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2006年3月31日 (金)

アンドレア・コルデロ・ディ・モンテツェーモロ、枢機卿に任ぜられる

アンドレア・コルデロ・ディ・モンテツェーモロが、アルデアティーネの虐殺の記念日に、枢機卿に任ぜられた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月26日)。

アルデアティーネの虐殺というのは、ローマを占領していたドイツ軍が、1944年3月24日、パルティジャーニをはじめとする政治犯335人を銃殺刑に処し、採石場に埋めた事件である。

枢機卿の緋法冠をさずかったアンドレア・コルデロ・ランツァ・ディ・モンテツェーモロは、1944年当時は、イタリア解放軍の志願兵だった。

さらに、重要なことに、彼の父、ジュゼッペ・コルデロ・ランツァ・ディ・モンテツェーモロは、対独・非合法軍事戦線の創設者であり、司令官であった。当然、ドイツ軍からは、不倶戴天の敵とにらまれ、ジュゼッペ、アンドレア親子は地下に潜伏していた。

父ジュゼッペは、1944年1月25日にドイツ軍に捕えられ、拷問を受け、アルデアティーネで334人のものと一緒に銃殺された。

息子アンドレアに緋法冠をさずける教皇はドイツ人で、授けた日が、アルデアティーネの記念日であることが、注目を集めた。

ちなみに、アンドレアは、イタリア経団連会長ルーカ・コルデロ・ディ・モンテツェーモロの従兄弟である。

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夏時間、開始

イタリアで、3月26日から、夏時間が始った(コリエレ・デッラ・セーラ、3月26日、3月23日、24日、25日分は未着です。Pazienza!)。

3月26日の午前2時が午前3時となる。夏時間は、l'ora legale で、直訳すれば法律による時間。通常の太陽による時間(l'ora solare) には、10月28日と29日の間の夜中に戻る。

夏時間の間、日本との時差は7時間になる。

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フォルリのマドンナ像、血の涙を流す?

フォルリ(エミリア・ロマーナ州)の聖母像に血の涙らしきものが付いているのが見つかり、捜査・検証作業が開始された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月22日)。

このマドンナ像は、1909年12月8日に、教区司祭のドン・コスタンティーノ・チェコーニが、ルルドに巡礼したのを記念して献上したものだという。

この騒ぎのあと、よく似た像と置き換えられたが、本体は、司教館で厳重に保管されている。

第一発見者は、年金生活者のマリーサ・グレッピさんで、5日前の夕方6時15分に、アヴェマリアの祈りを唱えながら顔をあげると、マドンナ像の二つの暗いしみに気が付いた。

「血の涙を流している!」と動揺して、教会内にいた二人の友人に知らせた。「私のために涙を流していると思いました」と彼女は地元紙の記者に語っている。

彼女は、友人たちが、すぐに(像のある)壁がんに駆けつけなかったのを怒ったという。「でも、別の友人に挨拶していたんですよ」。ただし、彼女らも信じていないわけではない。リータ・オルターリさんは、よく考えつつ、「あの像は、前からとても悲しそうな眼をしていました」。もう一人は、「涙は、右目から流れ落ちたのは、鼻と口の間で止まり、左側のは、唇まで達していました」

一月ほど前に赴任したリーノ・ピッツィ司教は、像を移動することを決定した。司教区のスポークスマン、フランコ・ザギーニ師は「司教は、我々と同様に、事態が正常とは異なり、検証すべき物証があると考えました。科学的面からも、ひょうっとして犯罪にあたるかもしれないという点からも、デリケートな案件です」

司教は、犯人不明のまま、警察に届けを出した。カラビニエーリ(国防省警察官)は、捜査・検証を開始し、信者の聴取、現場の写真撮影を行った。

検査は、像に付着した物質が、「化学的なものか、有機的なものか」を調べる。「ケチャップや染料、人間の血ということもありうる」と専門家。

犯罪か? 「器物破損や、民衆の軽信の乱用ということになりうる」。

あるいは? 「超自然的な現象ということもありうる。その場合、この件は、われわれの手から離れる」

記者の感覚では、フォルリではほとんど信じている人はいないという。

司教区庁では、最初から冷静な対処をよびかけている。司教区庁は、「慎重に待っている」。また、「動かしてからは、像は新たに涙を流すことはなかった」とのことである。

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2006年3月30日 (木)

スカラ座の『ルチア』で、グラスハーモニカ活躍

スカラ座の『ランメルモールのルチア』の上演において、グラスハーモニカが演奏された。ある意味で、この曲の「本当の」世界初演である(コリエレ・デッラ・セーラ、3月22日)。

3月21日のスカラ座(指揮ロベルト・アッバード)で、ドニゼッティの『ルチア』の公演があったが、これは歴史的な意味を持つ上演であった。というのも、ルチアの「狂乱の場」で、このベルガモ生まれの作曲家は、グラスハーモニカの幻想的な音色を直感的に選んだのであるが、この楽器はオーケストレーションに怪しげな雰囲気を加え、同時に、ルチアが現実からまったく乖離してしまったことを示唆する。

ドニゼッティの天才が遺憾なく発揮された部分だ。グラスハーモニカは、ガラスという脆い材質、繊細すぎるほどの音色、音程の不安定さなどが、ルチアの破綻をきたす精神を言葉以上に雄弁に語っていることは説明を要しないだろう。

ドニゼッティ自身は、グラスハーモニカの使用を望んだのであるが、初演(1835年9月25日、ナポリのサン・カルロ劇場)の直前に、グラスハーモニカをやめ、パッセージも単純化された。

ちなみに、CDでは、1970年録音のシルズ(ルチア)、ベルゴンツィ、カプッチッリによるものが、グラスハーモニカを使用している。詳しくは、次のホームページを参照してください。
http://www.h5.dion.ne.jp/~goten/donizetti1835-2.htm

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フォルトゥーニョ殺人事件、9人逮捕

カラーブリア州議会の副議長フランチェスコ・フォルトゥーニョが2005年10月16日に殺された事件に関し、ペンティート(犯罪組織で、逮捕後、警察に協力するようになった被告人)が犯人の名を明かし、9人が逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月22日)。

ペンティートは、昨年の12月6日に、判事に犯人の名を告げた。リトルト・サルヴァトーレとアウディーノ・ドメニコである。リトルトが、実行犯で、頭巾をかぶり、上から下まで黒ずくめだった。リトルトは27歳。

ドメニコ・アウディーノ(27歳)は、逃走に使ったゴルフの運転を担当していた。

彼らの逮捕に至ったのは、犯行の24時間後から始った機動捜査隊の専門家による盗聴がきっかけだった。

また、犯人たちの会話だけでなく、ペンティートとその家族の話も盗聴された。

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教会内の政治動向ー中道右派

教会内の政治動向の最後は、中道右派である(コリエレ・デッラ・セーラ、3月21日)。

ここには4つのグループがある。Compagnia delle Opere (Comunione e Liberazione), Movimento per la vita, Opus Dei, Legionari di Cristo である。

Compagnia delle Opere は事業会とでも訳せばよいのだろうか。ある種の互助組織であって、様々な事業を推進しているらしい。この会の宣伝ビラには、「中道右派に投票しよう。中道左派には、急進派とボルシェヴィズムが支配的である」とある。ただし、ややこしいのは、Compagnia delle Opere の母体である Comunione e Liberazione(聖体拝領と解放)は、どちらにも与しないとしている。

Movimento per la vita は「生命のための運動」で、いわゆるプロライフの立場である。立候補者や選挙民に、手引書を配布しているが、その「決定的な基準」は、「生命の権利」と「婚姻に基づく家族」である。

Opus Dei(オプス・デイ)と Legionari di Cristo(キリストの軍団)は、ともにキリスト教のアイデンティティーを守ることに熱心なグループである。選挙に関して直接の言及はしなくても、保守派と考えられている。

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2006年3月29日 (水)

教会内の政治動向ー(2)中間勢力

教会内の政治動向の続きである。中道右派、中道左派どちらの側にも与しないグループを紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、3月21日)。

ここには2つのグループがある。Azione Cattolica と Comitato Scienza & Vita である。

Azione Cattolica はカトリック行動団。130年の歴史を持つ。「責任ある政治」を求め、本当の「道徳問題」に直面するようにと訴えている。

Comitato Scienza & Vita は、科学と生命委員会で、人工授精をめぐる国民投票のボイコットを呼びかけるために2005年2月に出来たばかり。委員長のパオラ・ビネッティは、マルゲリータ党から上院に立候補するため辞職した。幹事のルイザ・サントリーニは、下院にキリスト教民主連合から立候補する予定。

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教会内の政治動向ー(1)中道左派

カトリック教会内の政治傾向を図示し、簡潔な解説がのったので紹介する(コリエレ・デッラ・セーラ、3月21日)。

図表の製作はコリエレ・デッラ・セーラ紙。大きく三つにわけられ、中道左派の領域、どちらにも与しない、中道右派の領域となっている。ただし、あくまでも教会内の中道左派より、中道右派よりであって、イタリア政治におけるそれとぴったり一致するわけではない。

1.中道左派の領域
  その中に4つのグループがある。
  左から Acli, Scout Agesci, Pax Christi,Paoliniと Famiglia Cristiana である。 

  Acli (Associazioni cristiane lavoratori italiani) はイタリア・キリスト教労働者協会で1944年設立の団体。余暇活動を組織しているが、この協会の長は、マルゲリータ党(中道左派)から立候補するために辞任したばかりである。

 Scout Agesci(Associazione Guide e Scout Cattolici italiani) は、いわゆるボーイスカウトのスカウトで、もともとは1910年にトスカーナのバーニ・ディ・ルッカとジェノヴァで始った。今の組織体になったのは、1974年のこと。現在の会員は17万人強。前幹部のクリスティーナ・デ・ルーカは、マルゲリータ党から立候補している。

