« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »

2006年5月30日 (火)

シモーネ・マルティーニのレシート

シエナで、シモーネ・マルティーニのレシートが発見されたが、その作品は見つかっておらず、「知られていない」作品があるのかもしれないという期待が、過度になることを警戒しつつも静かに広がっている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月25日)。

レシートというのは、シエナ政府の支払い命令書であり、1333年の日付で、マウリツィオ・トゥリアーニ教授により、パラッツォ・デル・カピターノ関係書類の中から発見された。

パラッツォ・デル・カピターノ(ディ・グエッラ)は、カンポ広場から、ドゥオーモに向かう際、キージ宮を通りすぎ、四つ角で右折して、左側にある堂々たる建物である。その建物をすぎれば、ドゥオーモ前の広場に出る。

7世紀前のレシートは、シエナ政府により、410リラをマギステル(あるいはマジステル、マエストロのラテン語の形)・シモーネ・マルティーニに支払ったとあり、それは、何らかの形で、パラッツォ・デル・カピターノに関わる作品のための支払いのはずなのだ。

このパラッツォの現在の所有者は、モンテ・デイ・パスキ銀行の基金である。このたび、この建物を建築家グイド・カナーリのプランに基づいて修復し、そこにシエナに関わる絵を収める予定である。

1333年には、カピターノ・ディ・グエッラ(シエナ政府の軍事最高責任者)は、あの有名なグイド・リッチョであった。グイド・リッチョの姿は、同じく、シモーネ・マルティーニの手によるパラッツォ・プブリコのフレスコ画で不滅のものとなっている。この作品の作者については、激しい論争があった。

しかし、先述の410リラは、このフレスコ画のことではない。というのも、こちらは1331年の作であるからだ。だから、410リラは、別の作品のための金額ということになる。

シモーネは、1333年には、確実にシエナにいた。今は、フィレンツェのウッフィツィ美術館に収められている「受胎告知」を制作していたのである。

正体不明の謎の作品は、姿を現すのだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

四大都市、市長決定

5月28日、29日に投票が実施された地方選挙で、ミラノ、ローマ、トリノ、ナポリの市長は決定した(この項、corriere it. による)。

ミラノ:
レテツィア・モラッティ(Cdl 中道右派)
         52%
ブルーノ・フェッランテ(Unione 中道左派)
         47%
中道右派の勝利である。

ローマ:
ジャンニ・アレマンノ (Cdl)
         37,1%
ワルテル・ヴェルトローニ (Unione)
                    61,4%
現職の再選。

トリノ:
ロッコ・ブッティリオーネ (Cdl)
         29,5%
セルジョ・キャンパリーノ (Unione)
                     66,6%
 
ナポリ:
フランコ・マルヴァーノ (Cdl)
         37,8%
ローザ・ルッソ・イェルヴォリーノ(Unione
                     57,  1%
ここも現職の勝利。

         

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月29日 (月)

イタリア地方選挙、速報

イタリアの地方選挙が5月28日、29日に実施された(この項、corriere.it による)。

今回の選挙では、県、コムーネ(市町村)の首長の他、シチリア州知事の選挙などが実施された。

現在、まだ出口調査段階で、確定ではないが、ミラノ、ローマ、トリノ、ナポリの4大都市の市長選の暫定的結果が出ている。

ミラノ:
レティツィア・モラッティ (Cdl 中道右派)
        49-51%
ブルーノ・フェランテ  (Unione 中道左派)
        48-50%
接戦である。

ローマ:
ジャンニ・アレマンノ (Cdl)
        40%
ワルテル・ヴェルトローニ(Unione)
        58%
ヴェルトローニ現市長の圧勝のようである。

トリノ:
ロッコ・ブッティリオーネ (Cdl)
        38%
セルジョ・キャンパリーノ(Unione)
                  60%
キャンパリーノが勝ったようだ。

ナポリ:
フランコ・マルヴァーノ (Cdl)
        40-43%
ローザ・R・イェルヴォリーノ(Unione)
                  49ー52%
現職イェルヴォリーノ優勢である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

下院に授乳所

Donatella_poretti_alice

握り拳のなかのバラ党(中道左派)のドナテッラ・ポレッティ議員の要望で、下院に授乳所ができる(コリエレ・デッラ・セーラ、5月25日)。

同議員は、授乳所がなければ、議場かトランスアトランティコ(下院の長い廊下)で、直接、授乳すると「脅迫」した。

これまで、ポレッティ議員は、モンテチトリオ宮の救急車の中で授乳することを余儀なくされていたが、「病気の危険性」があり、とても望ましい環境とはいえない。

24日、ファウスト・ベルティノッティ下院議長に手紙を書き、解決を求めた。「わたしに特権を与えるというのではなくて、私に母親としてのふるまいを認め、職務をよりよく果たせるようにしてください」。

とうとう、授乳所が認められたが、これは第一歩かもしれない。国民同盟の下院議員副代表ジョルジャ・メローニが、本格的な託児所を設営することを申し出ているからだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ピオ12世は、最初の国民投票の延期をのぞんでいた

教皇ピオ12世が、1946年に実施された国民投票実施の延期を望んでいたのは、共産党に関する秘密レポートに基づくものであることが、明らかにされた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。

1946年6月2日の国民投票は、王制存続か共和制かを問うものであった。結果としては、54,3%の人が、共和制を望んだのだった。

今回、明らかになったのは、ヴァティカンの資料館 Civilta' Cattolica が所蔵していた資料。それによると、1946年4月15日、教皇のもとに秘密レポートが届いた。それは共産党の動きに関するものであった。

それによると、「トリアッティ同志(当時のデ・ガスぺり内閣の法務大臣)が、状況を支配している」。以下、共和派が勝利するために、国民投票で操作が行われるのではないか、共和派が勝利をおさめたあとは、暴力的にサヴォイ家の人々が抹殺され、教会も襲われ、要するに左翼による暴力的クーデターが画策されているとする秘密報告書だったのである。

ピオ12世は、動揺し、悩んだ。

しかし、実際の左派のふるまいはヴァティカンの心配を打ち消すものだった。では、この秘密報告は、がせネタだったのか? 資料館の歴史家ジョヴァンニ・サーレ神父は、そうではなくて、これはイタリア共産党のなかの少数派、ルイジ・ロンゴ、ピエトロ・セッキア、チーノ・モスカテッリらをリーダーとする一派の考えを表わした文書なのだろう、と考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー、71クラブが不正経理の疑惑

イタリアのサッカーの71のクラブが、財務警察から不正経理の疑いで、関連書類の提出を求められている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。

書類提出を求められたセリエAのチームは次の通り:
エンポリ、リヴォルノ、パレルモ、フィオレンティーナ、アスコリ、カリアリ、サンプドリア、メッシーナ、インテル、ミラン、パルマ、ローマ、ラツィオ、シエナ、レッジーナ、キエヴォ

セリエBで書類提出を求められているのは18チーム。セリエC1は、12チーム。セリエC2は12チーム。セリエDは4チーム。以下省略。

トリノ検事局は、ユヴェントゥスが獲得したり放出したりした41人のサッカー選手の契約についても取り調べている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

サッカー疑惑、捜査はボレッリにゆだねられる

ユヴェントゥスをはじめとするサッカー疑惑の捜査の責任者にフランチェスコ・サヴェリオ・ボレッリが任命された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。

任命したのは、Figc(イタリア・サッカー協会)の特別代表グイド・ロッシであり、公式発表の中で、「ボレッリ氏が、引き受けてくれたことを、イタリア・サッカー協会を代表して感謝する」と述べた。

ボレッリといえば、元ミラノ検事総長で、マーニ・プリーテで政界の汚職を摘発した辣腕検事であったため、評価はわれた。

ベルルスコーニ元首相は、「すべて一貫している。自分らの信頼のおける審判が選ばれたのだ。モッジ方式が適用された・・・」と非難した。

国民同盟の党首フィーニは、ブレーキをかけ、「これはスポーツの世界の自治に関することだ。われわれはこの決定を尊重し、コメントすべきではない」と冷静な態度を示した。

ボレッリは、右腕あるいは利き腕(braccio operativo) として、フェデリーコ・ダンドレアを選んだが、ダンドレアは、マーニ・プリーテの時代には、腕をふるった捜査官だったのである。

ちなみに、ボレッリは、サッカーにはまるで詳しくなく、attacanti (フォワード)を aggressori と言ったりしたらしい。彼の趣味は、乗馬とピアノなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ビンディはレズ」発言で非難の嵐

国民同盟(AN)の上院議員マウリツィオ・サイアが、ロジー・ビンディ家庭大臣がレスビアンであり、家庭大臣にふさわしくない、という趣旨の発言をし、左右両陣営から、反発の嵐を呼んだ(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。

サイア議員は、ヴェネト地方の民放 Canale Italia の Notizie oggi という番組で、「私は、これは秘密ではないと思うし、レスビアンに対して反対ではないが、ロジー・ビンディがレスビアンであることは、はっきりさせるべきだと思う。それゆえ、政治的には、私には、ロジー・ビンディが家庭大臣の職務を引き受けるのは正しいことと思えない。彼女は、家庭については何も知らないのだから」と発言したのである。

ビンディ大臣からの反論が、すぐさま皮肉たっぷりにかえってきた。「サイア上院議員には申し訳ないけれど、個人的選択で、結婚することは断念したけれど、私は男の人が好きです。礼儀正しく、女性に敬意を払い、知的で、できることなら、ハンサムな人が。こうした資質を、国民同盟の上院議員はお持ちでないけれど」と答えたのである。

怒りの声は、議会のあらゆる会派からあがった。国民同盟のフィーニ党首は、モンテチトリオ宮の中庭に、直接おもむき、ビンディに謝罪したあと、「サイア上院議員は、あほう(imbecille)だった」と語ったらしい。

同じく国民同盟の女性議員代表のダニエラ・サンタンケもビンディ大臣への連帯を表明した。

左派はさらに厳しく、マルゲリータ党のピエルルイージ・カスタニェッティは、「謝罪では不十分だ、国民同盟がどんな懲罰的措置をとるか待つことにしよう」と述べた。

さらに、左翼民主(党)のフランコ・グリッリーニ下院議員(ホモセクシュアルであると明かしている)は、挑戦状をたたきつけた。「われわれは、ロジー・ビンディがレスビアンでないことを知っている。もしそうだとしても、そう述べることに問題はないだろう。その反対に、国民同盟のホモセクシュアルの議員は、それを隠さざるをえず、二重生活を強いられている。サイアは、どうして彼らの悲劇については語らないのか?」と噛みついた。

左翼民主(党)の厚生大臣リヴィア・トゥルコは、「政治論争がここまで下品になるなんて思ってなかったわ」と驚きをかくせぬ様子。

サイアは、一日中、釈明の連続であったが、あまり効果はなかったようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月28日 (日)

アルムニア、パドア・スキオッパと会談

EU委員会の経済通貨担当のアルムニア委員が、直接イタリアにのりこんで、パドア・スキオッパ経済大臣と会談した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月24日)。

Ocse(経済協力開発機構、英語ではOecd)が23日発表した最新の資料によると、イタリアの2006年の成長率は1,4%、財政赤字の対国内総生産比率は、2006年が4,2%、2007年が4,6%と予想されている。

これは、5月8日に発表されたEU委員会の予想とほぼ等しい(成長率、1,3%、財政赤字が2006年は4,1%、2007年は4,5%)。 

アルムニア委員とは異なり、Ocseの専門家たちは、プローディ政権に、すぐに「是正措置」をとるよう求めた。

プローディは、状況は1996年よりも悪いと述べた。

イタリアおよび日米欧の財政赤字の実績および予想は次の通り:

日本:2005  4,9%
    2006  5,3%
    2007  5,2%
イタリア:2005 4,3%
      2006 4,2%
      2007 4,6%
アメリカ:2005  3,7%
      2006 3,7%
      2007 3,9%
ユーロ圏2005 1,6%
      2006 1,6%
      2007 1,5%

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Olimpia, Hopa との関係を清算

ピレッリ系の会社オリンピアは、投資会社Hopaとの関係を清算する(コリエレ・デッラ・セーラ、5月23日)。

オリンピアはテレコムの約18%を所有する会社だが、オリンピアの株式は、ピレッリとベネトン家の持ち株会社 Edizione Holding が大株主となっている。しかし、ブレーシャの投資会社Hopaもオリンピアの株を16%持っており、今回、その株を清算する、即ち、買い取ることになりそうである。

ピレッリと Edizione Holding は、いわゆる「キャッシュ・オプション」と呼ばれる方法を駆使して、テレコム・イタリアの18%を所有する会社オリンピアが分裂するのを回避する解決策をとった。

この方法であれば、テレコムの18%はそのままで、Pirelliと Edizione Holding のオリンピアの持ち分が増えることになる。ピレッリは、Hopa からオリンピアの12,8%を取得し、持ち分は70,4%へと上昇する。また、Edizione Holding は、3,2%を取得し、持ち分は、20%へと上昇する。

もともとオリンピアを4,7%ずつ持っていた Banca Intesa とUniCredito はオリンピアから離れる予定なので、今回の取引には絡んでいない。

株式の取得は、7月12日までに実施される予定で、取得価格は、5月31日のテレコム・イタリアの株式市場での価格をもとに決定される。

ちなみに、テレコム・イタリアもピレッリも会長は、マルコ・トロンケッティ=プロヴェラである。どうしてこうなっているかというと、2001年にピレッリとベネトンはオリンピアという会社を創設したのだが、それはオリヴェッティ買収するためだった。オリヴェッティは、テレコム・イタリアの株式を大量に取得していたからである。

つまり、ピレッリとベネトンは、オリヴェッティの買収を通じて、テレコム・イタリア(の株式、支配権)を手に入れたのである。

というわけで、ピレッリやベネトン (Edizione Holding) にしてみれば、オリンピアの所有比率は上げたくはあっても、下げたくはないのだろう。(Olimpia と Hopa については、2月14日の記事も参照してください。この記事のトラックバックをクリックして、「Olimpia とHopa離別か」、をクリックすると行けます。)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年5月27日 (土)

統一会派の前例

中道左派は民主党という名前で大同団結しようという動きが出ているが、左派の中で政党が統一・合同した前例が紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月23日)。

イタリア民主社会党(Psi)のサーラガットとイタリア社会党のネンニ(Psdi)が1966年に合同して、翌年、統一社会党(Psi-Psdi unificati) が誕生した前例があるのだ。

この統一は、非共産党あるいは元共産党の左派のインテリにとって希望とされた。ノルベルト・ボッビオ、アルベルト・モラヴィア、レオ・ヴァリアーニ、グイド・カロージェロ、アルド・ガローシ、マリオ・ピラーニ、マンリオ・ロッシ・ドリア、ブルーノ・ゼーヴィなどがこれに関わった。

新党は、しかし、長くは続かなかった。委員長には、ネンニが就任したが、書記長が二人いて、それぞれの党から出た。民主社会党出身のマリオ・タナッシと、社会党出身のフランチェスコ・デ・マルティーノである。

こうして党内は二つの党が末端にいたるまで融和しない状態であったようだ。

しかし翌年には、1968年で世の中の情勢が変わる。統一社会党は、1968年5月の選挙で敗北し、1969年には両党の共同生活は終わる。

民主党結成の際には、この歴史の教訓が生かされるだろうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジーロ、バッソ快走

自転車レース、ジーロ・ディタリアでは、イヴァン・バッソが二位以下に大きく差をつけて快走している(コリエレ・デッラ・セーラ、5月22日)。

ジーロ・ディタリアは、毎日のタイムを積み上げていくわけだが、14戦を終わった時点で、通算タイムは以下の通り。

1.バッソ(イタリア) 55時間28分25秒
2.グイティエレス(スペイン) 3分27秒差
3.サヴォルデッリ(イタリア) 5分30秒差
4.ベッリ(イタリア)       7分35秒差
5.シモーニ(イタリア)     8分差
6.カザール(フランス)     8分1秒差
7.ペッリゾッティ(イタリア)  8分14秒差
8.ダニエルソン(アメリカ)  8分35秒差
9.クネゴ(イタリア)      8分58秒差
10.ディ・ルーカ(イタリア)  10分36秒差

クネゴは2004年の優勝者であるが、まずは、表彰台を狙うことが目標だろう。サヴォルデッリは去年の優勝者。同じチームのダニエルソンに期待できるかもしれない。

(詳しい情報や、ヴィデオは http://www.rai.it/giro2006 で見られます)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロッシ、ピンチ!

