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2006年6月22日 (木)

「カルティエ現代美術財団コレクション展」

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メンディーニの《プルーストの安楽椅子》

カルティエ現代美術財団コレクション展を見た(江東区、東京都現代美術館、7月2日まで)。

インスタレーション作品が中心。その場では気づかなかったが、帰ってきて印象に残ったものを想起してみると、音または音楽が伴っている作品が多い。それが、私という観察者の偏差によるものか、一般的にそうなのかは、判別しがたい。

印象に残ったものをいくつかあげると、デニス・オッペンハイムの《テーブル・ピース》。18メートルもあるとても細長いテーブルが黒から白へとグラデーションに塗られていて、両端には、黒い人形と白い人形が座っており、その前にマイクが置かれている。

実際には、複数のスピーカがテーブルの下に設置され、二人が意味不明の言葉のような音を発しているのだが、これは、明らかに現代音楽のミニマル・ミュージックの影響を受けている。二人の発する音が似ていて、少しずつずれて、もわれのような現象を起こすのである。

それが不思議な感覚を呼び起こす。

ナン・ゴールディンの《性的依存のバラード》1979ー1995年。684点の画像によるスライド・プロジェクション、サウンドトラック。いかにも現代のアメリカの性を剥き出しに、生々しく想起させるイメージが、テーマごとに、音楽にのって繰り出される。テーマは、ドラッグであったり、売春であったり、同性愛、エイズ、死であったりする。音楽は、ポップスであったり、イタリアのカンツォーネであったりするので、作者のテーマへの思いが伝わりやすい。

20世紀の芸術は、テーマが複雑なものが多いので、せめて作者のある種の視点、こだわりが、読み取れるように構成されていないと、単に思いつきだけとか、独りよがりのようにも受け取れてしまう危険がある。

映像が次々に繰り出されると、一枚では舌足らずな場合でも、連続するイメージによって、こちらの心に多面体が形成されて、何となく、伝わるものがある。何となく、というといい加減のようだが、おそらく作者もそれを単一に限定しようとは願っておらず、受け手によって、異なることを望んでいるのではないだろうか。

音の無いもので面白かったもの。

アレッサンドロ・メンディーニの《小さなカテドラル》。高さ5メートルほどの小さな聖堂である。モザイク調。意味不明あるいは難解風なものが多いなかで、明らかに教会にしか見えない建物を造っているところが、面白い。インスタレーションしてもイタリア人は、きわめて保守的なのだなあ、と感心した。

メンディーニのもう一つの作品《プルーストの安楽椅子》も誰がどこから見ても椅子である。大きさは3メートルで、通常の椅子としては巨大であるが。

松井えり菜の《えびちり大好き!》は、楽しい作品であった。158×126,5cmのカンヴァスに目をつむって、えびちりにうっとりとする、ほとんど醜いとも言えるデフォルメされた、しかし恍惚とした表情の巨大な顔が描かれている。聖人にかかっている光輪のように、光る文字の輪が頭上にかかっている。「こんにちは、まつい えりなです。いちがつようかうまれのえーがたです。えびちりだいすき!なおかやまけ」(作者は岡山県出身)と書いてある。ユーモアと造形力に富み、しかも西洋美術の古典を踏まえているところがニクイ。

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