Pax Christi は、世界的な平和運動を推進するグループでイタリアのそれは1954年に誕生した。最近、フォルツァ・イタリア党のボンディ議員の教区司祭への手紙に対し、激しく反応した。会長のトンマーゾ・ヴァレンティネッティ司教が、「我々を買おうとなさいますな」と苦言を呈した。

Paolini は聖パオロ会または聖パオロ修道会、Famiglia Cristiana はその週刊誌であるが、どちらもジャーコモ・アルベリオーネ神父によって創始された。「ファミリア・クリスティアーナ」誌は、社説で、「誰も、キリスト教の価値を独占することは出来ない」とし、ベルルスコーニは、「ドン・ストゥルツォ(人民党創設者)以来、カトリック政治家に共通する性格をまったく持っていない」と批判した。 

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ルイーニ枢機卿、PACSに反対を表明

イタリア司教協議会議長のルイーニ枢機卿は、あらためてPACS(市民協約)に反対の意向を示した。また同時に、今回の選挙で、どちらかの側に立つことはしないことも明らかにした(コリエレ・デッラ・セーラ、3月21日)。

ルイーニ枢機卿は、イタリア司教協議会(CEI)で発言しているわけだが、時期を考えれば、選挙民への事実上の呼びかけと考えてよいだろう。

ルイーニは、直接的に Pacs に言及しているのではなくて、いくつかの州で、事実婚が承認され、法制化の動きがあることを懸念しているという表現である。名指しされてはいないが、言及されているのは、トスカーナ、プーリア、ウンブリア、ピエモンテ、カンパーニャ、エミリアの各州である。

また、ルイーニが注意を喚起しているのは4点ある。中絶、安楽死、伝統的家族の擁護、事実婚承認への反対である。この4点に関して、彼の言葉は、中道右派の政治プログラムにより近い。

しかし同時に、特定の政治勢力や政党と組むわけではないとしている。

また、経済に関しては、2005年における成長の欠如と、公的負債の増加に言及している。

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2006年3月28日 (火)

ベルルスコーニ、イタリア経団連と対立

ベルルスコーニ首相は、ヴィチェンツァで開かれたイタリア経団連の会合に出たが、野次の応酬となり、途中で退場した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月20日)。

会合は、18日(土)のことだったが、両者の対立は、その後も収まる気配がない。

首相によれば、「危機」は、左派の意思とその仲間である新聞の中にのみ存在する。(左派が)権力につくために、ありもしない(イタリアの)衰退がでっち上げられた。

また、実業家ディエゴ・デッラ・ヴァッレとの野次の応酬の末、首相にものを言うときには、tu (君、おまえ)ではなく、lei (あなた)で話しかけるよう要求。

イタリア経団連の会長モンテツェーモロは、首相は横暴であり、われわれを非合法化しようとしているとして非難した。

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チェチーリア・バルトリのリサイタル

チェチーリア・バルトリのリサイタルを聴いた(東京オペラシティ・コンサートホール、3月27日)。

バルトリの歌、有名かつ優秀な指揮者のチョン・ミョンフンがピアノ伴奏である。ただし、筆者としては、この二人のリサイタルを「チェチーリア・バルトリ&チョン・ミョンフン デュオ・リサイタル」と名付けるのはいかがかと思う。チョン・ミョンフンがピアノで独奏曲を弾くことはなく、伴奏者に徹しているのである。私は、チョン・ミョンフンが独奏曲を弾かないのが不満なのではない。伴奏者に徹しているのだから、これはチェチーリア・バルトリのリサイタルに、あの有名な指揮者のチョン・ミョンフンが伴奏をしている!という驚きがあれば十分で、それをデュオ・リサイタルとしてプロモートするのは、いささか羊頭狗肉のおそれがあるのではないかと思うのである。

さて、バルトリの歌は、驚くべき高度な技巧を惜しげもなく披露するもので、圧倒された。

プログラムは前半が、スカルラッティ(1曲)、グルック(1曲)、パイジェッロ(1曲)、モーツァルト(3曲)、ベートーヴェン(1曲)、シューベルト(2曲)、ロッシーニの歌劇『チェネレントラ』から〈私は苦しみと涙のために生まれ〉。

バロックからヴィーン古典派、ロマン派への流れを歌曲でたどり、締めくくりにロッシーニのオペラで華やかにしめるというよく考えられたプログラム。しかも、モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトも通俗名曲は1つもなく、新たなレパートリーを聴衆に提供する意欲に満ちあふれている。それはポリーニのようなピアニスト、アッバードのような指揮者にも通じることだが、商業主義に流されない強い知性を感じさせるイタリアの超一流の芸術家に共通する性質なのである(イタリアの音楽家にも、そうでない音楽家もたくさんいる)。

後半は、ビゼー(3曲)、ベッリーニ(3曲)、ロッシーニ(4曲)で、ややロマンティックな曲想のものとなる。

バルトリは、技巧と古典的な様式をしっかりと確保した上で、歌詞を考えたフレージング、表情づけをしていく極めてバランス感覚のすぐれた演奏を聴かせる。しかも高度な、時に超絶的な技巧は決して破綻することがない。

しかも声の音色が高い方から、低い方までトーンがそろっている。ここまで完成度の高い歌手は、ほんとうに稀であろう。

筆者は個人的には、ロッシーニで装飾音符が、快適なテンポにもかかわらず、少しも省略されずにメロディーに飾り付けられていくのだが、それがどこまでも続く息の長さ、音楽的持続に、息をのむ思いであった。

アンコールは、まず、モーツァルトの『フィガロ』からケルビーノのアリア〈恋とはどんなものかしら〉。完璧。モーツァルトの様式感と、ケルビーノの哀切な心情とのバランスが、これほどとれている演奏を聴いたことがない。つまり、ヴェルディなどを歌いなれている歌手はたいていの場合、あまりにもロマンティックに歌いたがるのである(シミオナートのようにモーツァルトやロッシーニを歌わせても、最高の演奏をする歌手もいますが、これは例外的別格)。

次は、ロッシーニの『セビリア』のロジーナのアリア〈今の歌声は〉。これも、文句なく素晴らしい。会場も総立ちであった。バルトリも、観客の熱い拍手に、感じるところがあったように見えた。

3曲目はデ・クルティスの〈忘れな草〉であった。これも悪くはないのだが、こういうどっぷりとロマンティックな曲よりも、古典的な様式の中に踏みとどまりつつ、様々なテクニックを駆使しながら、表情豊かに歌うときに、バルトリの美点が最も良く表れると思う。

チョン・ミョンフンのピアノ伴奏は、ロッシーニや後半のロマンティックな曲想のものの方が、本領を発揮していたと思う。オペラ・アリアの伴奏では、指揮者らしいめりはりがきいていて、オーケストラのダイナミズムを彷彿とさせた。それに対し、バロック期のものは、ややリズムが平板に感じられた。

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2006年3月27日 (月)

「ネイチャー」の警告

科学雑誌「ネイチャー」がイタリアの科学の現状に対し警告を発した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月18日)。

この特別記事は、アリソン・アボットの筆になるもので、「イタリアの科学を救うには」と題されている。この記事が、現政権を批判しているのは、《industry-friendly》な研究を優先していること。即ち、具体的で、直ぐさま、結果が出るものを重視し、純粋で基礎的な研究をなおざりにしている点である。

また、2005年に政府が研究のために費やす予算は、国内総生産の0,71%である。

給与についても問題がある。5万5千人の研究者は、月額900から1000ユーロで働いているが、イギリスでは、平均で3600ユーロもらっている。

研究者の高齢化も悩みの種だ。イタリアの研究者の平均年齢は50歳。非常勤が平均で8年続く。

ウニオーネ(中道左派)のプローディは、政権を獲得したら、基礎研究を再び立ち上げると言っているが、懸念もある。イタリアは生体幹細胞の利用についてヨーロッパの中でも最も規制の厳しい法律があるのだが、プローディは、実験に反対する仲間をどう説得するのかという疑問を「ネイチャー」は提出している。

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リトルイタリーの恋

「リトルイタリーの恋」という映画を見た。オーストラリア映画であり、当ブログのカテゴリーのイタリア映画というのは厳密に言うとおかしいのですが、この場合、イタリア(に関する)映画、あるいはイタリア(移民に関する)映画なのだとご了承ください。

原題は、Love’s Brother 。舞台はオーストラリア。イタリア系移民のアンジェロが、結婚相手を探そうと、何度もイタリア人女性のところに手紙を出すが、その度に断られる。

出す相手はカルメリーナ(エレノア・ブロン)という女性が仲介者として紹介している。移民の結婚形態についてはまったく知らなかったが、一般的に移民は男が多いので、イタリア系女性を望んだ場合、オーストラリアにはイタリア系女性の数が足りなくなり、本国イタリアの女性を仲介するという仕事が成り立っていたのだろう。

何度かの失敗にこりて、アンジェロは思い切って、送る写真を自分のではなくて、ハンサムな弟の写真を送るところから話ははじまる。このことが、さまざまな喜怒哀楽のドラマを生むことは、予想通りである。身勝手な兄の振る舞いにもかかわらず、弟は恋人の嫉妬をかうほどに兄思いである。兄弟の強い絆は、移民になってもイタリア人家族であることを確認させてくれる。

監督は、ジャン・サルディで、イタリア系移民の両親のもとでオーストラリアで育ったという。

筆者の最大の不満は、この映画の展開がややセンティメンタルであるとか、エンディングがご都合主義であるということではなく、イタリアから来た花嫁が全然イタリア語をしゃべらないことだった。この兄弟もイタリアからオーストラリアに渡って数年という設定であるのだから、明らかに不自然だ。

