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2006年6月19日 (月)

王位後継者を望まなかったウンベルト

Umberto4

イタリア最後の王ウンベルト2世は、王位後継者を望んでいなかったと、王家の歴史家が証言した(コリエレ・デッラ・セーラ、6月14日)。

今から60年前の1946年の6月2日、イタリアは国民投票により共和制を選択し、6月13日、ウンベルト王は、亡命した。

その時点では、ウンベルト王は退位せず(この後も退位しなかった)、まだ共和国暫定大統領も就任していなかった。エンリーコ・デ・ニコラが暫定国家元首に選ばれるのは、同年、6月28日である。

この権力の空白時期、首相はキリスト教民主党のデ・ガスペリであり、国家元首の役割は、デ・ガスペリが果たしていたとされるのであるが、政府がデ・ガスペリにその役割を負わせたことを示す政令は、公布されなかった。

それだけでなく、ウンベルト2世をめぐる論争は今も消えていない。サヴォイア家の歴史家アルド・モーラと後継者ヴィットリオ・エマヌエーレの対立である。

ヴィットリオ・エマヌエーレは自分がウンベルト王の後継者であると主張しているが、今年の6月12日、モーラは、ウンベルト王の娘、マリア・ガブリエッラとともに、公式談話でそれを否定した。

モーラによると、1983年、ウンベルト2世は、死の床で、遺言として、王の私設秘書のマリア・ルイーザ・ラッビアに、国璽をお棺の中に、王の遺体のわきに収めるよう依頼した。明らかに、王朝の終焉を告げる意志を示したものだった。

動機も明らかで、ウンベルト王は、ヴィットリオ・エマヌエーレの結婚を認めていなかったのである。相手マリーナ・リコルフィ・ドリアが「ブルジョワ」の出であり、彼の同意を得ていなかったからだった。

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