦直後に起きたティト率いるパルチザンによる民族浄化で、イタリア人の犠牲者は、ジャンニ・オリヴァによると約1万人にのぼるという。

最初の波は、1943年9月8日の後で、ティトのパルチザンがイストリア地方のイタリア人に復讐したもの。約700人のイタリア人が死亡した。

より残虐だったのは、1945年春のもので、1945年5月解放後のトリエステにティト軍が侵入し、数千人(大多数はイタリア人)をトリエステ、ゴリツィア、フィウメで逮捕し、追放した。

あるものは、強制収容所にいれられ、帰ることはなかった。あるものは、フォイベとよばれる鍾乳窩に放り込まれた。

そこで、ヴァティカンに介入をもとめた者もいた。1945年5月6日の書簡や、7月20日の訴えがあったとのこと。

地元のヴェネツィアの総大司教アデオダート・ジョヴァンニ・ピアッツァ、トリエステの司教アントニオ・サンティンは地元の声を教皇庁に届けている。

これを受けてピオ12世は、在ヴァティカンのイギリス大使、アメリカ大使に善処を求めている。しかし、これは事態の重大さに比してあまりに小さい行動であった。

この弱い反応の理由として、ジョヴァンニ・サーレ神父は、ヴァティカンに知らせが届いたのが、数週間後で、虐殺が終わってしまってからだったためと考えている。

ジョヴァンニ・サーレ神父は、『チヴィルタ・カットーリカ』の編集者で歴史家。サーレ神父によると、トリエステにいた英米軍は、ティトの軍隊の作戦を黙認し、介入することはなかったのだという。

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映画『ヴァニーナ・ヴァニーニ』、修復される

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ロベルト・ロッセリーニ監督の映画『ヴァニーナ・ヴァニーニ』が修復された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月8日)。

『ヴァニーナ・ヴァニーニ』は、スタンダール原作の映画。ヴァニナ・ヴァニーニという公爵令嬢が、カルボナーラ党員に恋をするのだが、もっと彼の側にいたいという気持ちから、彼の仲間を告発してしまう。裏切りに気づいた彼は自首し、処刑されてしまう。彼女は修道院に行くという物語。

この映画はロッセリーニ監督とプロデューサーのモリス・エルガスの意見が衝突し、ロッセリーニは最終的な編集を自分のものと認めなかった。

ヴェネツィア映画祭に出品したのだが、酷評され、主演女優のサンドラ・ミロは、カニーナ・カニーニ(雌犬という響きがある、カニーニは文字通りには犬歯)というあだ名をつけられて深く傷ついた。

このいわくつきの映画は、オリジナルのネガがロサンジェルスで発見され、ソニー・コロンビアの手によって修復された。

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パヴァロッティ、癌の手術

Pavarotti

テノール歌手ルチャーノ・パヴァロッティがニューヨークの病院に緊急入院し、膵臓癌の手術をうけた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月8日)。

当面すべてのコンサートは中止する。

手術は成功した。順調に回復しているとのこと。膵臓癌は珍しい癌で、手術も困難なのだが、腫瘍部分をすっかり摘出してしまえば、生存率は高い。

パヴァロッティは70歳。3歳になるアリーチェという愛娘とニコレッタ夫人37歳がいる。

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Dpef 閣議で了承

7月7日の閣議で、Dpef が了承された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月8日)。

Dpef (Documento di programmazione economica e finanziaria) は経済財政計画書。

ただし、共産主義再建党出身の社会連帯相パオロ・フェッレーロは、署名を拒否した。財政健全化のために、保健や年金がカットされることにならない保証がない、というのがその理由である。

労働組合からも批判が出ているが、EUからは賛意が寄せられている。

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2006年7月16日 (日)

政府、Dpefを労働組合に示す

Padoaschioppa パドア=スキオッパ経済相

政府は、Cgil, Cisl, Uil に Dpef を示したが、三労働組合は、予算カットが大きすぎるのではないかという懸念を示した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月7日)。

Dpef (Documento di programmazione economico-finanziaria) は、経済財政計画書だが、中期的展望にたつもの。

政府の示した Dpef は、2007年度の財政赤字を国内総生産(Pil)比で3%以内に抑えるという目標を確認している。そのためには、350億ユーロが必要となる。

実現のためには、歳出削減が必要となる。政府案では、4つの分野、保健、公務員、社会保障、地方自治体に対して大幅な削減をすることになる。

労働組合側としては、細部を示されず、大枠の数字だけが出てきたことに不満を抱いている。

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名伯楽コスミ

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左からコスミ監督、グロッソ、マテラッツィ、髭のないガットゥーゾ

ワールドカップで活躍したイタリア選手には、元ペルージャの監督セルセ・コスミのもとで成長した選手がいた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

2000年から2004年まで、ペルージャで監督を務めたセルセ・コスミは名伯楽とでもいうべき存在で、ガウッチ会長のもと、何人もの名選手を育て、彼らはナショナル・チームでも活躍している。

グロッソは2001年にペルージャにセリエC2からやってきた。来たときはトップ下 (trequartista)であったという。しかし、ペルージャでコスミのサブをつとめるマリオ・パラッツィによってサイド・バック(terzino)に変えられたのである。

マテラッツィ(コスミ監督のもとでプレイした)とガットゥーゾもガウチのペルージャを通過して、ナショナル・チームの選手となったプレーヤーである。

コスミによると、グロッソを往年の名サイドバックのファッケッティ、カブリーニ、マルディーニに比するのは無理があるが、「ドイツ戦でのゴールは、偶然ではない。彼は、ああいうことがいつでも出来る選手なのだ」と述べた。

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アブ・オマル事件でSismiのナンバー2逮捕

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ジュリアーナ・ズグレーナ記者をかかえるマルコ・マンチーニ

2003年2月17日にミラノで、アブ・オマル師がCIAによって拉致された事件に関し、イタリアのSismi が協力していたとして、ナンバー2のマルコ・マンチーニが逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

Sismi は Il servizio per le informazioni e la sicurezza militare の略で、軍事治安情報部。防衛大臣の管轄である。

逮捕されたのは、マルコ・マンチーニと元上司のグスターヴォ・ピニェーロ将軍(在宅逮捕、高齢と健康状態のため)。

容疑は、これまでアブ・オマル事件は、CIA の単独犯と当時の政府は釈明していたが、Sismi の高官は、違法性を認識しつつ、Cia に協力していたというもの。

Cia に関してはすでに22の逮捕状が出ているが、今回新たに4通の逮捕状が出された。

四人は次の通り。事件当時のイタリアにおけるCiaのトップ、ジェフリー・カステッリ、在伊米軍アヴィアーノ基地の司令官ジョセフ・ロマーノ。アヴィアーノ基地から、拉致したアブ・オマルを乗せた飛行機が飛び立ったとされている。エージェントのラルフ・ヘンリー・ルッソマンド。彼は偽の書類を作る工作を担当した。外交官のサブリーナ・デ・スーザ。