モトGP(バイク・レース)の王者ヴァレンティーノ・ロッシが、2戦連続のリタイアで、年間優勝への道が険しくなっている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月22日)。

フランスのルマンでのモトGP第5戦、ロッシは中盤すぎまでトップを独走していたが、突如、マシン・トラブルに襲われ、リタイアとなった。

ロッシは、第4戦中国GPでも、タイヤ・トラブルのためリタイアを余儀なくされており、2戦続きのリタイア。モトGPでは、一位が25ポイント獲得できるため、リタイアで無得点となると非常に不利である。

5戦終了時のランキングは、
1.ヘイデン  83ポイント
2.メランドリ  79
2.カピロッシ  79
4.ペドロサ   73
8 ロッシ    40

となっており、首位とは43ポイントの差がついている。

これに対しロッシは、(年間優勝するための)「解決法はある。残り全戦を勝つことだ」と述べた。残りは12戦あり、通常のライダーでは、ありえないことだが、ロッシは昨年は9戦で首位を獲得している。

ルマンでも、トラブル直前までは、首位を独走していたので、可能性がゼロとはいえないだろう。

(ちなみに、日本では、日テレが日曜日の夜中に録画中継している。生放送はスカパーの日テレG+で放送しているらしい。次回は、6月4日イタリアGPです)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

リッピ監督とワールドカップ

マルチェッロ・リッピ監督がイタリア・チームを率いて、ドイツのワールド・カップに参加するかどうかは、サッカー連盟の代表グイド・ロッシが決めることになった(コリエレ・デッラ・セーラ、5月22日)。

リッピ監督の去就に関する読者の世論調査(インターネットによる)の結果は次の通り(21日、23時15分現在):

マルチェッロ・リッピは、ナショナル・チームの監督を辞めるべきでしょうか?
いいえ: 28,9%
はい : 71,1%

ナショナル・チームを率いるため、リッピの代わりになるべきなのは誰でしょう?
カルロ・アンチェロッティ  27,1%
クラウディオ・ジェンティーレ 21,4%
ジョヴァンニ・トラパットーニ 8,5%
ディーノ・ゾフ          43%

| | コメント (2) | トラックバック (0)

民主党結成をめぐる思惑の違い

中道左派がまとまって民主党を結成する案が取り沙汰されているが、予備選に関して、左翼民主(党)のファッシーノとマルゲリータ党のルテッリの考え方の違いが表面化した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月22日)。

ファッシーノは、ウリーヴォのリーダーを決めるのに、10党の書記長が密室で決めるべきではないだろうという言い方で、民主党を結成する場合には、その党首に関し予備選を行うべきだと主張した。

それに対し、マルゲリータ党のルテッリは、民主党のリーダーはすでにいる。プローディである。彼は予備選に勝ったのだから。もしろん、我々は新たな責任を創りだし、強化しなければならない、とした。

プローディは記者の質問に対し、答えたくないと述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月25日 (木)

ボッコーニの評価

ファイナンシャル・タイムズが発表した世界のビジネス・スクールのランキングで、40位以内にイタリアからはボッコーニのみがランクインした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月19日)。

イギリスの雑誌ファイナンシャル・タイムズが発表したランキングによると、アメリカのデューク大が一位、二位はスイスのImd。

イタリアは、ボッコーニ(Sda Bocconi) が31位に入ったのみ(ファイナンシャル・タイムズのホームページでは、何種類かのランキングがあり、基準によって、大学間の順位は入れ替わっている)

ボッコーニよりも上位には、ヨーロッパからは、スペインの Iese と Istituto de Impresa ed Esade, フランスの Insead と Essec などがある。メキシコやブラジル、アルゼンチンの学校も上位に食い込んでいる。

ちなみに、100校のランキングの中に日本の大学はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プローディ、施政演説

プローディが信任投票に先立って、施政演説を上院で1時間15分にわたってした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月19日、配達の関係で記事の日付が前後しています)。

まず、プローディは、イラクという言葉は用いずに、「戦争」とし、「我が国の参加は重大な誤り」だったとした。

ビアジ法に関しては、「受け入れがたい非正規雇用分野を減らし、柔軟性と安定性を調和させたい」とした。

利益の衝突に関しては、懲罰的な意図ではなく、しかし現在よりは厳格な基準が必要であるという考えを示した。

また、脱税に対しては断固とした態度で臨むとした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ビンディ家庭大臣と事実婚

ロジー・ビンディ家庭大臣がコリエレ・デッラ・セーラ紙のインタビューに応じ、事実婚についての見解を明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月21日)。

家庭大臣(ministro della Famiglia) というのは、無任所であるが、今般のプローディ政権によって新設されたポストである。

ロジー・ビンディは、教育相になるかと思われていたが、そちらは、フィオローニが就任し、ビンディは新設の大臣になった。

ビンディは「初めて、とうとうイタリアにも家庭のための大臣ができた。教会の考えを聞かねばならないと思うけれども、社会の変化や、家庭の様々な形を考慮にいれねばならないとも思う。つまり、私のカトリックとしての価値観と、多様な考え、多様な傾向への尊重を統合するということだ」と語った。

大臣として、ビンディは、事実婚(通常、coppia di fatto という言い方がなされるが、L’Unione は選挙公約の中では、unione civile という言い方をしている)に関して、単に私人としての権利を認めるだけでは不十分としている。

ここで整理しておくと、おおまかに事実婚と呼ばれるものに三通りある。

Pacs:Patti civili di solidarieta’ (連帯市民協約)。事実婚のカップルに対し、経済、税、社会保障に関する権利を付与する。
CCS: マルゲリータ党のリーダー、ルテッリが唱えるもので、contratti di convivenza (共同生活契約)といい、私人としての権利のみを認める。
unione civile: L'Unione は、Pacsという言い方は避けて、unione civile と呼んでいる。中身の詳細はこれから、ということになろう。

もっともビンディは、どこまでが私的権利で、どこまでが公的権利かという区別を厳密にするのは、不可能だという考えで、これから大いに議論しなければならないとしている。

また、ビンディは、国民投票で否定された人工授精に関す法律の改正については、、まったくこの法律が不可侵というわけではないし、大転換をするというわけでもない、と述べた。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月24日 (水)

パドア=スキオッパ、ドラーギに会う

パドア=スキオッパ経済大臣が、イタリア中央銀行のドラーギ総裁と会談した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月20日)。

二人は、すぐに、毎週会合することを決めた。アメリカのFRB前議長のグリーンスパンと財務大臣の関係にならったものである。

二人の共通する課題は、イタリア経済の回復と、財政の健全化である。

現在の状態は、以下の通り。

国家歳入赤字は2005年度が、国内総生産比で4,1%。EU委員会の予想では、2006年度も同じで、政策が変わらなければ2007年度には4,5%に上がる見込み。

2006年度の累積赤字は、国内総生産比で、107,4%となる見込み。このEU委員会の予想通りになると、2年連続で、累積赤字が増加することになる。

2006年度の経済成長は、EU委員会によれば、1,3%の見込み。2005年度は、国内総生産の伸びがなかったが、経済不振は終わりを迎えているようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プローディ首相、上院で信任される

大統領から首相に任命されたプローディは、上院での信任投票が可決された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月20日)。

上院の投票者は、320人。議決票数は、161(過半数)。投票結果は、賛成165、反対が155。慣習にのっとって、上院議長のフランコ・マリーニは投票に参加していない。

ここで話題となったのは、終身上院議員7人が全員、賛成に回ったことだ。

前日、シルヴィオ・ベルルスコーニは、「終身上院議員は、信任投票に参加すべきではない」と警告したのである。しかし、7人の終身議員は賛成票を投じた。

投じる際に、中道右派の議員たちからブーイングの声が起こったのである。議長のフランコ・マリーニが、投票へのコメントは控えるようにと、一度ならず制するほどであった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006年5月22日 (月)

プローディ、首相に任命される

プローディがジョルジョ・ナポリターノ大統領により首相に任命された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月17日、配達の関係で18日の記事が先になってしまいました)。

16日、午後7時、プローディは大統領宮に赴き、大統領から首相に任命された。

この日、ナポリターノ大統領のもとには、三人の元大統領も訪れた。スカルファロ、コッシーガ、そしてチャンピである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プローディ政権の女性閣僚

Melandri2 ジョヴァンナ・メランドリ青年・スポーツ政策大臣

Pollastrini バルバラ・ポッラストリーニ機会均等大臣

Emma_bonino エンマ・ボニーノ欧州政策大臣

Lanzillotta2_1

リンダ・ランツィッロッタ州務大臣

Livia_turco

リヴィア・トゥルコ厚生大臣

Rosy_bindi ロジー・ビンディ家庭大臣

プローディ内閣では、6人の女性閣僚が誕生した。1996年時のプローディ政権と較べると、数は倍になっている。しかしながら、6人のうち5人は無任所大臣 (ministri senza portafoglio) で、軽い大臣である。例外は、リヴィア・トゥルコの厚生大臣で、こちらは独立した予算を持っている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月18日)。

ヨーロッパ諸国の女性大臣は以下の通り。

フランス: 17名中2名。ドゥ・ヴィルパン政権(保守派)。
イギリス: 20名中6名。約3分の1。ブレーア政権(労働党)
スペイン:16人中8人。半分。ザパテーロ政権(社会党)。
スウェーデン:22人中11人。ぺーション政権(社会民主党)

スペインとスウェーデンは半分が女性閣僚である。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

プローディ内閣、成立

プローディ内閣が、閣僚25人体制で発足した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月18日)。

プローディ首相は、「イタリアは長く待った。我々は大いに責任を感じる。失敗は許されない」と語った。

閣僚たちは、キージ宮で、去りゆく前首相のベルルスコーニと権限移譲の儀式をした。

閣僚は以下の通り:

フランチェスコ・ルテッリ:副首相および文化財・観光大臣
     51歳、ローマ出身、マルゲリータ党のリーダー
マッシモ・ダレーマ:副首相および外務大臣
     57歳、ローマ出身、左翼民主(党)のリーダー
ジュリアーノ・アマート:内務大臣 (プローディの任命枠)
     68歳、トリノ生まれ、トスカナ育ち、2度首相、 4度の大臣経験を有する。
クレメンテ・マステッラ:法務大臣
     59歳、サンニオ地方(カンパーニャ州北東部)出身
     欧州民主主義者連合(Udeur)
トンマーゾ・パドア=スキオッパ:経済・財政大臣(プローディの任命枠)
     66歳、ベッルーノ、トリエステ、パリ、チェトーナ(シエナ県)出身、パドア・スキオッパという二重姓を6人のイタリア人と分かち持つ。ボッコーニ大学、ボストン大の修士、イタリア中央銀行、Consob(国家証券委員会)、欧州中央銀行で働いた。
アルトゥーロ・パリージ:防衛大臣
     65歳、サレルノおよびサッサリ出身。学費を払うため森林の作業員をし、法学士となる。ボローニャ大教授。
マルゲリータ党。
ピエルルイジ・ベルサーニ: 経済発展大臣
     54歳、ピアチェンツァ出身、左翼民主(党)
アントニオ・ディ・ピエトロ:インフラ整備大臣
     55歳、モリーゼ出身、元ドイツに移民していた、元警官、元マニ・プリーテ作戦の主人公、価値あるイタリア党
アレッサンドロ・ビアンキ:運輸大臣
     61歳、ローマ出身、レッジョ・カラーブリア大学長、イタリア共産主義者党枠。
パオロ・デ・カストロ:農林大臣(プローディ任命枠)
     48歳、ブリンディシ出身
チェーザレ・ダミアーノ: 労働大臣
     57歳、クネオ出身、金属機械労働組合(FIOM)の指導者。クラッシック音楽を愛好し、素人画家でもある。左翼民主(党)。
パオロ・ゲンティリオーニ: 通信大臣
     51歳、ローマ出身、ジャーナリスト、ルテッリの右腕。マルゲリータ党
リヴィア・トゥルコ: 厚生大臣
     51歳、クネオ出身、左翼民主(党)
ジュゼッペ・フィオローニ: 公教育大臣
     47歳、ヴィテルボ出身、医師、マルゲリータ党。
ファビオ・ムッシ: 大学・研究大臣
     58歳、ピオンビーノ出身、ダレーマの親友。左翼民主(党)。
パオロ・フェッレーロ: 社会連帯大臣
     45歳、トリーノ出身、フィアット工員であった、再建共産党。
アルフォンソ・ペコラーロ・スカーニョ:環境大臣
     47歳、サレルノ出身、緑の党党首。

ここから無任所大臣(ministri senza portafoglio)。

ヴァンニーノ・キーティ: 議会対策・制度改革大臣
     58歳、ピストイア出身、元ピストイア市長。左翼民主党。
ルイージ・ニコライス: 総務大臣
     64歳、ナポリ出身、左翼民主党
リンダ・ランツィッロッタ: 州務大臣
     57歳、カラブリア出身、夫は下院議員フランコ・バッサニーニ、マルゲリータ党。
エンマ・ボニーノ: 欧州政策大臣
     58歳、クネオ出身、ボッコーニ大卒、握り拳のバラ党。
ジュリオ・サンターガタ: 計画実行大臣
     56歳、モデナ出身、プローディの友人。兄弟のマルコ・サンターガタは高名なペトラルカ研究者。
バルバラ・ポッラストリーニ: 機会均等大臣
     58歳、ミラノ出身、ボッコーニ大卒。
ジョヴァンナ・メランドリ: 青年・スポーツ政策大臣
     44歳、ニューヨーク・ローマ出身、映画音楽のニコラ・ピオヴァーニと浮き名を流した。
ロジー・ビンディ: 家庭大臣
     55歳、トスカーナ出身。夫やパートナー、愛人なしで、まったく問題なく暮らしている。

エンリーコ・レッタ: 首相補佐官あるいは官房長官(大臣ではないが、重要な役職)
     39歳、ピサ出身、ストラスブルクで育つ。若くして大臣になるが、髪を失った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月20日 (土)

大統領のオープンカー

Flaminia_335

(写真は、Ansa.it から)

ジョルジョ・ナポリターノが、15日下院で、大統領就任の演説をした。午後5時少し前に、ナポリターノは、古い自動車Flaminia 335 に乗り込んでクイリナーレ宮に向かった。この自動車についての紹介がある(コリエレ・デッラ・セーラ、5月16日)。

この車は、1960年にランチャがピニンファリーナの協力を得て5台を製造した。1台は、イギリス女王に献呈された。

ホイールベースは3,35m(ここからその名が来ている)、長さは、約5m、エンジンは60度のV型6シリンダー、排気量2458cc、4000回転/分で100馬力、最高時速は120km/h。

