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2006年4月21日 (金)

ローマ教皇、《ユダの福音書》を評価せず

いわゆる《ユダの福音書》の解読がなされ、ユダの裏切りはイエスの依頼によるものと書かれていたが、ローマ教皇ベネデット16世は、聖木曜日にサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ教会でなされた説教で、ユダの裏切りを厳しく非難した(コリエレ・デッラ・セーラ、4月14日)。

いわゆる 《ユダの福音書》は新約聖書の外伝で、1970年代にエジプトの砂漠でコプト語の写本が発見された。66ページに渡るもので、3-4世紀に書かれたものと思われる。このたび、雑誌ナショナル・ジオグラフィーの支援する専門家チームによって解読され、結果が同誌に発表された。

《ユダの福音書》によれば、ユダの裏切りは、キリストの願望を実行したものなのだという。この中身については、すでにギリシア語文献で知られていた。

現教皇は、神学者であり、この文書についても当然知っているわけだが、説教の中で、「ユダはイエスを、権力と成功の範疇で評価した。愛は、関係なかった。彼は、貪欲で、神や神の愛よりも金のほうが大事だったのだ」と断罪した。

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コメント

ユダの裏切りというのは、もっとも興味をひかれる聖書の謎です。「そのときユダに悪魔がはいり」とだけ書いてあるのも(福音書によって記述は微妙に異なりますが)、自分の意思というより、何か自分ではない他者のせいにしているような、または、魔がさしたようにも思えますし。
このような福音書や外伝はほかにもたくさん発見されていて、そのつどバチカンはこのように声明を発表して、自らの正統性を守る通さねばいけないのですよね。正統あっての異端ですが。

投稿: マヤ | 2006年4月23日 (日) 22時59分

おっしゃる通りだと思います。
また、2004年前教皇ジョヴァンニ・パオロ2世の委嘱でアンドレ・ルフ(南フランスの隠修士)によって書かれた《十字架の道行き》のテクストでは、ユダの裏切りには三つの説明が試みられたそうです。
1.苛立った愛情が、反転して、恨みに変わった。
2.救世主が、イスラエルの解放者という政治的役割を避けようとしていることへの失望
3.ユダが望んだのはイエスの死ではなくて、揺さぶりをかけ、決然とした態度をとらせたかった
さらに、これとは別の記事に掲載されていたのですが、ユダの福音書のような外伝は、カイン派というグノーシス主義(2,3世紀から存在している)の一派の文書として、正統派からの非難により間接的に古くから知られていたようです。カイン派は、カインのように旧約のなかで否定的に叙述された人物を、隠された知識の伝達者として崇拝したり、ユダを積極的に評価していたそうです。

投稿: panterino | 2006年4月24日 (月) 01時54分

ユダはローマ人からの解放を願っていました。だれがユダを非難できるのでしょうか。行きすぎた情熱が彼の目を曇らせて、この世の力に負けてしまったのです。集めた金の多くは解放戦争の資金でした。自らの贅沢のためには一切使っていません。むしろ自らの幼年時代の極貧生活から金を得たら同じような貧者に与えていました。13は迷いでた羊の象徴です。いずれその羊は元の場所に戻ってきます。いつまでも呪らわれた存在にはなりません。その数字はいずれ購いの印になるでしょう。

投稿: てん | 2023年11月13日 (月) 21時36分

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