一方、Sismi に関しては、ベルルスコーニ政権は一貫して事件への関与を否定してきた。上記の二人のほか、Sismi の四人の高官が取り調べをうけ、ピオ・ポンパは違法な盗聴で告発されている。

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2軒目までは相続税課さず

Visco

経済副大臣のヴィンチェンツォ・ヴィスコは、相続税を再導入するとしても、1軒目と2軒目の家までは、相続税は課さないと述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

イタリアの財政赤字は、Istat の発表によると、第1四半期で国内総生産比5,8%となっている。2006年全体で、財政赤字が4,2%となる見通しで、これを2007年には、3%にもっていくためには、様々な措置が必要となってくる。

その中の一つに、イタリアで実質的に消滅していた相続税を再導入する案もあるわけだが、その際に、1軒目と2軒目までは相続税は免除するということで、富裕層には相続税が再導入されることがありうる、という見解を明らかにした。

「われわれは、ミラノの店員よりは、ベルルスコーニの資産に興味がある」。「Iva(付加価値税)は上げるつもりはない。国が破産しそうという極端な場合は別だが」とのこと。

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映画館の夏休みはイタリアのみ

Castellitto セルジョ・カステリット

イタリアの映画館は、夏の期間、地味な作品しか上演せず、大作の公開は秋まで持ち越される(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

夏、6月から9月まで、イタリアの映画館では、大作の公開はなされず、通常の期間に上映しそこなった地味な作品が上映される。

こういった習慣はイタリアだけで、アメリカはもちろんのこと、フランスやイギリス、スペインでも、こんなことはないという。

『スーパーマン』や『マイアミ・ヴァイス』の公開も秋以降に延期される。

俳優・監督のセルジョ・カステリットも納得がいかない。「これは、深刻な問題を抱えた産業の印だ。暑さのせいにするのはおかしい。今は、エアコンがあるのだから。むしろ文化産業の体制や信頼性に関わる問題だと思う」

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宗教の時間は変更すべきか?

イタリアのユダヤ人コミュニティー会長のクラウディオ・モルプルゴが、学校教育での宗教の時間を変更すべきだと主張した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月4日)。

モルプルゴは、学校教育のなかでの「反歴史的な宗教の時間」を、その限界を超越するため、また国家が宗教的現象に無関心であるのではなくて、中立であるために、「宗教の歴史」を教えてはどうかと提案した。

イタリアの学校では、「宗教の時間」があり、これはカトリックの教えがその内容の中心である。しかし義務ではなくて、小学校の時は、親が宗教の時間を受けるか、受けないかを決め、受けない場合には、その時間、子供をどう過ごさせるかというのが選択肢の中から選べるようになっている。

この「挑発的」提案に対し、左翼民主(党)からは、ジョルジョ・トニーニのように積極的に評価する人がいる一方、マルゲリータ党のレンツォ・ルセッティのように当惑を感ずる人もいる。国家とヴァティカンの間には、クラクシ政権のときに交わされた1983年のコンコルダートが存在するからだ。

宗教教育が他のヨーロッパ諸国でどうなっているかの紹介がある。

ドイツ:週2時間、宗教の時間が必修。宗派は5つに別れ、カトリック、プロテスタント、ギリシア正教、新使徒教会。

フランス:国立学校では宗教教育を実施しない。ただしアルザスとロレーヌは例外。

イギリス:5-16歳まで必修。ただし、両親はその授業を受けさせないと決めることが出来る。

フィンランド:ルター派プロテスタント教育か倫理教育。

オランダ:カトリックかプロテスタント。他の宗教もしくは人文教育の可能性もある。

スペイン:宗教に関しては成績をつけないことになった。宗教は選択科目。履修しているものは、2006年には1,9%減って77,4%になったという。

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2006年7月15日 (土)

ベルトルッチ:『1900年』は詩である

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ベルナルド・ベルトルッチが、7月3日のコリエレ・デッラ・セーラの記事に答えて自らの『1900年』観を語った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

以下、ベルトルッチの寄稿した文章の要約である。

30年前にそうする人がいたが、あなた(7月3日の記事を書いたピエルルイージ・バッティスタ)も、『1900年』を歴史ものとして扱っている。1976年の一部の共産党幹部と同じだ。

もし、今日、『1900年』を見る(再び見る)ことがあれば、これが、ブルジョワ的、異教的、濃密な身体性をおびた詩、パゾリーニが「消費主義」のせいで消滅しつつあると嘆いた農民文化が生き延びる証し、といったものが一緒になったオペラ的作品だとお判りいただけるでしょう。

映画の最後の場面、「農場主の裁判」は、農民を一種「聖なる表現」で描いたもので、リアリズムからは遠いのであり、オルモ(ジェラール・ドバルデュ)は、「農場主は死んだが、アルフレード・ベルリンギエーリ(ロバート・デ・ニーロ)は生きている。農場主が死んだことの生きた証とするため、彼を殺すべきではない」と言う。(実際には、裁判なしで、私的な「死刑」が実行された例がある)。

これはほとんどファンタジーの世界であるが、私には、起こった歴史ではなく、多くの人が起こることを夢みた歴史を語る権利がある。

私の監督としての義務は、美を獲得することであり、歴史考証ではない。

赤い三角地帯で、どんな犯罪が犯されたか、何故生じたかは、考えてみる価値がある。20年以上にわたるファシズムの後で、復讐の悪魔に出会うことは、それほど驚く話ではないだろう。

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サッカー疑惑、判決くだる

Ruperto ルペルト委員長

サッカー疑惑に関する連盟提訴委員会(Caf、La Commisione di Appello Federale)が、判決をくだした(この項、Corriere.it).

