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2006年6月20日 (火)

ヴィットリオ・エマヌエーレの半生

Vittorio_emanuele

このたびポテンツァで逮捕されたサヴォイア家のヴィットリオ・エマヌエーレは、これまでの半生も平坦ではなかった(コリエレ・デッラ・セーラ、6月17日)。

彼の本名は、ヴィットリオ・エマヌエーレ・アルベルト・カルロ・テオドーロ・ウンベルト・ボニファーチョ・アメデオ・ダミアーノ・ベルナルディーノ・ジェンナーロ・マリーア。しかし、長年、家族は、トトと呼んでいる。

ヴィットリオ・エマヌエーレの言行に問題があったのは今日に始まったことではない。戦前の人種法について尋ねられたとき、「そんなにひどいものではなかった」と答え、弁護士にそんなことを言っているとイタリアへ帰還できる日が遠のくと忠告されるまで、言い張ったのであった。

また、1978年8月17日、彼の船から発砲された弾がドイツ人青年 Dirk Hamer にあたり死に至らしめた。結局このとき、ヴィットリオ・エマヌエーレは、いったんは、パリで逮捕されたものの無罪となった。しかしその時の言葉も不適切で、「フランスの裁判官たちは、私は何もしなかった、いや何も生じなかったことを確定したのだ」と言った。

彼が、住んでいたクィリナーレ宮、ついで生誕の地ナポリを離れ亡命生活に入ったのは、8歳の時だった。彼は1937年2月12日ナポリ生まれなのである。

彼はマリーナ・ドリアと結婚した時、まずラス・ヴェガスで、そして次にはテヘランでお祝いをした。彼が暮らしていたスイスでパーレヴィ元国王と交際があったからである。

スイスでは、ヘリコプター売買の仲介をしていた。

また、イタリアのフリーメイソンの有名なグループ P2にもメンバーとして登録されていた。

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