さらにひどいのは、花嫁がまだイタリアにいて、祖母と話す際にも英語なのである。

オーストラリアの場面では、たまにイタリア語の単語は入って来るのだが、この映画は、イタリア人移民社会の言語生活を忠実に反映させたものではないと考えられる。そんな意図はおそらく監督にも、プロデューサーにもないのだろう。そんなことを期待されても困るのかもしれない。

パンフレットによれば、服装やロケ地、カフェの雰囲気づくりには相当力が入れられただけに、言語状況の再現にもう少し力が入っていればと、(筆者には)惜しまれる。

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2006年3月26日 (日)

ベネデット16世、教皇の三重冠を紋章に使用せず

ベネデット16世が、教皇の三重冠を自らの紋章に使用しない初の教皇となった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月17日)。

教皇の三重冠は、前の千年期には、各教皇の紋章に、ずっと使用され続けてきた。パオロ6世(在位1963-1978)が戴冠式のときに被ったのを最後に、実際に被られることはなくなり、紋章上にのみ、生き残っていたのである。

ベネデット16世は、紋章からも三重冠をなくし、そのかわりに司教冠(ミトラ)に置き換えることにした。

三重冠は、宝石がベルトのように並ぶ帯が三重になっているが、一番下の帯が最も古い。ただし、これを導入した教皇がだれかははっきりしない。シンマコ(シマンクス)(在位498-514)、あるいはレオーネ(レオ)3世(在位795-816)、あるいはニッコロ(ニコラウス)1世(在位858-867)のいずれかであるらしい。もっとも伝説では、コンスタンティヌス帝が、シルヴェストロ1世(314-335)に授けたことになっている。

真ん中の帯状の部分は、ボニファーチョ8世(1294-1303)によって付け加えられた。

一番上の帯状の部分は、クレメンテ5世(1305-1314)によって付加された。

この三重冠は、教皇の三重の権力、「王侯の父、世界の統治者、地上におけるキリストの代理人」を表わしているという。また、別の解釈では、戦い、苦しみ、勝ち誇る教会を表わしているのだという。

教皇冠の写真は
http://www.vatican.va/news_services/press/documentazione/documents/sp_ss_scv/insigne/triregno_it.html
で見ることができます。

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2006年3月25日 (土)

イタリア中央銀行の警告

イタリア中央銀行の経済報告で、イタリア経済は停滞し、これまで首相が誇ってきた雇用の面でも、フルタイムの雇用は10年ぶりに減っていることが明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月17日)。

春のイタリア中央銀行慣例の経済報告によれば、被雇用者がかろうじて増えているのは、パートタイムの拡大によるものである。 

また、新たに雇われる際、仕事の半分は期限付きであり、15~29歳では、4人に1人が不規則雇用となっている。

公的財政では、事態はもっと苦々しいものだ。累積の財政赤字は、前年度に較べ、2,6ポイント上昇し、国内総生産の106,4%となった。1994年以来の悪い数字。

経済で悪い点は、生産性の停滞による競争力の低下である。競争力は、2001年から2004年までの間に30%下がったとされるが、ドイツの6%低下、フランスの13%低下と較べても悪い数字だ。

2006年の経済成長に関しては1%強を見込んでいる。

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2006年3月24日 (金)

首相、プローディに言葉数で勝つ

ベルルスコーニ首相とロマーノ・プローディのテレビ対決についての一風変わった分析が出た。どんな語彙をどれだけの頻度で使用しているか、というものである(コリエレ・デッラ・セーラ、3月16日)。

分析を担当しているのはジョルジョ・デ・リエンツォという大学教授・批評家(イタリア文学)である。

(ちなみに、テレビ対決は、http://www.raiclicktv.it/raiclickpc/secure/homePage.srv
で、Elezioni 2006をクリックして、さらに Prodi-Berlusconi, La sfida--14/03  をクリックすると見られます。ただし、こういうサイトは何日か経過すると見られなくなってしまうこともしばしばです)

デ・リエンツォの分析によると、プローディは、時々つっかえ、文法的に破綻した。突然、主語を変え、どもり、名詞と形容詞の性数が一致しないこともあった。

一方、ベルルスコーニは、たたみかけるようで、攻撃的な印象を与え、簡潔な構文を用いたが、にもかかわらず、とてつもない文法的誤りもおかした。

首相は、プローディを、言葉の量の面では打ち負かした。首相は、1012の見出し語を、変化させ、活用させ5749の形を用いたのに対し、プローディは、913語、5369の変化形を用いた。

ベルルスコーニは時に古風な、官僚的な語彙を用いたのに対し、プローディは意図的に、分かりやすい語彙を用いたようだ。

また、ベルルスコーニが io (私)という言葉を32回用いたのが目立つのに対し、プローディは noi (私たち)を60回用いている。ベルルスコーニは37回である。

二人が最も使用した単語は次の通り。

プローディ
Fare (する)   62回
Noi (私たち)  60回
Dovere(義務、~しなければならない)49回
Potere(権力、~できる) 47回
Dire (言う)  43回
Paese (国) 40回
Tutto (すべて) 32回
Volere (~したい) 31回
Governo (政府) 25回
Anno (年) 24回
Andare (行く) 20回
Cosa (もの) 17回
Fatto (事実) 17回

ベルルスコーニ
Dire (言う)  45回
Fare (する)  42回
Noi  (私たち) 37回
Tutto (すべて) 37回
Governo (政府) 36回
Io (私)       32回
Potere (権力、~できる)32回
Anno (年)     27回
Sinistra (左派)  26回
Volere (~したい) 25回
Fatto (事実)    24回
Loro (彼ら)    22回
Prodi(プローディ) 21回

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テレビ対決の評価

ベルルスコーニ対プローディのテレビ対決が行われた。税制、移民、不規則雇用、ユーロ導入の成果など様々な争点があったが、どちらがこの対決を制したかの世論調査が直後に実施された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月15日)。

対象となったのは、300人。二重抽出法で選出されている。

プローディが勝者と思う人は42,6%
ベルルスコーニが勝者と思う人は35,6%

プローディに好感を持った人 46.5%
ベルルスコーニに好感を持った人 34,7%

しかしながら、この調査によると、91,1%の人は、テレビ対決の後で、自分の選択を確認しただけで、以前の自分の考えを変えた人は3%にすぎない。

この数字を1994年に行われたベルルスコーニ対オケットの対決と較べてみると興味深い。

この時は、41,1%の人がベルルスコーニが勝ったと考え、オケットというのは23,7%にすぎなかった。

この当時、ベルルスコーニの方が、才気煥発で(61,8%)、感じがよく(53,8%)、より明快(46,2%)と考えられていたのだ。

一方、先日の対決で、よりよく準備が出来ていたのは、ベルルスコーニが41,6%で、プローディが35,6%だった。

巧妙さについても、ベルルスコーニ71,2%、プローディ20,8%という評価である。抜け目のないベルルスコーニ、実直なプローディというところか。

一方、政府の長として信頼できるのは、プローディ(44,6%)、ベルルスコーニ(36,6%)。

より安心させるのは、プローディ(51,5%)、ベルルスコーニ(33,7%)であった。

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2006年3月23日 (木)

ムーティ、メトを振るか?

昨年4月スカラ座を去った指揮者のリッカルド・ムーティが、今シーズン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場を振るかもしれない(コリエレ・デッラ・セーラ、3月14日)。

メトロポリタン歌劇場の常任であるジェイムズ・レヴァインが怪我をしたため、今シーズンの代理として、候補にあがっているもの。

ムーティはこれまでメトを振ったことはなく、実現すると、貴重な機会となる。

他に候補者として、名があがっているのは、ダニエル・バレンボイム、エサ=ペッカ・サロネン、ヴァレリー・ゲルギエフなどである。

怪我をしたレヴァインに代わって、誰かが残りの24公演の指揮および5月の日本公演を振らねばならないのである。

現在のところ、ムーティは、2009/10年のヴェルディ作曲の『アッティラ』とロッシーニの『アルミダ』を振ることになっている。

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2006年3月22日 (水)

ローマのラビ、モスクに行く

ローマのユダヤ教のラビが、イスラムのモスクを訪れた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月14日)。

ローマのユダヤ教のラビ、リッカルド・ディ・セーニがローマ郊外のモスクを訪れた。このモスクは、パオロ・ポルトゲージの設計で1995年に建立されたヨーロッパ最大のモスクである。

イタリアのユダヤ教徒とイスラム教徒の基本データは以下の通り。

ユダヤ教徒 全国で30,000人。1938年の人種法以前は、44,000人いた。

ローマには、16,000人のユダヤ教徒がいて、イタリア最大のユダヤ人コミュニティーであると同時に、紀元前まで遡る世界一古いユダヤ人コミュニティーでもある。

イタリアには21のユダヤ人コミュニティーがある。ローマについで大きいのはミラノのそれで、7000人が登録。

ユダヤ教の寺院シナゴーグは50あるが、中北部に集中している。

一方、イタリアのイスラム教徒は、80万人。そのうち73万人は移民。

10万人がローマに住む。20以上の国籍に渡る。

祈りの場所ーモスク、文化センター、個人のアパートなどーは、350ある。

モスクの数は80。通常の役割とともに、コーランを教える文化的活動も行っている。

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ベルルスコーニとプローディのプロフィール

ベルルスコーニとプローディの個人的なプロフィールが紹介されている(コリエレ・デッラ・セーラ、3月14日)。

  ベルルスコーニ       プローディ
  1m70cm          1m74cm
  体重は変化する       83kg

生年月日 
  1936年9月29日     1939年8月9日

星座    天秤座        獅子座
星位の上昇
       天秤座        山羊座

運転免許  所有         所有

学士号   法学          法学
論文 折り込み広告  イタリア産業の
    の契約       発達における
                保護主義
論文の評価 110点+賛辞   110+賛辞
         (最優秀)      (最優秀)

