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2006年5月 4日 (木)

《聖なる心》

Photo_6 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《聖なる心》。イタリア映画祭2006(有楽町朝日ホール)。

フェルザン・オズペテク監督、2005年の作品。この監督は、 《無邪気な妖精たち》 や 《向かいの窓》 がこれまでイタリア映画祭で紹介されてきたが、《聖なる心》  はどちらとも似ていない。

オズペテクは、一作、一作スタイルを変えて、自分自身を模倣しない人なのだと思われる。つまり、同じような作品を何度もつくって、練り上げていくという職人芸的な世界を拒絶し、新しい世界との出会い、放浪、混乱を選びとる人なのだ。

ここからネタバレあります。

女主人公のイレーネは女社長でばりばりと仕事をこなしているのだが、ある時、万引き常習犯と思われる少女ベニーと出会う。

ベニーの死をきっかけに、ベニーが関わっていた救貧活動にのめり込み、ついには自分の財産をなげうって、公営住宅を買い取り、借家人に贈与しようとする。

救貧活動に関わっていたカラス神父は、そんなことを個人レベルでしてもすべての人は救えないのだと言って、イレーネを難民・不法移民の居住地に連れて行く。そこで、イレーネは、別世界(宗教的世界と言ってもよいし、常軌を逸して狂気の世界に入ったといってもよいし、両者の接点部分と言ってもよいだろう)に入る。

別世界に入ったことは、イレーネが居住地で、涙を流し、カラス神父の頬をそっと手で触るところから感じられる。しかし、驚くのはその後である。彼女は、町に戻り、繁華街で、乞食にアクセサリーをめぐんだかと思うと、自分の衣服、靴、果てはブラジャーまで通行人に与えてしまう。

明らかにアッシジのサン・フランチェスコと同一の行動パターンである。これについては、主演女優のボブローヴァが上映会場に挨拶にきて、会場の質問に答えて、監督はサン・フランチェスコ伝の現代版をつくるつもりではなかったと言っていたが、同時に、同じ質問はイタリアでもよく聞かれたという。そのことからも明らかであるが、このイレーネの行動が、サン・フランチェスコの行動を強く想起させるということは事実なのだ。

その後、イレーネは、女性の精神科医の質問を受けたところで映画は終わる。ドストエフスキー的な、聖なるものと狂気の接点、それに南北問題、貧富の格差の問題が背景にある。

と同時に、物語の舞台になっているのは、イレーネの母が幽閉されていた館で、これをワンルームマンションに改造するという女社長イレーネの合理主義がきっかけに、主人公たちは屋敷を訪れるのだが、そこでイレーネの母の幽閉状態をめぐる家族の葛藤が呼び起こされる。母も宗教性の強い人であったこと、叔母たちとの愛憎が示唆される。すべてが明らかになるわけではないが、イレーネにも家族に関し、強い抑圧があることは明らかである。

オズペテク監督は、こうした入り組んだ、多岐にわたるテーマを小綺麗にまとめるつもりはあるまい。おそらく彼はウェル・メイドと言われたいと願ってはいないのだ。むしろ、破綻があってよい、破綻しているのは、現実の方なのだ、という描き方で、こちらも、日常、安楽、安逸をもとめる自分を大いに揺さぶられた。

スリラーとかホラーという意味でなく、ちょっと怖い映画である。

同時上映の短編映画 《こんにちは》 は非常に面白かった。
メーロ・プリーノ監督、2005年の作品。

ここからネタバレです。

単純な話で、朝ある頭髪のきわめて短い男がベッドから起きて、歯をみがきに行く。鏡を見る。歯を磨きながら様々な表情をする、と、鏡の中の自分が勝手に動く、まさか!と思うと夢で、今度こそは、と歯をみがきに行って、鏡をみるとたしかに自分が写っている、と思うと、異常事態が・・・

これは、明らかに映像で観た方が面白い。単純で、リズムが良く、ユーモアがあって、インパクトがある。この才能で、もっと長いものを作ったらどういうものが出来るのだろう、是非観たい、と強く思った。

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