《私が望む人生》
《私が望む人生》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。
ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、2004年。《ぼくの瞳の光》で共演したサンドラ・チェッカレッリとルイージ・ロ・カーショが主役。
ステーファノ(ロ・カーショ)とラウラ(チェッカレッリ)は、19世紀の恋愛劇の主役俳優と女優で、その撮影と並行して、彼らの間にも恋愛感情が芽生え、嫉妬、破綻、再開がある。
ここからネタバレです。
ラウラは、デビューしたての女優で、仕事と生活の面倒を見てもらっているラファエーレという男がいるが、仕事が当ってくると、ラウラはラファエーレの存在がうとましくなる。
ステーファノは仕事がどんどん舞い込むスターで、女性にも不自由はしないが、自分のスター意識が第一で、女性に利他的な愛情を注ぐことができない。
映画を撮る映画は、フェリーニの《8 1/2》(はちとにぶんのいち)など少なくはないが、この作品では、映画監督と俳優、俳優とエイジェント、台本作者との関係が、かなり具体的に描かれている。エイジェントが仕事を仕切って、映画の仕事、テレビの仕事、またギャラの交渉にあたっている場面などが出てくる。
撮影現場の様子もわかり、映画の作られ方が、現場の物理的状況と社会的な関係と両方のレベルで理解できる。
映画としては、その撮影と並行して、進展する俳優と女優の恋愛模様がもう一つの焦点となっている。ラウラは、演技は、自分が体験した感情でないと表現できないという。恋愛をテーマとしたものだと、相手に恋してしまうということになる。
演技と感情移入の問題は微妙である。ピッチョーニ監督は、俳優という職業に興味を持ったらしく、2002年に、サンドラ・チェッカレッリを対象に、《サンドラ、秘密の肖像》、2003年にマルゲリータ・ブイを対象に《マルゲリータ、秘密の肖像》というビデオ作品を仕上げている(未見だが、是非観てみたい)。
この劇の仲の恋愛と、俳優と女優の恋愛は並行はしているが、山と谷、クライマックスは一致しない。19世紀劇の方は、まるで《椿姫》のように、女が身をひいて、病気になって、男の腕のなかで死んでいく。
現代の俳優と女優の恋愛は、破綻したところ、実は女優が妊娠していることが判明する。俳優が赤ん坊と対面して終わる。二人は、これからどうなるのかは、開かれたままである。
時代の違いによる恋愛の形態の相違と、変わらぬ部分と、弱い立場の女性とパトロンの関係など、いろいろ考えるヒントが散りばめられている。
同時上映の短編は、《疑惑》。ダスティ・フレーム監督、2005年。バッハの平均率曲集1番というかアヴェマリアがチェロで朗々と流れるなか、DVDかヴィデオカセットを怪しげにかき集めるシーンがあって終わり。2分30秒。
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コメント
今晩は!またお邪魔してしまいました。
映画祭で沢山ご覧になれたのですね^^
私は今年初めての参加で4本見ることが出来ましたが、
どれも良かったです。先日に続いて
2本TB付けさせて頂きました。
投稿: マダムS | 2006年5月 7日 (日) 00時36分
おかげさまで、今日(5月7日)ですべて見終えることができそうです。
まあ、原則として日本で見られるイタリア映画は見ておこうという方針(ただし、ホラー映画を除く)です。といいつつ、ぼんやりして、見逃してしまうものも少なくありません
映画祭、今年は、例年に増して盛り上がっているように思います。映画祭が盛り上がって、普段も、いろんな種類のイタリア映画(ラブコメも、風刺的な映画も・・・)が見られるようになると嬉しいですね。
投稿: panterino | 2006年5月 7日 (日) 10時37分