判決によれば、
ユヴェントゥス:セリエB降格、2006/07のシーズンで勝ち点-30ポイント、2004/5の優勝盾(スクデット)の返還、2005/6の優勝盾授与せず。8万ユーロの罰金。

ルチャーノ・モッジ(ユ):5年間活動停止。5万ユーロの罰金。

アントニオ・ジラウド(ユ):5年間活動停止。2万5千ユーロの罰金。

フィオレンティーナ:セリエB降格で-12ポイント。5万ユーロの罰金。

ディエゴ・デッラ・ヴァッレ(フィ):4年間活動停止、3万ユーロの罰金。

アンドレア・デッラ・ヴァッレ(フィ):3年6ヶ月の活動停止、2万ユーロの罰金。

サンドロ・メンクッチ(フィ):3年6ヶ月の活動停止、1万ユーロの罰金。

ラツィオ:セリエB降格、-7ポイント。4万ユーロの罰金。

クラウディオ・ロティート(ラ):3年6ヶ月活動停止、1万ユーロの罰金。

ミラン:2005/6シーズンの勝ち点44ポイントを剥奪。降格なし。2006/7シーズンは-15ポイント。3万ユーロの罰金。

フランコ・カッラーロ:活動停止4年6ヶ月

インノチェンツォ・マッツィーニ:活動停止5年

ピエルルイージ・パイレット:活動停止2年6ヶ月

トゥッリオ・ラネーゼ:活動停止2年6ヶ月。

球団側は、判決を不服として上訴する方針。

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2006年7月14日 (金)

ユヴェントゥス、セリエB降格なら受け入れられる

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ルペルト委員長

サッカー疑惑に関し、厳しい求刑が出たが、ユヴェントゥスは、セリエB降格なら受け入れられるとしている(コリエレ・デッラ・セーラ、7月6日)。

ユヴェントゥスの弁護人チェーザレ・ザッコーネは、これまでまったく罪を認めぬ発言をしてきたが、ここへきて、発言を修正し、セリエBでペナルティー付きなら受け入れられると述べた。

受け入れられる (accettabile) という言葉は、スポーツ控訴委員会の審議の場にはふさわしくない、まるで交渉可能なように聞こえるとして、適切・妥当 (congrua) としなさいと、ルペルト委員長にただされ、弁護人は「妥当であり、それゆえ、受け入れられます」とした。

ルペルト委員長は、52年3ヶ月の検察官としてのキャリアがあり、ザッコーネは55年も弁護士をしている。お互いの言語を知り尽くした間柄である。

また、弁護人はルチャーノ・モッジとの距離を置き始めた。モッジは球団を代表する人物ではなく、彼の犯した行為に、球団が直接責任を負うわけではない、という理屈である。

一方、代表取締役であったアントニオ・ジラウドの行為に関しては、責任を負わねばならないことになる。

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2006年7月13日 (木)

ベルティノッティ、マルキオンネを評価

Berutinotti Marchionne ベルティノッティ下院議長(左)

マルキオンネFIAT代表取締役(右)

下院議長のファウスト・ベルティノッティがフィアットのセルジョ・マルキオンネ代表取締役を評価した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月5日)。

共産主義再建党の機関紙リベラツィオーネの祭りで、下院議長で、元同党の党首ファウスト・ベルティノッティが、フィアットのマルキオンネを「良きブルジョワ(borghesi buoni)」と評価した。

ベルティノッティにとって、効率を解雇と同一視しない点をかっているとのこと。

マルキオンネはシュンペーターを奉じ、資本主義のエッセンスは創造的破壊だと考えている。

ベルティノッティは、共産主義再建党のリーダーであった時には、即ち、つい先頃までは、階級闘争、ストライキを是としてきた人である。

こうした変化に対し、PDCI(共産主義者党)のヨーロッパ議会議員のマルコ・リッツォは「自らを共産主義者と任ずるものが、「良きブルジョワ」を語るのはナンセンスだ」と評したが、一方で、労働大臣のチェーザレ・ダミアーノをはじめとする幅広い層の支持も得ている。

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サッカー疑惑に求刑

Stefano_palazzi_1 ステーファノ・パラッツィ検察官

サッカー疑惑に求刑が出て、ユヴェントゥスはセリエC降格、ミラン、ラツィオ、フィオレンティーナのセリエBへの降格が求められた(コリエレ・デッラ・セーラ、7月5日)。

ステーファノ・パラッツィ検察官は、予想通りとは言え、厳しい求刑を提出した。ユヴェントゥスは、セリエCに降格し、6ポイントのペナルティ。ラツィオとフィオレンティーナはセリエBに降格し、15ポイントのペナルティ。ミランは、セリエBに降格し、3ポイントのペナルティ。

ユーヴェの元総監督ルチャーノ・モッジは違法行為一つにつき罰金5000ユーロ(約70万円)。5年間活動禁止。アントニオ・ジラウドも、5000ユーロの罰金と、5年間の活動禁止。

ラツィオでは、クラウディオ・ロティートが違法活動につき5000ユーロの罰金。5年の活動禁止。

フィオレンティーナでは、アンドレア・デッラ・ヴァッレとディエゴ・デッラ・ヴァッレとサンドロ・メンクッチが、5年の活動禁止と違法行為につき5000ユーロの罰金。

ミランは、アドリアーノ・ガッリアーニが2年間の活動禁止。レオナルド・メアーニが、5年の活動禁止、違法行為につき5000ユーロの罰金。

連盟の役員については、フランコ・カッラーロは5年の活動禁止。インノチェンツォ・マッツィーニは、5年の活動禁止。違法行為につき5000ユーロの罰金。

審判および審判割り振り者は、やはり活動停止5年および違法行為につき5000ユーロの者が多い。

優勝杯に関しては、2004-05年のものは、取り消しとなり、2005-06年のものは、優勝杯自体をわたさないのだという。

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フエンテス医師とパンターニ

Pantani

あのマルコ・パンターニもスペイン人医師フエンテスの顧客であったようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、7月3日)。

スペインで様々なスポーツ選手のドーピングの手助けをしていたフエンテス医師は、顧客をあだ名や記号で管理していた。金額は聖人の日を利用して暗号化していた。

2003年、イタリアの生んだ天才自転車選手パンターニ(医師の記号ではPTNIー判りやすい符号である)は、EPOや、成長ホルモンなどの提供をうけていたらしい。

40000ユニットのEpo, 成長ホルモン7回分、同化ステロイド30回分などを処方しているのである。

フエンテス医師のこうしたドーピング処方は、2002年から2006年にわたって行われ、800万ユーロを稼ぎ出していた。パンターニの料金は、年3万6千ユーロであったとのこと。

フエンテス医師のリストには、自転車選手だけでなく、サッカーやテニス選手も載っているという。今年のトゥール・ドゥ・フランスでは、バッソやウルリッヒ、セラーノが出場を取り消している。

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フェラーリ、1位、2位独占

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アメリカ・インディアナポリスで開かれたF1で、フェラーリは1位、2位を独占した(コリエレ・デッラ・セーラ、7月3日およびフジテレビ721)。