妻 ヴェロニカ・ラリオ     フラヴィア・
                 フランツォーニ
  (最初の妻 カルラ・ダッロリオ)

子供 5人            2人
    マリーナ         ジョルジョ            
    ピエルシルヴィオ    アントニオ
    バルバラ
    エレオノーラ       孫2人
    ルイージ

趣味 ガーデニング      サイクリング
    絵画コレクション    競歩
    カンツォーネ作曲

ヴァカンス
    バミューダ        山
    サルデーニャ
    ポルトフィーノ

楽器 ピアノ、ギター   楽器は演奏しない 
    コントラバス、歌  音痴

料理  出来ない     パスタのように
                簡単なもの
好きな料理            
 母の作った        カッペレッティ・
 カリフォルニア風牛肉  イン・ブロード
             (コンソメ風のスープに
              極細麺が入っている)  

パジャマ  着ない        着る
丈の長いシャツ風パジャマ
      着ない          着ない
   (下着だけ身につける)

癖 「私に~させてくれ」   唇をねじ曲げる
   と言う
   歯をくいしばる

i-pod        持っていない   持っていない

好きな都市   パリ      ボローニャ
       

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ベルルスコーニ、インタビュー中に怒り退場

シルヴィオ・ベルルスコーニ首相は、Rai 3 の番組で、ジャーナリストのルチア・アヌンツィアータからのインタビュー中に激論となり、スタジオを退場した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月13日)。

『30分で』というインタビュー番組の中で、ベルルスコーニ首相とアヌンツィアータの激しいやりとりが交わされた。特に、ジャーナリストのエンツォ・ビアージとサントーロがRai の番組を降板させられた件に関し、激しい追求がなされ、ベルルスコーニがぶちきれ、アヌンツィアータに「少しは恥を知るべきだ」との捨てぜりふを残し、スタジオを番組途中で退場した。

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ベルルスコーニ対プローディのテレビ対決、アメリカ式に

ベルルスコーニ対プローディのテレビ対決が、3月14日(火曜日)に、アメリカ式に行われることが決まった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月12日)。

二人のリーダーの対決は、Rai 1 で午後9時から10時30分の1時間半にわたって放送される。

司会者はクレメンテ・ミムン。二人のジャーナリストが交互に質問を投げかけ、二人が交互に答える。

二人のジャーナリストは、くじびきではなくて、両陣営の話し合いで選ばれたようだ。マルチェッロ・ソルジはラ・スタンパ紙の編集者。もう一人のジャーナリストは、ロベルト・ナポレターノで、イル・メッサジェーロ紙の編集長。

主なルールは次の通り。

両ジャーナリストは、30秒以内の質問を出す。

質問に最初に答える政治家は、2分半を与えられる。もう一方の政治家は1分が与えられる。最初に答えるのがベルルスコーニかプローディかは交互になる。

声を重ねることは禁止。即ち、誰かの話を中断してはいけない。

どちらが最初の質問に答えるかは、くじびきで決める。

最後に、質問なしの結論を2分半ずつ話す。

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2006年3月21日 (火)

突然の動き、カピタリア銀行、インテーザ銀行の2%を買収

イタリアの大手銀行カピタリアが、インテーザ銀行の株式2%を取得したことを発表した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月11日)。

株式の2,02%取得とのことであるが、6億ユーロ以上に相当する額であり、この動きは、二つの銀行の合併か、と関係者の注目を集めている。

これを受けて、カピタリアの株は、2,35%上昇。

カピタリア銀行(ローマ)を率いるマッテオ・アルペは、インテーザ銀行(ミラノ)に対する敵対的なオペレーションではないとしている。

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盗聴事件で、保健相辞任

州選挙にからんで盗聴疑惑がもちあがった保健相フランチェスコ・ストラーチェが辞任した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月11日)。

彼の辞任は、中道右派では、その潔さをよしとしているが、中道左派のプローディは、「この議会の終末は、まったくの破局だ」と非難した。

ストラーチェは国民同盟の党首フィーニから「道徳的模範を示した。名誉のほうが、大臣の特権よりも大切な人もいることを明らかにした。国民同盟は彼の振るまいを誇りに思う」と高く評価された。

本人は、逮捕をふくめ、あらゆる事態への覚悟ができていると表明した。

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2006年3月20日 (月)

イタリア映画製作数は減少、シェアーは増加

2005年のイタリア映画産業は、イタリア映画製作本数は前年の96本から68本に減少したが、国内映画市場におけるシェアーは20,3%から24,7%に増加した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

イタリア映画産業協会(Associazione delle industrie cinematografiche, Anica)の発表によると、売り上げは、2004年の5億7700万ユーロから、2005年の5億3650万ユーロ(約750億円)へと減少。

観客数は9053万人で、前年比7,48%減。

イタリア映画の製作は、96本から68本へと減少で、共同制作も含めると、134本から98本への減少。

国家の補助金は、9490万ユーロから2950万ユーロ(41億円)へと68,9%もの激減をした。

良いニュースとしては、イタリア映画のシェアーが上昇したことで、観客数では、前年の2000万人から2250万人へと上昇を示している。

おそらくこれは、ハリウッド映画の競争力の低下(アメリカ映画は2005年、観客数が約8%減少している)によりもたらされたものと思われる。

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テレビ対インターネット

イギリスでは、はじめてインターネットに費やす時間が、テレビに費やす時間を上回ったが、イタリアでは、はるかにテレビが上回っている(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

インターネット検索エンジン会社グーグルの実施した調査によると、イギリス人がインターネットに費やす時間は、一日あたり164分(年換算約41日)、それに対し、テレビは一日あたり148分(年換算約37日)である。

一方、ニールセンのデータによると、イタリア人がインターネットに費やす時間は、一日あたり58分(年換算約15日)で、テレビは、一日239分(年換算約61日)となり、テレビの優位性が際だっている。

イギリスでインターネットの時間数が多いのは、仕事でインターネットをつけっぱなしにしている人がいるのと、ネット・ショッピングが盛んなせいだという。平均で年446ポンド(約8万9千円)の買い物をする。スーパーマーケットで売っているような物、衣服、旅行、今や自動車までもネットで買うことがあるという。

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イタリアの新聞読者数

イタリアの新聞読者が4年前にくらべて150万人増加したことが、イタリア新聞協会(Federazione italiana editori giornali, Fieg)の調べで明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

この調査で、読者と言っているのは、購買する人のみならず、家族や友人、同僚の新聞を見せてもらう人も含んでいる。

イタリアの新聞読者は、2001年には、1949万6千人であったのが、2005年には、2094万6千人となり、約150万人増加している。

希望が持てるのは、若い読者が特に増加していること。14歳以上の読者は、2001年には38,9%であったのが、2005年には、41,7%に上昇している。また、18~24歳の若者が特に6,5%上昇している。

雑誌の読者も2004年にはわずかに減少したが、昨年は、3,4%、すなわち110万人増えた。買うか、買わないかは別として雑誌の読者はイタリア人全体の67,6%へと上昇した。つまり、3人に2人は、週刊誌か月刊誌を読んでいることになる。

新聞協会の会長ボリス・ビアンケリによると、イタリアの新聞は、アングロ・サクソン系に比較して、「質の高さ」があるという。

販売に関しては、ほとんど変化がない。2004年が0,4%増加で、2005年は0,1%の減少。販売に関する弱みは、定期購読者が少ないことで、わずか9%にすぎない。これは、スイス、フィンランド、デンマーク、ノルウェーが72~90%であるのに較べると、非常に小さい数字である(イタリア人は、町の新聞・雑誌販売所で、新聞を買うのが普通です)。

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政界を巻き込む盗聴事件

イタリアで政界を巻き込む盗聴事件が発覚し、16人が逮捕された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

逮捕されたのは、私立探偵11名、財務警察官2名、警部1名、Tim(日本のNTTドコモに相当する携帯電話会社)の従業員2名。

逮捕容疑は大きく分けて2つある。

1つは、2005年4月の地方選挙に際し、当時ラツィオ州知事だったフランチェスコ・ストラーチェ(現・保健相)の政敵を盗聴していた疑惑。

イタリア地方版のウォーターゲイトである。犠牲となったのは、この事件にもかかわらず当選した中道左派のピエロ・マッラッツォ(現・知事)と、極右から立候補していたアレッサンドラ・ムッソリーニ。

政敵の信用を失墜させるために、盗聴が行われたとされている。

もう1つは、プライヴァシーで守られるはずの、治安警察やTIMのデータバンクの情報を、産業スパイ目的で入手し、その情報を高額で売却した疑いである。

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2006年3月19日 (日)

コリエレ紙の社説への反応

コリエレ・デッラ・セーラの社説(来る4月の総選挙で中道左派を支持する内容)に対する各陣営の反応が、すぐに出揃った(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

ベルルスコーニ首相は、ご不満で、「コッリエーレ紙は、左派を支持する新聞だ。読者は、以前から、ウニタ紙(イタリア共産党の機関誌)に近いものを読んでいると思っていた」と発言。

フォルツァ・イタリア党のグレゴリオ・フォンターナは、同紙のボイコットを呼びかけた。「ミエーリ編集長は態度を明確にした。その点に関しー彼の選択は正当なものだがーフォルツァ・イタリア党の党員が、新聞スタンドで同紙の購読をやめるのも同様に正当なことだ」

