《皇帝ティトの慈悲》
モーツァルトのオペラ 《皇帝ティトの慈悲》 を観た。きわめて演劇的な上演で、娯楽性の強いオペラ・セリアという不思議な体験をした(4月23日、新国立劇場オペラ劇場、初台)。
この上演ではまず演出のことを書かずにはいられない。演出は、ペーター・コンヴィチュニー。指揮者フランツ・コンヴィチュニーの息子。
この演出は、とにかく、あの手、この手で、観客を舞台に引き込み、楽しませようというものだ。オペラ・セリアといえば、まじめくさって、退屈なもの、という観客の固定観念を革命的に覆そうという野心に満ちている。
冒頭、音楽がとまり、照明が明滅する。音楽が再開し、照明が明滅。舞台裏から、「照明何やってんだ!」の声。皆、あっけにとられ、演出か事故か半信半疑。序曲がすすみ、再現部のところで、同様の事態が繰り返され、なるほど、そういう演出かと納得。
指揮のユベール・スダーンと東京交響楽団も好演。晩年のモーツァルトなのに、《ティト》はちょっと退屈というこちらの偏見をくつがえしてくれた。演奏スタイルは、アーノンクールに代表される劇的に、フレージングをズバッと切っていくもの。このスタイルは、《ティト》のその時々の場面の情念をドラマティックに表現するのに向いていたと思う。
この劇は、ローマ皇帝ティトと、その皇妃になることを画策するヴィッテリア(彼女は先々代の皇帝ヴィッテリオの娘)をめぐる物語で、宮廷内の権力闘争と、ロマンティックな恋愛とが重なっている。
図式化していえば、《フィガロの結婚》がシェイクスピアの喜劇に通じるような明るい世界だとすれば、《皇帝ティトの慈悲》は、台本からすれば、ラシーヌの悲劇にも通じる息苦しい世界であるのだ。しかし、今回の上演は、少しも息苦しくはなかった。
何故か? そもそもオペラ・セリアでは、アリアでは一つの感情を歌いあげ、そこでドラマが進展することはない。状況はレチタティーヴォによって進展するのである。そこが、二重唱、三重唱、四重唱で、人間関係の錯誤に気づいたり、ドラマが進展していくオペラ・ブッファとの根本的相違点の一つだ。
今回の《ティト》では、だから、アリアの間に、そこにいる人物同士が動作で掛け合いをすることによって、観客の注意を喚起しつづけるという手をつかっていた。たとえば、第二幕の冒頭で、プブリオ(近衛長官)がティトの暗殺を狙ったセストを捕え引っ立てていく場面、ヴィッテリアが何度もそれをとどめようとする。するといつの間にか、プブリオが捕まえているのは、ヴィッテリアになってしまい、プブリオは慌てる、といったコミカルな箇所がある。これは、台本の指示によるのではなく、アリアの間、劇が止まって、だれるのを避ける演出家の工夫であろう。
さらに大胆だったのは、第一幕第八場で、セストがヴィッテリアの懇願を受け入れ、ティト暗殺を決意する場面で、クラリネット奏者が舞台上に登場することだ。黒子のような衣装で、黒いマントをまとって登場し、セストはその黒いマントを受け取ったのと並行して、暗殺を決意する。クラリネットに割り振られた音楽を異化すると同時に、ドラマの展開、登場人物の決意を、言葉やメロディーだけでなく視覚的に印象づけることに成功している。
より一層大胆なのは、第一幕終了後休憩にはいったのだが、ロビーが突然ざわついた。ふりかえると、そこには、皇帝ティトが、衣装をつけたままいるではないか。人々は携帯電話機などで、写真におさめたり、一緒に記念撮影をしている。変わったサービスもあるものだと思いきや、これは演出の一貫で、第二幕開始時に皇帝ティトはライトを浴びつつ観客席のなかから登場し、観客の拍手をあびる。さらに「ドイツ皇帝コンヴィチュニウスから電話があり、客席で鑑賞するようにと言われたので、私もここにすわります」と言って、最前列の席にすわる。
第二幕がはじまる直前、指揮者が登場。指揮者のほほにすす、燕尾服にもまだら模様によごれが。どうしたんだろうといぶかったが、ああ、第一幕の終わりで、ローマにセストが火をつけ、大火となったので、指揮者まで煤だらけになっていたのである。
このあとも、指揮者と最前列のティトのかけあいがあったり、ブレヒト流の異化効果はこれでもか、これでもかと繰り出される。
なぜ、コンヴィチュニーはこのような演出方法をとっているのだろう? おそらく、オペラ・セリアをオーソドックスに上演すると、登場人物(六人)が形成する空間は、濃密で息苦しい。その空間を、演出家は、わざと破綻させ、ずっこけさせ、何度も風穴を開けているのではないか。本来のオペラ・セリアとは異質のものを持ち込むことによって、空間をかき乱し、雰囲気を攪乱している。
舞台と観客席を往復することによって、観客の意識を巻き込む手法は、以前にロッシーニの《ランスへの旅》(アバド指揮、ヴィーン国立歌劇場)の日本公演(演出はルーカ・ロンコーニ)で観たことがあるが、その時は、歌手がイタリア人、スペイン人の超一流歌手であった。日本の若手歌手たちが、少なくとも演劇的には、それに少しもひけをとらない演技を、自分たちも楽しんで演じたことに感慨をいだいた。
ティトの高橋淳、ヴィテッリアの吉田恭子、プブリオの大塚博章をはじめ、歌手たちは実に演技者として芸達者であった。演出意図にこたえ、ノリのよい演技で、観客も大いに沸く場面が何度もあった。
おそらく真面目な観客の中には、これではオペラ・セリアではないと憤慨した人もいたかもしれない。しかし、オペラ・セリアで、しかも皇帝の戴冠をことほぐための作品を、現代日本のわれわれが心の底から楽しめるものとして享受できたことは、ほとんど奇跡的と言ってもよいだろう。
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