ミハエル・シューマッハが1位、フェリペ・マッサが2位、ジャンカルロ・フィジケッラ(ルノー)が3位で、現在、得点王のアロンソは5位に終わった。

シューマッハは、優勝して嬉しい理由はいろいろあるが、一つはアロンソに6ポイント差を縮めたこと、と語った。またミハエルは、マッサの2位についても喜びを隠せぬようで、レース終了直後、マッサを抱きかかえた。

これで、フェラーリおよびシューマッハにとって、レースが再開され、年間優勝への望みが再び芽生えたことになる。

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パゾリーニの『カンタベリー物語』

Canterbury_1 Canterbury2 パゾリーニ

三人の右端がニネット・ダヴォリ

ニネット・ダヴォリが、パゾリーニの映画『カンタベリー物語』(1972)について語った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月3日)。

パゾリーニの『生の三部作』の第二作となった『カンタベリー物語』は、先行する『デカメロン』と後に続く『千一夜物語』の間で、1971年に撮影され、1972年に公開され、ベルリン映画祭の金熊賞を受賞した。

ボローニャで、この作品についての再検討が開始された。まず第一の問題は、何故、パゾリーニは、140分の映画を110分にカットしたのか?

「再発見された映画」と題されたこの催しでは、個人的な理由と、映画的な仮説を混ぜ合わせて説き明かそうとしている。パゾリーニ自身は自分の病的状態をあげている。「『カンタベリー』を撮ったとき、僕はとても、とても、とても不幸だった。無頓着、夢、喜劇性から生まれた三部作にふさわしくない状態だった」

この大きな不幸の理由は、パゾリーニが友人ヴォルポーニに告白しているところでは、ニネット・ダヴォリとの関係の終焉だった。9年間に渡る親密さの後のことだった。

パゾリーニは、ダヴォリの側にいる女性がよくいる女友達ではなくて、もっと真剣な関係のものであることを理解し、危機に陥った。危機に陥ったパゾリーニは、自作の映画まで引きずっていってしまったのである。

カンタベリー物語のなかのトパス卿のエピソードは、イギリスとエトナ山の山裾で撮影を終え、編集もしたのだが、最終的にカットされてしまったのだという。

その結果、この映画は、もっと愉快で、笑いに満ちたものになるはずだったのだが、30分間が、明確な理由が示されないままに、破棄されてしまったのである。

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2006年7月11日 (火)

『1900年』から30年

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ベルナルド・ベルトルッチ監督が、自作『1900年』を振り返った(コリエレ・デッラ・セーラ、7月2日)。

この作品は、1976年製作なので、今年30歳を迎えたことになる。ボローニャのチネテーカでベルトルッチは自作を語った。

この作品は、ジェラール・ドバルデュ扮するオルモ(小作人の子、共産党員)とデ・ニーロ演じる農場主(の子)が、1900年に時を同じくして生まれるところから、ファシズム、抵抗運動が描かれる。

準備に1年、撮影に1年、編集などのポストプロダクションに1年かかったという。2幕 (2 atti) にわかれ、5時間を越える大作である。

ベルトルッチは、当時パゾリーニが告発していた氾濫する消費主義に対する苦悩、恐怖を語ったつもりだったが、実際は、エミリア地方の農民文化の輝かしい抵抗を撮っていた、と語った。

この映画は、映画館では大成功をおさめたが、当時のイタリア共産党の大物たちの評価は分かれた。パイェッタは第一幕は気に入ったが、第二幕は嫌った。アメンドラは、全体をテレビでこき下ろした。ベルリングェルは沈黙を保った。問題になったのは、映画の最後の場面で、農場主が裁かれるところだという。

その時にこの映画を擁護したのは、左派の若者たちで、その一人が現在のローマ市長ヴェルトローニである。

ベルトルッチは、今この映画をとったら、幼児性愛者であるという非難を浴びたり、動物愛護者から責められるおそれがある、と述べた。

(お断り:ココログのメンテナンスのため、48時間、ブログの更新が出来なくなります。詳細はブログ画面の右下をご覧下さい)

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パリオに女性の進出

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シエナのパリオに女性の進出が、徐々にではあるが着実に進んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、7月2日)。

今年の7月2日のパリオの旗(この旗のこともパリオと呼び、これがレースで勝った地区の宝物となる)は、二人の女性によって製作された。

シエナのパリオは17地区の地区対抗の祭りであるが、その中の1つ、オーカ(鵞鳥)地区で女性参加をめぐる運動が起こった。

もともとパリオは疑似戦争のようなものであるから、非常に男性中心の行事であった。しかし第二次大戦後、地区の運営、そしてパリオへの参加にも女性進出が進んだのであるが、オーカ地区では、地区(コントラーダ)の決定に関し、女性の投票が認められていないのである。

ところが、オーカ地区のライバル、トッレ(塔)地区では、女性カピターノ(地区のパリオに関する最高責任者)で、去年のパリオで優勝したのである。

これまで、トッレは、44年間もパリオに勝てず、オーカにしてみれば嘲笑の的であったのだが、女性カピターノで勝つと逆に、トッレの女性たちが、オーカの女性たちを批判することが可能になってくる。

オーカは、もともと伝統をかたくななまでに守り、そのことを誇るコントラーダ(地区)であった。そこで、女性の参政権についても侃々諤々の議論をへて、ようやく、コントラーダ内に、女性会 (Societa' delle donne) を結成することが認められた。

その他にも、ジラッファ(キリン)地区で、史上はじめて、バルバレスカ(女性の馬丁)が誕生した。クラウディア・コロンナという女性。パリオにおいては、馬は代理のきかない神聖な存在であるから、馬の世話係は、重要な役職である。

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2006年7月10日 (月)

イタリア、PK戦を制し優勝!

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Photo_42 ジダンの頭突き

ワールドカップ決勝戦は、1対1のまま、延長戦、さらにPK戦となったが、6対4でイタリアが優勝した(この項、NHK-BS,および Corriere.it).