重さは約2トン。後部席の大統領は、運転手とはインターフォンで会話する。オープンカーとなっている自動車の屋根は、電動で閉じることも出来る。車体の色は、ミッドナイト・ブルー。

大統領は演説で、自分は、公平で、節度のある、すべての人の大統領となる、と宣言した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

三輪スクーター

(写真は、piaggio.uk.com から)

三輪スクーターがイタリアのバイク・メーカー、ピアッジョから6月に発売される予定である(コリエレ・デッラ・セーラ、5月15日)。

三輪といっても、イタリアで時々見られる小さなトラックが前輪1、後輪2であるのに対し、このスクーターは、前輪が2、後輪が1である。

前輪のサスペンションは画期的・革命的なものであり、それと組み合わさって、前輪はカーブでは、40度まで傾くのだという。

また、三輪のおかげで、安定感がよく、運転も駐車も楽だが、ただし、駐車スペースは大型のスクーターなみの場所をとる。幅は74,5cm。

イタリアでは、6月から250ccのものが市場にでる。海外では、125ccのものが出る予定。値段は、250ccのものが、5000ユーロ(70万円)から、とのことである。

通常のPiaggio Mp3のほかに、Mp3 C(風防が大きいタイプ)、Mp3 RL(ローリングを電子制御でしにくくするタイプ。横揺れが少ないわけです)、Mp3 CRL(風防大きく、ローリングしにくいタイプ)も発売される予定。

ちなみに、今年は、Piaggioがあのヴェスパを1946年に発売した60周年である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ルチャーノ・モッジの略歴

ユヴェントゥスのルチャーノ・モッジ総監督は、元鉄道員から出世して、サッカー界の頂点に登りつめた男だった(コリエレ・デッラ・セーラ、5月15日)。

ルチャーノ・モッジは、1937年7月10日にモンティチャーノ(シエナ県)に生まれた。モンティチャーノは、シエナの南西に位置している。映画 《ノスタルジア》 に屋根のない教会サン・ガルガーノが出てくるがその近くの小さな集落である。

父は森林警備員。1962年、中学卒業後、モッジは国鉄に入る。国鉄職員としてチヴィタヴェッキアで働くかたわら、セリエD(現在のセリエC2)でプレイしていたが、あまり才能はなく、途中でサッカー選手としてのキャリアを断念した。

スカウトになることを思いつき、ユーヴェにカウジオを推薦したのち、ローマのため働く。1978年には、プルッツォを獲得。

その後、ラツィオやトリノと働き、1987年には、イタリアのチャンピオンだったナポリと契約した。そして、1994年、モンティチャーノ時代からのファンであったユヴェントゥスにウンベルト・アニェッリに招聘されて入ったのである。

今回の事件以前にも、ペルージャのオーナーだったガウチなどから、息子が会長をつとめるGEAとの絡みで批判のまとともなっており、数年前には 『ラッキー・ルチャーノ』という本が出ている。ルチャーノ・モッジのルチャーノおよび彼の幸運とアメリカ・マフィアの親分の名前をかけたタイトルであり、不正疑惑・強引な手法が以前から彼にはつきまとっていたことが推察される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月19日 (金)

ユーヴェの優勝、モッジの辞任

セリエAの最終節を終え、ユヴェントゥスはレッジーナを破り、29回目の優勝を果たした。総監督のモッジは、チームに別れの挨拶をし、辞任した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月15日)。

ユヴェントゥスは、今期の最終試合をレッジーナとバーリで戦い、勝利をおさめ、優勝を勝ち取った。大パーティがバーリで開かれる。

総監督ルチャーノ・モッジはチームに別れを告げ、辞任した。モッジの在任は、1994年(ウンベルト・アニェッリに招かれた)からの12年間であった。

ミランのオーナー、ベルルスコーニ元首相は、ユヴェントゥスの二回の優勝は、ミランのものとして返すべきだと主張している。ユヴェントゥスの優勝回数が29回に対し、ミラン優勝回数は17回。

(5月19日から21日まで、仕事の関係でブログ更新が困難となります。あらかじめ、ご了承ください)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月18日 (木)

2004/5年のシーズン、疑惑の20試合

ナポリ検事局によると、2004年ー2005年のシーズンには、セリエAで19試合、セリエBで1試合、疑わしい判定を含む試合がある(コリエレ・デッラ・セーラ、5月13日、14日)。

疑惑の試合は以下の通り:

2004年11月6日
レッジーナ対ユヴェントゥス 2対1
審判がペナルティー・キックを与えず、モッジ、ジラウド怒る

2004年11月14日
レッチェ対ユヴェントゥス 0対1

2004年12月5日
ユヴェントゥス対ラツィオ 2対1
ジラウドとモッジが相談し、ドンダリーニを審判にする

2004年12月5日
フィオレンティーナ対ボローニャ 1対0
「友人の」審判デ・サンティスがボローニャの選手3人に警告を与えた

2004年12月12日
ボローニャ対ユヴェントゥス 0対1
ボローニャの選手が3人いなかった

2005年2月13日
ユヴェントゥス対ウディネーゼ 2対1
線審ジェミニャーニが存在しないオフサイドをとった

2005年2月20日
キエーヴォ対ラツィオ 0対1
8分間に3人の選手が退場となった

2005年2月27日
ラツィオ対パルマ 2対0
ラツィオに有利にするため審判マッツィーニが「選ばれた」

2005年3月5日
ローマ対ユヴェントゥス 1対2
カンナヴァーロの最初のゴールは、オフサイドだった

2005年3月20日
インテル対フィオレンティーナ 3対2
審判ベルティーニがフィオレンティーナの選手ヴィアーリとオボドにイエロー・カードを出した

2005年4月9日
フィオレンティーナ対ユヴェントゥス 3対3
審判コッリーナは公正であったが、フィオレンティーナは前の試合での警告のため、ヴィアーリとオボドが出場停止だった

2005年4月9日
ミラン対ブレーシャ 1対1
ミランの理事から線審に電話があった

2005年4月17日
ボローニャ対ラツィオ 1対2
判定のあいまいなペナルティー・キック

2005年5月8日
キエーヴォ対フィオレンティーナ 1対2
キエーヴォにペナルティー・キックが与えられなかった

2005年5月8日
リヴォルノ対シエナ 3対6
ガランテが退場となる

2005年5月22日
ラツィオ対フィオレンティーナ 1対1
ラツィオのザウリにハンドの反則があったが、審判ロゼッティは認めず、フィオレンティーナにペナルティー・キックを与えなかった

2005年5月22日
レッチェ対パルマ 3対3
パルマの選手6人に警告が発せられた

セリエBでは
アレッツォ対サレルニターナ 1対0
が疑惑の対象となっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モッジ、審判を閉じこめる

ユヴェントゥスの総監督ルチャーノ・モッジは、審判員の判定が気に入らず、その審判をバスルームに閉じこめたことがあるようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、5月13日)。

2004年11月6日、ユヴェントゥス対レッジーナの試合で、ユヴェントゥスにペナルティ・キックが認められなかったのが、モッジには不満で、試合後、審判のパパレスタを更衣室のバスルームに閉じこめ、鍵を持ち去ったという。

ユヴェントゥスの代表取締役のアントニオ・ジラウドは、電話で、審判員たちはぶち殺さねばならない、と言っていたとのことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ボッチョーニ、テレビ・ドラマに

RAIが未来派の画家ボッチョーニを主人公とするテレビ・ドラマを製作した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

タイトルは 《青春の色ー未来派》 というもので、監督はジャンルイージ・カルデローネ。ファシズムとの結びつきから、これまでどちらかといえば、避けられてきた題材に取り組んでいる。ボッチョーニを演じるのは、アンドレア・ディ・ステーファノ。

ドラマは、ボッチョーニと未来派の始祖マリネッティ(演じるのはエミリオ・ボヌッチ)を中心に描くが、ジーノ・セヴェリーニ、カルロ・カッラ、ジャーコモ・バッラも登場する。芸術への愛と論争、未来派宣言の誕生、そして、第一次大戦への参戦論が扱われる。

右派は、このドラマを歓迎しているが、左派の歴史家ルーチョ・ヴィッラーリは、未来派とファシズムとの関係は、外面的なものである、としている。グラムシが指摘しているように、ファシズムは反動的階級の産物であり、この運動に示唆される革命的な断絶をもたらすことはないからだ、とヴィッラーリ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

教皇、婚姻外の愛は弱い

教皇が、新たに結婚、事実婚についての意見を述べ、イタリアの政治家たちに賛否両論を巻き起こしている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

ベネデット16世は、《Istituto Giovanni Paolo II per gli studi sul matrimonio e la famiglia》(ジョヴァンニ・パオロ二世・結婚・家族研究所)の国際会議で参加者に向かって語りかけた。

「男性の身体と女性の身体が示唆している両性の相違は、単なる生物学的なデータではなくて、より深い意味を帯びている。男と女が一つの肉体になって、生命の伝達に対して開かれた正統的な人的合一を実現できる愛の形を示しているのだ」と神学者教皇は語った。

明らかに、伝統的な婚姻を重視する考えである。さらに、今日「広まっている」「愛の私権的な概念を超越する」よう求めた。そして「弱い愛にもとづいた別のタイプの結合との混同を避けねばならない」とした。

同性愛者を擁護する団体 Arcigay の会長、セルジョ・ロ・ジュディチェは、同性愛者の世界に対する「いわれなき侮辱」であると反発した。

先般、再建共産党から当選したヴラディミル・グァダーニョ(芸名ルクスリア)議員は、同性愛者の結合は「弱い愛にささえられている」ことを否定した。

中道右派からは、同意の大合唱である。キリスト教民主連合の下院のリーダー、ルーカ・ヴォロンテは、「Pacsやザパテーロ風の流れ」に対しては、「一致団結して反対」していくと表明した。北部同盟のロベルト・カルデローリらも同様の意見を表明している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

シチリア州知事選挙のため、RAIがファルコーネのテレビ映画を放映中止

シチリア州知事選挙の選挙期間中であることを理由に、RAIがファルコーネのテレビ映画の放映を中止にする決定をくだした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

5月23日は、マフィア取り締まりの第一線にいたファルコーネ判事が、高速道路走行中、護衛もろとも爆破されたカパーチ殺戮事件の12周年である。

12周年を記念して「ジョヴァンニ・ファルコーネ」という三時間のテレビ映画が放映される予定であったが、ファルコーネの同僚で同じくマフィアに爆殺された故ボルセッリーノ判事の妹リータが選挙に出ているということを理由に放映が中止となった。

リータ・ボルセッリーノは、中道左派からシチリア州知事選挙に立候補し、今、選挙期間中なのである。

RAIの言い分としては、立候補者に対する中立を保つための措置であるという。映画の中には、当然、故ボルセッリーノ判事は登場する。

Unione(中道左派)の人々は、この措置に憤激している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

モッジ、ワールド・カップ代表選手選考に圧力?

ユヴェントゥスのルチャーノ・モッジは、ワールド・カップ代表選手選考に関し、リッピ監督に電話で圧力をかけたのでは、という疑惑がもたれている(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

ユヴェントゥスの総監督ルチャーノ・モッジは、息子アレッサンドロが会長のGea(選手、監督などのマネージメント会社)に所属する選手をワールドカップ代表に選ぶようマルチェッロ・リッピ監督に圧力をかけたのではないか、という疑惑がもたれている。

この情報は、ナポリ検事局から漏れてきている。

リッピ監督は、ナショナル・チームの選定は、すべの人が注目しているとのみ答えた。

ただし、モッジとガレアで交わされたの2004年の電話では、「この次は、あいつは呼ばせない、おれが裁いてやる、ナショナル・チームに行くのは、俺が送り込むからなんだ」というモッジの発言が盗聴されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月17日 (水)

ジジ・ブッフォンの取り調べ

ユヴェントゥスのゴール・キーパー、ジジ・ブッフォンが賭博の容疑で取り調べを受けた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

ユヴェントゥスのナンバーワンであり、地球一のゴールキーパーとも称されるジジ・ブッフォンがトリノの検事局の取り調べをうけた。

容疑は、他人の名義を借りて、サッカーの試合に賭けていたのではないかというもの。1989年第401号法に違反している可能性があるというものである。

同様の容疑は、エンツォ・マレスカ(現在は、セビリア)、アントニオ・キメンティ、マーク・ユリアーノにもかかっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ユヴェントゥスの理事会辞任

ユヴェントゥスの役員12人全員が、一連の不祥事をうけ辞任した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

ユヴェントゥスの役員は次の12人:
会長 フランツォ・グランデ・スティーヴンス(執行力持たず)
副会長 ロベルト・ベッテーガ
代表取締役 アントニオ・ジラウド
取締役兼総監督 ルチャーノ・モッジ
取締役 ステーファノ・ベルトラ(執行力持たず)
取締役 ジャン・クロード・ブラン(独立)(執行力持たず)
取締役 ジャンカルロ・チェルッティ(独立)(執行力持たず)
取締役 ルイージ・キアッペロ(執行力持たず)
取締役 アンドレア・ピニンファリーナ(独立)(執行力持たず)
取締役 ファブリツィオ・サラッコ(独立)(執行力持たず)
取締役 ダニエル・ジョン・ウィントラー(執行力持たず)

12人の役員のうち、執行力を持っているのは、ベッテーガとジラウドとモッジのみである。ジラウドとモッジは最後の最後まで辞任に抵抗したようだ。しかし、結局は折れて、この三頭体制に終止符が打たれた。

この間、株式市場では、ユヴェントゥスの株は、9,38%下落し、2,11ユーロとなった。

後任人事は、6月29日の定期会議で決める。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

イタリア経済、動き始める

イタリア経済は、2006年の第一四半期は、予想以上に好調であることが判明した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月12日)。

2006年度第一四半期の国内総生産を直前の四半期と比較すると、イタリアが0,6%、ドイツが0,4%、ユーロ圏が0,6%の成長となり、イタリアは予想以上、ドイツは予想以下の滑り出しとなっている。

EU委員会の2006年全体の経済成長予想では、イタリアが1,3%、ドイツが1,7%、ユーロ圏が2,1%となっている。

イタリア経済の中身をもう少し見ると、プラスに貢献しているのは、フィアット・グループの健全化にともない輸送部門が11,8%(年率だと思われる)、石油8,9%、化学8,3%である。

逆に不調なのは、きびしい競争にさらされている繊維-4,5%、製靴-2,1%である。

雇用状況も改善し、年内に97500の新規雇用が見込まれている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年5月16日 (火)

新大統領の略歴

新大統領は、元共産党員であるが、共産党のなかでもっとも社会党よりの社民主義的な考えの持ち主である(コリエレ・デッラ・セーラ、5月11日)。

ジョルジョ・ナポリターノは、1945年、ナポリの共産党青年団(gioventu' comunista) のリーダーとして政治的にはデビューした。

1953年、ジョルジョ・アメンドラの後を継いで、下院議員となる。1962年、イタリア共産党の全国指導部に入る。

1969年には、影の内閣の文化大臣となる。1975年には、イタリア共産党のスポークスマンとなる。1989年には、影の内閣の外務大臣をつとめる。

1989年から1992年までヨーロッパ議会の議員であった。1992年、67歳で下院議長となる。下院議長であったのは、1992年6月3日から1994年4月14日まで。

