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2006年3月17日 (金)

ムッソリーニは意外とフェミニストだった?

ファシズム期の女性運動に対し、ムッソリーニが案外、理解を示しているという資料が紹介された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。

ムッソリーニが女性の社会参加に理解を示している、あるいは必要性を見て取っていたことがわかる資料はいくつかある。

1つは、1925年5月15日、下院での議論に介入し、地方選挙に関して女性に選挙権を賦与する法律を支持したことである。しかしこの法律は、実際には、実施されることがなかった。法律の制定直後に、地方選挙自体が廃止されてしまったからだ。

さらに、1926年のノーベル賞候補に、アーダ・ネグリというフェミニストを推奨し、エットレ・ロマニョーリに彼女を広く知らしめるようにと依頼している。

また、ファシズムの期間中にもFisedd(Federazione italiana per il suffragio e diritti della donna, 女性の参政権および諸権利のための連盟)というものが存在した。その連盟の会長を1932年から35年までつとめたのは、アーダ・サッキという女性であるが、彼女は、両親ともにマッツィーニ派のエリートであった。母はエレーナ・カザーティ、父はガリバルディ派の医師アキッレ・サッキ。だから、彼女は当時のイタリアではもっとも進歩的な家庭に育ったといえよう。

そうした彼女およびその周辺のフェミニストたちの目には、ファシズムは、現代的な運動で、女性に敵対的ではないように見えたのである。

アーダ・サッキは、その後も、サルファッティを通じて、ムッソリーニに女性の社会参加の機会を広げるよう請願している。たとえば、郵便局職員や高校教育の教員からの女性排除に対する闘いを支持してくれと求めているのである。

ところが、1938年には上述のFiseddも解散させられてしまう。

こうした再評価(修正主義)に対し、ジャーナリストのミリアム・マファイは、たしかにムッソリーニやファシズムに女性の活動を広げる面もあったかもしれないが、女性が正式に参政権を得たのが1946年であったことの重要性を忘れてはならないとしている。

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