イタリアのメディアでは6対4という表示だが、これは、試合の90分が1対1で、PK戦が5対3(イタリア先攻で、5点入れた時点で終了)となり、合計して6対4となる。

最初に1点を入れたのは、フランス。ゴール前でマテラッツィのディフェンスがファウルを取られたが、これはかなり怪しい判定であった。しかし、ジダンが決めて1点。

その後、今度はイタリア側がコーナーキックから、マテラッツィのヘディングシュートで1点。

その後は、どちらも決め手を欠いた。フランスが押し気味で、イタリアも攻め上がろうとすると、パスをカットされていた。

延長戦の後半で、ジダンがプレー中ではないところで、マテラッツィに突如として頭突きをくらわせ退場。その直前にマテラッツィがジダンに何か言っていたようでもあったが、不可解と言えば不可解なジダン最後のプレーであった。

試合は、延長でも終わらず、PK戦。

PK戦の点の入った順番をCorriere.it は次のように記している(かっこ内のカタカナまじりの説明は管理人)。
PIRLO: GOL (1-0) (イタリア)

WILTORD: GOL (1-1)(フランス)

MATERAZZI: GOL (2-1)(イタリア)

TREZEGUET: TRAVERSA (2-1)
(フランス、トレゼゲがはずした)
DE ROSSI: GOL (3-1)(イタリア)

ABIDAL: GOL (3-2)(フランス)

DEL PIERO: GOL (4-2)(イタリア)
SAGNOL: GOL (4-3)(フランス)

GROSSO: GOLLLLLLLLLLLLL !!!!!!!!!!!!!!!!!! (5-3)(イタリア、ここで勝利が決定)

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2006年7月 9日 (日)

『主人は浮気なテロリスト!?』

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リオ・フォ作『主人は浮気なテロリスト!?』(劇団俳優座LABO公演、六本木)を観た(7月17日まで)。

場所は俳優座であるが、5F稽古場。右手の入り口から入る。

舞台は小ぶりで、客席は階段状になっている。額縁舞台と異なり、役者が自分と同じ空間にいるという感じが強い。即ち、俳優・女優の身体性をいきいきと感じる贅沢な舞台といえよう。

主人公は、フィアットの社長ジャンニ・アニェッリとフィアットの熟練工アントニオ。これを堀越大史が一人二役の大熱演。

一人二役であるのには必然性がある。アニェッリが自動車事故にあい、それをたまたまアントニオが助けるのだが、混乱があって、顔がメチャクチャになったアニェッリはアントニオと誤認されたまま整形手術をうけ、アントニオの顔になってしまう。

アルド・モーロが誘拐され、暗殺され(1978年)てから間もない1981年に書かれたので、作品中で、アニェッリがこうしたいきさつで行方不明となってしまうと、テロリスト集団の仕業と疑われるのも無理はない。

ここから、アニェッリとアントニオをめぐって、妻と愛人が絡んで、どたばたがある。

特に、アニェッリは、手術後口の利き方が不自然という設定が、笑えるし、巧みな設定であると思う。妻は両者とも自分の夫と思っているのだが、観客は口の利き方で、ぎこちない方がアニェッリの方だとすぐ判るのである。

日本語で表現するのは困難であるが、おそらく原文では、労働者階級に属するアントニオの言葉遣いと、大ブルジョワであるアニェッリの言葉遣いには、明確な相違があるだろうし、ダリオ・フォはどう演じ分けたのだろうなどと連想がはたらいた。

アニェッリは2003年に亡くなったが、まだまったく元気な1980年代に、主人公として取り上げたのは愉快な話だ。

また、ジャンニ・アニェッリは女優などと数々の浮き名を流した色男でもあったが、このアントニオも妻と別居し、ルチアと暮らすのだが、事故当日は、別の女性組合員と一緒にいたという浮気者なのである。

ここからややネタバレです。

ジャンニ・アニェッリは、上顎・下顎も手術したせいで口の利き方が不自然で、医者が妙な言葉の練習をさせる。

また、食事も口からはとれず、漏斗や妙な器具を使って鼻から入れることになるのだが、これは見た目も可笑しいのだが、アニェッリがイタリア一の伊達男だっただけに、実に皮肉がきいている。

劇団側は、気をきかせて、座席にあらかじめ「!より楽しむためのキーワード!」というA4の表裏にアルド・モーロ暗殺事件やアンドレオッティ元首相、アニェッリのことなどを手際よく説明した紙を配布している。こうしたちょっとした工夫で、政治や風刺の翻訳ものも楽しめる幅が広がると思う。

しかし、作品の生命力は、実にたくましいもので、観客の中に小学生とおぼしき少女もいて、楽しそうに笑っていた。作者と役者たちにとって、最大の賛辞ではないだろうか。

ギャグのレベルでも楽しめ、身体的な動作のぎくしゃくでおもしろがり、イデオロギーや政治批判でにやっとすることが出来るダリオ・フォ。それが、大人から子供まで、様々なレベルで享受することができる舞台になっていたのである。

遠藤剛の警部は味があったし、川井康弘の医者は権威をふりまわし、ちょっと変態チックなところをうまくユーモラスに演じていた。

アントニオの妻ローザの美苗、愛人ルチアの勝恵も、対照的なキャラクター、意地の張り合いを見事に演じていた。

セリフより、動きで見せる看護人、警官、窓枠を持つ男など、ダリオ・フォらしい異化効果を、楽しく出していた。

こぶりな舞台も有利にはたらいていると思うが、怒鳴らないセリフまわし、着実な表情づけ、テンポの良さ、俳優座のレベルの高さに感心した。

一人二役になってから、ローザの家で、ジャンニとアントニオが交錯する場面、舞台回しも実に巧みであった。演出は高岸未朝。

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トゥール・ドゥ・フランスに激震

Basso_rosa イヴァン・バッソ

トゥール・ドゥ・フランスに、有力選手イヴァン・バッソやヤン・ウルリヒが出場しないことが決まった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月1日)。

スペインでのレースでのドーピング検査の結果、疑わしい選手が続出し、そうした選手はトゥール・ドゥ・フランスに出ないことになったのである。

イヴァン・バッソは、ジーロ・ディタリアで優勝している有力選手だけに、不出場が悔やまれる。

また、評論家のアルド・グラッソは、マルコ・パンターニの悲劇から、自転車競技界は何も学んでいないと、憤慨している。

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2006年7月 8日 (土)

サッカーの試合が始まったとたん、飛行機が欠航に

ワールドカップの試合が始まったとたん、ローマ・フィウミチーノ空港で5便が欠航となった(コリエレ・デッラ・セーラ、7月1日)。

ハンブルグで、イタリア対ウクライナの試合が始まるとすぐに、乗組員の中から病気その他の理由で具合の悪くなった者が続出し、アリタリア航空の5便が欠航した。

行き先は、パレルモ、トリノ、ボローニャ、カリアリとカターニャ。乗客約400人が、地上に取り残された。

組合によれば、乗組員たちの数をぎりぎりまで減らしているので、いざという時に、埋め合わせができないのだという。

しかし、過去にも、ワールドサッカーの重要な試合があるときには、こうしたことが生じたという証言もある。

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教会、固定資産税を払う

Domusaurelia ローマでカトリック教会が所有するホテル「ドムス・アウレリア」

カトリック教会が、再び固定資産税を払うようになる(コリエレ・デッラ・セーラ、7月1日)。

1992年に、カトリック教会は固定資産税(Ici)の支払いを免除され、2004年にそれが認められなくなり、2005年再び免除されるようになっていた。それが今回の決定で、再び支払うようになる。