1996年、プローディ内閣で内相(1996年5月17日ー1998年10月21日)となる。元共産党員で内務省を率いた最初の大臣であった。

2005年、チャンピ大統領により、終身上院議員となった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

9チームが捜査対象に

ユヴェントゥス以外のサッカーチームも、一連の不正事件の捜査対象となりはじめた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月11日)。

ユヴェントゥスのルチャーノ・モッジを対象として、当局が盗聴を何百と続けるうちに、選手の獲得と放出が話し合われている他に、試合の成り行きについても話していることが判った。

そのため、捜査対象は、セリエAのフィオレンティーナ、ラツィオ、シエナ、ウディネーゼ、メッシーナおよびセリエBのアヴェッリーノ、アレッツォ、クロトーネに及ぶことになった。

2004-2005年のシーズンで、捜査対象となる試合が少なくとも18試合あり、約10試合はユヴェントゥスが絡んでいる。残りは上記の8チームに絡むものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月15日 (月)

ナポリターノ、第四回目の得票

ジョルジョ・ナポリターノが第四回目の投票で新大統領に当選したときの開票結果が明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、5月11日)。

第四回目の投票は、5月10日に実施された。投票権者(I  grandi elettori) は1009。出席者は1000。投票者は990、棄権が10。第四回目から、議決定数が過半数となる(第三回目までは3分の2)ので、今回の議決定数は505。

投票結果
ジョルジョ・ナポリターノ  543
ウンベルト・ボッシ      42
マッシモ・ダレーマ      10
ジュリアーノ・フェッラーラ  7
ジャンニ・レッタ        6
シルヴィオ・ベルルスコーニ 5
ロベルト・ディ・ピアッツァ   3
セルジョ・ピニンファリーナ  3
白票              347
無効               14
紛失               10

10人の棄権者は次の通り:
7人のフォルツァ・イタリア党の下院議員。ステファーニア・クラクシ、イザベッラ・ベルトリーニ、ジュゼッペ・コッシーガ、グイド・クロゼット、シモネッタ・スカルディーノ・リカストロ、パトリツィア・パオレッティ・タンゲローニ、セルジョ・ピッツォランテ
3人のフォルツァ・イタリア党の上院議員。ラウラ・ビアンコーニ、マリア・ブラーニ・プロカッチーニ、オンブレッタ・コッリ。

上院議長および下院議長は、慣習にしたがって投票しなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Gea の強引な営業方針

イタリア・サッカー業界のマネージメント会社Geaは、大きなチームで活躍したかったら、 Geaにマネージをまかせろという強引な営業をしていたようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、5月10日)。

Gea World の会長アレッサンドロ・モッジ(ユヴェントゥスのルチャーノ・モッジの息子)は、有力チームで活躍したければ、Geaの専属にならなければいけない、とかなり露骨に働きかけていた。

これは、選手のうちの何人かが取り調べに際して打ち明けたことである。また、Geaは、有力選手を欲しいチームから、多額のコミッション(compensi) を取っていた。

2001年にセルジョ・クラニョッティが、ラツィオのために、リヴェラーニを獲得する際には、10億リラを支払ったようだ。

リヴェラーニは1997年からGea(当時はFootball management) の専属となっていた。2000年にペルージャに移籍したが、ペルージャは4000万リラを会社に支払ったのである。しかし、リヴェラーニにはすでに、ファブリツィオ・アモーレというエージェントがいたのである。それをサッカー連盟も認めたのだが、2001年にラツィオに移籍する際には、やはり Football Mangement に多額の金が支払われたのであった。

マヌエーレ・ブラージの移籍も強引で、ペルージャのガウチがすでに イングランドのFulham への移籍の交渉を終えていたのに、そこへ Gea  が介入し、ユヴェントゥスへ移籍させてしまったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリア大統領選の途中経過

イタリア大統領選は第4回目でジョルジョ・ナポリターノの当選が決まったが、第1回から第3回までの投票結果が明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、5月9日、10日)。

第一回の投票権者は1009人(マルコ・カッパート辞任により一名減)。
出席者   984
議決定数 673
ジャンニ・レッタ   369
マッシモ・ダレーマ  27
フランカ・ラーメ    24
(ノーベル賞作家ダリオ・フォ夫人)
アドリアーノ・ソフリ  23
(カラブレージ警視殺人事件で有罪判決を受けたが冤罪の可能性がある活動家・受刑者)
ジークフリート・ブルッガー 12
ジュリアーノ・フェッラーラ  8
ジョルジョ・ナポリターノ   8
ジャンパオロ・マラヴァージ 6
ジーノ・ストラーダ       5
カルロ・アゼリオ・チャンピ  4
ウンベルト・ボッシ      3
ジュリアーノ・アマート    3
チェーザレ・プレヴィーティ 3
ステーファノ・ロドタ     3
シルヴィオ・ベルルスコーニ 2
リディア・メナパーチェ    2
マリオ・アンツァーニ     2
白票            438
無効票            18
紛失              22

第二回と第三回投票は、5月9日に実施された。

第二回投票は、投票権者は1009人
出席者      973
議決定数     673
ウンベルト・ボッシ 38
マッシモ・ダレーマ 35
ジュゼッペ・デ・リータ 19
ジョルジョ・ナポリターノ 15
ジャンニ・レッタ     11
ジークフリート・ブルッガー 11
ジュリアーノ・フェッラーラ 9
(ジャーナリスト)
レナート・アントニオーリ  7
アンジェロ・サンツァ    6
フランチェスコ・コジミ・プロイエッティ 6
ジーノ・ストラーダ     5
ジュリアーノ・アマート  4
カルロ・アゼリオ・チャンピ 3
リディア・メナパーチェ   3
アントニオ・アンブラ    3
フランコ・マリーニ     3
リンダ・ジューヴァ     3
(マッシモ・ダレーマの夫人)
ステーファノ・ロドタ    3
マリア・ガブリエッラ・ディ・サヴォイア 3
ブルーノ・ヴァスパ    3
フランコ・ピペルノ    2
マウロ・メッリーニ    2
白票            724
無効票           22
紛失             29

第三回目の投票は、投票権者1009、
出席      977(1人棄権)
議決定数   673
マッシモ・ダレーマ    31
ジョルジョ・ナポリターノ 16
ジャンニ・レッタ      10
ジュリアーノ・フェッラーラ10
ジーノ・ストラーダ     6
マリオ・カヴァッラーロ   5
ミーノ・マルティナッツォリ 4
リンダ・ジューヴァ     4
その他           51
白票             770
無効票            28
紛失              37

第二回および第三回投票で、無効票の中には、ジョヴァンニ・コンソルテ(保険会社Unipolの元ナンバーワン)やヴィート・ガンベラーレ(高速道路会社Autostradeの元代表取締役)やトゥッリオ・アンコーラ(アルド・モーロが捕らわれの身にあって手紙を宛てた)、ヴラディーミル・ルクスリア(議員だが年齢的に当選資格がない)などがあり、ヒトラーと書いたものまであった。

また、多くのジャーナリスト(ジュリアーノ・フェッラーラ、マウロ・マッツァ、レナート・ファリーナ・・・)やスポーツ界の人(ルチャーノ・モッジ、カルロ・アンチェロッティ)の名前が書かれ、音楽ではオルネラ・ヴァノーニやヴァスコ・ロッシの名前があがった。

第三回までは、中道左派が白票なので、誰も当選する見込みがなく、議員たちも「遊び」で入れている者が目につく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリア・サッカー連盟会長カッラーロ辞任

イタリア・サッカー連盟の会長フランコ・カッラーロがユヴェントゥス、審判、Geaの不正疑惑など一連の事件をうけ辞任した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月9日)。

イタリア・サッカー連盟(Federazione Italiana Giuoco Calcio: 略称は Figc の場合と Federcalcio の場合がある)の会長フランコ・カッラーロは、最初に会長になったのは、1976年であった。

カッラーロ(66歳)は若い時は、水上スキーの選手で、世界で銅メダル、6つのヨーロッパ・タイトル、11のイタリア・タイトルを獲得している。

こうして23歳の時には、水上スキー連盟の会長となった。また、1964年の東京オリンピックには、経験を積むため、自前で東京に来ている。

1967年には、父ルイージの急逝をうけ、ミランの会長に就任し、セリエA,Coppa delle Coppe, Coppa Campioni, Coppa Intercontinentale など多くの優勝に導いた。

1989年から93年には、ローマの市長(社会党)をつとめている。

イタリア・サッカー連盟の会長に再び就任したのは、2001年のことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月14日 (日)

ユヴェントゥス、審判疑惑とGea

ユヴェントゥスの総監督ルチャーノ・モッジが審判に働きかけを行った疑惑がもたれているが、その背景に選手のマネージメント会社Geaがあるようだ(コリエレ・デッラ・セーラ、5月7日、9日)。

ユヴェントゥスの総監督(direttore generale, 日本ではGM:ジェネラル・マネージャーと報道されている)ルチャーノ・モッジは騒動の中心人物と言えるが、その息子アレッサンドロ・モッジは、マネージメント会社 Gea World S.p.A. の会長である。

Gea World S.p.A. は、アレッサンドロ・モッジとフランコ・ザヴァリアの Football Management とアンドレア・クラニョッティ(食品会社チリオとラツィオの元会長セルジョ・クラニョッティの息子)とフランチェスカ・タンツィ(パルマラットの元社長の令嬢)の General Athleetic が合併して出来た。

こうして出来た Gea の32,4%を General Athletic が支配しているのだが、キアラ・ジェロンツィが General Athletic の72%を保持しているのだ。キアラ・ジェロンツィは、大銀行Capitalia の会長チェーザレ・ジェロンツィの令嬢である。

Gea はサッカー選手(ミランのネスタ、ユヴェントゥスのムトゥ、インテルのマテラッツィ、ラツィオのリヴェラーニなど)をはじめ、監督、その他のスポーツの選手など約200名のマネージをしている。

取り調べは、ユヴェントゥスのルチャーノ・モッジだけでなく、Geaのアレッサンドロ・モッジ、リッカルド・カッレリ、フランコ・ザヴァリア(トッティの元マネージャー)、キアラ・ジェロンツィ(彼女の弁護士は、取り調べを否定している)にも及んでいる。

Gea World も審判に働きかけていたのではないかという疑惑がもたれているのである。Gea はサッカー界であまりにも大きな力を持ちすぎたのかもしれない。

現在、捜査(盗聴を含む)は、4人の審判、マッシモ・デ・サンティス、ステーファノ・ファリーナ、ルーカ・パランカ、マルコ・ガブリエーレにも及んでいる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月13日 (土)

ビアジ法改革案

ビアジ法の問題点を克服するための改革案を Unione に近い学者が明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月9日)。

この改革は3段階に渡るものである。提案しているのは、ボッコーニ大学のティート・ボエリとトリノ大学のピエトロ・ガリバルディ。詳しくは、http://www.lavoce.info/ で読むことができる。

さて、三段階のうちの第一段階:
 試験期間 (il periodo di prova) で、労働への参入のための第一段階で、6ヶ月続く。この期間は、問題なく解雇ができる。

第二段階:参加・仲間入りの期間 (il periodo di inserimento)で、2年半続く。この期間には、2-6ヶ月分の補償金を支払った後に解雇することが出来る。

第三段階:安定化の期間 (il periodo di stabilizzazione) が、3年の後に始まる。労働憲章18条の規定が有効となり、解雇されても、不当解雇と裁判で認められれば、現状復帰の権利を持つ。

これは一つの案であって、実際には、誰が労働大臣になるか、労働組合との交渉がどうなるかも重要な要素となるが、労働の安定化に向けての一つの道筋を示している。労働組合 Cgil の委員長エピファーニは、「細部で意見の相違はあるが、一つの系統だった提案であると認識している」と述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジョルジョ・ナポリターノの夫人

新大統領となったジョルジョ・ナポリターノの夫人クリオ・ビットーニのプロフィールが紹介された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月9日)。

ただし、5月9日時点では、大統領候補者の夫人である。

ジョルジョ・ナポリターノは、一度もタバコを吸ったことがないのに対し、クリオは、タバコを止めない。彼の声は、ビロードのようであるのに対し、彼女の声は、深く、ほとんどバリトンのようで、しゃがれている。

彼は30年前に、髪を失ったが、彼女は、しっかりと生えていて、おかっぱである。

クリオ夫人は、1934年ポンツァ島生まれ。両親とも反ファシストで、父は共産主義者、母は社会主義者で、マルケ出身、教会と距離を置く世俗主義者で、ファシスト政権のもとで流刑でポンツァにいた。クリオは歴史の女神であり、非キリスト教的名前である。

二人が知り合ったとき、ジョルジョはすでに下院議員で、クリオは弁護士であった。1959年に彼らは結婚した。

彼らの子供は、洗礼を受けず、ジョルジョの母親は悲しんだ。クリオは受けさせてもよいと考えたが、ジョルジョが望まなかったのだという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリアのポルノ産業

イタリアのポルノ産業についての本をブルーノ・ヴェッキが著わした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月7日)。

タイトルは、 「私の快楽のためにやるんじゃない」(Non lo fo per piacere mio) で、出版社は Melampo (115 ページ、10ユーロ)。中身は、イタリアのポルノ産業についてのエッセイを集めたもの。

ポルノ産業にとっても、大きな転換点は、1989年のベルリンの壁崩壊であった。東欧の美女たちが、夢(一攫千金)をもとめて、西側へなだれこみ、イタリア風のセクシーな映画を、一気に、本当の産業に変えたのだという。

今日、この変換は終了し、次の目的地は中国になっているのだそうだ。

また1970年代のミラノでは、1976年に最初のポルノ映画館 Majestic (もとの Delle Stelle ) が出来た。それから20館ができたが、当時は、観客はこっそりと観たものだという。と同時に、70年代においては、ポルノ映画を観ることは、当時の支配的な文化に対する抗議でもあった。

それが、VHSやDVDの登場によって変わった。ポルノスターもウクライナ、ロシア、モルドヴァ、ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ルーマニア、ブルガリアにまで至っているという。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

フェラーリ復調

5月7日のF1ヨーロッパGPで、フェラーリのミハエル・シューマッハが優勝し、フェラーリを復調を印象づけた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月8日)。

ニュルブルクリンクで行われたヨーロッパ・グランプリは、1位シューマッハ(フェラーリ)、2位フェルナンド・アロンソ(ルノー)、3位フェリペ・マッサ(フェラーリ)で、フェラーリの復調を印象づけた。

最速周回記録も、シューマッハの第39週目1分32秒099だった。

これで、パイロットの得点は、
アロンソ    44点
シューマッハ 31点
ライコネン   23点
フィジケッラ(ルノー)18点
マッサ     15点
モントーヤ   15点
バトン      13点
以下省略

となった。

チーム毎の得点では、
ルノー   62点
フェラーリ 46点
マクラーレン 38点
ホンダ    19点
以下省略

と続く。フェラーリのセカンド・ドライバー、フェリペ・マッサは、57戦ではじめて表彰台に上った。デビューは2002年でザウバー・チームであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第一回投票で選ばれた大統領

Enrico De Nicola. (初代大統領エンリーコ・デ・ニコラ)

イタリア大統領で、第一回投票で選ばれたのは、3人しかいない(コリエレ・デッラ・セーラ、5月8日)。

今回、選ばれたジョルジョ・ナポリターノも第四回投票であったが、第一回投票で選ばれたのは、初代大統領エンリーコ・デ・ニコラ、第8代大統領フランチェスコ・コッシーガ、第10代大統領カルロ・アゼリオ・チャンピのみである。

