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2006年6月22日 (木)

パスコリの秘密の生涯

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イタリアの詩人ジョヴァンニ・パスコリの生涯の秘密を暴いた本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、6月17日)。

パスコリは、ロマーニャ地方のサン・マウロで1855年に生まれ、1912年にボローニャで亡くなったが、イタリア人なら誰もが知る非常に有名な詩人である。1867年、父が何者かに殺され、翌年、母も亡くなる。1885年以来、妹のイーダおよびマリアと暮らすが、1895年からは、マリアとのみ暮らした。

この妹二人との関係に焦点をあてたのが、精神科医アンドレオリの書いた『パスコリ家の秘密』(Bur, 9,20 ユーロ)である。

ジョヴァンニは、イーダと肉体関係を持ち、その後、その愛を失い、肝硬変で56歳で亡くなるまで、大酒飲みになったのではないか、というのがアンドレオリの説である。

すべては、1867年の8月10日に始まる。チェゼーナからサンマウロに帰る道すがら、ジョヴァンニの父ルッジェーロは一発の銃弾に倒れる。犯人は逮捕されなかった。

この時、パスコリは、11歳(記事には13歳とあるけれども、パスコリは、1855年12月31日生まれなので、11歳8ヶ月。イタリア風に繰り上げたとしても12歳である)。この事件は、深い《トラウマ》となった。

著者の見立てはこうだ。ここで、ジョヴァンニは父の役目を引き受け、オイディプス的に母親との緊密な関係を持つ。

ところがそこへ、もう一つの不幸が待ち伏せていた。一年ちょっとで、母も亡くなり、家庭は崩壊の危機を迎える。

当時のパスコリにとっては、家族を結合させることは固定観念と化していて、それはマッサの家で1885年からイーダ、マリアと暮らすことで実現した。

この時、パスコリは27歳(またしてもこの年齢は疑問だが、省略)、イーダは19歳、マリアは17歳である。ジョヴァンニはリチェオ(高校)で教師をつとめ、家族を養う。

イーダは、一人前の女性で、豊かな身体をしていた。実際的なことが得意で、家のことは彼女がとりしきった。マリアは小柄で、中性的で、夢見がちで、知的だった。〈ヒステリック〉な傾向もあった。

この再生された〈巣〉、ここで暮らした1885年から1895年がパスコリにとって最も幸せな時期だったことは間違いない。

しかしこの静けさの中に不穏さが忍び寄る。イーダは、「ジョヴァンニにとって、成熟した女性を意味し、無意識による変容によって、母を表わすものとなった。肉体的な愛の対象ともなった」。

アンドレオリは、手紙や詩の断片を傍証として引いている。それは強力な証拠ではないが、そう解釈することも可能なものである。

やがて、三人の間に疑いが生まれる。マリアは、ヒステリックなところがあったが、兄ー父であるジョヴァンニと、姉ー母であるイーダが、過剰な親密さを持たぬように警戒しはじめる。

「悲惨な年」1895年がやってきて、すべては崩壊する。アンドレオリは決定的証拠はあげないが、ジョヴァンニとイーダの関係が肉体的なものになったとする。マリアは現場をおそい、恥じ入らせる。

あいまいな関係は、続けることが不可能となり、耐え難い状況をきっぱりと絶つことが決定された。即ち、イーダは結婚させられ、ジョヴァンニにとっては地獄の門が開いた。

愛の対象を喪失した感覚は、アルコールによって埋められた。アンドレオリによれば、それは、計画的な「自殺」にも等しいという。

自然や花をうたう Myricae のパスコリの他に、宇宙の「無限の闇」を歌うパスコリがいることを忘れてはなるまい。

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