アンドレア・コルデロ・ディ・モンテツェーモロ、枢機卿に任ぜられる
アンドレア・コルデロ・ディ・モンテツェーモロが、アルデアティーネの虐殺の記念日に、枢機卿に任ぜられた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月26日)。
アルデアティーネの虐殺というのは、ローマを占領していたドイツ軍が、1944年3月24日、パルティジャーニをはじめとする政治犯335人を銃殺刑に処し、採石場に埋めた事件である。
枢機卿の緋法冠をさずかったアンドレア・コルデロ・ランツァ・ディ・モンテツェーモロは、1944年当時は、イタリア解放軍の志願兵だった。
さらに、重要なことに、彼の父、ジュゼッペ・コルデロ・ランツァ・ディ・モンテツェーモロは、対独・非合法軍事戦線の創設者であり、司令官であった。当然、ドイツ軍からは、不倶戴天の敵とにらまれ、ジュゼッペ、アンドレア親子は地下に潜伏していた。
父ジュゼッペは、1944年1月25日にドイツ軍に捕えられ、拷問を受け、アルデアティーネで334人のものと一緒に銃殺された。
息子アンドレアに緋法冠をさずける教皇はドイツ人で、授けた日が、アルデアティーネの記念日であることが、注目を集めた。
ちなみに、アンドレアは、イタリア経団連会長ルーカ・コルデロ・ディ・モンテツェーモロの従兄弟である。
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