北部同盟のロベルト・カルデローリの反応も厳しい。「ミエーリ編集長の介入は、審判である国民のくるぶしを蹴る反則行為のようなものだ。私はもうコッリエーレ紙を買わない」

国民同盟の党首ジャンフランコ・フィーニは、社説が、中道右派のうちベルルスコーニと他のリーダーを区別していることに関し、中道右派のなかに「不和の種をまこうとするとんでもない試み」であり、「罠にはまらないようにしよう」と呼びかけた。

同じ国民同盟のアドルフォ・ウルソは異なった意見で、「ミエーリが自紙の方針を明らかにしたのは良いことだ。読者は記事をどう読めばよいか分かる」とした。

同党のイニャーツィオ・ラ・ルッサは、「イタリアには言論の自由がある」と強調した。

一方、左翼民主(党)の書記長ピエロ・ファッシーノは、「コッリエーレ紙の編集長への連帯を表明したい」

ロマーノ・プローディは、「社説は、具体的事実に基づいている。積極的な選択肢は、中道左派の勝利しかないとし、イタリアを危機から脱することが出来るのは、政治的な二極対立の図式だとしている」

マルゲリータのリーダー、フランチェスコ・ルテッリは、編集長は、「透明で説得力のある立場を取り、わが国の市民層にも、安定的政府の必要性を認識している人々がいることを明らかにした」

共産主義再建党のファウスト・ベルティノッティは社説を評価し、他紙の編集長も態度を明確にするよう求めた。

中道左派でも、共和党やクレメンテ・マステッラのように言及されなかった勢力は、そのことが不満なようだ。

キリスト教民主連合は意見が割れている。ピエル・フェルディナンド・カジーニは、「イタリアには、まだ自由があることを示している」としながらも、「コッリエーレ紙は、人工授精に関する国民投票で立場を明らかにし、敗北した」

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2006年3月18日 (土)

ベルルスコーニとプローディ、テレビ対決へ

ベルルスコーニが記者会見を断念することで、ベルルスコーニ対プローディのテレビ対決が、実現する見込みになった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月9日)。

ベルルスコーニは「ポルタ・ア・ポルタ」という番組の中で、なぜプローディは逃げ続けるのか、と非難した上で、記者会見はなくてもよい、と言明した。

それを受けて、プローディはそれなら、条件が整ったので受けてたつ、とスタッフを通じて、すぐに連絡を取ったのである。

ベルルスコーニはメディアにおける自己演出に強い自信を持っているので、テレビ対決があったほうが自分に有利だと考えているのである。

司会者というか二人に質問をしかけるジャーナリストは、RAIの会長によって選ばれるらしい。6人のジャーナリストを、プローディとベルルスコーニがくじ引きをして指名していくシステムをとるようだ。

ジャーナリストの質問に政治家が答える時間に制限はないが、ジャーナリストの質問自体は30秒を越えてはならない。

平等性を確保するために、返答にあてられる時間は、平等に割り当てられる。

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2006年3月17日 (金)

コリエレ・デッラ・セーラ社説で中道左派を支持

コリエレ・デッラ・セーラ紙は編集主幹のパオロ・ミエーレ執筆の社説において、4月9日、10日に実施される総選挙で、中道左派を支持することを表明した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。

コリエレ・デッラ・セーラは、創刊130年を最近迎えたところだが、その伝統にのっとり、選挙に関しては、出来るだけ、偏りなく、公平に伝えることを、同時に読者に約束している。

こうした表明は前例のないことではない。今回、中道左派支持を表明する理由はいくつかある。

まず、第一に、現政権にすべて原因があるわけではないが、現在の状況が失望をよぶものであったこと。

第二に、4月の選挙結果が中道右派と中道左派の伯仲で、大連合結成となってしまうとしたら、不吉なシナリオであると考えること。

第三に、ロマーノ・プローディによって結成された連合(中道左派)のほうが、来る5年間をよりよく統治できると、いくつかの内部対立にもかかわらず、選挙キャンペーンからも判断できること。

また、選挙後も、中道左派、中道右派が存続してほしい。中道右派の中では、ジャンフランコ・フィーニとピエル・フェルディナンド・カジーニが率いる国民同盟とキリスト教民主連合の成長が、イタリア政治の全体にとって望ましい。そのことが、正常な民主主義にとってふさわしい、としている。

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ムッソリーニは意外とフェミニストだった?

ファシズム期の女性運動に対し、ムッソリーニが案外、理解を示しているという資料が紹介された(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。

ムッソリーニが女性の社会参加に理解を示している、あるいは必要性を見て取っていたことがわかる資料はいくつかある。

1つは、1925年5月15日、下院での議論に介入し、地方選挙に関して女性に選挙権を賦与する法律を支持したことである。しかしこの法律は、実際には、実施されることがなかった。法律の制定直後に、地方選挙自体が廃止されてしまったからだ。

さらに、1926年のノーベル賞候補に、アーダ・ネグリというフェミニストを推奨し、エットレ・ロマニョーリに彼女を広く知らしめるようにと依頼している。

また、ファシズムの期間中にもFisedd(Federazione italiana per il suffragio e diritti della donna, 女性の参政権および諸権利のための連盟)というものが存在した。その連盟の会長を1932年から35年までつとめたのは、アーダ・サッキという女性であるが、彼女は、両親ともにマッツィーニ派のエリートであった。母はエレーナ・カザーティ、父はガリバルディ派の医師アキッレ・サッキ。だから、彼女は当時のイタリアではもっとも進歩的な家庭に育ったといえよう。

そうした彼女およびその周辺のフェミニストたちの目には、ファシズムは、現代的な運動で、女性に敵対的ではないように見えたのである。

アーダ・サッキは、その後も、サルファッティを通じて、ムッソリーニに女性の社会参加の機会を広げるよう請願している。たとえば、郵便局職員や高校教育の教員からの女性排除に対する闘いを支持してくれと求めているのである。

ところが、1938年には上述のFiseddも解散させられてしまう。

こうした再評価(修正主義)に対し、ジャーナリストのミリアム・マファイは、たしかにムッソリーニやファシズムに女性の活動を広げる面もあったかもしれないが、女性が正式に参政権を得たのが1946年であったことの重要性を忘れてはならないとしている。

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2006年3月16日 (木)

ファッシーノと銀行合併

左翼民主党書記長のピエロ・ファッシーノが、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行の吸収・合併の相手について言及した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月7日)。

ファッシーノによれば、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行(MPS)が、一方で、インテーザ銀行と、他方で、サン・パオロ銀行と交渉しているのは、公然の秘密であるという。

さらに、ファッシーノは、先日のイタリア中央銀行の総裁マリオ・ドラーギの呼びかけに同意して、イタリアにヨーロッパの競争相手と互角に渡り合えるような銀行の連合体が必要であることを認めた。

ドラーギ総裁は、その際、個人的なしがらみや、地域的しがらみを超越しなければならない、としたが、この場合それがあてはまるのは、MPSとシエナの関係である。

MPSは、左翼民主党とのつながりが強い銀行であるが、地元の左翼民主党は必ずしもファッシーノの考えに同意していない。MPSの基金の主要株主であるシエナ市の市長で、再び立候補を考えているマウリツィオ・チェンニは、異なった選択肢を考えているようだ。すなわち、より小さな銀行、たとえばローディ人民銀行のような銀行を、併合する方向だ。

つまり、サン・パオロやインテーザ銀行のような大きな銀行との対等合併で、主導権を共有するリスクを回避するという方針である。

この問題は、地元で熱心に論じられているが、全国レベルの問題でもある。

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2006年3月15日 (水)

i-Pod と教皇

ローマ教皇は、i-Pod を受け取り、コンピュータ化したテクノロジーには未来がある、と言った(コリエレ・デッラ・セーラ、3月7日)。

教皇が入手した i-Podは白。世界中で、4200万台売れたデジタル音楽読み取り機である。すでに、ブッシュ大統領、エリザベス女王も持っているそうだ。

教皇は、教皇庁のラジオ局、ラディオ・ヴァティカーナの職員たちからの寄贈を受けた。このラジオ局の開局75周年を記念しての訪問であったらしい。

教皇がもらったのは、i-Pod ナノ、1Gbのタイプ。ラジオ局(英語、イタリア語、ドイツ語)とベートーヴェン、モーツァルト、ショパンの音楽があらかじめインストールされていた。

教皇は、「コンピュータ化されたテクノロジーが未来だね」と言ったそうだ。

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2006年3月14日 (火)

カトリック信者と政治

カトリック信者と政治の関係を調べた世論調査が発表された。調査は、1600人が対象で2006年2月22,23日に実施(コリエレ・デッラ・セーラ、3月7日)。

カトリックといっても、規則的に教会のミサに行く人を、cattolici praticanti という。伊和辞典には、「毎日曜日にミサに出席する信者」とあるが、コリエレ・デッラ・セーラでは、週に少なくとも一回ミサに行くと自己申告している人としている。

そういったともかくミサに行く信者の割合は、

全有権者のうち           32%
中道右派に投票する人のうち   36%
中道左派に投票する人のうち   26%
決まっていない人のうち      33%
棄権したいと思っている人のうち 40%

それぞれの政党に投票した人のうち、ミサに行く信者の割合は、

キリスト教民主連合        65%
フォルツァ・イタリア        35%
国民同盟              30%
左翼民主(党)           26%
共産主義再建党          15%
マルゲリータ             41%
北部同盟              29%

自分が次のものと考える人のうち、ミサに行く信者の割合は、

左派                  17%
中道左派               31%
中道                  34%
中道右派               38%
右派                  30%
わからない・その他         42%