初代大統領のエンリーコ・デ・ニコラは特殊で、1946年6月28日に、暫定国家元首(capo provvisorio dello Stato) に選ばれた。1948年1月1日から共和国大統領となった。彼が暫定国家元首に選ばれたときの票は、501票中の396票獲得であった。

第二代大統領がルイジ・エイナウディで、1948年5月11日に大統領に選ばれた。第四回投票で、871票中518票を獲得した。彼は7年間の任期をつとめた。

第三代大統領はジョヴァンニ・グロンキ。1955年4月29日に選出。第四回投票で、833票中658票を獲得

第四代大統領はアントニオ・セーニ。1962年5月6日に選出。第9回投票で、842票中443票を獲得。1964年12月6日病気のため辞任。

第五代大統領は、ジュゼッペ・サーラガット。1964年12月28日に選ばれた。第21回目の投票で、928票中646票を獲得した。

第六代大統領は、ジョヴァンニ・レオーネ。1971年12月24日に選出。第23回目の投票で、996票中518票を獲得した。

第七代大統領はサンドロ・ペルティーニ。1978年7月8日に選ばれた。第16回投票で、995票中832票を獲得。

第八代大統領は、フランチェスコ・コッシーガ。1985年6月4日選出。第1回投票で、977票中752票を獲得。

第九代大統領は、オスカー・ルイジ・スカルファロ。1992年5月25日選出。第16回投票で1002票中672票獲得。

第十代大統領は、カルロ・アゼリオ・チャンピ。1999年5月13日選出。第1回投票で、990票中707票獲得。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月11日 (木)

Doc から Igt へ

イタリア・ワインの表示でもてはやされるものが Doc から Igt に変わりつつある(コリエレ・デッラ・セーラ、5月7日)。

Doc (dnominazione di origine controllata 統制原産地呼称)は、イタリア・ワインのレベルに見る表示であるが、要するに、出所の確かなワインですよ、という印である。

Doc が最初にできたのは、1966年5月6日、塔の町、サン・ジミニャーノでのことであった。サン・ジミニャーノの白ワイン、ヴェルナッチャが最初の Doc であったのだ。

それから40年が経過し、Doc の規制があまりに厳しいということで、より創造的なワインをつくりたい人たちは、Igt(indicazione geografica tipica 典型的産地表示)により魅力を感じるようになっているようだ。

Doc は、約350種類のワインがある。しかし中には、名前だけで生産されなくなっているものもあるという。

1980年には、Docの中で質の高いものに Docg(denominazione origine controllata e garantita 統制保証原産地呼称)の表示がされるようになった。最初にうけたのは、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノである。次第に Docg の数は増えたが、それでも Doc の10%以下にとどまっている。

グローバル化によって、ワインをめぐる環境も大きく変わった。そこで、規制のゆるやかな Igt で創造性を発揮しようという醸造メーカーも出てきているのである。ブドウの種類をかけあわせたり、まったく外国種のブドウを使用しているものもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ジーロ・ディタリア始まる

伝統の自転車競技ジーロ・ディタリアが始まった(コリエレ・デッラ・セーラ、5月6日)。

今年の第89回ジーロは、ベルギーの Seraing からスタートし、21日間の競技で、3526,2㎞を走る。

ベルギーからのスタートは、1973年以来の2回目らしい。参加者は198人で、そのうちイタリア人は48人である。

競技のもようは、http://www.rai.it/giro2006 で見ることが出来る。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《無防備都市》の脚本、発見

長らく行方不明になっていた  《無防備都市》 の脚本が発見され、近くそれを含んだ単行本が出版される(コリエレ・デッラ・セーラ、5月6日)。

「映画の歴史は2つの時期に分かれる。《無防備都市》の前と後だ」と言ったのは、オットー・プレミンガー(プレミンジャー:オーストリア生まれで、アメリカで活躍のため両方の発音がある)監督であるが、5月8日は、《無防備都市》をつくったロッセリーニ監督の生誕100周年である。

《無防備都市》をめぐっては、様々な伝説がある。照明の電気は、米軍用の新聞の編集局から盗んだ(本当)とか、用いられたフィルムが質の悪いものだった(うそ)とか。

長年、謎とされてきた脚本をめぐるミステリーを、批評家・脚本家・映画監督のステーファノ・ロンコローニが解き明かした『《無防備都市》の歴史』が、ボローニャのチネテーカおよび出版社 Le Mani から出る。

これまで、一部には、《無防備都市》は、脚本などなくて、ロッセリーニの霊感によってストーリーの進行が決まったなどと言われていたが、セルジョ・アミデイの書いた脚本をついにロンコローニが入手したのである。

結局、脚本は撮影より前に存在したことが判明した。脚本と映画の相違点で大きな違いは二つ。

ピーナ(アンナ・マニャーニ)が死ぬ場面とドン・ピエトロへのとどめの一撃が、脚本ではファシストによるものとなっていたのが、ナチスによるものに変更されている。これは、おそらく、映画が製作された時期、国内での融和がはかられていたためだろうと推察される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月10日 (水)

カブールで、イタリア山岳兵2名死亡

 ルーカ・ポルシネッリ准尉
 (写真はYahoo Italiaから)

 

空輸される二人の遺体
 (写真はYahoo Italiaから)

カブールの東南8㎞の路上で、イタリア軍の装甲車が、道路脇にしかけられた爆弾により爆破され、2名の山岳兵が死亡、4人が重傷を負った(コリエレ・デッラ・セーラ、5月6日)。

死亡した二人は、爆発のあと、ドイツ軍のヘリコプターで病院に運ばれたが、まもなく死亡した。

亡くなったのは、マヌエル・フィオリート中尉とルーカ・ポルシネッリ准尉。マヌエル・フィオリート中尉は、27歳。クネオ山岳第二連隊に所属。カブールに4月27日に到着したばかりであった。

ルーカ・ポルシネッリ准尉は、29歳。アクィラ山岳第九連隊に所属。1998年から軍務につき、2002年に准尉となった。

事件に関しては、タリバンが犯行声明を出しており、数人の容疑者が逮捕されている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

プロヴェンツァーノの甥、逮捕

マフィアの大ボス、プロヴェンツァーノの甥で秘書のカルメロ・ガリッフォが逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、5月5日)。

大ボスのベルナルド・プロヴェンツァーノは、4月11日に逮捕されたが、彼は仲間に指示する際に、暗号を使っていた。いわば「プロヴェンツァーノ・コード」(Codice Provenzano) で検事局は解読にあたっている。

今回逮捕された、甥で秘書のカルメロ・ガリッフォのコード番号は、123。

その他、プロヴェンツァーノがかかっていた医師のコード番号が60であることが判明している。ただし、医師の名前はまだ不明のままである。プロヴェンツァーノの運転手は、4月20日に逮捕されているが、コード番号は5であった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 9日 (火)

大統領選で味方の裏切りにあった候補者たち

イタリアの大統領選では、自陣営からの離反で当選できなかった候補者が少なくない。その例が何人かあげられているので紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、5月5日)。

1948年、カルロ・スフォルツァは、自陣営に483票を抱えていたが、
第一回投票 353票 議決票数 600票
第二回投票 405票 議決票数 600票
第三回投票   9票 議決票数 600票
となり、
ルイジ・エイナウディが第四回投票で、871票中518票獲得して選ばれた(第四回目以降は、議決票数が過半数となる)。

1964年、ジョヴァンニ・レオーネは、自陣営に440票を抱えていたが、
第一回投票 319票 議決票数 642票
第二回投票 304票 議決票数 642票
第三回投票 298票 議決票数 642票
第四回投票 290票 議決票数 482票
となり、
ジュゼッペ・サラガットが第21回目の投票で、927票中646票を獲得して選ばれた。

1971年、アミントーレ・ファンファーニは、自陣営に393票を抱えていたが、
第一回投票 384票 議決票数 672票
第二回投票 368票 議決票数 672票
第三回投票 284票 議決票数 672票
第四回投票 337票 議決票数 505票
となり、
ジョヴァンニ・レオーネが第23回投票で、996票中518票を獲得して当選した。

1992年、アルナルド・フォルラーニ(第5回投票と第6回投票で、キリスト教民主党が候補者とした)は、自陣営に556票を抱えていたが、
第5回投票 469票 議決票数 508票
第6回投票 479票 議決票数 508票
第7回投票   6票 議決票数 508票
となり、フォルラーニは、第8回投票の前に、候補者から降りた。そして、第16回投票で、オスカー・ルイジ・スカルファロが、1002票中672票を獲得し、選ばれた。

自陣営から franchi tiratori (党議拘束に反して、自由に投票する人)が、少なからず出るのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大統領候補について、プローディとベルルスコーニが会談

大統領候補をめぐって、ベルルスコーニとプローディが会談した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月5日)。

二人はキージ宮で、1時間15分にわたり、大統領選の候補について話し合った。

プローディの持ち出した候補は、マッシモ・ダレーマ。左翼民主(党)の委員長である。

一方、ベルルスコーニは、ジャンニ・レッタを挙げたが、他にも、上院議長となったフランコ・マリーニ(マリーニは前日、大統領選には出ないことを明らかにしているが)、マリオ・モンティの名も出している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大統領選の仕組

イタリア大統領選が近づいた。投票の仕組みが出ているので紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、5月5日)。

投票者は、1010人。内訳は、630人の下院議員。322人の上院議員(315人と7人の終身議員)。そして、58人の州代表である。

第一回目の投票は、5月8日の午後4時。議決定数は、674票。総数の3分の2である。

第二回目の投票は、5月9日。議決定数は、総数の3分の2で、674。2回の投票が予定されている。

三日目の投票は、5月10日。第四回目の投票となるが、議決定数は、過半数で506となる。

現在の勢力図は、次の通り。

Unione(中道左派):541人
内訳: 下院議員348人 (Ulivo 218,  Prc 41, Idv 20, misto 69)      
           上院議員158人(Ulivo 107, Prc 27, Verdi-Pdci 11, misto 13)
           州代表  35人

CDL(中道右派): 460人
内訳: 下院議員  281人 (An 72, FI 134, Lega 23, Udc 39, Misto 13)
           上院議員  156人 (FI 77, An 41,  Lega 13,  Udc 21,  Misto 4)
           州代表    23人

独立および上院終身議員: 9人
内訳: 下院議員  1人 (南アメリカ選出)
     上院議員  1人 (南アメリカ選出)
     上院終身議員 7人 (アンドレオッティ、コロンボ、レーヴィ・モンタルチーニ、ナポリターノ、スカルファロ)

最初の3回の投票では、仮に独立系や終身議員がすべて  Unione にまわっても、550票にしかならず、議決数はとれない。4回目以降は、議決数が過半数となり、506票に下がるので、Unione だけの力で決することができる。

投票は、慣習により、まず上院議員、次に下院議員、そして州代表の順となる。秘密投票を守るため、議長の前に設置される投票ボックスに入る。

開票は、下院議長が行い、一票、一票、大きな声で候補者の名前を読み上げる。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

アルファ・ロメオ、アメリカ再上陸

アルファ・ロメオが、再びアメリカ市場に帰ってくることを、セルジョ・マルキオンネが明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月4日)。

フィアット・グループの代表取締役セルジョ・マルキオンネは、出来たばかりのマセラーティの販売網を用いて、アルファ・ロメオをアメリカで販売することを明らかにした。

再上陸はできるだけ早くを望んでいるが、159かブレラ・スパイダーの最初のフェイス・リフティング(外見を少し変えること)後になるだろう、とのこと。

具体的には、2008年か2009年の初めになるという見通しを示した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ルクスリア、下院第一の美男子はカジーニ

再建共産党の新人議員ヴラディミール・ルクスリアは、下院で一番の美男子は、ピエル・フェルディナンド・カジーニであると雑誌のインタビューに答えて言った(コリエレ・デッラ・セーラ、5月4日)。

ルクスリア議員は、ヨーロッパ初のトランス・ジェンダー議員と言われている。ゴシップ雑誌 Novella Duemila のインタビューに答え、「下院で一番の美男子は、ピエル・フェルディナンド・カジーニだけど、本当に紳士なの!」

「心を打たれたわ。握手をして、『立場は違うけれども、あなたの選挙キャンペーンの仕方に感心しました』って言われたの」。ルクスリア議員は、元男性であるが、Sono rimasta colpita. と女性形を選んでしゃべっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 8日 (月)

チャンピ、立候補せず

チャンピ大統領は、公式に、次の大統領選に立候補しないことを明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月4日)。

中道右派および中道左派から期待された再立候補であったが、チャンピは公式に否定した。

理由は、いくつかあるが、一つは、高齢のため、大統領の重責を、定められた期間、果たすに必要なエネルギーを当てにできないこと。

次に、イタリアで、再選された大統領はいないこと。これは彼にとって意義深い慣行であると思われ、こわさない方が良いと考えた。

また、一期が7年と長いので、二期14年は、共和制にふさわしくないとも考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

パレルモで商店主らの反乱

パレルモの商店主らが、マフィアに所場代を払わないという運動を推進し始めた(コリエレ・デッラ・セーラ、5月3日)。

パレルモ検事局の調べによると、パレルモでは80%の商店が所場代を払っている。カターニャでも同様である。パレルモ州全体の平均は、70%である。

Eurispesの試算によると、マフィアが所場代でまきあげている金額は、100億ユーロにのぼるという。

5月2日、マフィアの大ボス、プロヴェンツァーノの訴訟手続きの開始に合わせて、100軒以上の店主が addiopizzo (所場代よさらば) という運動に参加することをインターネットやショウウィンドウで示した。

この運動自体は、2004年6月29日に開始されたものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

中道右派、チャンピを次期大統領に

中道右派は、次期大統領として、現大統領のチャンピを推すことを明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、5月3日)。

ベルルスコーニ首相の辞任をうけ、正式に次期大統領選が政治日程にのぼってきた。中道右派 Casa delle Liberta' はチャンピ大統領の再選を提案した。

これを受けて、ロマーノ・プローディは、「われわれも皆、もしチャンピが受けてくれれば、満足だ。ただし決めるのは彼である」と答えた。

ベルティノッティ下院議長は、議会を招集し、大統領選挙は、5月8日の予定となった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルルスコーニ、辞表提出

ベルルスコーニ首相が、ついに辞表を提出した(コリエレ・デッラ・セーラ、5月3日)。

ベルルスコーニ首相は、5月2日、恒例により、ベルティノッティ下院議長、マリーニ上院議長と会い、その後、チャンピ大統領と35分間会談し、辞表を提出した。

辞表提出に先立って、先日のナッシリヤでの犠牲者の葬儀のためローマのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会におもむき、そこでプローディ次期首相と握手を交わした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

MPSとUnipol

シエナの銀行、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)は新たな執行部が決まったが、合併先として再び保険会社 Unipol が浮上してきた(コリエレ・デッラ・セーラ、4月30日)。

会長には、予想通り、ジュゼッペ・ムッサーリが選出された。MPSの場合、資本の58,5%を基金が所有している。

MPSは、吸収・合併に関しどのような方針をとるのか。基金は、MPSの独立性を保持したいと願っている。自分より小さな銀行を買い取るならよいが、買われるのはいけない、というわけだ。

ムッサーリ会長自身は、バンカ・インテーザやサン・パオロ・イミといった大銀行との合併も視野に入れているようだ。

一方、新たに理事になったトゥリッド・カンパイーニ(Unicoop Firenze の会長)は、保険会社 Unipol との関係を追求するという。その可能性は夏までに浮上してくるだろうとのことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大臣候補