これは、信仰のための教会の建造物ではなくて、教会が所有しているホテルやアパートにかかる税金である。

とはいえ、ヴァティカンとの関係を重んじて、決定い先だって、財務相のトンマーゾ・パドア=スキオッパは、イタリア司教会議議長のカミッロ・ルイーニと会談している。

教会が支払う固定資産税は、概算ではあるが、約5億ユーロにのぼる見込み。Iciはコムーネに収める税金であるが、ローマ市におさめられる固定資産税だけで、約5000万ユーロになるもよう。

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タクシー、薬品、商店の自由化

プローディ政権は、タクシー、薬品をはじめとする12分野で、自由化を実施する(コリエレ・デッラ・セーラ、7月1日)。

自由化は、政令による措置で、12のセクションにわたるもの。

まず、専門的職業人(professionisti, 医者・弁護士など)。最低料金の撤廃。当事者どうしの交渉によって、料金を決めることが出来るようになる。

薬品。処方箋を必要としないアスピリンのような薬は、スーパーマーケットで買えるようになる。値引きも可能。

保険。独占的販売がなくなる。代理店は、顧客に最適な商品を選んで勧めることが出来るようになる。

食品。1956年に制定されたコムーネ(市町村)ごとのパン製造所の数が撤廃。

タクシー。運転許可証を複数所持することが可能になる。ただし転売することは出来ず、運転手を雇わなければならない。

商店。お店を開店する手続きが簡素化される。

公証人。自動車、バイク、船の所有権が移動する際に、公証人のところへ赴く義務がなくなる。

銀行。口座所有者は、銀行側が口座の条件を変更した場合、追加料金を払うことなしに解約できる。

コムーネ。地方の輸送手段、バスなどを私営で開設できる。

商店。セールの期間が自由化される。同じ商品を売る店どうしが離すべき最低距離も廃止される。

地方公共団体。公共サービスは、水道以外は、原則として公開入札によって業者を決めなければならない。

競争を妨害するものへの罰金は、高額化する。

これらの措置は、全体として、競争原理を導入することにより、イタリア経済を活性化する一助にする狙いがあるものと考えられる。

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2006年7月 6日 (木)

スカラ座、上演回数を増やす

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スカラ座は、政府からの補助金の大幅減額のため、上演回数を増やすことになった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月30日)。

2006/07年度のスカラ座は、12月7日に、リッカルド・シャイー指揮、フランコ・ゼッフィレッリ演出の『アイーダ』で幕を開けるが、今年度は、昨年度の210公演に対し、264公演を予定している。

12のオペラ(そのうち7つは新演出)と6つのバレエが上演される。

スカラ座の財政状況は、微妙で、2005年は8万7千ユーロの赤字、これはバンカ・インテーザその他が穴埋めしてくれたのだが、今年の赤字は570万ユーロに膨れあがっている。この金額は Fondo Unico per il Spettacolo (Fus 芸能統一基金)の削減額に見合っている。

スカラ座の総支配人リスナーは、ルテッリ大臣と会って交渉する予定であるという。

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ペッソット、依然として重体

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ユヴェントゥスのティーム・マネージャーのジャンルーカ・ペッソットは依然として重体である(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日、30日)。

容態は、安定しているが、危機を脱したとは言えないとのこと。医師は、生き延びられるかどうか、判らない、と述べた。

レアーナ夫人は、不仲を否定した。また、病床で、ペッソットが夫人の手を握る反応があったことも伝えた。

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ヴェネツィアのサンマルコにアレクサンダー大王の遺骸?

Tintoretto サン・マルコの遺骸の窃取(ティントレット)

ヴェネツィアのサンマルコ寺院におさめられたサン・マルコの遺骸が、実は、アレクサンダー大王の遺骸ではないかという歴史家がいる(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。

その歴史家とは、Andrew Michael Chugg というイギリスの歴史家で、一年前に『アレクサンダー大王の失われた墓』という本を著わした。また、今年の9月に、パドヴァで、この説を展開する予定である。

アレクサンダー大王は、バビロンで死亡し、そのあと防腐処理されてエジプトに運ばれ、彼がつくり、彼の名を冠したアレキサンドリアに埋葬されたと考えられている。

サン・マルコの遺骸は、火葬してしまったという説とそうでないという説がある。彼の遺骸も、アレッサンドリアの大王の墓所に近いところ、あるいは同じところにあったというのである。

9世紀に、二人の商人ブオノ・ディ・マラモッコとルスティコ・ディ・トルチェッロがアレクサンドリアに出かけていき、サン・マルコの遺骸をこっそり持ち帰ったことになっているのだが、Chugg は持ち帰ったのは、アレクサンダー大王の遺骸だったのではないか、と考えるのである。

サン・マルコの遺骸が引き出されたときに、大王の遺骸が無くなってしまったというのがその根拠となっている。

これには、反対する学者もいるし、Chugg 自身も決定的証拠を握っているというより、一つの仮説としているようだ。

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受精卵の廃棄は、破門

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バチカン家庭評議会議長のトルヒーリョ枢機卿は、受精卵を廃棄した場合、破門すると述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月29日)。

7月8日、9日にベネデット16世主催で開かれる世界家庭会議を前に、コロンビアの枢機卿アルフォンソ・ロペス・トルヒーリョは、「ファミリア・クリスティアーナ」誌へのインタビューで、中絶への反対だけでなく、受精卵をもちいた幹細胞の研究者も破門であると説いた。

中絶に関しては、「母、医師、看護師、同意した父」に責任があるが、受精卵を用いて幹細胞の研究をしている研究者も中絶と同罪であるという。

「女性、医師、受精卵を破壊した研究者は、破門である」。

この激しい口調には、ヴァティカンの立場に近いとされるマルゲリータ党の上院議員パオラ・ビネッティも戸惑いを隠せない。

ちなみに破門 (la scomunica) についての囲み記事があるので紹介する。

教会法において、破門は、洗礼を受けた者が、信者の集まりから排除されることである。

何が禁じられるか。破門された者は、秘蹟を受けること、聖務・祭式(uffici) に参加することを禁じられる。教会式の埋葬が拒絶されることもある。

破門には、いくつかの段階がある。もっとも重いものは、教皇が出す。

破門の度合いは、罪の赦しに影響を及ぼす。

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イタリア、ドイツを延長戦で降す

Photo_36 グロッソ

ワールドカップ準決勝、イタリア対ドイツは、延長戦でイタリアがグロッソ、デル・ピエーロと立て続けに得点し、2対0で決勝進出を決めた(この項、NHK-BS および Corriere.it).