ミサに行くプラティカンティは、今でも全体の約3分の1いる。年長の人に多く、ということは、女性のほうが長命なので、女性に多い。しかし、数十年前に比べると大幅に減っている。

また、かつてと比べると、宗教的信念と、政治的選択の間の相関関係はずっと弱いものになっている。

とはいえ、ミサに行く信者は、中道勢力にとって、命運を左右するほどの塊であるから、ベルルスコーニが教皇に会う、会わぬ(どうやら、ベルルスコーニとカジーニは謁見を断念したようだが)が、世間を騒がせるのである。

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2006年3月13日 (月)

与党の分裂

イタリア経団連の会長モンテツェーモロの政府批判に対し、ベルルスコーニ首相が非難を浴びせ返したが、与党の対応は割れ、一枚岩ではない(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。

イタリア経済の停滞、競争力の弱さをモンテツェーモロは問題視し、それに対し、政府が適切な手を打ってこなかったことを指摘したわけだが、それに対し、ベルルスコーニ首相は、モンテツェーモロは彼自身の考えを勝手に語っているのであって、企業家たち(経団連)を代表して語っているのではない、とした。

ベルルスコーニは、自分は企業家を知っており、彼らの多くは、イタリアが衰亡しつつあるという考えを持っていないと私に言った、と主張している。

それに対し、下院議長のピエル・フェルディナンド・カジーニは、「モンテツェーモロの発言を問題視するのは間違っている。イタリアの競争力は重要な核心部分である」として、モンテツェーモロを擁護した。

さらに、カジーニの発言に対する与党(の一つ)国民同盟の議員の反応は割れていて、アレマンノのように、カジーニの言うことはもっともだ、とする者と、ガスパッリのように、イタリア経団連は党派的になっていると非難するものがいる。

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2006年3月12日 (日)

プローディ、テレビ対決を拒絶する

総選挙をあと一月に控え、プローディとベルルスコーニのテレビ対決が期待されていたが、要求した条件が満たされる保障がないとして、プローディは、テレビ対決を拒否した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月8日)。

プローディが要求したのは、スタジオにおける候補者、テレビカメラの位置、演出の規則などである。ベルルスコーニが記者会見を断念するのなら、行くとも言っている。

ベルルスコーニの方は、自分は一人でも自分の時間を埋めにいくという。

プローディは、ベルルスコーニほど、政治をやって、やる前より、金持ちになった政治家はいないといって非難している。

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2006年3月11日 (土)

サンレモの視聴率

サンレモ音楽祭の最終日の視聴率が、史上最低の48,23%に終わった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月6日)。

1995年から2006年までの、サンレモ音楽祭の視聴率(占有率)は次の通りである。

1995年 ピッポ・バウド(司会) 75.22%
1996年 ピッポ・バウド     62.86%
1997年 マイク・ボンジョルノ  68.29%
1998年 ライモンド・ヴィアネッロ 62.70%
1999年 ファビオ・ファツィオ 62.41(第二部77.05%)
2000年 ファビオ・ファツィオ 62.48(第二部75.07%)
2001年 ラッファエッラ・カッラ 57.25%
2002年 ピッポ・バウド     62.66%
2003年 ピッポ・バウド     54.12%
2004年 シモーナ・ヴェントゥーラ 48.57%
2005年 パオロ・ボノリス    55.08%
2006年 ジョルジョ・パナリエッロ 48.23%

今年の数字は、2004年を下回り、史上最低ということになる。

今年に関しては、第一部(およそ21時から23時)は、1087万5千人の視聴者がおり、視聴率(占有率)は42,27%であった。第二部(夜中まで)は、967万2千人の視聴者で49.98%の視聴率。最後の部分は、754万3千の視聴者で、65.55%の視聴率。三つの部分を平均すると48.23%の占有率となる。

また、最終日だけではなくて、サンレモ音楽祭5夜全体では、40.17%の占有率であった。

日本の紅白もそうだが、国民全体が同じ歌番組を見るようにしむけるのは相当な困難が伴うのだろう。

(なお、明日3月12日から18日まで、仕事の関係でブログ更新が困難となります。あらかじめご了承ください)。

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2006年3月10日 (金)

エーコ、「ベルルスコーニが勝ったら、外国へいく」

作家ウンベルト・エーコが、ベルルスコーニが勝ったら、外国に行くと宣言した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月5日)。

「シルヴィオ・ベルルスコーニで、また5年は、呪わしい。その場合、私は、引退して、海外に行く」とエーコは言う。

どこの国とは明言していないが、これ以上のベルルスコーニ政権は耐えがたいというわけだ。

以前には、やはり小説家アントニオ・タブッキが、2001年に、イタリアはまるで流されるままに漂う国のようだ、と述べたことがある。

エーコの表明に対する反応は様々だ。ジロトンド運動(かごめかごめのように手をつないで、デモンストレーションする)のリーダーの一人パルディは、「やっとエーコが意見を言ってくれた。遅くても無いよりはましだ。私としては、ベルルスコーニがまた勝ったとしても、そんな運命論的な態度をとるべきではないと思う」

諷刺漫画家のヴァウロは、エーコの声明を歓迎し、自分もそうしたいと述べた。

ジャーナリストのマルコ・トラヴァリオは、エーコの考えは分かるが、共有しないと表明した。

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イタリア銀行新総裁、保護主義にNO

イタリア中央銀行の新総裁マリオ・ドラーギは、サルデーニャ島のカリアリで開かれた会議で、保護主義には決然としたNOを突きつけた(コリエレ・デッラ・セーラ、3月5日)。

ドラーギによれば、イタリア経済の構造は時代遅れとなり、「あえいで」いるが、衰退が避けがたいというわけではない。

ただし、公的支出の健全化と成長回復のために残された時間は、短くなってしまった。

また近年になされた「有意義な進展」を認めたうえで、イタリアの銀行システムにおいて、郷土主義(Campanilismo)を克服し、国全体を固めなければならないとした。

このメッセージはすべての銀行に向けて発せられた。保護主義についても、そのコストは決して安くないとし、EUの株式公開買い付けに関する法律は、不十分であると主張した。

これがドラーギの、総裁としてのデビューになる。

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成長のための柱

イタリア経団連副会長のパスクヮーレ・ピストリオが、イタリア経済が競争力を取り戻すためには、少なくとも、国内総生産の2%を研究・開発に振り向けなければならない、と語った(コリエレ・デッラ・セーラ、3月4日)。

ピストリオが示す成長のための柱は、3本。

1.テクノロジーの革新的使用。革新は、会社の成長のためのキー・ファクターであるが、情報テクノロジーの革新的な使用を通じて達成される。

2.市場獲得のための国際化。中国やインドのような国々からの挑戦に勝つためには、企業は、国際化のカードを用いねばならない。

3.トータルな質と持続可能な成長。成長を望む会社は、トータルな質、エネルギー効率、持続可能な成長という視点を持たねばならない。

さらに、イタリアの公的支出に関し、2010年までに、少なくとも国内総生産の2%を、2013年までに3%を研究・開発のために用いるよう提言した。公的な需要が、新たなテクノロジーや新たな製品を生み出す契機になりうるからだ。

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モンテツェーモロの苛立ち

イタリア経団連の会長ルーカ・コルデロ・モンテツェーモロが、今回の選挙キャンペーンは、戦後最悪だと、政治家たちに猛省を促した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月4日)。

モンテツェーモロは、「これは、戦後から今日までの間で、最も長く、最も醜悪な選挙キャンペーンだ」と、1300人の企業家を前にした挨拶で、政治家たちを断罪した。

地方選挙(去年4月に実施された)の前から続いていて、一種の膠着状態、現状維持状態に陥っているのだ。

モンテツェーモロは、すでに2004年12月に、イタリアの経済に関し、警告を発していた。政府を名指しはしていないが、意味していることは明らかだ。「(当時)彼らは、我々が政治的な動きをし、すべてを悲観しており、まだ何かが出来ると言っていたが、実際は、イタリアは成長していないのだ」。

「政治的な諍いが続くが、人々の抱える問題ー雇用や経済ーから遠いテーマで争っている」。

モンテツェーモロは、企業家たちに、研究開発や革新へと立ち向かうよう強く促した。

イタリアでは大企業は全体の1%しかないが、研究に関しては70%をしめており、このままではいけない。

さらに、彼は、労働組合に関しても近代化をもとめた。「革新は大学からだけやってくるのではなくて、労働組合の指導者も、世界が変わりつつあることを理解し、競争力強化に貢献しなければならない」と述べた。

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お詫びとお断り

ココログに事故が発生し、更新やコメント、トラックバックが出来ない状態が続いていました。読者の方々にご迷惑をおかけしたかもしれません(ブログを読むことは出来たかと思います)。「ココログ」側の説明にもとづき、簡単に、事情を説明します。

3月8日、10時から「ココログ」のサーバー・メンテナンスが開始され、ブログの更新が出来なくなる。

3月9日、21時、メンテナンス終了。

3月9日、22時から管理画面(ブログの更新をする画面)へのアクセスが極めてしにくくなり(筆者はまったく不可能でした)、コメントおよびトラックバックができにくくなる。

3月10日、午後早い時間帯でも、アクセス不能でしたが、17時過ぎにアクセスしてみたら復旧していました。

もっと、詳しい経過をお知りになりたいかたは、ココログのホームページをご覧下さい。

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2006年3月 9日 (木)

カダフィ大佐、イタリアを脅迫?

