ピオ12世は、最初の国民投票の延期をのぞんでいた
教皇ピオ12世が、1946年に実施された国民投票実施の延期を望んでいたのは、共産党に関する秘密レポートに基づくものであることが、明らかにされた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。
1946年6月2日の国民投票は、王制存続か共和制かを問うものであった。結果としては、54,3%の人が、共和制を望んだのだった。
今回、明らかになったのは、ヴァティカンの資料館 Civilta' Cattolica が所蔵していた資料。それによると、1946年4月15日、教皇のもとに秘密レポートが届いた。それは共産党の動きに関するものであった。
それによると、「トリアッティ同志(当時のデ・ガスぺり内閣の法務大臣)が、状況を支配している」。以下、共和派が勝利するために、国民投票で操作が行われるのではないか、共和派が勝利をおさめたあとは、暴力的にサヴォイ家の人々が抹殺され、教会も襲われ、要するに左翼による暴力的クーデターが画策されているとする秘密報告書だったのである。
ピオ12世は、動揺し、悩んだ。
しかし、実際の左派のふるまいはヴァティカンの心配を打ち消すものだった。では、この秘密報告は、がせネタだったのか? 資料館の歴史家ジョヴァンニ・サーレ神父は、そうではなくて、これはイタリア共産党のなかの少数派、ルイジ・ロンゴ、ピエトロ・セッキア、チーノ・モスカテッリらをリーダーとする一派の考えを表わした文書なのだろう、と考えている。
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