前半、後半ともイタリアが押し気味ではあったが、得点にはいたらなかった。

延長戦も、前半は両者無得点、後半も終わりかけた14分に入って、まずピルロがミドル・シュート。キーパーが防いで、コーナー・キック。そこから、ピルロにボールが渡って、ドイツのディフェンスはピルロのまわりに群がった。

そこをピルロはあたかもデル・ピエーロへパスするかのような姿勢で、空白地帯になったグロッソへ間隙をぬってスルーパス、グロッソは受けた球を直接ゴール左端にカーブさせつつゴール。

ピルロ、(フェイントのデル・ピエーロ)、グロッソの連携は実に見事であった。

残り時間わずかとなったドイツは強引に攻めるが、カンナヴァーロが身体をはってジャンプしてカット、そこからトッティ、ジラルディーノとわたり、ジラルディーノがゴール前に持っていったところで、デル・ピエーロが飛び出しシュートを決めた。デル・ピエーロのシュートはロス・タイムに入っており、これで試合終了。

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2006年7月 4日 (火)

ペッソット、屋上から飛び降り

Pessotto 選手時代のペッソット

ユヴェントゥスのチーム・マネージャー、ジャンルーカ・ペッソットがユヴェントゥスの本部の屋上から飛び降り自殺未遂した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月28日)。

6月27日の12時10分頃、ジャンルーカ・ペッソットは、ユヴェントゥスの本部に到着し、エレベーターで、4階まで上り、そこから屋上に行き、飛び降りた。

手には、ロザリオを持っていた。20メートル下に落下したが、中庭に駐車してあったロベルト・ベッテーガのアルファ147の左側面に当たり、跳ね返って、隣のランチャ・フェードラの上に飛んだ。

尾骨と5本の脊椎を骨折し、27日2回の外科手術が行われ、28日、足および踵の手術が行われる予定。

一説には、家庭の問題(夫人との不和)から鬱状態にあり、医者にかかっていた。レアーナ夫人は、スイスのバスケット・ボールのセリエCの元選手。

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Anas の不正経理

Anas

イタリアの道路庁Anas で不正経理がなされていた可能性が高くなり、インフラ大臣のディ・ピエトロは司法の介入をもとめている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月28日)。

道路庁Anas の会計には、35億ユーロの穴があいていると言われている。

ディ・ピエトロ大臣は、司法の介入を求めている。

これに対し、Anasの会長のヴィンチェンツォ・ポッツィは、政府が支払うべき金を止めているのであって、会計の穴はないと主張している。

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2006年7月 3日 (月)

パリオ、パンテーラ逆転勝利!

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シエナで、7月2日、パリオが行われた。ゴール前で逆転劇があり、パンテーラが勝った(この項、corriere.it および paliodisiena.biz による)。

パリオの頂点は、カンポ広場を三周する競馬である。スタートから、アクイラ(鷲地区)の馬がリード。三周目の最後のカーブを曲がって勝負あったかと思われたが、もうゴールが目の前、数メートルというところで、パンテーラ(豹地区)の馬が抜き去り、劇的勝利を飾った。

パンテーラとアクイラは、シエナの人なら誰もが知るライバル関係、犬猿の仲である。パンテリーニ(パンテーラ地区の人)の喜び、アクイラの人々の悔しさはいかばかりであろう。

騎手は、アンドレア・マーリ、通称ブリオ。初めてのパリオでの勝利。1977年のシエナ生まれで、2001年8月にパリオにデビュー。その時は、タルトゥーカ(亀地区)で走り、落馬。今回は8回目の出走だが、初回以外にも3度落馬している。

馬はコーチという名前。馬主は、アレッサンドロ・トッツィ。去年の8月のパリオでデビュー、今回が二度目。

パンテーラは、1994年7月以来の勝利。その時は、マッシミーノが騎手で、馬はウベルトだった。

今回のパリオは、現在、www.paliodisiena.biz で見ることが出来る。

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アフガニスタン、イタリア共産主義者党のブロック

Photo_35 アフガニスタンにおけるイタリア軍駐留の継続をめぐり、与党が割れている(コリエレ・デッラ・セーラ、6月28日)。

アフガニスタンにいるイタリア軍は ISAF (国際治安支援部隊)の一部をなす。 ISAF は安保理決議1386採択をうけ、カブールおよび周辺地域の治安維持を目的に設立された。

ISAF は2003年8月に Nato の指揮下に入った。

現在、Natoの指揮下にあるアフガニスタンでの兵は、9943名。そのうちイタリア兵は、1843名である。

なお他国は、ドイツ3800人、オランダ800人、フランス1200人、イギリス1500人、スペイン800人である。

アフガニスタンには、他にアメリカ軍中心の Enduring Freedom 作戦を展開している2万7800人の兵隊がいる。

こちらは、アメリカ2万2000人。イギリス3500人。カナダ2300人。

アフガニスタン全土には、約3万7000人の外国兵が駐留している。

駐留継続に反対しているのは、特に Pdci (イタリア共産主義者党)。ダレーマは、内閣を倒したいのか?と彼らに迫った。上院は与野党の差が極めて小さいので、与党が割れると、法案を通すことは困難になる。

再建共産党のルッソ・スペーナは、駐留兵の数を300-400人減らすべきだと述べている。

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2006年7月 2日 (日)

イタリア憲法の修正事例

国民投票で、憲法改正案は否決されたが、1991年から今日までいくつかの修正はなされてきた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月27日)。

憲法修正は、技術的な、あるいは手続きに関するものが多い。コラムで9の例があげられている。なお以下の修正は憲法的法律(legge costituzionale) によって手続きがなされている。