まだプローディが正式に首相に指名されていないが、プローディは内閣の準備を進める中、大臣の候補者が取り沙汰されている(コリエレ・デッラ・セーラ、4月30日)。

内務大臣候補は、アルトゥーロ・パリージ。彼は、外務大臣にも名前があがっていたが、左翼民主(党)の委員長マッシモ・ダレーマが外務大臣になるかもしれない(ダレーマは、大統領をねらうかもしれないのだが)ので、その場合は、パリージが内務大臣になる可能性がある。

ヴェルディ(緑の党)のアルフォンソ・ペコラーロ・スカーニョは農業大臣候補。しかし、パオロ・デ・カストロの線もある。緑の党は、環境大臣も要求している。

環境大臣候補としては、左翼民主(党)のファビオ・ムッシおよびマルゲリータ党のエルメーテ・レアラッチがいる。

法務大臣候補には、左翼民主(党)のアンナ・フィノッキアーロ。

経済大臣の有力候補なのは、トンマーゾ・パドア=スキオッパ。

公教育大臣候補には、元厚生大臣のロジー・ビンディをマルゲリータ党が推している。

文化財大臣候補は、もっとも競争の激しいポストの一つで、左翼民主党のゴッフレード・ベッティーニの他、ジョヴァンナ・メランドリ、ダリオ・フランチェスキーニがねらい、Pdci(イタリア共産主義者党)は、アルベルト・アソル・ローザ教授(イタリア文学)を推している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フランコ・マリーニ、上院議長に選出

フランコ・マリーニが上院議長に選出された。2日目の選挙での選出となった(コリエレ・デッラ・セーラ、4月30日)。

投票総数は、322。議決定数は162。投票結果は次の通り:
フランコ・マリーニ:     165票
ジュリオ・アンドレオッティ 156票
白票               1票

フランコ・マリーニは73歳。アブルッツォ出身。法学部卒業後、労働組合で働き、1985年、Cisl(イタリア労働者組合同盟:カトリック系労働組合中心)の委員長となった。1992年、キリスト教民主党から国会議員となり、アンドレオッティ内閣の労働大臣となる。1997年、ミーノ・マルティナッツォリから人民党(Partito Popolare) の書記長を受け継ぐ。1999年、マルゲリータ党に加わり、ルテッリに次ぐナンバー2となる。

ちなみに今回、下院議長となったベルティノッティは Cgil (イタリア労働総同盟:旧共産党、社会党系)の書記長であった。

フランコ・マリーニが選出されるまでには、紆余曲折があり、特に名前をフランチェスコ・マリーニと書いたりする (その結果無効となる)もののことを franchi tiratori とアンドレオッティが冗談まじりで呼んだ。 tiratore は射手のことであるが、franco tiratore となると、もともとは非正規軍のゲリラ、ひいては政治で、党の方針に反して投票する国会議員のことを言う。franco (自由な、義務から解放された)と Franco (Marini) のフランコをかけた地口である。franco tiratore は党議拘束に反して投票する者という通常の意味と、フランコを射る者というここでだけ通用する意味を持つわけである。

franco tiratore の一人は、元大統領フランチェスコ・コッシーガで、最初はアンドレオッティに投票し、後に票を変えたと述べている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《マリオの生きる道》

Photo_13 (写真は映画祭公式ホームページから)

《マリオの生きる道》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

アレッサンドロ・ダラートリ監督、2005年。映画祭の最終上映作品であるが、一回の上映のためか混んでいた。以前に、イタリア文化会館で上映された。

ここからネタバレあります。

クレモナに住むマリオは友人たちとクラブの開店準備に奔走している。そこへ、突然、市役所への就職が決まる。しかし、それは父が生前に自分の勤め先であることを利用して画策していたことだった。

マリオ(ファビオ・ヴォーロ)は、生き生きと働き、同僚にも評価されるが、そのことによって幹部チェルクェーティの不興を買い、墓地に左遷される。

クラブ開店の準備も、市役所の各種にわたる認可がおりず、遅々として進まない。

その間、マリオはリンダ(ヴァレリア・ソラリーノ)と恋仲になる。リンダは文学部の学生で、イタリアの詩人の墓をヴィデオにとっている。これからフランス人、スペイン人・・・の詩人の墓も撮るつもりだという。マリオは、母と二人暮しだったのだが、リンダを連れ込んだことで母と不仲になり家を出る。リンダはアメリカに留学する。

母と息子の関係、職場の人間関係、出る釘は打たれるというお役所主義(役所に限らないかもしれないが)、イタリアの諸相が簡潔に、しかし容赦なく暴かれる(誇張はあるだろうが)。

この映画を見たあとで、無条件にイタリアは素晴らしい、と手放しで賞賛するほど楽天的になることは、ほとんど不可能になるだろう。これが現在のイタリアなのだ。

個人の創造性が、組織によって抑え込まれてしまう。そうでない組織もありうるはずだ、という思いが感じられる。映画自体の中では、マリオは市役所を辞め、芸術家ビーチョと田舎の廃屋となった農家を改築したところに住むのだが。

同時上映の短編映画は、《話をしてあげよう》。マヌエラ・マンチーニ、2004年。Coop(生協)がスポンサーの映画で、生協の大きな店舗が舞台。

ここからネタバレです。

主人公(クラウディオ・ジョエ)と娘は、スーパーマーケットで買い物をしている。二人の会話から、父と娘は同居しているのではなく、娘の母は現在はジョルジョという男と同居していることが分かる。

父は、自分にも童話の中のお姫様が必要なのだというが、娘はスーパーマーケットの中で、巧みにふるまい、父にお姫様を調達してしまう。

イタリアでも離婚・再婚が以前と比較すると増え、子供も実の母(父)および継父(母)と暮らすケースも増えている。親が子を思う心もあるが、子が親を思う心を巧みにすくいとった佳作。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《二度目の結婚》

Photo_12 (写真は映画祭公式ホームページから)


《二度目の結婚》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

プーピ・アヴァーティ監督、2005年。アヴァーティ監督の映画は、《追憶の旅》(1983)では戦前の修学旅行を、《心は彼方に》(2002)では、1920年代のボローニャを描いていたが、今回は、第二次大戦後直後のボローニャとプーリアが舞台である。

ここからネタバレありです。

ボローニャでは、母息子が食料にも不自由する生活をしている。最初は、教会が避難所として使われているが、やがて追い出されて、貨車を家代わりにと斡旋されるが、そこへ、母リリアーナ(ソプラノ歌手のカーティア・リッチャレッリ)の義弟ジョルダーノ(アントニオ・アルバネーゼ)から手紙が来る。

実は、母が先に手紙を出したわけだが、プーリアに住む義弟は以前からリリアーナを恋い慕っていた。叔母たちの強い反対にもかかわらず、母息子を住まわせ、二人は婚約する。

直接的な言及ではないが、リリアーナは、亡き夫とこのプーリアの農村で知り合ったときに、奔放な異性関係を持ったことが示唆される。また、息子(ネーリ・マルコレ)が夫と似ていないというセリフもある。

ジョルダーノはあくまで人が良い。近隣の人は頭がおかしいと考えている。これをそのまま取ることも出来るし、一種のおとぎ話的要素として捉えることも出来ると思う。ジョルダーノにまつわる部分はおとぎ話的だが、その周辺の事情は、非常にリアルに描き込まれている。この二つの要素のコントラストが、アヴァーティ作品としては、ノスタルジアや回顧趣味一辺倒でなく、成功していると思う。

最後にリリアーナとジョルダーノが結婚するが、リリアーナは身体を許さず、二人の間には万里の長城が存在するから私がいいと言うまでは越えてはいけないというところと、そうとは知らぬ叔母たちが、新婚初夜、耳栓をしながら、部屋のそとで興味津々という面持ちでお祈りをつづける様は実に可笑しい。

叔母たちは、マリーザ・メルリーニとアンジェラ・ルーチェだが、実に効果的な演技をしていた。リアリティーを与え、かつ、観客をにんまりさせる、抑圧のなかから透けて見える情熱、嫉妬、敵意というものを見せてくれた。叔母たちがリアルであるからこそ、ジョルダーノの善良な無垢が引き立つことは言うまでもない。

同時上映の短編映画 は《グアラチーノ》 。ミケランジェロ・フォルナーロ監督、2004年。ナポリ方言で歌われる民謡にあわせて、おおむね歌詞の場面が、実写と粘土アニメを交錯させ描かれる。ただし、主人公は、魚で恋する相手はイワシ、その愛と嫉妬の物語。まったく独特の味わいをもつ短編。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 7日 (日)

ベルティノッティ、下院議長に選出

ファウスト・ベルティノッティが下院議長に選出された(コリエレ・デッラ・セーラ、4月30日)。

投票者は609。よって議決定数(過半数)は305。

投票結果:
ファウスト・ベルティノッティ 337票
マッシモ・ダレーマ      100票
白票               144票

左翼民主のマッシモ・ダレーマに100票も入ったのが不思議と言えば不思議である。

ベルティノッティは共産党再建党の委員長であるが、今回の選出を、「女性(工場)労働者、男性(工場)労働者に捧げる」と述べた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

イタリア上院議長選挙大混戦

イタリア上院議長選挙は、15時間にわたり、3回投票したが、決まらなかった(コリエレ・デッラ・セーラ、4月29日)。

有力な候補者は、中道左派の推すフランコ・マリーニと、中道右派が担ぎ出したジュリオ・アンドレオッティである。

第1回投票の結果:
フランコ・マリーニ      157票
ジュリオ・アンドレオッティ 140票
ロベルト・カルデローリ   15票
ジュリオ・マリーニ       1票
白票               5票
無効               4票

322人が出席しているので、決定には、162票が必要である。4票の無効票には、マリーニと名字だけを書いたもの、もう一票は、マリーニのあとに生年月日を書いたもの、フランコ・マリーノと書いたもの、フランコ・マリーティと書いたものがあった。

第2回投票の結果:
フランコ・マリーニ       159票
ジュリオ・アンドレオッティ   155票
フランチェスコ・マリーニ     3票
ロベルト・カルデローリ      1票
アントニオ・ジルファッティ    1票
白票                 3票

第二回の開票では、一時、フランコ・マリーニ決定が叫ばれたが、フランチェスコ・マリーニが3票あることが判明し、中道左派の喜びは失望に変わった。

第3回投票の結果:
フランコ・マリーニ     161票
ジュリオ・アンドレオッティ 155票
マリーニ            1票
白票               5票

第3回投票は、午後8時15分と最初は告げられたが、第2回投票で結果が出たと勘違いして、帰宅の途についた議員がいたので、午後10時にずれこんだ。慌てて電話連絡がなされ、全員戻ってきたが、決着には至らなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 6日 (土)

《瞳を見ればわかる》

Photo_11 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《瞳を見ればわかる》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

ヴァリア・サンテッラ監督、2005年。ナンニ・モレッティがプロデュースしたサンテッラ監督のデビュー作。ステファニア・サンドレッリが歌手のおばあちゃんという役柄を熱演。

ここからネタバレあります。

マルゲリータ(ステファニア・サンドレッリ)は声帯を患って手術を受けたところから映画は始まる。その娘キアラは、母親とはまったく違ったタイプの女性で、言語療法士をしている。キアラにはルチアという娘がいるが喘息を患っている。

キアラは、夫と別居(離婚?)し、夫はフランチェスカという別の女性との間に子供が生まれるところである。

マルゲリータは、60歳を越えても、夫以外の男性との恋愛関係に熱心である。だけでなく、愛人に会いにいくところに、孫のルチアを連れて行ってしまう。

この奔放な母マルゲリータと、真面目な娘キアラ、そしてマルゲリータの夫の葛藤が中心的テーマである。

時間が82分と短いせいか、いろいろ掘り下げると面白そうなエピソードがあるのだが、話は、マルゲリータおばあちゃんが孫ルチアを連れて、勝手にあちこち旅するのを、母キアラとキアラの父が追いかけるという構図で流れていく。

最後のマルゲリータの歌はご愛敬(サンドレッリは女優であって、歌手ではありませんからね)。

同時上映の短編は、《自由な闘い》。ステファノ・ヴィアーリ監督。アパートの一室に男二人。

ここからネタバレあります。

明らかに、ホモセクシュアルな関係を想起させる。しかし表面的には、この二人は、ここでレスリングをしている。二人はもう関係をおしまいにするとか、しないとか言い争っているので、レスリングはメタファーともとれる。

1977年という設定にどういう意味を込めているのかは、把握できなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《私が望む人生》

Photo_10 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《私が望む人生》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

ジュゼッペ・ピッチョーニ監督、2004年。《ぼくの瞳の光》で共演したサンドラ・チェッカレッリとルイージ・ロ・カーショが主役。

ステーファノ(ロ・カーショ)とラウラ(チェッカレッリ)は、19世紀の恋愛劇の主役俳優と女優で、その撮影と並行して、彼らの間にも恋愛感情が芽生え、嫉妬、破綻、再開がある。

ここからネタバレです。

ラウラは、デビューしたての女優で、仕事と生活の面倒を見てもらっているラファエーレという男がいるが、仕事が当ってくると、ラウラはラファエーレの存在がうとましくなる。

ステーファノは仕事がどんどん舞い込むスターで、女性にも不自由はしないが、自分のスター意識が第一で、女性に利他的な愛情を注ぐことができない。

映画を撮る映画は、フェリーニの《8 1/2》(はちとにぶんのいち)など少なくはないが、この作品では、映画監督と俳優、俳優とエイジェント、台本作者との関係が、かなり具体的に描かれている。エイジェントが仕事を仕切って、映画の仕事、テレビの仕事、またギャラの交渉にあたっている場面などが出てくる。

撮影現場の様子もわかり、映画の作られ方が、現場の物理的状況と社会的な関係と両方のレベルで理解できる。

映画としては、その撮影と並行して、進展する俳優と女優の恋愛模様がもう一つの焦点となっている。ラウラは、演技は、自分が体験した感情でないと表現できないという。恋愛をテーマとしたものだと、相手に恋してしまうということになる。

演技と感情移入の問題は微妙である。ピッチョーニ監督は、俳優という職業に興味を持ったらしく、2002年に、サンドラ・チェッカレッリを対象に、《サンドラ、秘密の肖像》、2003年にマルゲリータ・ブイを対象に《マルゲリータ、秘密の肖像》というビデオ作品を仕上げている(未見だが、是非観てみたい)。

この劇の仲の恋愛と、俳優と女優の恋愛は並行はしているが、山と谷、クライマックスは一致しない。19世紀劇の方は、まるで《椿姫》のように、女が身をひいて、病気になって、男の腕のなかで死んでいく。

現代の俳優と女優の恋愛は、破綻したところ、実は女優が妊娠していることが判明する。俳優が赤ん坊と対面して終わる。二人は、これからどうなるのかは、開かれたままである。

時代の違いによる恋愛の形態の相違と、変わらぬ部分と、弱い立場の女性とパトロンの関係など、いろいろ考えるヒントが散りばめられている。

同時上映の短編は、《疑惑》。ダスティ・フレーム監督、2005年。バッハの平均率曲集1番というかアヴェマリアがチェロで朗々と流れるなか、DVDかヴィデオカセットを怪しげにかき集めるシーンがあって終わり。2分30秒。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

《見つめる女》

Photo_9 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《見つめる女》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

パオロ・フランキ監督、2004年。《聖なる心》主演のバルボラ・ボブローヴァが、ミステリアスな女を演じる。

ここからネタバレです。

トリノに住むヴァレリア(ボブローヴァ)は、向かいのマッシモを恋しているが、ただ遠くから観ているだけである。マッシモがローマに転居したことを知って、彼女も衝動的にローマに出て行く。

