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2006年6月18日 (日)

クローチェ、ジェンティーレの禁書目録入り

Idealisti_allindice

クローチェとジェンティーレが禁書目録入りしたいきさつを歴史家グイド・ヴェルッチが著わした(コリエレ・デッラ・セーラ、6月13日)。

ベネデット・クローチェ(1866-1952)とジョヴァンニ・ジェンティーレ(1875-1944)は、イタリアを代表する観念論哲学者であるが、歴史家グイド・ヴェルッチが『禁書目録入りした観念論者』(ラ・テルツァ、38ユーロ)でその経緯を著わした。

そもそも20世紀の初頭、イタリアの世俗的(教会寄りでない)知識人たちは、イタリアを何世紀にも渡るカトリック文化のくびきから解放しようと試みていたが、その試みは逆説的なことに、観念論者によって弱体化されていた。

クローチェやジェンティーレは、彼らの嫌う実証主義者の信条よりは、彼らの信条そのものではないとはいえ、カトリック教会を好むことを表明していた。

クローチェは、ヴァティカンがモダルニスモ(科学的進歩と信仰を調和させようという運動)を抑圧したことに喝采していたし、ジェンティーレは、小学校においては宗教教育を義務化するよう求めていた。

15年後の1923年、ジェンティーレはムッソリーニ政権のもとで公教育大臣となり、小学校に宗教教育を導入する。一連のジェンティーレ改革が実施されたのである。1921年に Universita' Cattolica del Sacro Cuore を設立したアゴスティーノ・ジェメッリ神父は、これを歓迎したが、イエズス会などでは、世俗主義のにおいがするといって警戒していたらしい。

教会の側は、中学校段階での宗教教育の義務化を要求し、それは1929年のコンコルダート成立によって実現した。 

教会側の人間として、観念論哲学者を禁書目録に入れようとしたのは、このジェメッリ神父と、エウジェニオ・パチェッリ国務大臣・枢機卿であった。1932年、将来ピオ12世となるパチェッリは、クローチェを非難する。出版されたばかりのクローチェの『19世紀のヨーロッパ史』が問題視された。ここで、クローチェは、人間の自由こそが真の宗教だという意味のことを言ったのである。

ジェメッリ神父とパチェッリ枢機卿は、1934年7月に、クローチェ、ジェンティーレの全著作を禁書目録に入れるよう聖庁内で働きかけ、それに成功した。

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