リビアのカダフィ大佐は、2月17日にリビアのベンガジで起こったような民衆のイタリア領事館襲撃が再び起こるかもしれないと、脅迫的な警告をした(コリエレ・デッラ・セーラ、3月3日)。

カダフィ大佐によると、リビアの人々はデンマーク(マホメットの戯画がもともと描かれ、発表された)を憎んでいるのではなく、イタリアを憎んでいる。彼らの怒りは、イタリアの植民地支配の始った1911年に遡るのだと。

ベルルスコーニ首相は、2月23日に、リビアとの合意に達し、「植民地時代の過去」は、「最終的に閉じられた」と述べたのだが、甘かったようだ。

カダフィ大佐は、リビアは(植民地時代に受けた)苦しみに対し、十分な補償を受けていない、と主張している。

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2006年3月 8日 (水)

イタリア経済、成長せず

イタリアの2005年の経済はゼロ成長であったことが、ISTAT(政府中央統計局)のデータから明らかになった(コリエレ・デッラ・セーラ、3月2日)。

2005年の他のヨーロッパ諸国の成長率は、
 ドイツ   0,9%
 フランス  1,5%
 スペイン  3,4%
 

国家歳入の赤字は、2004年の国内総生産比3,4%から、2005年は4,1%に悪化した。ただし、政府見通しの4,3%よりはましだった。

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教皇の呼称、1つ減る

教皇の正式名称が9つから8つに減る。使われなくなるのは、西の総主教(patriarca dell'occidente)という呼び方(コリエレ・デッラ・セーラ、3月1日)。

教皇(Papa)には、正式な称号が9つもあって、
1.ローマの司教(Vescovo di Roma)
2.イエス・キリストの代理(Vicario di Gesu Cristo)
3.使徒の第一人者の後継者(Successore del Principe degli apostoli)(使徒の第一人者=サン・ピエトロである)
4.普遍教会の最高位聖職者(Sommo Pontefice della Chiesa universale)
5.イタリアの首座大司教(Primate d’Italia)
6.ローマ管区の大司教かつ首都大司教(Arcivescovo e Metropolita della Provincia romana)
7.ヴァティカン市国の元首(Sovrano dello Stato della Citta' del Vaticano)
8.神のしもべの中のしもべ(Servo dei servi di Dio)

以前は、4番目の普遍教会の最高位聖職者と5番目のイタリアの首座大司教の間に、西の総主教が入っていたのである。

ドメニコ派の神学者イヴ・コンガールによると、西の総主教というのは、教皇にふさわしい称号ではない、という。現教皇ベネデット16世も神学者であり、同じ考えなのであると思われる。

ただし、この呼称は、東ローマ皇帝テオドシウス2世からレオ1世(アッティラを説得した大教皇)にあてた手紙(450年)に用いられたというから、1556年間にも渡って用いられた称号であるのだ。

教皇の称号変更には、前例があって、ジョヴァンニ23世は、「栄光を持って君臨する」を「神のしもべの中のしもべ」に変更したそうだ。

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2006年3月 6日 (月)

プローディの強硬路線

Enel(イタリア電力公社)がフランスの会社スエズを買収しようとしたのにフランス政府が対抗策をとったことに対し、プローディが激しく反発した(コリエレ・デッラ・セーラ、3月1日)。

中道左派のリーダー、プローディは、今回の件に関し、相互的な関係が必要であり、そうでないならば、フランスのパリバ銀行によるイタリアのBNL銀行の買収にもストップをかけてもおかしくない、と述べた。

フランス側はフランスガス公社と環境・エネルギー大手のスエズを合併して、イタリアのEnelによる買収を阻止した(しようとしている)わけだが、この情勢をうけて、イタリア側には、ENI(イタリア炭化水素公社)とENELを合併させてはどうかという案が浮上してきた。

EniとEnelを合併させるというのは、1997年にも議論された案だ。Enel は株式総額が435億ユーロ、Eni は972億ユーロでどちらも巨大な会社である。

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ミルズ弁護士とベルルスコーニ

イギリスのミルズ弁護士が、裁判で、ベルルスコーニに有利な証言をした謝礼として60万ドルを受け取り、それでロンドンの自宅とウォリックシャーの別荘の支払いにあてたことが、大臣(ミルズ夫人は文化大臣)および大臣の家族が守らねばならぬ「利害の衝突」にあたるとして非難をあびている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日、3月1日)。

ベルルスコーニのために働いたイギリス人弁護士デイヴィッド・ミルズは、夫人がイギリス政府の文化大臣である。ミルズは、61歳で、オックスフォード大卒業、イギリスで最もすぐれた弁護士の一人とされる。

ミルズ弁護士は、1979年、夫人テッサ・ジョウェルと結婚する少し前に、フィニンヴェスト(1978年にベルルスコーニが創立)と仕事をするようになった。

ミルズ弁護士は、フィニンヴェストのために、オフショア会社(タックス・ヘイヴンの地域、国に節税または脱税のためにつくる会社)網を作ってやった。

さらに、ミラノ検事局によれば、「虚偽の証言」をし、ベルルスコーニを守ったことによって、60万ドルの報償を得たのだ。

1996年には、すでにミラノの検察官は、ロンドンのミルズの事務所を捜査している。ついで、1997年、98年の2件のミラノの裁判では、証人として、ベルルスコーニとこのオフショア会社について一度も話したことがないと証言した。

が、今回、新たな捜査で、検察官は、二つのオフショア「金庫」を開いたのが、まさにベルルスコーニであったことをミルズが隠していたことを告発している。

証言の報償として得た60万ドルを、ミルズは、2000年に、妻とともに借りた抵当貸し付けを払うのに用いた。大臣である夫人は、夫が投資をするために、署名したことは認めたが、その金がベルルスコーニから来たとは知らなかったと言っている。

ミルズへの支払い明細は、バハマの銀行から6ヶ月前に送られてきたのだが、ロンドン警察が3週間前に捜査したときにはそのファックスが消え失せていた。

また、ミルズは、自分へのベルルスコーニからの支払いと別の人物からの支払いをわざと一緒にして、支払いもとが判別出来ないようにしていた疑いをもたれている。

ミラノ検事局は、バハマに捜査協力を求める。

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フランカ・ラーメの立候補

イタリアの女優フランカ・ラーメがディ・ピエトロの政党から上院選挙に立候補する(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。

フランカ・ラーメは、ノーベル賞作家ダリオ・フォの夫人で、イタリア左派急進主義のシンボル的存在である。

しかし、この度、ラーメが立候補するのは、ディ・ピエトロの政党「価値あるイタリア」(Italia dei Valori)からである。

夫のダリオは最初は反対だったという。フランカは友人たちに相談し、立候補を決めた。

ダリオ・フォは先日、ミラノ市長の中道左派の予備選に出て敗れたばかりだが、もともと共産党再建党に近い。

フランカ・ラーメは何故、共産党再建党や左派から出ないのかと尋ねられ、求められなかったからだし、その理由は、私ではなく、彼らに聞いてくれと答えている。

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2006年3月 5日 (日)

浮動票の行方

総選挙を6週間後に控え、中道左派は3~5ポイントのリードを保っている。有権者の約4分の1をしめる浮動票の行方が鍵を握りそうだ(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。

コリエレ・デッラ・セーラは、2月22-23日に、1600人を対象に世論調査を実施した。

投票方針が決まっている人は約75%。その人々のうち、

 ・ 政党のみで決める人 26%。
 ・ 中道右派・左派両方の1つ以上の党を考慮する
                 19%
 ・ 連立のなかで(中道右派なら右派のなかで)1つ以上
   の党を考慮する    55%

投票方針が決まってない人(indecisi)は全体の約25%。その人々のうち

 ・ いずれにせよ中道左派  44%
 ・ いずれにせよ中道右派  26%
 ・ はっきりした方向性なし  30%

である。

 以前は、イタリアでは、支持政党が明確で、それ以外の党にはいれないという人が多数派をしめていた。しかし、現在そういった固い票は、20-30%にまで減少している。

 過去の選挙から見ると、中道右派と中道左派の壁を越えて、投票対象を変える人は、約4%。割合としては小さいし、心を捉えることが最も困難なグループであるが、このグループの動向が大勢を決する場合もある。

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イタリア南部銀行

イタリアに南部銀行(Banca del Sud)が出来る。財務相トレモンティの主導で出来るのだが、名誉総裁は、ブルボン家の末裔カルロ・ディ・ボルボーネである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月28日)。

ブルボン王家(イタリア語ではボルボーネ)は、リソルジメントに至るまで南イタリアを支配した王家であるが、その経過がまとめてある。

18世紀初頭スペイン継承戦争が勃発。ユトレヒト条約で、ミラノ・マントヴァ両公国、ナポリ王国、サルデーニャがオーストリアに帰属することになる。

ファルネーゼ家のエリザベッタが、1714年スペインのフェリペ5世と結婚する。イタリア出身のエリザベッタは、自分の王子たちがイタリア領を確保することを望み、遠征軍をたてて、サルデーニャとシチリアを奪う。しかし、この行動は列強の干渉を呼び、スペインは両島を手放す。

その後、1733年、ポーランド継承戦争がおこり、フランス王ルイ15世は、オーストリアに対抗するために、スペインにナポリ・シチリア両王国を与えることを約束した。

1738年のヴィーン条約により、スペインのドン・カルロスは、中部イタリアをオーストリアに譲るかわりに、ナポリ・シチリアの王として正式に認められる。

その後、フェルディナンド4世のときに、両シチリア王国となる。フランチェスコ1世(在位1825-30)、フェルディナンド2世(1830-59)、フランチェスコ2世(1859-61年から亡命)、アルフォンソ(カストロ公爵1894-1934)、ラニエリ(カストロ公爵1960-66)、フェルディナンド(カストロ公爵1966- )と続き1963年生まれのカルロは、カラブリア公爵で、王位継承権を持つ王子(principe ereditario)である。ただし、両シチリア王国というものは、消滅しているのだから、王家の当主になる継承権を持っていると言ったほうがより正確だろう。

カルロは、二重国籍を持っている。フランス生まれでフランス国籍を持ち、ついでイタリア国籍も取得している。

カルロの南部銀行名誉総裁就任には、批判的な人もいる。両シチリア王国は、サヴォイア家に征服された側であるから、不思議なことではないが、カルロはリソルジメントおよび統一イタリアに強く批判的であったからだという。

南部の復興、活性化に期待をこめて、旧王家の末裔を名誉総裁に迎え入れる効果は、どれほどのものだろうか?