マッシモは、製薬会社から大学に転職したのだが、マッシモの恋人は、法学の教師フラヴィア(ブリジット・カティヨン)である。フラヴィアは、亡夫の本の書き直しをしているが、そのタイピストとしてヴァレリアを雇う。フラヴィアが若い女を警戒せずに、マッシモに紹介し、食事を共にする場面は、不思議といえば不思議である。

フラヴィアは、結局マッシモが共同生活を申し込むのに、ためらいを見せ、今の別々の生活拠点を持つ生活から踏み出す決意を示さない。そのことと、嫉妬深くないことは絡んでいるのだろう。

マッシモとフラヴィアの仲は、決裂し、マッシモはヴァレリアに接近するが、ヴァレリアはトリノへ帰る。ヴァレリアは、合理的理由に基づいて行動しているとは言えない登場人物なのである。こういう女性は、昔の日本映画などにはよく出てきたように思うが、西洋でもいるわけだ。

あるいは、ボヴローヴァの独特な風貌(スロヴァキア出身)と合わせ、普通でない、一風変わった女性を描きたかったのかもしれない。

同時上映の短編は《自画像》。フランチェスコ・アマート監督、2004年。

ここからネタバレです。

これは図書館員の日常を描いたものだが、ある日、図書館の外に、証明写真をとるボックスが設置される。主人公の図書館員は、興味をもってお金をいれ撮影するが、出てきた写真には、顔がうつっていない(ほとんど白いまま)。次の人は、ちゃんと写る。もう一度ためすが、また写らない。

最後は、ある女性が、やはり写らないということがあって、二人はそのことを確かめ合って微笑むというオチ。

図書館員の、ほとんど沈黙が支配する日常生活のなかでのささやかな事件というところが、味がある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 5日 (金)

ナッシリア攻撃を受ける、イタリア人3人死亡

イラクのナッシリヤでイタリア軍が待ち伏せ攻撃にあい、3人が死亡した(コリエレ・デッラ・セーラ、4月28日)。

攻撃は、道路のアスファルトの中に爆弾が埋め込んであったものとみられる。4台の装甲車からなる隊列の一台がそれを踏み惨事が引き起こされた。

亡くなったのは、フランコ・ラッタンツィオ(38歳)、カルロ・デ・トリツィオ(37歳)、ニコラ・チャルデッリ(34歳、二ヶ月前に子供ニコロが生まれた)。

他にルーマニア人1人が死亡、イタリア人一人が重体。重体なのは、エンリーコ・フラッサニート(41歳)、全身の40%に火傷を負い重体で、クウェートの病院に運ばれた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《母なる自然》

Photo_8 (写真は映画祭公式ホームページのもの)

《母なる自然》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

マッシモ・アンドレイ監督。原案とプロデューサーのウンベルト・マッサおよび主役デジデリオ役のマリア・ピーア・カルツォーネが来日。

ここからネタバレありです。

題材として興味深い映画で、性転換者、ゲイが多数出てくるのだが、映画を観る前に、性転換者を演じている女優を、女優として実際に見てしまったことが、ちょっと残念だった。

最初に映画を見るときには、主役のデジデリオが見た目は女性だが、女ではないことが語られるので、これを演じているのが本当に性転換者なのか、どうかと頭にクエスチョン・マークを浮かべながら観たほうが面白い映画だと思う。

ストーリーは比較的単純で、一人の男が、一人の女と一人の性転換者を同時に好きになってしまって、という話。

その三角関係からはずれるが、この映画ではゲイたちで芝居をつくろうとしているのだが、その演出家のマッシミーノ役を演じていたヴラディミール・ルクスリアは、4月の総選挙で中道左派(共産党再建党)から出て当選し、下院議員となり、ヨーロッパで初のトランス・ジェンダーの国会議員になったそうである。

トランス・ジェンダーというのは、紛らわしい概念だが、ルクスリアの場合、普段、女性の服装をし、女性のトイレに行くそうだ。しかし、性転換手術は今のところ受けていない。だから、手術をうけていれば、性転換者(transessuale) となるが、普段の服装や態度が女性ということで、トランス・ジェンダーと呼ばれ、性転換者とは区別されることもあるし、ルクスリア自身もそう望んでいるようだ。

マッシモ・アンドレイはこれがデビュー作。

同時上映の短編は、《葉っぱの下に》。ステファノ・キオディーニの2005年の作。登場人物は二人。チェチーリア・ダッツィとヴァレーリオ・マスタンドレア(阿部寛に似ている)。

ここからネタバレです。

男は店にいて、女が車で来て、いつも男のほうを見つめているのだが、事情が謎。それが何回か繰り返され、ついに、女が自動車からおりて車椅子に乗る。男は、店の前に身障者優先の車椅子のマークがあったのに、それが落ち葉で隠れていたことに気づく。

日本で言えば、公共広告機構のCMを長く長く伸ばしたような短編(12分15秒)である。ふと落ち葉って、われわれの固定観念、柔軟に運用できない規則とか、障害者が自由に生きることを妨げるもののメタファーかな、とも思わせられる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非正規雇用対策

非正規雇用の罠から脱出するための対策を、中道左派の各党(の経済、労働問題担当者)が出し始めた(コリエレ・デッラ・セーラ、4月27日)。

非正規雇用から脱出するためには、ピエトロ・イキーノの見解が明らかにしたところによれば、ビアジ法を論じても役には立たない。非正規雇用はビアジ法導入の前に増加し、過去5年は、安定した比率を示しているからだ。

これに対し、マルゲリータ党のティツィアーノ・トレウ前労働大臣は、問題は2つあるという。1つは、ここ2,3年、若者の採用は、過半数が期限付き雇用となっていること。もう1つは、雇用が安定するまでの期間が過度に長くなっていることである。

つまり、6ヶ月雇われ、15日間失業し、また6ヶ月雇われてという風なやり方を10回も繰り返すのは許すべきではない。トレウによれば、3,4種類の雇用があるべきなのだ。期限のない雇用、さまざまなタイプの臨時雇用、見習い職、パートタイム、である。

さらに大胆な提案をしているのは、ティート・ボエリとピエトロ・ガリバルディで、雇用が安定するまでの3段階を主張している。最初は6ヶ月(6ヶ月たてば解雇は実質自由)。第2は、3年間の雇用。解雇は、経済的補償のみで、これは現在でも従業員15人以下のところに適用されている。第3が3年を越えた雇用で、これに対する法律は現在と同じ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 4日 (木)

《13歳の夏に僕は生まれた》

Photo_7

(写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《13歳の夏に僕は生まれた》。イタリア映画祭2006(有楽町、朝日ホール)。

マルコ・トゥリオ・ジョルダーナ監督。イタリア映画祭で、すでに、《ペッピーノの百歩》、《輝ける青春》が上映され好評を博し、《輝ける青春》は6時間という上映時間にもかかわらず、岩波ホールでかなり長期間にわたり上映された。両者とも日本でDVDが出た。しかも 《13歳の夏に僕は生まれた》は、プレミア上映で、今日一回のみの上映であったので、非常に会場は混んでいた。

この夏、東急の Bunkamura ル・シネマなどで全国公開するそうだ。

ここからネタバレです。

北イタリアのブルジョア家庭(企業家)の一人息子サンドロは、父親、父親の友人とクルーズ中に海に転落し、イタリアへの不法入国をねらう移民たち満載のおんぼろ船に救出される。

サンドロは、ルーマニア人兄妹に助けられ、船にいる間は、イタリア人であることを隠す。この船には、実に多様な人種が載っており、地球そのもののメタファーともとれる。それを運転しているのが、とんでもない奴らなのだが・・・船自体の姿は、おんぼろで、過積載であり、故障もするのだが、海に浮かぶ姿は、海の色が変化するのとともに変化し、いわく言い難く美しい。

やがて船上の難民たちは、パトロール隊に保護され、収容所に入れられる。サンドロはイタリア人であり、両親が迎えに来る。サンドロは、ルーマニア人兄妹を養子にして、ここから助け出してくれと両親に懇願する・・・

神父や判事など、制度的なことも描きこまれている。そのことで、制度の不備も、一層、明らかになる。

この作品は、ジョルダーナの他の作品と同様、社会問題への意識が骨太に中心にある。子供の視点から描かれている分、素朴な質問をもう一度問いかけることが可能な仕組みである。

ブレーシャの学校の場面では、サンドロの同級生に黒人がいるし、サンドロの父(アレッシオ・ボーニ)が経営する工場にも決して少なくない元不法移民(現在の法的状態は不明)がいる。

続編があるのだろうか、と思わせる、オープン・エンドな終わり方であった。

同時上映の短編は、《ルー》。これは爆笑ものの、パロディ映画。

ブルーノ・ボゼット監督、2004年。これはアメリカのピクサーの作る 《トイ・ストーリー》 などをパロディー化したもの。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

《聖なる心》

Photo_6 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《聖なる心》。イタリア映画祭2006(有楽町朝日ホール)。

フェルザン・オズペテク監督、2005年の作品。この監督は、 《無邪気な妖精たち》 や 《向かいの窓》 がこれまでイタリア映画祭で紹介されてきたが、《聖なる心》  はどちらとも似ていない。

オズペテクは、一作、一作スタイルを変えて、自分自身を模倣しない人なのだと思われる。つまり、同じような作品を何度もつくって、練り上げていくという職人芸的な世界を拒絶し、新しい世界との出会い、放浪、混乱を選びとる人なのだ。

ここからネタバレあります。

女主人公のイレーネは女社長でばりばりと仕事をこなしているのだが、ある時、万引き常習犯と思われる少女ベニーと出会う。

ベニーの死をきっかけに、ベニーが関わっていた救貧活動にのめり込み、ついには自分の財産をなげうって、公営住宅を買い取り、借家人に贈与しようとする。

救貧活動に関わっていたカラス神父は、そんなことを個人レベルでしてもすべての人は救えないのだと言って、イレーネを難民・不法移民の居住地に連れて行く。そこで、イレーネは、別世界(宗教的世界と言ってもよいし、常軌を逸して狂気の世界に入ったといってもよいし、両者の接点部分と言ってもよいだろう)に入る。

別世界に入ったことは、イレーネが居住地で、涙を流し、カラス神父の頬をそっと手で触るところから感じられる。しかし、驚くのはその後である。彼女は、町に戻り、繁華街で、乞食にアクセサリーをめぐんだかと思うと、自分の衣服、靴、果てはブラジャーまで通行人に与えてしまう。

明らかにアッシジのサン・フランチェスコと同一の行動パターンである。これについては、主演女優のボブローヴァが上映会場に挨拶にきて、会場の質問に答えて、監督はサン・フランチェスコ伝の現代版をつくるつもりではなかったと言っていたが、同時に、同じ質問はイタリアでもよく聞かれたという。そのことからも明らかであるが、このイレーネの行動が、サン・フランチェスコの行動を強く想起させるということは事実なのだ。

その後、イレーネは、女性の精神科医の質問を受けたところで映画は終わる。ドストエフスキー的な、聖なるものと狂気の接点、それに南北問題、貧富の格差の問題が背景にある。

と同時に、物語の舞台になっているのは、イレーネの母が幽閉されていた館で、これをワンルームマンションに改造するという女社長イレーネの合理主義がきっかけに、主人公たちは屋敷を訪れるのだが、そこでイレーネの母の幽閉状態をめぐる家族の葛藤が呼び起こされる。母も宗教性の強い人であったこと、叔母たちとの愛憎が示唆される。すべてが明らかになるわけではないが、イレーネにも家族に関し、強い抑圧があることは明らかである。

オズペテク監督は、こうした入り組んだ、多岐にわたるテーマを小綺麗にまとめるつもりはあるまい。おそらく彼はウェル・メイドと言われたいと願ってはいないのだ。むしろ、破綻があってよい、破綻しているのは、現実の方なのだ、という描き方で、こちらも、日常、安楽、安逸をもとめる自分を大いに揺さぶられた。

スリラーとかホラーという意味でなく、ちょっと怖い映画である。

同時上映の短編映画 《こんにちは》 は非常に面白かった。
メーロ・プリーノ監督、2005年の作品。

ここからネタバレです。

単純な話で、朝ある頭髪のきわめて短い男がベッドから起きて、歯をみがきに行く。鏡を見る。歯を磨きながら様々な表情をする、と、鏡の中の自分が勝手に動く、まさか!と思うと夢で、今度こそは、と歯をみがきに行って、鏡をみるとたしかに自分が写っている、と思うと、異常事態が・・・

これは、明らかに映像で観た方が面白い。単純で、リズムが良く、ユーモアがあって、インパクトがある。この才能で、もっと長いものを作ったらどういうものが出来るのだろう、是非観たい、と強く思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 3日 (水)

TAV,工事開始は2010年に延期

ヨーロッパ横断高速鉄道のTAVのトリーノ・リヨン間の工事開始が2010年にずれることが決まった(コリエレ・デッラ・セーラ、4月26,27日)。

当初の予定では、2008年に工事開始のはずであったが、今回正式に、2年ずれて、2010年までは工事を開始せず、調査・研究がなされることが決まった。

トリノ・リヨン間は、278キロメートルで、そのうちヴェナウス・トンネルが53,1キロメートルあって、そこの部分の自然環境保護などが不十分だということがTAV建設反対理由の一つである。

この鉄道が出来上がると、ミラノーパリ間は、現在の6時間35分から、3時間40分に短縮される。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プローディ、内閣を準備中

総選挙で勝利をおさめた中道左派のリーダー、プローディは、内閣を準備中である(コリエレ・デッラ・セーラ、4月27日)。

注目されるのは、女性大臣で、女性の比率を3分の1にすることを考えているという。具体的に名前があがっているのは、フィノッキアーロ、ボニーノ、ランツィッロッタ、メランドリ、アルトーニ、ビンディ、センティネッリなど。

大臣の数が25人で、女性大臣の数は8-9人になる見通しだという。

一方、第二次プローディ内閣の屋台骨になるのは、経済大臣でトンマーゾ・パドア=スキオッパになる模様。

左翼民主(党)には、8-9人の大臣が割り当てられるようだ。マルゲリータ党からは4-5人の大臣となる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《哀しみの日々》

Photo_5 (写真は、映画祭公式ホームページからのもの)

《哀しみの日々》。2006年イタリア映画祭(有楽町朝日ホール)。

ロベルト・ファエンツァ監督。この作品はストーリーはシンプル。タイトルは I giorni dell'abbandono で棄てられた日々となり、映画の中身そのものである。

夫婦の間に突然(のように妻オルガには見える)亀裂が生じる。夫マルコは家を出て行ってしまう。そこで、妻オルガ(マルゲリータ・ブイ)の疑念、苛立ち、怒り、焦り、自暴自棄といった感情の嵐が丹念に描出されていく。

階下に住む音楽家ダミアンが伏線となる。

マルゲリータ・ブイは、《恋愛マニュアル》でも、この作品でも、倦怠期、夫婦の危機を演じている。40代半ばという年齢がその役柄に適役なのだろう。逆に言えば、そのあたりのイタリア人夫婦にこういった話がよく生じているということが推察される。

金銭的・物質的に豊かになった社会では、一夫一婦制のもとにある夫婦は簡単に危機を迎えうるのかもしれない。また、どちらの側にも、潜在的には第二、第三のチャンスがあるということでもある。

