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2006年6月11日 (日)

ヴェルディ 《イル・トロヴァトーレ》

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ボローニャ歌劇団引っ越し公演の 《イル・トロヴァトーレ》を観た。

幕が上がる前から大きな月がでていた。登場人物、ルーナ(月)伯爵に言及したもの。

舞台はやや抽象的で、衣装は、時代をずらしていた。赤い軍服で、時代が明らかに19世紀的である。原作では15世紀なので奇異な感じがするが、プログラムによると、演出ポール・カランの意向で、ヴェルディが生きた時代に「移行」したのだという。しかし目的も判らないし効果のほども、不明であった。15世紀風の衣装の方が、魅力的であるように思う。

歌手は、マンリーコがロベルト・アラーニャ。声の性格からするとどうかと思いきや、見事に性格をとらえて歌っていた。ただ、なぜか元気のないマンリーコで、〈見よ、恐ろしい火を〉でも、ずっとうつむいて歌っていた。演出というよりは、何か個人的に苦悩あるいは問題を抱えているのではないか、という気がした。〈見よ、恐ろしい火を〉の最後のハイC(高いド)であるはずの音は、あっさりと短かった。

レオノーラはダニエラ・デッシ。姿も歌も、一流であったが、指揮者のカルロ・リッツィのテンポがところどころ余りにも遅く、フレーズが息切れしているところがあった。叙情的な歌は、さすがという感じできめていた。

指揮者リッツィは楽譜の縦方向をそろえることに気をとられ、ヴェルディ特有のカバレッタで、うきうきとしたり、気分が高揚して天にも昇る気持ちを出すことが出来ない。歌詞にも、天に昇るという意味の言葉がでてきているのだから、めくるめく、ふっと地上から浮遊する感覚を味合わせてもらいたいものだという感想をもった。

また、最近の演奏にはよくあることなのだが、アッチェレランドがほとんどなく、ゆっくりしたテンポから、いきなり早いテンポになる。そうした変わり目が唐突で、オーケストラと歌が合わない部分が何カ所かあった。

ルーナ伯爵は、アルベルト・ガザーレ。アリアは良いのだが、マンリーコ、レオノーラと一緒の三重唱や他の重唱でほとんど声が聞こえないのはいただけなかった。ソットヴォーチェの表情づけをしているのは判るのだが、もう一歩、情熱と気品が欲しいというのは、贅沢すぎる要求だろうか。

アズチェーナのマリアンネ・コルネッティは熱唱。がんがん声が出る人で、演技でも暴れまくっていた。最終章は、なぜか金属製の檻の中だが、動物のように檻につかまってゆすぶっていた。声が十分にドラマティックなのだから、もっと演技をおさえた演出の方がかえって効果的だったのではないか、という気がした。観客も熱唱にこたえ、もっとも拍手が多かった。

フェッランドは、アンドレア・パーピ。この人も声は堂々としているが、ややビブラートが過剰。

《イル・トロヴァトーレ》は、名作であり、DVDでも、マリオ・デル・モナコ、エットレ・バスティアニーニ、レイラ・ジェンチェルの名盤(ただし、画像は古い)をはじめ、CDにもカラヤン指揮のライブ録音、セラフィン指揮のスタジオ録音を含め名盤に事欠かない。つい、厳しい評価になってしまったようだ。

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