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Enel対フランスのガス会社

イタリアのEnel (イタリア電力公社)は、フランスのエネルギー・環境大手のスエズを買収しようとしていたが、フランスの首相ド・ビルパンが待ったをかけ、フランス・ガス公社とスエズの合併を進めた(コリエレ・デッラ・セーラ、2月27,28日)。

これに対し、イタリア政府としては、EUの介入を求めている。生産活動相スカヨーラは、近日中にエネルギー関係者を招集し、イタリアとしての新方針を策定する予定。

財務相トレモンティは、フランス・ベルギー両政府に対し、イタリア側の苛立ちを伝えるとともに、関係者と対抗策を検討する。

EU域内市場委員会代表のマクリーヴィは、「一見したところ、フランス側に違反は見あたらない。が、形式面だけでなく、法の精神も大事だ」

ベルルスコーニ首相は、フランスの行動が、保護主義的であると非難している。

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大統領職の変容

イタリアの大統領の役割がどう変わってきたかを論じた本『クィリナーレ宮の戦い』が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月27日)。

著者は、コリエレ・デッラ・セーラの大統領官邸への特派員マルツィオ・ブレーダ。タイトルは、La guerra del Quirinale(Garzanti)。クィリナーレ宮は大統領官邸である。

この本では、直近の3人の大統領、コッシーガ、スカルファロ、チャンピを中心に扱っている。

何故この三人か、には理由がある。冷戦が終わり、イタリア共産党の危機および「要素K」(共産党が野党第一党だが、政権交代は出来ない状態にあること)の終焉が、イタリアの政治的パノラマを変えるであろうことを、コッシーガは理解したのだ。

コッシーガはそこから、イタリア憲法が古くなっており、見直しが必要だと考えた。

彼の後継者オスカー・ルイジ・スカルファロは、1992年に就任したが、ミラノ検察局がマーニ・プリーテで、何百人という政治家を捜査し、マフィアがファルコーネ判事を殺害した年である。

スカルファロは5人の首相を任命したが、そのうち3人は彼が選ばなければならなかった。議会が多数派から首相候補を選出するように機能していなかったからだ。

チャンピは、任期前半はともかく、2001年にベルルスコーニ政権となってからは、「反権力」の立場に立たざるをえないことが何度かあった。

要するに、昔の大統領は、象徴的な権威でよかったのだが、冷戦が終わって、コッシーガ大統領以降、大統領の果たすべき役割が変わってきて、首相との緊張関係が強いものとなることがままある(もっとも、以前の大統領にも、与党の反対を押し切って首相を任命した人はいる)。

しかし、イタリア憲法で定められた大統領の役割には曖昧なところがあり、さまざまな解釈の余地があるのだ。

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2006年3月 3日 (金)

近視の新たな治療法

近視の新たな治療法が紹介されている。自分の角膜を取り出し、試験管で増殖させて、また自分の角膜に埋め込むというものである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月27日)。

これは幹細胞(これから、さまざまの細胞になれる可能性をもった、まだ未分化の細胞)を利用する治療法である。現在、幹細胞(le cellule staminali)の利用が可能なのは、角膜のみで、動物実験では網膜再生にもチャレンジしている。

ピサ大学(眼科学)のマルコ・ナルディによると、「角膜は、眼の前部を覆っていて、よく見えるためには、透明でなければなりません。数年前まで、角膜が透明でなくなると、移植しなければなりませんでした」

「まず、第一の進歩は、角膜全部を取り替えるのではなく、損傷をうけた一部だけ取り替えればよくなったことです。次に、幹細胞の使用です」

「角膜は、上皮組織に覆われていて、それが連続的に細胞分裂をして再生するのですが、分裂した細胞は、角膜の縁(へり)にあります。この幹細胞の活動が不十分だと、再生ができなくて、周囲の不透明な細胞が用いられてしまうのです」

治療法は?「最初は、患者の健康な眼の角膜の縁を、ほんの一部取り出し、悪い方の眼に移植して、角膜全体を修復させるのです」

他人の角膜を移植する場合は、拒絶反応の問題があるが、これは本人の細胞なのでそれがない。そこが画期的である。また親族間(拒絶反応が小さい)の移植も可能である。

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2006年3月 2日 (木)

ベルルスコーニ対司法官

ベルルスコーニ首相と司法官が対立している。きっかけは、アントンヴェネタ銀行が外国資本によって買収されたのは、検察官の余計な介入のせいだ、とベルルスコーニが非難したことである(コリエレ・デッラ・セーラ、2月24日、25日)。

イタリアのアントンヴェネタ銀行が、オランダのABNアムロ銀行に買収されたのは、検察官が「経済に不適切な介入をし、わが国の銀行が、外国人の手に渡った」と首相。

それに対し、破毀院(最高裁)長官(primo presidente di Cassazione) のニコラ・マルヴッリは、「精神が錯乱した非難である」と激しく応酬した。

副首相フィーニや下院議長のカジーニはベルルスコーニに理解を示している。

チャンピ大統領は、全国司法官協会の会合で、司法官への支持を表明したうえで、司法官は公平であり、かつ、公平であるように見えねばならない、とした。

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辛口のカタリーナ・ヴィット

トリノのフィギュア・スケートのフリーの演技に対し、元チャンピオンのカタリーナ・ヴィットが激辛のコメントを加えている(コリエレ・デッラ・セーラ、2月24日)。

コリエレ・デッラ・セーラのスポーツ面には、女子フィギュア・スケートのメダリスト三人の写真が掲載されているが、荒川静香はなぜか16歳となっている。コーエンとスルツカヤは転倒場面で、見出しは「女王たちも転ぶ」。

地元カロリーナ・コストナーが衣装としてschiffon e swarowsky (透きとおった布地に、クリスタルのビーズがあしらってあるドレス)だったことが賞賛されている。日本人選手、村主と荒川は、ロボットっぽく、荒川はコンピュータのように正確である。(あくまでもコリエレ・デッラ・セーラの記者の記述です、念のため)。

ロシアのイリーナ・スルツカヤは、カタリーナ・ヴィットによると、「イリーナはエネルギーはあるけど、スポーツ選手だわ」。サーシャ・コーエンは22歳の盆栽のように小柄な女性 (donnino bonsai) で、胸もセックス・アピールもなく、145cmのカリフォルニア製のプロフェッショナルである。「技術的には素晴らしいが、バレリーナではないわ」。

カタリーナ・ヴィットも、コリエレ記者も、コストナーが9位に終わったせいか、日本をふくめ他国の選手には大変厳しい批評である。

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2006年3月 1日 (水)

気の滅いるポップス本

イタリアのポップスでもっとも陰鬱な50曲を集めて紹介した本が出版された(コリエレ・デッラ・セーラ、2月24日)。

タイトルは Da una lacrima sul viso.... 著者は、パオラ・マラオーネとパオロ・マッデッドゥ。出版社はKowalski.

イタリアのポップスから、最も気の滅入る50曲を選んだもので、DJのLinusの序文がついている。ただし、曲をただ並べただけではなくて、目的別になっている。

各曲には、処方と治療効果が書いてあるのだ。たとえば月曜の朝の憂鬱には、バリオーニの「ポスター」。独身の孤独には、Pooh の Uomini soli(孤独な人)。摂食障害には、フランチェスコ・デ・グレゴーリのLa donna cannone(大砲女)。

こういった具合で、300ページ以上の本だという。モドゥーニョからルイジ・テンコ。グッチーニからラウラ・パウジーニ、ミーナからコッチャンテ、イヴァーノ・フォッサーティからレナート・ゼーロまで掲載されている。

落ち込んだときに、癒し系の曲を聴くのではなくて、暗い曲を聴き、曲とともに沈み込んで、底の底から浮き上がってくるのがイタリア流ということだろうか。

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全国司法官協会、規約を女性有利に変更

イタリアの全国司法官協会は、評議員を決める選挙で、おのおのの派閥は最低40%は女性を候補者リストにのせること、投票が同数の場合は、女性を当選とすることに規約を改正する(コリエレ・デッラ・セーラ、2月23日)。

司法官(magistrato)というのは、裁判官(giudice) と検察官(pubblico ministero, pm)を合わせたもので、全国司法官協会は、イタリアの全司法官8886人中93%が加盟している組合である。協会には、4つのグループというか派閥(corrente)が右派から左派まである。

現在、8886人の司法官のうち、女性は、38%。

初めて女性が司法官になったのは、1965年で、5647人中8人、0,14%に過ぎなかった。

全国司法官協会の評議会には、36人の評議員がいるのだが、そのうち女性は4人。今回の改訂は、評議員の選挙の際に、票数が同じ場合はこれまで年長者が当選としていたものを、より代表の少ない性別の候補者(ということは現在、女性ということになる)が当選とすることに変えるのである。

また、これとは別に、最高司法会議(大統領が議長をつとめ、破毀院長、検事総長、および司法官から選出された16名、および議会が選出する8名からなる)には、これまで女性は5人がなったのみである。

(司法官や全国司法官協会、最高司法会議などに関して、Italia online の司法の項目を参照させていただきました。お礼申し上げます。http://homepage3.nifty.com/bologna/indice.html#mg

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