ブイ演じるオルガは、夫が去ってから、態度だけでなく言葉づかいが乱暴になっていく様が興味深い。

同時上映の短編 《サンテンハチジュウナナ》は、ある意味で、怖い映画だった。

このあとネタバレです。

タイトルは3,87(人)ということで、イタリアで一日に労働者の死ぬ人数なのである。映画で、描かれているのも、僕には社会的背景が読み切れない、不審な死の一つであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《恋愛マニュアル》

Photo_4 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《恋愛マニュアル》。イタリア映画祭2006(有楽町朝日ホール)。会場は、混んでいて、臨時の座席がかなり出ていたようだ。

ジョヴァンニ・ヴェロネージ監督。オムニバス映画で、「恋」、「危機」、「浮気」、「別離」からなる。上映前と後に、「浮気」に登場するディーノ・アッブレーシャの挨拶があった。

「恋」は若者の、「危機」は倦怠期(マルゲリータ・ブイとセルジョ・ルビーニのくたびれた夫婦はリアル)のとそれぞれのカップルの様相が描かれる。

ここからネタバレの部分あります。

「浮気」で婦人警官オルネッラを演じたルチャーナ・リッティゼットは快演だった。愉快なキャラクターを小気味よく演じ、言葉づかいも含め歯切れがよい。夫の浮気を知って逆上する場面、自分もふとしたきっかけでニュース・キャスターと一夜を過ごしてしまうオチ、これがある爽やかさを持って感じられるようになったところに、時代を感じる。おそらく、イタリアで、こういうシナリオが企画として通るようになったのはそう昔のことではないと想像する。

「別離」で、浮気をしようとしたところに夫が帰ってきて、というのは、コメディア・デラルテのよくある手だそうだ。18世紀のロココの絵画などにもお決まりのパターンで描かれている。逃れ出たところがバルコニーでなく、目もくらむような高さでわずかな縁しかないところが映画的であった。

4つのエピソードは、快適なテンポで進み、よく考えると、コメディア・デラルテのパターンにあてはめるためにリアリズムからはずれているところもあるのだが、そんなことは気にならずに大いに楽しめる映画だった。

追記:
同時上映の短編 《リトル・ボーイ》は、興味深い作品だった。ふわふわの毛足の長いしきものの上に子供がうずくまって寝ている。光が明滅し、どうもこの子供が胎児のようだと感じる。

だんだん、怪しげな、強迫的な音楽とリズムになってくる。

ここから先、ネタバレです。

これは、もしかして、妊娠中絶を告発する映画なのだろうかと思った。しかし、すぐにそれは勘違いであることが判明した。リトル・ボーイが何万人を殺したというナレーションが入る。

そう、リトル・ボーイは、広島の原爆の名前だったのだ。たった7分55秒の映画だったが、上映後、会場は一瞬、水をうったように静かだった。

| | コメント (2) | トラックバック (3)

イスラエル、国旗焼却に抗議

イタリアの解放記念日である4月25日のミラノにおけるデモ行進においてイスラエルの国旗二枚が焼かれた事件に対し、イスラエル大使が抗議した(コリエレ・デッラ・セーラ、4月27日)。

また、レティツィア・モラッティ大臣が、父で元パルチザンのパオロ・ブリケット・アルナボルディをともなって、即ち、85歳の父親の車椅子を押しながら行進に参加した際、選挙目当てとして野次られたことに対し、チャンピ大統領、プローディ、ベルティノッティから連帯を表わす電話があった。

ただし、共産党再建党の機関誌リベラツィオーネでは、この事件が報道されなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 2日 (火)

《クオ・ヴァディス、ベイビー?》

Photo_3 (写真は映画祭公式ホームページからのもの)

《クオ・ヴァディス、ベイビー?》を観た。イタリア映画祭2006。カブリエーレ・サルヴァトーレス監督。

サルヴァトーレス監督の作品としては、《エーゲ海の天使》(1991年)、《ぼくは怖くない》(2003年)が名高いが、この2005年の作品は、舞台も作り方も、まったく上記2作品とは異なる。

主人公はボローニャで私立探偵をしているジョルジャ(アンジェラ・バラルディ)。そこに16年前に自殺した姉アーダが撮影した大量のヴィデオカセットが届く。

「クオ・ヴァディス」というのは、聖ペテロがネロ帝の迫害を逃れてアッピア街道を逃げているときに、死んだはずのイエスに会って、「ドミネ、クオ・ヴァディス」(主よ、どこへ行くのですか?)と問いかけると、イエスは「ローマへ。お前のかわりにもう一度磔になりにいく」と言ったという伝説がある。

調べてみると、この言葉は、聖書の外伝である「ペテロ行伝」にあり、それをアンブロシウス(4世紀ミラノの司教、アンブロージョ、祝日12月7日はスカラ座の初日)が一般に広めたと言われている。近代では、19世紀ポーランドの作家シェンキェーヴィチが小説にしてさらに広めた。

アッピア街道には、ドミネ・クオ・ヴァディス教会があり、教会のなかには、巨大なイエスの足跡がある。

以上のことを、一般のイタリア人は思い浮かべるであろう。しかし「クオ・ヴァディス、ベイビー?」というのは、それをもじって、《ラスト・タンゴ・イン・パリ》の登場人物が吐くセリフなのだ。主人公ジョルジャが、《ラスト・タンゴ・イン・パリ》をテレビで観る場面があり、そこでこのセリフを含んだ部分が写る。

この映画は、これまでのサルヴァトーレスの映画とはテーマも手法も大きく異なる。主人公は、送られてきたヴィデオをもとに、16年前に自殺した姉の行状を暴いていく。ヴィデオや映画を観ている人物が中心なので、一種のメタ映画である。

ただし、テーマとしては姉妹、父娘の関係が核の物語である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

《心の中の獣》

Photo_1

2006年イタリア映画祭が始まった。この映画祭は、日本におけるイタリア年を記念して始まったが、その後も続けてゴールデンウィークに実施し、今年が6年目である(写真は映画祭公式ホームページからのものです)。

《心の中の獣》を観た。監督はクリスティーナ・コメンチーニ。《ブーベの恋人》で有名なルイージ・コメンチーニの娘であり、去年の映画祭で上映された《ママは負けない》の監督フランチェスカ・コメンチーニの姉である。

主人公サビーナが墓地を訪れるところから映画は始まる。サビーナの兄は、アメリカに住んでいる。サビーナは、妊娠を機に、妙な夢にうなされるようになる。

(ここから先、ネタばれのおそれがありますーもっとも、パンフレットにもそれとなく書かれていますが)
 
幼いときに、サビーナは性的なトラウマを負ったらしいこと、それが夢の形で蘇ってきているのだということが強く、繰り返し示唆される。

サビーナは、同居しているフランコにも打ち明けられず、アメリカの兄ダニエーレ(ルイジ・ロ・カーショ)のところへ行く。兄はアメリカ人女性と結婚し、二人の子供を持ち、幸せそうであるが、しばらくすると、兄もトラウマをかかえ、自分の子供たちとうまく関係を持てぬことが判明する。

この重いテーマと並行して、サビーナの盲目の友人エミーリア(ステファニア・ロッカ)と同僚マリーア(アンジェラ・フィノッキアーロ)の交流が始まる。サビーナがアメリカに行っている間、一人暮らしのエミーリアにメールをよこすのだが、盲目なので、マリーアに朗読してもらうのである。

交流するうちに、エミーリアのサビーナへの愛、エミーリアの同性愛をマリーアが受け入れていく様子が描かれる。

この脇役たちが、盲目であったり、同性愛者であったり、夫に棄てられたことを嘆いていたりと、様々に多様で、少数派の立場にあること、それが結構ユーモラスに描かれていることが、メインの重いテーマをないがしろにするのでなく、むしろ重いのと軽い(本来こちらも扱いようによっては重いテーマとなりうるものだが)のが交差することによって、観客が双方のテーマを生理的に受け入れやすくしていると思う。そこが、この映画の巧みなところだ。

ジョヴァンナ・メッゾジョルノ(《向かいの窓》)のサビーナとルイージ・ロ・カーショの兄ダニエーレの痛ましい絆が話の核にある。

今回の映画祭では、短編(5-10分程度)と二時間程度の映画を組み合わせている。《心の中の獣》と組み合わせられたのは、《ゲーム》という作品。アニメで、キャラクターがどんどん変身していくタイプのもの。荒っぽいが、魅力はある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

非正規雇用は増えていない?

ビアジ法で、非正規雇用が増加していると非難する人は、非難の対象を誤っている。データからは、2001ー2005年に、期限付き契約の割合は、安定している(コリエレ・デッラ・セーラ、4月22日)。

データは、ISTAT(政府中央統計局)によるもので、解析は、ミラノ国立大学教授(労働法)のピエトロ・イキーノによる。

イキーノによると、ビアジ法によって150万人の雇用が増えた(ベルルスコーニ政権の主張)というのも、ビアジ法によって非正規雇用が増えた(中道左派の主張)も、データからは支持し得ないものとなる。

Istatのデータは2つのことを我々に示している。1つは、雇用の増加は、1998年に開始し、2001年の2,6%増でピークに達し、2002-2005年はそれほどでもない。もし、法律と雇用増加との一致を言うのであれば、1997年の「パケット・トレウ法」の方がビアジ法よりも連動している。

2番目は、期限付き雇用はー12%から14%へと約2%増加ーベルルスコーニ政権(2001-2006年)に増加したのではなく、1990年代に増加したのである。

問題なのは、非正規雇用が長期にわたる人が出てきたことだ。2005年に正規雇用の人は63,4%、非正規雇用は10,8%なのだが、2004年に仕事がなかった人に限定すると、正規雇用は39,4%に減り、非正規雇用は、40,5%に跳ね上がってしまうのである。

イキーノは、それは、労働者個人の生産性の格差が拡大し、企業側も待遇の格差を広げているという問題なのだという。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年5月 1日 (月)

イタリア女性の家事労働

イタリアの主婦の家事労働は、週21時間であることが、調査で明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、4月26日)。

この調査は、プロクター・アンド・ギャンブル社によるもの。イタリア人女性は、料理時間を除いて、家事に週21時間を費やしている。

アイロンがけに5時間。イタリア人女性の80%が、靴下やハンカチをふくめすべての洗濯物にアイロンをかけている。

皿洗い機。イタリア人女性の31%が皿洗い機を持っているが、多くの女性は、皿洗い機にセットする前に洗うことで二度手間になることをおそれている。

床掃除のブラシを使用する人は2%。

電気乾燥機を使用する人は1%。

イタリア女性は、家を清潔にすることが、家庭を愛することにつながっている。だから、電化製品に対しても、要求がきつい。たとえば、洗濯機でも、生地を傷めてはならない。というわけで、イタリアの洗濯機は毎分400回転で脱水するが、アメリカの洗濯機は平均1200-1600回転で脱水するのだという。

ちなみに、アメリカ女性の家事労働は、週4時間である。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

解放記念日のアクシデント

4月25日は、イタリアの第二次大戦終結、解放記念日であるが、そのデモ中、二つの事件が起こった。一つは、モラッティ大臣がパルチザンであった父親をデモに連れていったところ野次られたこと。もう一つは、イスラエルの旗が焼かれたことである(コリエレ・デッラ・セーラ、4月26日)。

モラッティ大臣の父は、パオロ・ブリケット・アルナボルディという人で、レティツィア・モラッティ大臣が車椅子を押して、行進に参加したのだが、民衆に野次られた。アルナボルディは、元パルチザンで、ミラノでの解放記念日の行進に参加することを自ら希望したというが、モラッティ大臣はミラノ市長に立候補を表明しており、かつ、父親は今回はじめて解放記念日の行進に参加したことで、父親を政治的に利用しようとしたと見られたようだ。

ヴェルトローニやコッスッタは、彼女を擁護している。

同じくミラノで、パレスティナの解放を叫んで、イスラエルの旗を焼くグループがあり、ユダヤ人たちを憤慨させた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ベルティノッティ、メデイァセットは身軽に

共産党再建党のベルティノッティが、メディアセットは、もっと局数とコマーシャルを減らすべきだと発言し、反響を呼んでいる(コリエレ・デッラ・セーラ、4月24日)。

ファウスト・ベルティノッティは、ベルルスコーニ一家の所有する民放メディアセットに関し、局数もコマーシャルも減らすべきだと、ジャーナリストのルチーア・アンヌンツィアータに語った。また、RAIは民営化すべきでないとの考えも示した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ルテッリ、アウトストラーデの合併に待った

中道左派マルゲリータ党のリーダー、フランチェスコ・ルテッリが、イタリアの高速道路会社アウトストラーデとスペインのアベルティスの合併には、重大な疑問があると待ったをかけた(コリエレ・デッラ・セーラ、4月24日)。

アウトストラーデとアベルティスの比較は次の通り。

アウトストラーデ:
2005年売り上げ  29億5700万ユーロ
             (4200億円)
営業キロ数      3408キロ
利益          7億9100万ユーロ
             (1100億円)
株式総額    130億600万ユーロ
            (1兆8200億円)
売り上げ中の通行料の割合   85%
従業員         9000人
活動拠点   イタリア、アメリカ、チリ
         イギリス

アベルティス:
2005年売り上げ  19億600万ユーロ
              (2660億円)
営業キロ数    3364キロ(最近、買収
             したフランスの 
              Sanef を含む)
利益          5億1100万ユーロ
              (714億円)
株式総額     113億5000万ユーロ
             (1兆5820億円)
売り上げ中の通行料の割合  63%
従業員           7800人
活動拠点   イタリア、アメリカ、イギリス
        スペイン、ポルトガル、フランス
      スウェーデン、アンドラ、南アフリカ
       カナダ、プエルトリコ、コロンビア
       ボリヴィア、アルゼンチン、チリ
       モロッコ、コスタリカ

となっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アリダ・ヴァッリ死去

アリダ・ヴァッリが死んだ。84歳だった(コリエレ・デッラ・セーラ、4月23日)。

アリダ・ヴァッリの本名は、Alida Maria Laura Altenburger, baronessa von Marckenstein und Frauenberg ということで貴族だった。生まれたのは、ポーラ(現クロアチア)、1921年5月31日。

16歳のときに、コモ湖のほとりに移る。そこからミラノへ行き、さらにローマへ出る。またたく間に、当時のスターとなる。

彼女の芸名がアリダ・ヴァッリとなったのは、1937年からであるが、そのキャリアは2000年まで続く。それゆえ、彼女のキャリアは第二次大戦前と戦後に分かれる。個人的にも、婚約者のパイロットが戦死したという事件があった。

戦前の映画には、Feroce saladino,  Mille lire al mese,  Assennza ingiustificata などがあり、さらに、Ore 9 lezione di chimica,  Eugenia Grandet (1946), Manon Lescaut,  Due organelle があるというが、筆者は残念ながら観たことがない。

戦後、2人の幼子をともなってハリウッドに進出。《パラダイン夫人の恋》(1947)で、グレゴリー・ペックと共演、ヒッチコック監督。1949年には、《第三の男》(キャロル・リード監督)に出演。

イタリアに帰って、ヴィスコンティのもと《夏の嵐》(1954)に出演。1967年にはパゾリーニの《オイディプス王》に出ている。ベルトルッチ作品にも複数出ている。

1997年には、そのキャリアを讃えて、ヴェネツィア映画祭で金獅子賞を受賞。

芸術的には成功に満ちた生涯であったが、男性にはめぐまれなかったようだ。

チャンピ大統領は家族にお悔やみの言葉をおくり、「戦前のコメディー映画で人気を博し、イタリアの恋人」だったと評した。

ローマ市長ヴェルトローニの意向で、葬儀は、カンピドリオで行われる予定である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年4月 | トップページ | 2006年6月 »