1.1991年、第88条の修正。大統領は、任期の最終の6ヶ月は、議員の任期の最終の6ヶ月と重ならない限り、下院を解散することはできない。

2.1992年、第79条の修正。大赦(amnistia) と恩赦 (indulto) は両院の3分の2以上の賛成決議で可能。

3.1993年、第68条の修正。下院議員と上院議員は、その職務において表面した意見のために、釈明を要求されることはない。

4.1997年、憲法改正のための国会議員による委員会を、35名の下院議員、35名の上院議員でつくった。

5.1999年、111条。「適正手続」(giusto processo) についてのもの。原告・被告当事者間の平等、裁判官の第三者性などについて定める。

6.2000年、48条修正。海外選挙区。海外在住のイタリア市民が選挙権を行使するための選挙区を創出した。

7.2001年、56条および57条の修正。630名の下院議員のうち12名を海外選挙区に、315名の上院議員のうち6名を海外選挙区に割り当てる。

8.2001年、憲法第5章を変えた。州・県・コムーネに関して大幅な書き換えをし、いわゆる連邦制を導入した。国民投票にかけられた今回以外では唯一の修正案で、この時は可決された。

9.2002年。サヴォイア家がイタリアに帰還できることになった。憲法の補則にあったサヴォイア家直系男子の帰国を禁止する条項を廃止した。

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ピオ11世の文書公開

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ヴァティカンは、ピオ11世に関わる文書を、9月16日から公開する(コリエレ・デッラ・セーラ、6月25日)。

アキッレ・ラッティは、1922年ピオ11世として教皇になり、1939年に亡くなった。

ヴァティカン機密文書館は、1610年パオロ5世の時に生まれた。レオーネ13世は、1881年に、それを学者に公開した。

それ以降、代々の教皇は、新しい部分をその時々に公開することを決定してきた。

2000年からは、第二ヴァティカン公会議に関する文書が公開になった。ジョヴァンニ・パオロ2世は、ベネデット15世の逝去までの書類を公開した。

ピオ11世の在位期間の文書が公開になることで、国際関係における教皇庁の政策・戦略が明らかになる。ヒトラーの権力奪取の問題をどう考えたか、スターリニズムの始まりについてどう判断していたか、メキシコ革命、東方政策は、といった事柄についての情報が明らかになる。

このヴァティカン機密文書館の現在の館長は、セルジョ・パガーノ神父で、バルナバ会修道士。1997年からこの任にあたっている。

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ニコライス:公務員30-40万人削減

Nicolais

行政改革大臣ニコライスが、公務員を30-40万人削減する必要があると述べた(コリエレ・デッラ・セーラ、6月25日)。

これは経済大臣パドア=スキオッパ大臣が、歳出削減を公共セクターにもとめたのに対し、Fp-Cgil (Funzione pubblica Cgil: Cgil のなかの公務員のセクターだと思われる、以下同様)、Fps-Cisl, Uil-Pa, Uil-Fpl が対抗策として、親組合のリーダー、グリエルモ・エピファーニ(Cgil),  ラッファエーレ・ボナンニ(Cisl), ルイージ・アンジェレッティ (Uil) にゆだねた文書に実はもとづいている。

労働組合は、交換条件を出している。公務員の数を減らすかわりに、「奨励金付きの大量早期退職」とし、さらに非正規雇用を正社員化することを求めている。

これは、銀行業界やタバコ業界での前例がモデルとなっている。

現在、公務員は約350万人いて、それを30-40万人削減することが必要とされている。ニコライス大臣によると、削減は6-7年間にわたって実施されるとのこと。

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2006年7月 1日 (土)

ロッシ、最後尾から8位に

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予選で、負傷のため、最後尾スタートとなったロッシは、8位入賞を果たした(この項、日本テレビおよびコリエレ・デッラ・セーラ、6月25日)。

予選で、手首の骨を折ったロッシは、決勝の出場すら危ぶまれていたが、手首に包帯をまいて出場。手首はいつものようなコントロールはきかない。

この日は、ニッキー・ヘイデンとロッシのチーム・メイトのコリン・エドワーズがデッド・ヒートを繰り広げたが、最後のカーブでエドワーズが転倒し、すべてを失った。

そこまで3位につけていた中野 (Kawasaki) は、2位で表彰台に上がった。ロッシは、8位入賞。

これで、チャンピョンシップは
1.ヘイデン  144点
2.ペドロサ  102点
3.カピロッシ 100点
4.ロッシ     98点
  メランドリ   98点

となった。

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国民投票の記録

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憲法改正をめぐる国民投票で、もっとも Si' が多かったのは、ロンバルディア州北部のソンドリオ、もっとも No が多かったのは、カラーブリア州のクロトーネだった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月27日)。

現行憲法への支持が最も低かったのは、ロンバルディア州のソンドリオでは No (憲法改正案にNoの意味)は34,6%でイタリア中で一番低かった。

イタリアの州単位でみると、ロンバルディア州とヴェネト州では改正案に Si' がそれぞれ、54,6%と55,3%で No を上回っていた。

北部全体では、No が52,6%。ロンバルディア州とヴェネト州でも、州を代表する都市、ミラノとヴェネツィアでは、Noが上回った。ミラノでは、Noが51,8%、ヴェネツィアでは53,6%だった。

一方、南部では、すべて No が優勢だったのだが、とりわけカラーブリア州はそうだった。No が82,5%である。カラーブリア州は、すべての県で、No が80%を上回った唯一の州である。

なかでもクロトーネは、No が86,2%でこれが全国一である。

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イタリア、ウクライナを撃破

Toni トーニ

ワールドカップ、イタリア対ウクライナは、3対0でイタリアが圧勝し、準決勝進出を決めた(この項、NHKBSおよび Corriere.it).

前半、6分で、トッティとパスのやりとりをしたザンブロッタが、ウクライナのディフェンソーレの足下を抜いてシュートを決め1点。

後半、59分に、トッティからのアシストをうけ、トーニがヘディングでシュートを決める。トーニは、今大会、初得点。セリエAの得点王で、期待が高かっただけに、「自分のキャリアのなかでもっとも重要な得点だった」と述べている。

さらに、69分に、ザンブロッタがゴール前に走り、スライディングしながらトーニにパスを出して、トーニは二点目。3対0となり、試合を決めた。

ウクライナはシェフチェンコを軸に、イタリアのゴール前まで迫るシーンも何度かあったが、ブッフォンの守り、さらに、ディフェンス陣、カンナヴァーロ、ガットゥーゾ、ザンブロッタらの着実なカットで、守りきった。

ザンブロッタは、自分のゴールは、ユヴェントゥスのマネージャーで自殺未遂をはかり重体のペッソットに捧げるとした。

試合直後、カンナヴァーロは、文字の書かれたイタリア国旗をもって走ったが、そこには大きく PESSOTTINO/ SIAMO/ CON TE (僕らは君とともにいる、というペッソットへの連帯を示した言葉)と書かれていた。

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