シモーネ・マルティーニのレシート
シエナで、シモーネ・マルティーニのレシートが発見されたが、その作品は見つかっておらず、「知られていない」作品があるのかもしれないという期待が、過度になることを警戒しつつも静かに広がっている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月25日)。
レシートというのは、シエナ政府の支払い命令書であり、1333年の日付で、マウリツィオ・トゥリアーニ教授により、パラッツォ・デル・カピターノ関係書類の中から発見された。
パラッツォ・デル・カピターノ(ディ・グエッラ)は、カンポ広場から、ドゥオーモに向かう際、キージ宮を通りすぎ、四つ角で右折して、左側にある堂々たる建物である。その建物をすぎれば、ドゥオーモ前の広場に出る。
7世紀前のレシートは、シエナ政府により、410リラをマギステル(あるいはマジステル、マエストロのラテン語の形)・シモーネ・マルティーニに支払ったとあり、それは、何らかの形で、パラッツォ・デル・カピターノに関わる作品のための支払いのはずなのだ。
このパラッツォの現在の所有者は、モンテ・デイ・パスキ銀行の基金である。このたび、この建物を建築家グイド・カナーリのプランに基づいて修復し、そこにシエナに関わる絵を収める予定である。
1333年には、カピターノ・ディ・グエッラ(シエナ政府の軍事最高責任者)は、あの有名なグイド・リッチョであった。グイド・リッチョの姿は、同じく、シモーネ・マルティーニの手によるパラッツォ・プブリコのフレスコ画で不滅のものとなっている。この作品の作者については、激しい論争があった。
しかし、先述の410リラは、このフレスコ画のことではない。というのも、こちらは1331年の作であるからだ。だから、410リラは、別の作品のための金額ということになる。
シモーネは、1333年には、確実にシエナにいた。今は、フィレンツェのウッフィツィ美術館に収められている「受胎告知」を制作していたのである。
正体不明の謎の作品は、姿を現すのだろうか?
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