リトルイタリーの恋
「リトルイタリーの恋」という映画を見た。オーストラリア映画であり、当ブログのカテゴリーのイタリア映画というのは厳密に言うとおかしいのですが、この場合、イタリア(に関する)映画、あるいはイタリア(移民に関する)映画なのだとご了承ください。
原題は、Love’s Brother 。舞台はオーストラリア。イタリア系移民のアンジェロが、結婚相手を探そうと、何度もイタリア人女性のところに手紙を出すが、その度に断られる。
出す相手はカルメリーナ(エレノア・ブロン)という女性が仲介者として紹介している。移民の結婚形態についてはまったく知らなかったが、一般的に移民は男が多いので、イタリア系女性を望んだ場合、オーストラリアにはイタリア系女性の数が足りなくなり、本国イタリアの女性を仲介するという仕事が成り立っていたのだろう。
何度かの失敗にこりて、アンジェロは思い切って、送る写真を自分のではなくて、ハンサムな弟の写真を送るところから話ははじまる。このことが、さまざまな喜怒哀楽のドラマを生むことは、予想通りである。身勝手な兄の振る舞いにもかかわらず、弟は恋人の嫉妬をかうほどに兄思いである。兄弟の強い絆は、移民になってもイタリア人家族であることを確認させてくれる。
監督は、ジャン・サルディで、イタリア系移民の両親のもとでオーストラリアで育ったという。
筆者の最大の不満は、この映画の展開がややセンティメンタルであるとか、エンディングがご都合主義であるということではなく、イタリアから来た花嫁が全然イタリア語をしゃべらないことだった。この兄弟もイタリアからオーストラリアに渡って数年という設定であるのだから、明らかに不自然だ。
さらにひどいのは、花嫁がまだイタリアにいて、祖母と話す際にも英語なのである。
オーストラリアの場面では、たまにイタリア語の単語は入って来るのだが、この映画は、イタリア人移民社会の言語生活を忠実に反映させたものではないと考えられる。そんな意図はおそらく監督にも、プロデューサーにもないのだろう。そんなことを期待されても困るのかもしれない。
パンフレットによれば、服装やロケ地、カフェの雰囲気づくりには相当力が入れられただけに、言語状況の再現にもう少し力が入っていればと、(筆者には)惜しまれる。
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コメント
お久しぶりです。この映画、ご覧になられたのですね。
たしかに、監督が自分のルーツでもある時代と、その土地イタリアを映画にしたのに、言葉にほとんどこだわっていない(キャストも若いカップルのほうはイタリア系ではない)のはどうしてでしょうね。おそらく監督がイタリア語を話せないのではないでしょうか。
投稿: マヤ | 2006年3月29日 (水) 21時41分
なるほど。たしかに、言われてみると、監督は二世でもうイタリア語は話せないのかもしれませんね。
パンフレットには、両親は若いときにイタリアから移民してきたが、家のなかは「すべてイタリア式」だったとありますが、言語については触れられていません。
言語にこだわると、使える俳優・女優が限定されてしまう、あるいは吹き替えを使わなければならない、ということがあるんでしょうかね。
投稿: panterino | 2006年3月29日 (水) 23時43分